第384話 残夏

 暦の上では残暑の季節になっていく。

 だが九月などまだ、完全に夏のようなものだ。

 渡辺家の地下スタジオで、ノイズメンバーは集まっている。

 東南アジアを行くというスケジュールやステージは、おおよそ決まってきた。

 このツアーについても映像を録画し、後に販売する……かどうかはともかく、映像として残しておく。

 基本的に治安のいい場所だけを行くので、後からMVに使えるかもしれない。

 俊はそんな意図も含めて、このツアーを考えている。


 観光というか南国の、これまでに感じたことのない雰囲気を感じたい。

 一応ハワイなどには行ったことがあるが、東南アジアはないのだ。

 ブラジルなどもかなり、南国めいた雰囲気もあった。

 しかしあそこは文化が一度、白人によって破壊された場所である。

(老後をタイで過ごす人っていうのもそこそこいるみたいだけど)

 結局は日本に戻ってくる、というのが多いパターンらしい。


 いっそのことドバイにでも行きたいな、とも思ったりする。

 だがあそこはバリバリのイスラム圏であるので、女性の歌舞音曲が禁止されている。

 クラシックなどは案外大丈夫らしいが、恋愛の歌もまた禁止。

 行くとしたら観光ぐらいだが、女性の服装には注意が必要である。

 もし行ったとしても、かなり人工的な観光地を歩くことになるだろう。


 若者の間では、普通にネットでロックもポップスも聞かれている。

 しかし自分たちでそれをするのはタブーという、聖書由来の宗教としては相当に、戒律が厳しいものである。

 比較的フェスの多いインドを、なぜ今回は避けたのか。

 単純に遠いからというのもあるが、インドの文化圏というのがいまいち、分からないところもあった。

 いっそのことオーストラリアまで行けば、という話もあったりする。

 南半球出身の有名バンドは、やはりAC/DCであろうか。

 意外と日本では、人気がなかったりする。


 俊もあまり好きではない。

 嫌いというわけではないが、好みではない、というだけだ。

 ステージパフォーマンスが、今から見るとダサいという感じであろうか。

 しかしそれを言えばフレディはどうなるのか。

 なお暁はけっこう好きなので、この話題は家庭では禁止となっている。


 アジア・パシフィックツアーでもするのなら、当然入ってくる場所であろう。

 ただオーストラリアはフェスもそれなりに多いのに、オファーは入ってきていない。

 ならば無理に参加を考える必要もない。 

 今回の東南アジア四カ国で、まずは充分と考えるべきであろう。


 これをさらに広げていけば、また北米ツアーになるだろうし、ヨーロッパツアーなども考えていくことになるだろう。

 贅沢は敵、という思考とは次元が違う。

 大きくなればそれに相応しい、舞台というものに変化していく必要がある。

 それでも俊はノイズのライブを、200人から300人のハコでやる。

 基本的に確実に儲けられるのが、この規模であるのだ。

 ライブはやればやるほど、経験を積むことになる。

 ただ問題は、そこで変に自信を過信にしてしまうことだが。


 何度ライブを行っても、強い気持ちでステージに上がれること。

 これがバンドとしては重要なことなのである。

 俊の場合は熱気は持たず、緊張感も持たない。

 だが冷静であることをずっと、自分に言い聞かせている。

 この冷静さが、集中力につながる。


 感情の発露がライブではあるのだろう。

 しかし全てのメンバーが、そうである必要はない。

 リズム隊などは緊張感をもって、リズムが崩れないように、キープして行く必要がある。

 なにしろリードギターがいまだに、走りたがる人間なのだから。

 キャリアからしても、まだまだ若いギターを弾く。




 日本でのライブを終えて、いよいよ台湾への移動となる。

 台湾は第二次世界大戦において、日本統治下にあった。

 当時は日本語教育もされていて、相当の高齢者であるならば、日本語が通じたりする。

 90年代なども日本のミュージシャンが、台湾でのコンサートなどをしている。

 人種的に近いところも、文化的に近いところもある。

 実際に白人や黒人から見たら、差が分からないところはあるらしい。


 もっとも日本からしても、欧米系と一括りにするが、ラテン系と北欧系は大きく違う。

 また分かりやすい白人だけでも、カトリックとプロテスタントで大きく違ったりする。

 アメリカなどは移民した順番で、大きな問題になっていた過去があり、それを完全に解決出来ているわけでもない。

 ただ日本人としても、東南アジア系を見下すところがある。

 話に聞くだけでもバブルの時期などは、あちらで無茶苦茶をしていた話は聞く。


 実際に今においても、東南アジアに対しては、変に優越感を持っていたりする人間もいるだろう。

 本来ならば政治的に、中国を包囲するためには、綿密な関係を築かなければいけないのだが。

 確かに東南アジアに、工場などを作る企業はある。

 中国では痛い目にあったからだが、今の日本人からすると、どうしてそんな馬鹿なことをしたのか、と不思議にさえ思う。

 それはもう70年代あたりから、ずっと中国が上手く、日本に浸透してきたからだが。


 台湾にしても独立系と中華系がいる。

 どちらも台湾は台湾で、独立した存在ではある。

 しかしどうにか中国と上手くやっていこうとする派閥があったり、明確に敵として注意している派閥がある。

 その点では日本は、明らかに90年代からどうかしていた。

 中国の市場などというものは、幻想に過ぎないのだから。

 実際に北京オリンピックが終わったあたりで、実体経済はどんどんと縮小傾向。

 不動産バブルも弾けているし、重要な軍事力にも問題がある。


 ただ中国はエリート層が、上手く海外に展開しているところはある。

 東南アジアの華僑に加えて、アメリカなどにもチャイナタウンはある。

 国家の政策を考えれば、富を得るには海外に出るしかなかった。

 タイやミャンマー、ベトナムにシンガポールと、あちこちに華僑は存在する。

 そして中国はこういった華僑を、上手く利用することが出来ない。


 中国が躍進していた時代、富を築いた人間は、どんどんと海外に逃げていったものだ。

 日本人も昔に比べれば、郷土意識は弱くなっている。

 しかし中国はそれにも増して、土地への執着が薄いと言えようか。

 金に対する関心で釣れば、上手くWIN-WINの関係が築けるのだが。


 台湾にいる中国人も、華僑のようなものである。

 歴史的に見れば大陸から逃げてきてようやく、中華の文明圏になったのだが。

 当時大陸にあった過去の文物の多くを、台湾に脱出させた。

 もっとも皮肉なことに、中国にあった過去の王朝の文化遺産などは、日本が保管していたりする。

 中国でももうない美術品が、日本にはあったりするのだ。

 別に戦争とか、金で買いあさったとかではなく、はるかな過去に渡ってきたものが、日本でだけは残って伝わっていた、というものが多い。




 中国共産党が否定した、中国らしさ。

 これが国外のチャイナタウンでは、普通に残り続けている。

 もっとも台湾に関しては、その諸制度において、アメリカを参考にした部分もある。

 日本と違って四季もないのだから、その背景も変わっていくものだろう。

 だがやはりそれなりに、日本に近いことは確かなのだ。


 パスポートの期限なども問題なく、ノイズはビジネスクラスの飛行機で、台湾に移動する。

 ここでファーストクラスなど使わないのが、相変わらずの貧乏性といったところか。

 もっとも用意されたホテルは、一流のアーティストを迎えるような場所。

 広くて大きくてぴかぴかで、普通にプールなどもあったりする。


 多少は余裕のあるスケジュールなので、観光などをしてもいい。

 ホテル近くなら特に治安も悪くはなく、一部の東京だって治安は悪いのだ。

 台湾には中国の物品を納めた、巨大な博物館もある。

 中国には新しく王朝が興ったときに、前王朝を強く否定する文化がある。

 それはそもそも、儒教の革命思想にあるので、それ自体は仕方がないことかもしれない。

 ただ事実と異なることで、自己正当化をするというのは、どこでもそうだが悪辣なことだ。

 日本もそうそう、他人のことは言えない部分はある。


 少しだけ涼しくなりかけたかな、という日本から台湾へ。

 その首都台北は、当然ながら沖縄よりも暑い。

 中国と言うよりは、日本の中華街めいたところもある。

「普通に都会じゃん」

 そう暁は言ったが、何を求めていたのであろう。


 台湾で一万以上のアリーナとなると、数が限られている。

 この地域ではこれまでにやっていなかったのに、突然にこの規模のハコでいいのか、とは俊の心配点である。

 もっともそもそも日本国内でさえ、在京圏を除けばこんな規模は、関西で一度やったのみ。

 ネットでの反応やファンクラブの人数から分析して、これだけいけるとは判断されている。

 そもそも最終的なチケット販売については、事務所側が責任を持っているわけではない。

 ただちゃんと事前の予約で、全て売れていることは確かなのだ。


 海外でも人が呼べると、本当に売れているんだな、という感想になる。

 いっそのこと日本でも、四大ドームでやれないのか、という思いもある。

 これは本当に、ドームの中でも特に東京ドームで、金がかかりすぎるため選択肢に上がらない。

 名を捨て実を取る、というのが俊の方針である。

 本当にある程度売れてくると、勝手に宣伝などもされるのが、今の時代ではあるのだ。


 知名度の高さが、ネットによって拡散される時代。

 とんでもない金をかけて宣伝し、大失敗したという例もある。

 期待度ではなく実際に、それを体験したという人間からの話。

 九州でツアーをやった時や、フェスに参加した時には、台湾からの旅行客もいたらしい。

 日本の音楽が、世界に広がっている。

 これは通信というものや宣伝というものが、一方通行ではなくなったからである。




 観光の前にまず、ライブをする会場を訪れる。

 既に設営は開始されているが、相当の広さを感じさせた。

 日本のアリーナと比較しても、それほど劣ることのないレベル。

 ここで明日はリハをして、明後日には本番というわけだ。

 日程的にはどの国でも、二日間を行っていく。

 この東南アジアの市場で、しっかりとチケットが売れていく。

 それは凄いことなのだが、どれぐらい凄いかは分かりにくい。


 欧米に進出するというのは、既にある巨大なパイを、強大な相手と奪い合うことであった。

 東南アジアのこういった興行は、まだまだ発展段階にある。

 日本ははっきり言えば、もう安定段階でしかないのだ。

 衰退段階という人間もいるが、実際にはそこまでひどくはない。

 同じ東アジアの中国や韓国の方が、国内の状況は悲惨である。


 日本はバブル期にもっと、東南アジアに進出するべきであったのだ。

 反日感情の高い国や、政府の陰謀でいくらでも企業を潰せる国になど、行くべきではなかった。

 中国の場合は純粋に、政府がそういったコンテンツ事業を、制限しているということもある。

 俊は音楽の力に、絶対のものなど感じていない。

 だからむしろ、そういった虚業については、力を入れないほうが自然だ、とすら思っている。


 日本と台湾は経済的にも軍事的にも、協力体制にあるべきである。

 そのためには文化において、交流するのは悪くない。

 昔から様々な分野で、確かに交流はあった。

 そもそも台湾は今の政府が成立する以前から、ずっと大陸に対する反抗勢力が、拠点を構える場所であったりしたのだ。


 アメリカやブラジルといった、完全なアウェイという雰囲気がない。

 漢字があちこちで見られるので、それもホーム感につながるのだろうか。

 ホテルに戻っても、普通にネットなどは完備されている。

 東南アジアが田舎というのは、もう遠い昔の話。

 もちろん東京ほどの大都市圏は、世界的に見てもそうはないものだが。


 ライブの後のご褒美としては、俊や千歳は博物館を巡りたいと思っている。

 ただ千歳は他に、台湾では日本のコンテンツが、どのように消費されているのか、それも見たかったが。

 紙の本が売れているという点では、日本はいまだに世界において、かなり上位になっている。

 過去の文化と今の文化、両方を堪能したい。

 それは別としても、台湾は国民党が大陸から、多くの文物を持ち出したので、博物館に陳列する物がたくさんある。


 中国は共産主義国家ではあるが、共産主義を政府の支配に利用しているだけだ。

 本当の意味での共産主義かというと、あまり純粋なものとは言えない。

 儒教にしてもそうだが、中国はしっかりと政治の支配に関して、思想を利用しているのだ。

 欧米におけるキリスト教に近いが、こちらの方がむしろ柔軟である。

 ロシアは資本主義で失敗したが、中国はまだそこそこ成功している。

 ソフトランディングを決めるのは、相当に難しいのは間違いないが。




 翌日、設営が一部だけ完成していないが、セッティング調整に入っていく。

 巨大なスクリーンに、演奏する姿が映されるというのは、普通に日本でもやっていたことだ。

 こういう時に海外であると、困るのが荷物が遅れてしまったり、違うところに行ってしまうことである。

 暁だけはしっかりと、ギター本体は持っていたが。

 ただ銃器などが隠せる大きさであるので、税関で呼び止められたりはした。


 セッティングをしていくが、日本の細かい部分に比べても、遜色はないレベルである。

 やはり一時期、PC系の精密機器の部門で、圧倒的なシェアを誇っていたのとは、関係があるのかもしれない。

 注文をして調整をしてもらっても、それなりにぴったりと合わせてくる。

 ただこういうものは、日本はどの分野も、職人芸であったりする。

 さすがに海外のセットに関しては、勝手が違うところがあるが。


 アリーナの中で、リハを行っていく。

 広い空間だな、とは感じられる。

 人が入ればもうちょっと、違う感じも受けるのであろうが。

 アジアのコンテンツとして、日本のアニメは受けている。

 そこで主題歌などをやっている、ノイズの知名度も高くはなっているのだ。

 それでも初めての舞台というのは、緊張してしまうものだ。

 ただこちらのプロモーターはプロモーターで、やはり緊張していたらしいが。


 東南アジアの経済成長率は、おおよそどこもが高くなっている。

 戦争さえ起きなければ、人間はおおよそ働くものなのだろう。

 もっとも人口のピラミッド図を見れば、先進国こそ歪にはなっている。

 労働力の再生産性は、高くなければ未来で行き詰る。

 これをどうして、日本では分かっていなかったのか。


 実際のところ日本には、地方にさえ出れば仕事なども、かなりあるのだ。

 家賃などに加えて物価も、ずっと抑えられている。

 女性の社会進出などと言っているのは、労働力が足りないからだ。

 出産のためにキャリアが止まる女性を考えれば、そこを労働力に入れるのは、実際のところ無理があるのだ。


 少子化の問題というのは、それこそ2000年前のローマ帝国の時代から、よく言われていた。

 ローマはアメリカと同じく、ローマの市民権を得てもらうために、上手く国外からの労働力を受け入れた。

 かなり的確な政策だったと言われるが、それでもアウグストゥスの時代から、少子化は問題となっていたのだ。

 このあたり日本にしても、経済成長が順調な時代に、どうして政策が打てなかったのか。


 今の時代だからこそ、言えることであるのかもしれない。

 また当時は人口が増えることが、当たり前の時代であった。

 まさかここまで、出産数が減っていくなど、予想もしていなかったのか。

 ただ昔からこういうことについて、ちゃんと提言している人間もいたりするのだ。

 戦後の一気に労働人口が増えた時代。

 それはあくまでも、純粋に運が良かっただけなのである。

 アルゼンチンのような失敗を、今から日本は回避出来るのか。

 言語の問題から、実はそれは難しいところにある。


 そういった大きな話は、政治家のやることである。

 俊たちは日本のコンテンツを、世界に通用するものにしていくしかない。

 文化的に侵略して、フィリピンの国歌をボルテスのテーマにしてやるのだ。

 さすがにそれは冗談にしても、東南アジアで文化圏を作りたい。

 そちらはそこそこ、本気で考えている俊であった。

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