第49話 ギタリストの宿痾

 千歳のノイズ加入が決まった。

 するとやらなければいけないのが、練習の前に一つあった。

 ギターボーカルをやる以上、自前のギターを持たないといけない。

「そっか、これ部活の備品だし」

「それをライブハウスに置きっぱなしにしたりして。まあ盗まれるようなものでもないけど」

 ひどいが、確かにこれは代々軽音部に伝わる、格安ギターではあるのだ。

 もっとも値段の割には相当いいものでもある。

「ギターってやっぱ高い?」

「う~ん、ピンキリではあるけど、それなりに使えるギターだと中古でもやっぱり10万かな」

 答えたのは暁ではなく信吾である。


 暁の場合は左利きだけに、あまり選択肢がないのだ。

 現在のおかしなレスポール以外に、二本ほど同じレスポール・スペシャルタイプを予備で持っている。

 なぜギター弾きは、使わないギターを買ってしまうのか。

 実際に暁は、今のギブソン製の物だけで、全ての演奏をこなしている。

 予備にしろ二本持っているというのは、それなら違うところに金をかけるべきである。

 ギターには弦などの消耗品もある。


「俺のストラト、しばらく貸しててもいいけど?」

「うちの倉庫から無期限で貸しておこうか?」

 信吾と俊の言葉に、珍しく暁がため息をついた。

「これだからギタリストじゃない人間は」

「いや、俺はギターも弾いてた」

「でも魂はずっとベーシストだったでしょ」

 それは確かに、言われた通りではある。


 ギタリストというのは、特にロックなギタリストというのは、とてつもなくクセが強い。

「初めてのギターっていうのは、本当に特別なものなの。それこそ初めての男みたいなもので」

「え、アキそんな経験あんの!?」

「……ないけど、例えだよ」

 いや、そんな顔を赤らめるぐらいなら、もう少し言葉を選べばよかろうに。

 ただ暁なりのこだわりは感じる。


 果たしてギタリストは、どんなギターを選ぶべきか。

 そんな究極的な質問に、暁は普通に答えることが出来る。

「自分がこれだと思ったギター」

「本能的過ぎる!」

 俊は突っ込んだが、信吾はわずかに理解出来る。


 ただこれだと思うにしろ、どういう過程で選んだのかは重要となる。

「今使ってるのはストラトタイプか。リード部分を弾かないなら、レスポールタイプはいらないかな? 高いし」

「ジュニアだったらそれなりに安いし、分かりやすい音になると思うけど?」

「値段的にもそうか。ギブソンじゃなくて日本のメーカーのレスポールタイプでいいかな?」

「安定していい音が出るしね」

「単なるヴィンテージならうちの倉庫に眠ってるしな」

「今ならポール・リード・スミスっていう選択もあるか」

「え~、けどあれってハイエンドクラスじゃなくても高くない? それに個体差がないかわりに音に色がないっていうか」

「そこまでこだわって音が分かる人間なんてそうそういないだろ」

「それこそエフェクター頼みでいくらでも加工すればいい」

「いや、エフェクター加工にも限度があるし」

「ギターボーカルでジャキジャキリズム刻むなら、テレキャスっていう選択肢もあるのか?」

「ギブソンかフェンダーかPRSかは決めておいた方がいいんじゃないか?」

「けど今弾いてるのがストラトタイプなら、レスポールタイプは避けた方がいいだろうな」

「レスポールに対する偏見を感じる……」

「けれどぶっちゃけ、初心者にレスポールはな。ギブソンの中でもレスポールは、選ぶなら選んでみろって感じの傲慢さを感じる」

「待て待て。自分がこれだと思ってギターっていう以上に、大切なことがあるだろ」

「これだと思った以上に大切なものなんてないと思うけど」

「持ち易さと弾き易さ。重量はライブバンドなら大切だろ」

「レスポールでもスペシャルとジュニアは軽いし、SGなんて選択もあるよ」

「とりあえずうちにあるヒストリックコレクションとマジ物ヴィンテージは貸さない方がいいか?」

「ヴィンテージ凄かったけど、あれは特徴的な音であっていい音じゃないと思う」

「PAF積んでるやつか。本当の当時の物ってどうなんだ?」

「ぶっちゃけ壊れるのが怖いからステージでは使えない」

「ヒストリックコレクションがあるなら、ストラトのマスターグレードとストラトのヴィンテージもなかったか?」

「50年代後半の本物のヴィンテージは、楽器って言うより美術品だからな」

「あんまりハイエンドだったりモダンだったりしても、機能が使いきれないから」

「テレかジュニアか。本人に弾かせまくって、ピンときたのを選ばせるか」

「じゃあ明日にでも楽器屋巡りしようよ」




 さほどギターにこだわりがないはずの俊まで交えて、ギター談義がされていた。

 完全に千歳を放置して。

「ギター談義って終わらないみたいだね」

 その隣にちょこんと座る月子である。

 彼女も三味線は弾くが、高級品がどうかはともかく、そこまでの話などはそういった集まりでもしたことはない。

 楽器にしても、ベースやドラム、ピアノなどでそういう話題は出ていないと思う。

 なぜこれほどギターという楽器は語られるのか。


 月子は同じボーカルとして、千歳に一方的な親近感を抱く。

 それにギターも弾けるボーカルが入ってきたということは、月子の出番は減るだろう。

 これまでの月子では、上手く表現できない歌は多かったのだ。

 タッチなどは上手下手ではなく、千歳の方が声と歌い方が合っていた。

 ロックバンドにはおそらく、千歳の声の方が合っている。


 ノイズでの経験は、月子の多くを変えてきてくれた。

 だが千歳が入るのなら、自分の存在は必須ではなくなるだろう。

 世間の多くのグループを見ても、邦楽洋楽問わず、ギターボーカルというのは多い。

 BECKのコユキもギターボーカルであるし。

 それはさすがに例外としても、ジミヘンはあの変態ギターを弾きながら歌っているし、ジョンにカートと、時代を変えたギターボーカルは多い。


 ただ千歳からすると、自分を月子の間には、シンガーとしては圧倒的な実力差があるのは分かる。

 打上花火を一緒に歌った時、それは切実に感じたものだ。

 それに二人の声が合うと、単にハーモニーになるのではなく、共鳴していく感じがある。

 ビートルズがあそこまでの大成功を収めたのは、他の要素ももちろんたくさんあったが、大きなものの一つにはジョンとポールの二人の歌があったからだ。

 いきなり合わせてちゃんとハーモニーになるなど、二人の声の出会いは、かなり特別なものだと言える。


 そして二人に共通していること。

「わたしも両親いないんだ。小学校のときに、交通事故で」

 寂しそうな笑みを、月子は浮かべる。

「高校卒業して、何かをしたくて東京に来たけど、地下アイドルって厳しいんだよね」

「一人で来たの?」

「うん、叔母さんが高校卒業までは面倒見てくれたんだけど、このまま自分が何もしなくて終わるのかな、って思って。あとわたしはやっぱり、まともな仕事がなかなか出来ないし」

「その、障害ってやっぱり、大変なものなんですか?」

「わたしはまだ軽度って言われてたけど、本格的なのになると字がただの線の集合に見えて、読むことが出来ないっていわれてたかな」

 そしてじっと千歳を見つめる。

「人の顔も、まだ皆の顔をはっきりとは憶えられてないんだ。アキちゃんなら髪の毛が特徴だからいいし、信吾さんは背が高いから、そっちを基準に憶えてるんだけど」

「なんだか……不思議な話ですね」

「でもこれ、相貌失認の方は、後天的なものかと思う。事故の時に、私も頭を強く打ってるみたいだし」


 人間には生まれつき、能力の差が存在する。

 身体能力の差であったり、知能の差であったりする。

 月子のこれは、根本的な生活に支障をきたすようなものだ。

 そして差というよりは特徴であって、この特徴が世間的には

 周囲の理解があってこそ、どうにか生きていける。

 山形にいた頃、祖母は月子をさっさと結婚させようと思っていたらしい。

 彼女からすると月子の症状は、単なる知能の低さに見えたからだ。


 重い。

 悲しい子対決では、とても勝てない千歳である。

 そして月子は、そういう情けない自分としっかり向き合っているように思う。

「俊さんは大きなことぶち上げてたけど、本当にそんなこと出来るのかな?」

「無理じゃないと思う。俊さんは自分のこと、才能がないって散々に言うけど、やっぱり特別な人間だとは思うから」

 月子が比較的、すぐに顔の区別がつくようになった人間。

 叔母もそうであったが、俊もそういった人間であった。


「よし、それじゃあ皆で楽器屋巡りするか。予定がある者は?」

 どうやらそういう方向で話はまとまったらしい。

「あたしは週に三回、夏休み中も軽音部の活動があります」

「あたしは完全に休み」

「俺は明後日なら空いてる。その後はちょっと調整しないといけないけど」

「あ、わたしも明後日なら休み」

「じゃあ明後日、楽器屋巡りするか。今だと御茶ノ水と渋谷、どっちがいいんだ?」

「渋谷だと少し傾向が似てるから、御茶ノ水かな。俊は最近は楽器買ってないのか?」

「俺は機材の方が好きだしなあ」

 どうやらそういうことになったらしい。




 楽器を買うにあたって、一番重要な前提条件。

 それは予算である。

 そして千歳は両親の残した遺産があるわけだが、無制限に使えるはずもない。

「そんなわけで、ちょっとバンドに入ることになったんだけど」

 現在の保護者である文乃への相談である。

「学校の軽音部から、普通のバンドにね。貴方歌は上手かったから、いいんじゃない?」

「それで自分用のギターと周辺機器買いたいんだけど、どれだけ使ってもいいのかな」

「貴方のお金だから、本当は好きに使ってもいいんだけど、どれぐらいの買いたいの?」

「それはお店に行ってから決めるんだけど、ギターって上は本当に天上知らずだから」


 そしてスマートフォンで、適当に画面を見せる。

「けっこう高いのね……え、2万円じゃなくて20万円?」

「アキちゃんの持ってるギターも30万ぐらいしたんだって」

「そういうのは本気でプロを目指す人が買うような……」

「ノイズはもうプロ並なんだよ。信吾さんはメジャーデビューする直前に前のバンドを抜けてるし、ヘルプで入ってくれてる西園さんは会社所属のスタジオミュージシャンだし」

 ふむ、と文乃は考え込む。


 両親から千歳に残された遺産は、それなりに多額のものとなっている。

 遺族年金もあるが、これは全て千歳が将来進学する時のために、使わずにおいたものだ。

 現在の千歳の生活費などは、文乃が全て払っている。

 私立の医学部にでも進まない限りは、充分に足りる遺産があるのだ。


 これがパソコンがほしいとかであれば、文乃もまだ理解出来る。

 しかしギターというのは、あくまでも趣味の領域なのではないか。

「貴方、本気で音楽をするつもりなの?」

「そういうフミちゃんは、いつ小説家になるって決めたの?」

「いつって……気がついたらなってたんだけど」

 一応本が出たのは、大学在学中ではある。

 ただそれ以前から文章は書いていたし、収入を得たのは高校生の頃だ。


 姉が生きていたら、果たしてどう言ったのであろう。

 常識的に考えれば、ミュージシャンになどなれるはずもない。

 ただそう言って、可能性を閉ざしてしまうのもまた、悪いことではないのか。

 自分は保護者だが、親ではないのだ。

「買いにいくのは、明後日?」

「うん、全員の予定が空いてるから、その時にって」

「じゃあ、私も行くわ。一度は挨拶もしておきたいし」

「あ……そういえば俊さん、フミちゃんのファンだって言ってた」

「う……ファンと会うのは恥ずかしいけど、行く。それでどこへ?」

「御茶ノ水だって」

「御茶ノ水? 神保町なら私も、今でもよく行くけど……」

 あんなところに楽器屋があったのだろうか。


 それはもう大量にあるのだが、人は興味のないものは、目に入らないものである。

「じゃあ皆にも連絡しておくね」

「ええ。それにしても……まあ楽器なら、興味がなくなれば売るなりしてもいいのかな?」

 実はそうなのである。

 楽器は安い物はともかく、高い物であれば下手をすればヴィンテージ価格になったりもするし、また外国のものであれば円高円安の影響で高くなったりもする。

 暁が買ったレスポールなども、さほど買った時と同じような値段で、売ることが出来る。

 そして人は高い物を買えば、それだけ元を取ろうと大切に練習する。

 そんなわけで、楽器はよほどの趣味でとどめるのでないなら、高い物を買った方がいい。


 千歳の前に現れるのは、果たしてどういったものであるのか。

 そしてそれを、どういう基準で判断し、手に入れるのか。

 それはまだ、誰にも分かっていない。……作者も含めて。

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