第11話 ノイズ

 ボカロ曲から俊が候補にしたのは、それこそいくつもある。

 だが最終的には『モザイクロール』と『フォニイ』にしたはずであったのだ。

 前者は古参ボカロPの代表曲で、冒頭のギターイントロなど、俊も好きな曲であった。

 しかしそれを他の曲にしたのは、まだにそのギター部分である。

 頭の中に浮かんだ、あの夢の中のギターの音。

 なぜかあれを聞いてから、ギターの目立つ曲のアレンジがためらわれるようになったのだ。


 ただそれの代わりに選んだ曲が、劣っているなどということは絶対にない。

 それは『Tell Your World』である。

 ウェブブラウザのCM曲として使われたこの曲にしたのは、一つにはこれがボカロ曲としてはかなり象徴的な意味を持っているからだ。

 電子音楽を主体にしながらも、ピアノの旋律が美しい。

 リズムを聞いても分かりやすく、曲自体へ没入する安堵感は高いのだ。


 そしてもっと重要な要素は、この曲の高音が月子なら歌えるというものであった。

 ボーカロイドに歌わせているこの曲は、キーがそのままであるとかなり、高音を裏声にしなければ、歌える者は少ない。

 だが月子はこれを、普通に歌ってしまうことが出来る。

「変な言い方かもしれないが、馬鹿みたいに上手いな」

 民謡で鍛えたとはいえ、声の質は天性の色がある。

 これを小学生の頃から、中学生の頃まで続けたというのは、かなり過酷だったのではないか。


 月子はどこか寂しそうに笑いながら言った。

「本当に、必死で練習しましたから」

 切実な響きがあって、それはよほど厳しい訓練を受けたのだろうな、と俊にも思わせる。

「わたし、本当に字が読めなかったから、まともな就職とかも出来ないだろうって言われて、これでどうにか食べていけるようにって」

 それは厳しかったという祖母のことであろう。

 厳しいことは厳しいが、自分の知見の及ぶ限りでは、月子のことを心配していたのは確かだろう。

 月子自身がどう思っているかまでは、さすがに踏み込まない俊である。


 天才が歪になるのは、こういう理由があるのかもしれない。

 ディスレクシアについては、俊もあれから少し調べた。

 発達障害の類には、どこかおかしな代わりに、異常な集中力を持っている人間もいるのだとか。

 月子の場合はそれが、歌ということになるのだろう。

 全てを熱心に学習している自分とは違うのだな、と俊は考える。

 ただインスピレーションを逃さないように、常に注意している俊も、天才ではないかもしれないが、充分に異質ではある。


 フォニイに関しては、多くのカバーが存在する。

 そして月子も、自分が選んできたものとは、かなりテンポが違うと思ったのだ。

 それに対して俊が答えた解決手段が、バラード化である。

 フレーズやメロディーラインをそのままに、歌い手の声を印象的にするバラード化。

 発想からして天才では、とメイプルカラーのメンバーが茶々を入れてきたが、俊としては苦い顔をするだけである。




 そして五曲目、最後に俊が選んだ曲。

「あ、聞いたことある」

「あたしはない」

「アニメ? ボカロ?」

 俊が作ったリストでは、アニメともボカロとも書いてない。

「一応はアニメと言うか、元はゲームの主題歌なんだけどな」

「でもすごくいい曲」

「うん、これわたしたちも歌っていいかもしれない」

 メイプルカラーのメンバーのお墨付きもあった。


 ただこの曲は、扱いが微妙なのである。

 俊も改めて確認したところ、他の楽曲とは決定的に違う部分があった。

「この曲は歌って、名前を売ることは出来るけど、CM入れて広告料収入を入れることが出来ないらしいんだ」

「YourTubeって歌はまとめて使用料払ってるんじゃなかったっけ?」

 カバー曲を多く歌っている彼女たちは、少しはそのあたりの事情を知っている。 

 だがこの楽曲は稀少な例外の一つだ。


「著作権管理団体に楽曲が登録されてないから、使用する際には直接権利者から許可を得る必要があるんだ」

「え? 管理されてないんだったら、タダで使えるってことじゃないの?」

「んなわけねーだろ」

 思わず口調が荒くなってしまった俊である。

「もちろんちゃんと許可を取ってカバーしているプロもいるんだけど、俺たちの場合は許可を取らずに、あちらの決めている許可の条件を満たす」

「ああ、それが広告料収入とかと関係あるの?」

「そうだ。自前で音源作って非営利で使う分には、ファン活動の一環として無料で認められてる。けど、お前が歌って1000万回再生されても、一文にもならない」

「どのみちそんな収益化するのって難しいと思うんだけど……」

「だからまず知名度を上げるために、この曲を使いたいんだ」


 お金は大切である。

 特に月子は、バイトを掛け持ちしながらアイドル活動をしているため、切実にそれを必要としている。

 ただネットで歌って収益化するのがどれだけ難しいのかも、ある程度は理解してきていた。

 俊が対価をしっかり払って月子に依頼しているのは、かなり異例のことであるらしい。

 そもそも俊は時給でバイト代としているが、こういったものは成果物で支払いがされるのが通例らしい。

 つまりどれだけ時間を使ったかではなく、何曲仕上げたかで報酬が決まるのだ。


 しかし俊はこうやって時間を使って、しっかりと完成度を上げていく。

 その時間に対して、正確には拘束日数に対して、報酬を出している。

 創作の分野では、実は俊の支払い方が異例である。

 なにしろゴミを作ったら、まともなものが完成するまでリテイクするのが、一般常識だからだ。

 ブラックというなかれ。これが嫌なら、刺身にタンポポの花を乗せる作業をすればいいのだ。


 ともあれこれで、最初に月子が歌う楽曲は決まった。

「ところでこれ、なんていうゲームなの? 今も出来る?」

「……原作は20年以上前だからな。それでまあ、元はパソコンのゲームで、18禁の美少女ゲームだ」

「うわ」

「最低」

「いや、別にセクハラが目的なわけじゃない。俺も調べていて驚いたんだが、20世紀の末あたりから00年代は美少女ゲームが一番、サブカルチャーの最先端にいたらしいんだ」

 事実を必死で説明するが、冷たい視線はそのままである。

 だがこの楽曲を撤回されることはなかった。

 この『鳥の詩』が優れたものであるというのは、普通に音楽を聞いている人間であれば、誰でも分かるものであったからだ。




 俊はまだまだインプットが足りない。

 逆にインプットしすぎて、頭でっかちになっている部分もある。

 俊の認識としては、90年代には邦楽の全盛期があり、その後は音楽が配信主流となったこともあり、アイドルのCDばかりが売れるようになった。

 しかしその間、ネットの世界ではボカロPが誕生し、新しい時代の作曲が誕生した。

 当初はネタ曲が多かったのが、次第にボカロを活用した身内以外にも通用する曲が増えていった。

 その時代に育っていたボカロPや歌い手などが、今の邦楽のシーンの最前線に近い。

 もちろん昔ながらの、ライブバンドからのたたき上げもいるが、それも地元である程度実績があったりする。


 今回の選曲にあたり、俊は外国での日本の音楽の話題についても調べたりした。

 そして驚いたのが、80年代の日本のアニソンが、人気となってカバーされていることもあるというものだ。

 また海外においては、アニメのOPやEDなどのタイアップした楽曲が、一番触れやすくなっているという事実がある。

 いわゆるオタクカルチャーは、海外では日本以上に、カースト的には下に見られることが多い。

 だがその市場は大きくなっているし、日本語でアニソンを歌うという人間がネットにいる。


 昨今のアニメとのタイアップが、最初に大きく成功したのは、映画自体も大ヒットした『君の名は。』からであると思われる。

 だが実際にはそれ以前から、アニソンにどっぷりとハマっている外国人は確実にいる。

 そして邦楽のYourTubeで一番再生数が多いのは、アニメ映画とタイアップした楽曲のアニメMVであり、作詞作曲はボカロP出身である。

 男女のツインボーカルが必要というのに、月子は最初にこれをやりたいなどとも言ったのだ。

 俊の音痴告白により、とりあえずは流れたが。


 俊はこの先、まずネットを味方につけなくてはいけないと考えている。

 かつては専門家が報酬をもらって、解説や宣伝をしていた音楽。

 だが今は発信者が一般人となり、その中に玄人よりも優れた才能がいたりする。

 彩などは古くからの売り出し方をされているが、確かにそれは数年間の人気を持続させるためには一番だろう。

 音楽の世界というのは、基本的に五年も一線であれば充分に長い。

 しかしそれを覆し、長く支持されること。

 それはネットのコアなオタク層を取り入れることである。


 10年以上前に公開された動画や音源に、いまだにコメントが送られる。

 1000万再生というのも珍しくはない。

 オタクは流行のものを消費するタイプと、一つのものに固執するタイプがあるらしい。

 ともかくこのファン層が重要なのだ。

 ファンという言葉は、ファナティックつまり狂気という言葉が語源になっているそうだ。 

 その熱量をいかに受け止め続けるかが、地盤のしっかりした人気を確保する方法だろう。


 ただ今回、ボカロ曲とアニソンはそれなりに深堀した俊であるが、さらにその下というか別次元の場所に巨大なサブカルチャーが眠っているとは思わなかった。

 90年代後半から00年代にかけて、一番作品の自由度が大きかったジャンルが18禁美少女ゲーム、いわゆるエロゲーである。

 俊にとっては生まれる前から物心つく前なので、さすがにこれには気づかなかった。

 だが後のアニメーションに大きな影響を与える人物が、この業界から誕生しているのだ。

 その中で音楽も、独特のキャッチーさを持ったものが、この時期には作られている。

 もっとものこの市場は既に縮小している。


 正直なところ、素材のままでまだ音楽になりきっていない楽曲が多い。

 だが俊のアレンジや、フレーズの借用などをすれば、面白いものになるだろう。

 パクるのは有名ではない曲から。

 実際のところ過去の邦楽には、洋楽のフレーズやコード進行をそのまま持ってきているものもあるのだ。

 重要なのは、誰が最初に作ったかではなく、一番完成度の高い作品に昇華することではないのか。

 俊の『ノイジーガール』もあの夢を見る前と後では、曲の重厚さが完全に変わっている。

 そこに真の創造性はないではないか、と言う人間もいるだろう。

 しかしフレーズもコードもスケールも、既に存在しているものから、どう組み合わせて新しくするか、ということが重要になっている。


 俊は洋楽のニルヴァーナを聞いた時、最初はこれのどこがすごいのか、と不思議に思った。

 だが洋楽の歴代のヒット曲を、年代順に聴いていって分かったのだ。

 オルタナ系ともグランジ系とも呼ばれる、新たなロックのスタンダード。

 それを作ったということが偉大なのだ。


 ビートルズが今では、古臭いと評され音楽の教科書に載る時代。

 俊はその意見には同意しないが、ビートルズもまた、それまでになかった方向性を作ってしまった、ということが重要なのだ。

 カート・コバーンが自殺したのも、あるいはその自分の作った作品に、押しつぶされてしまったのかもしれない。

 そんな妄想をしたりする。

 27歳で死ぬのは嫌だが、27歳までに歴史に名を刻むことが出来れば、それはやはり偉大なことだろう。




 ようやく10曲が選出された。

 そしてこれは全て、俊の手によってアレンジされ、キーなども変化している。

 テンポなども変化しているため、より月子の力を引き出せるようになっているのだ。

 実際に歌ってもらったが、かなり上手くいっている。

 あとはレコーディングであるが、これはもう少し仕上げてから、大学の設備を使って行う。

 伴奏自体は出来ているので、あとは歌を入れて仕上げて、ミキシングなどの作業を行っていくのだ。

 俊はさすがにエンジニアとしての技術はさほど持っていないが、そこで他者の力を借りることなど躊躇しない。

 

 月子に歌ってもらう、既存の自作曲三曲をアレンジしたもの。

 そして新曲の発表である。

 事務所にあるラジカセから、その音楽を流す。

 本当ならもっと、本格的なオーディオ機器で聞いて欲しかったが。


 これまでに作った三曲については、メイプルカラーのメンバーと共に、ふむふむと頷きながら聞いていた月子。

「次が新曲だ」

 イントロの部分から、反応が違った。

 わずかな音を聞き逃すまいと、体の動きを止めて音に集中する。

 3分25秒。

 彼女たちからその時間を、俊は奪った。

「これ、ミキが歌うの……」

 ルリが愕然と呟くのも無理はないだろう。


 名曲を作ってしまった、という自覚が俊にもある。

 自分の力以上のもので、この曲は完成している。

 歌っているのはボーカロイドであるが、月子の声域の範囲でしっかりと作ってある。

 もっとも高音の出る彼女には、あまり不安はなかったのか俊だ。

「今のが最初のバージョンで、次が一応の完成形だ」

 イントロのギターリフから、明らかに長い曲が始まった。


 最初に演奏された曲は、間違いなくポップであった。

 しかし次の曲は、間違いなく同じ曲でありながら、ギターが目立つロックになっていた。

 俊の自己分析によれば、これはオルタナティブ・ロックである。

 だが展開などはハード・ロックとも思えるもので、おそらくジャンル的にはプログレッシブ・メタルが一番近い。

 先ほどの曲は月子の声からインスピレーションを受けたとはいえ、間違いなく俊が作り出したものだ。

 対してこの完成形は、夢の中で聞いたものが元となっている。


 イントロ部分が長くなり、BPMは変わらないのにテンポは早く感じさせる。

 それはドラムとベースのリズム部隊に音が増え、ギターソロに早弾きがあるからだ。

 現在の主流は、イントロは短く間奏も短く、というものになっている。

 短編動画にして流す、という楽しみ方から、そういう構成になるのは仕方がない。

 だがこの曲は圧倒的にギターのリフと間奏のソロがキャッチーであり、次の展開を期待させるものとなっている。

 そして構成も、もう一つ加わっている。

 4分48秒という、現在基準ではかなり長い曲になっている。




 先ほどの曲は、感動があった。

 しかし今の曲は、圧倒されるというものであった。

 この曲を作っておいて、天才ではないというのは無理がある。

「ちなみに歌ってもらうのは、短い方な」

「そりゃそうでしょ……」

 月子には分かる。自分では今はまだ、完成形のバージョンは歌えない。

 打ち込みの楽曲でありながら、既に魂が込められているのが分かる。


 なんでこんなものを、歌いもしないのに聞かせたのか。

「どう思う?」

 ただ俊としては、純粋に月子の感想を聞きたかったのだ。

「どうって……かなり練習しても、歌えるかどうか……」

「いや、練習したら歌えるだろう。別にキーが極端に高くなったりもしてないし」

「でもコーラスの部分とかもあるでしょ?」

「それはミクさんかGUMIさんにお願いするから大丈夫」


 月子の言葉に、メイプルカラーのメンバーには逆に、どうして歌えないというのかが分からない。

 確かに構成が複雑にはなっているが、極端に難しい歌い方になどはなっていない。

 だが月子は、歌を歌うのと同時に、三味線の演奏も出来る。

 だからそれぞれの音の、意図までをも汲み取ってしまうのだ。

「ちなみにいずれは本物の完成形が出来るとは思う」

「え……リメイクしていくの?」

「リメイクという言い方でいいのかな。まあTHE 虎舞竜のロードみたいなどんどん増えていく曲もあるし」

 少なくともアルバムなどを作るなら、リマスターで再録というものはある。

 だが俊は明らかに、これは未完成だと感じている。


 ボヘミアン・ラプソディはほぼ6分の曲であり、天国への階段はさらにそれより長い。

 俊は下手に完成させるよりも、むしろこの短くまとまったものの方が、ウケはいいかもしれない、とさえ思っている。

 おそらくは単純に長くするのではなく、ブラッシュアップしていく必要があるのだろう。

 そしてそれには、俊の力が足りていない。

 コーラス部分にしても、単純にボカロなどを使ったり、他の人間に依頼するのも違うと思う。

 月子に話せば何か分かるかとも思ったが、彼女もやはり違和感はあるらしい。

「まあこれは短い方を送っておくから、歌詞とかは憶えておいてくれ。次あたりからはいよいよ、10曲をレコーディングすることになるかな」

「あの、今の曲のタイトルは?」

「……ノイジーガール」

「それだと、やっぱり後のほうの曲じゃないと駄目ですよね!」

 そこは直感的に分かっているらしい。


 なぜこの曲がノイジーガールなのか。

 むしろ月子の声は、完全にクリアなハイトーンに近い。

 だが演奏を聴いてみれば、確かにノイジーと感じるのだ。

「ノイズか……。そういえばユニットの名前をどうするか、考えてなかったな」

 サリエリかルナのどちらかにちなんで、名前をつけようと思っていた。 

 アマデウスとでもしたら皮肉な名前だろうな、と考えていたのだが。

「ユニットの名前、ノイズにしようか。とりあえずだけど」

 象徴的な曲から、ユニットの名前を付ける。

 それは別にいいだろう。少なくとも飼っている犬の名前をそのまま使ってしまうよりは。


 月子も頷いた。

「ノイズですね。、でも……何かがまだ、足りていない」

 そして考え込む様子を見せる。

 俊としては天才の月子が、自分と同じ違和感を抱いてくれたのが、内心では嬉しかった。

 そんな二人を見つめるメイプルカラーのメンバーにとっては、やはりその関係は特別なものにも見えてしまっていたのであった。

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