第383話 アジアの星

 台湾からフィリピン、マレーシア、そしてタイという日程はおおよそ決まっている。

 ハコの大きさについても、現地でかなり用意されている。

 重要な収益に関しては、しっかりとスポンサーを見つけた。

 公演する国のスポンサーを見つければ、自然とハコも見つかるものなのだ。

 海外からも注目される。

 欧米がやはり市場としては大きいし、発展途上国ではこういったマーケットには、海賊盤が出回る。

 一番ひどいのは、昔から中国であろうが。

 ただ復帰前の香港もひどかったなどと聞くので、何がどうなのかなどははっきりと分からない。


 四つの国はいずれも、日本が冬であっても季節はほぼ夏。

 あちらの方は雨季と乾季という分け方であることが多い。

 沖縄よりもずっと南なのだ。

 普通の家でも天井に巨大な扇風機が付いている。

 また一流ホテルなどはともかく、一般的には衛生事情が日本ほどよくない。

 もっともブラジルやアメリカであっても、上流層の住む場所と、貧困層の住む場所では、大きく違いのが確かである。

 なお台湾の台北などは、単純な治安や生活のしやすさでは、東京や大阪よりも上だという。

 これは考え方次第で、日本も家賃や物価の安い地方都市のほうが、今では住みやすく治安もいいとされるだろう。


「インドネシアとかどうなの?」

「少し危ないけど、フィリピンも同じだな」

 フィリピンは首都のマニラはともかく、他の部分はやや危険度が高くなっている。

 またタイはほとんどが安全と評価されるも、首都バンコクの一部は危険度がやや高めだ。

 基本的にブラジルもそうだが、富裕層の住んでいる場所は、危険度が低くなっているのだ。

 これはニューヨークであっても同じことだし、シカゴであっても同じことだった。

 日本ですら今では、都会の中で危険な場所が出来ている。

 なおどんな国であっても、夜中に女性が一人で歩いてはいけない。

 ついちょっと前までは、日本は唯一それが平気な国と言われていたのだが。


 九月の終盤から10月にかけて、屋内ステージでコンサートを行う。

 東南アジアにそんな大きな場所があるのかとか、馬鹿にしてはいけない。

 普通に数千人単位のホールなら、いくらでもあるのだ。

 フェスにしてもフィリピンやタイなどは、色々と開催されている。


 基本的にフェスというのは、夏場に行われるものである。

 日本は冬は冬で、屋内フェスをしていたりするが。

 また南欧や北米南部でも、冬場にフェスをすることは可能だ。

 しかしそれでも季節的に、冬場はフェスの時期ではない。

 ならば東南アジアやオセアニアなどの、赤道近くはどうであるのか。

 2000年代から徐々に増えてきて、タイなどでは王立の設備がフェスのために使われていたりする。


 ただ東南アジアは、観光客向けと地元向けが、かなりはっきりと分かれている。

 もっともホテル近くの屋台などでは、充分に夜中でも明るい。

 置き引きやスリ程度のことはあるが、基本的には命の危険まではない。

 だがちょっと暗いところにいくと、本当にマフィアのような存在が、殺し屋をしていたりする。

 日本でも年間に数万人は行方不明になっているのだから、見ないふりをしているだけとも言えるが。




 人口が増えているという点では、インドなども大きな市場になるかもしれない。

 だが今回は新しいステージを、まずは確認しに行くという段階だ。

 おおよそ5000人規模のホールを、どの国でも確保することが出来る。

 インドなど野外であるのならば、10万人を集めるステージも作れそうだ。


 問題は野天型となると、雨季などの天候となる。

 タイなどは九月から10月あたりが雨季であるため、屋内のステージを必要とした。

 そもそも海外のプロモーターに、さすがにこういった初めての場所は任せる部分が多い。

 そうするといまだにあちらは、日本人は金持ちと思っているのか、ぼったくりの価格を最初は提示してくるが。


 日本の国としての力は、確かにまだまだ大きい。

 しかし一人の人間が余暇の遊びに使える金額は、どんどんと減っていっているのである。

 国内のライブであっても、既に贅沢なものとなってきている。

 だが高いチケットを買ってくれるからこそ、それを満足させようという、プロ意識も育つのだ。

 安いものだった、と思わせなければ次がない。

 ずっと勝ち続けていって、ほんの時々負ける。

 ノイズの場合は大きく負けたことは一度もない。


 今回のツアーにしても、儲けは最低限赤が出なければそれでいい。

 もっと重要なのは、しっかりと会場を埋めて、認知度を高めていくことだ。

 新しい客層を狙っていくのだ。

 最初はとにかく知名度を高めなければいけないが、だからといって儲けよりも知名度を、などと言ってくるプロモーターとは組んではいけない。

 それは間違いなく、大きく中抜きして、自分の懐を潤すことだけを考えるからだ。

 必ず客を満員にするような、そういうことを考えなくてはいけない。

 そうしないと自分も儲からない、と考えている人間と組むのが大前提である。


 もっとも日本の音楽業界も、トップレベルではつながっている。

 国内のパイは奪い合いであるが、海外に進出するとなると、これは協力し合うこともある。

 海外の大きなパイに、日本の音楽を認識させるのだ。

 実際にサブスクなどでは、日本の音楽を一つ聞けば、そこから他に広がっていく人間もいるのだ。


 ミュージシャンが音楽だけで食っていける時代ではない、などとも言われる。

 実際によほど上手く計算しない限り、ライブをやっても規模が大きいほど、赤字になる可能性が高い。

 ノイズの場合は原盤の方の権利も持っているので、儲かっているだけだ。

 もっともゴートや白雪の方が、権力を持っているので強いのだが。

 なんだかんだと税金などを引いても年間、一人3000万は入ってくるぐらいの安定感はある。

 あまり働けなかった年でも、それだけ入ってくるようにしてあるのだ。


 ミュージシャンというのは、続けていくのが重要なのである。

 一発で終わってしまっては、あまり美味しくない。

 昔に比べればカラオケなども、数は減ってしまっている。

 どこかで曲を使ってもらわないと、なかなか稼げないのである。


 アメリカではいまだに霹靂の刻などがどこかで、使われたりする。

 あれ一曲だけで、月子はここ数年、働かなくてもいいだけの金にはなっている。

 もっともそういった余裕があったからこそ、治療に専念も出来た。

 金銭的な余裕の他に心理的な余裕、そして時間的な余裕である。

 


 

 月子の自尊心は満たされている。

 他のノイズのメンバーも、そういった部分はもう問題はない。

 ただ栄二はしっかりと、生活のことを考えている。

 今の栄華というのは、将来の安定を保証するものではない。

 もっとも俊などはメンバーには、アーティスト向けの特殊な年金に入るよう、言っていたりするが。


 おそらく月子には、これは必要ない。

 もっとも月子の場合は、普通に保険に入っていたので、治療の時にも役に立ったが。

 かなり予後はよくなっていると言っても、50歳ぐらいまでには死ぬ可能性が高い。

 そんなことを言われていたら、老いた時のことなど、考えても仕方がないと思うだろう。

 ただし自分の死後に、残された子供がどうするのか、それだけは心配であるが。


 月子が死の接近をそこまで自覚しているとは、俊は想像していなかった。

 大切な仲間であるし、代わりのいないボーカルでもある。

 病状についても楽観できないことは分かっていた。

 それでも自分自身のことではない。

 俊は根本的なところで、人間よりも音楽を選んでしまうところがある。


 致命的な人間不信。

 父が母を裏切ったことに、母が義務的に俊を育てたこと。

 あとは彩との関係など、間違いなく俊の本質は、人間不信なのである。

 ただそういうところがあるからこそ、しっかりと感情などだけで、関係を維持しようとは思わないのだが。

 なんだかんだ言いながら、息子と遊んでやることもある。

 だが作曲に入ると、完全に妻子のことを忘れてしまう。


 暁も俊に関しては、あまり男という面を感じていない。

 もちろん普通に、夫婦としての感覚はあるのだが。

 なにしろすぐに子供が出来てしまったというか、子供が出来なければくっついていなかったであろうから、恋愛関係をすっ飛ばして、育児のための共闘関係を結んだ。

 今でもそれは変わっておらず、さらにもう一人の子供が出来たため、いかに自分たちの仕事の時間を確保するかが、重大な課題となっている。


 夏のフェスが終わって、どうにか一区切りとは思う。

 だが今年はここから、東南アジア四カ国ツアーが始まるのだ。

「台湾、フィリピン、マレーシア、タイかあ」

 少しぐらいは観光の時間があるのかな、とは考えたりする。

 もちろんあるのだが、観光に向いていない場所もあったりする。


 それぞれ都市の中の施設で、数千人は集めるのだ。

 だがギャラ的にはそれほど美味しくない、と俊や阿部は言う。

 もっとも日本のように、損して得取れ、というような長期的な視野は、あまりないのが東南アジアである。

 基本的に熱帯や亜熱帯などの、冬を知らない国の人間は、思考が楽観的であることが多い。

 海に面した人間などは、そこでどうにか生きていける、というパターンがあるのだ。




 普通に北国の人間は、自殺率が高かったりする。

 これは日光不足によって、脳内の分泌物質が、鬱の方向に傾くからだという。

 日光の多い南国においては、そういったものが軽い統計がある。

 日本においても東北は、自殺率が高いというのは確かだ。

 なお南国の沖縄は、自殺率が低い方から五番目ぐらいであったりする。


 確かに暖かい場所では、人間は衣食住のうち、衣類は少なくて構わないし、住居もそこまでどっしりとしていなくていい。

 さらに言うなら暖かい場所では、普通に食べ物も育ちやすい。

 しかし現代文明の話をするならば、ヨーロッパなどの比較的寒い地域が、大きな影響を持っていた。

 このあたり人間は、過酷な環境にあった方が、よりその状態を改善しようと、努力するものであるのかもしれない。


 東南アジアは雨季と乾季というものはあるが、四季というものはない。

 常に真夏ではあるが、しかし日本の夏よりも過ごしやすかったりする国もある。

 湿度の高い日本の夏は、温度以上に不快指数が高くなる。

 ただ東京などは人間の生活の関係で、圧倒的な高温になってしまうのだが。


 ラテンの明るいノリとは、また違うであろう。

 しかし昔などは、ブータン王国は、幸福指数が一番高い国であったのだ。

 今では周辺国の環境を知るようになって、その幸福度が一気に下がっているのだが。

 日本も幸福度が低い国である。

 ただ幸福度が高い国というのは、どうにも自分たちが幸福でいないと、やっていられない大変さがあるように思える。


 日本は不幸であっても、生きていける国なのだ。

 おかしな話かもしれないが、そういうことなのである。

 だから陰鬱な文学などが、それなりに好まれたりもする。

 歪んだ社会運動も、なんだかいいもののように錯覚させたりする。

 もっと現実を見れば、ずっと生きやすいのが、日本という国であるだろうに。


 そんな日本の音楽の、何に魅力を感じているのか。

「とりあえずフィリピンではボルテスVの歌でもやるか?」

 俊が生まれる、はるかに昔のアニメ作品である。

 だがこれがフィリピンでは、一定以上の年齢層だと、誰もが歌えるテーマになっているそうな。

 実写版が作られたのは、割と最近のことである。 

 冗談ではなくボルテスは、フィリピンにおいて国家的な人気を誇っていたらしい。


 昨今は70年代の日本のロボットアニメが、リメイクされているという。

 昨今ではなくもう随分前から、その動きはあるのだが。

 あまり知らない人間であると、本当に知らないであろう。

 フランスではグレンダイザーが大人気だったとか言うが、不思議な話もあったものだ。

 ベルサイユのばらは、フランス人にも大受けだとかは聞くが。


 そうはいってもフランスにしても、20世紀と現在とでは、大きく違ったりする。

 思想の変な流行のせいで、おかしくなった部分はある。

 ヨーロッパの共同体構想は、なかなか上手くはいきにくい。

 移民問題なども噴出しているし。


 そういう点では俊は、あまり音楽の力を過信していない。

 イスラム圏では音楽へのタブーが、ある程度はっきりしている。

 東南アジアのこれらの国でも、イスラム教徒はそれなりにいる。

 ちなみにマレーシアでは、ある特定の条件を満たしていれば、一夫多妻が認められているらしい。

 別にそれぐらい、日本でも認めてもいいと思うのが、俊の珍しくリベラルなところである。

 ともかくそんな国としての傾向を話し合いながらも、ツアーの日程を詰めていく。

 ぎりぎりになるまで決まらないというのも、こういったお国柄と言ってもいいのかもしれなかった。

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