第311話 海に向かって

 何事もやりすぎは良くない。

 だがやらずに後悔するよりは、やって後悔する方がいい。

 なぜなら何もしなければ、何も得ることがない。

 やって失敗してしまえば、そこには経験が生まれる。

 挫折を恐れるタイプには二種類がいて、絶対に挑戦して乗り越えようという者がいる。

 挫折を恐れて、挑戦自体をしないという者がいる。


 俊は後者になりかかった前者である。

 ただバンドを組んで一度失敗してからは、チャンネルを三つも作ってボカロPをやった。

 ネタ曲を作る才能の方が、意外とあるのかと考えたこともある。

 しかし本気になれるのは、もっと純粋なロックである。


 魂がロックなら、それはロックだ。

 暁もよく口にしているが、失敗を恐れるようなものは、ロックではないのだろう。

 しかし俊が好むのは、ポップ・ロックであるのは間違いない。

 人の心の奥深くに入り、そして強く響く。

 その響きが不快なものであってはいけない。


 ステージでは前のグループの演奏が終わった。

 インディーズバンドらしく、名前も知らなかったが、地元のバンドではあるらしい。

 ロックではあったが、ポップス向きで古典的なハードロックだ。

 ノイズに比べるとずっと、音の多彩さでは劣っていた。

 しかし純粋で力強くはある。


 準備を素早く行う必要がある。

 だがこれもスペインというか海外のノリなのか、準備ものんびりとしたものだ。

 そろそろ日没から、残光も消えていくという時間帯。

 祭りはこれからが始まりと言えるであろう。

「夏の夜に野外でやるのは、ちょっと初めてかな」

 俊としては、少し不安なところがある。 

 これまではトリ前であっても、まだ明るさが残っている中でやることが多かった。


 ステージ上は手元が明るい。

 しかしライブが始まれば、少し照明を落とすだろう。

 暗いステージでの演奏は、別に初めてというわけでもない。

 セッティングを始めて、音を鳴らしていく。

 海が見えるステージからは、オーディエンスの姿も見える。

 オーディエンスの向こうに、海が見えているのだ。


 開放的な空間だ。

 一万人のステージというが、実際はもっと多くが聴くことも出来る。

 そもそも区切られていないのだから、いくらでも入ることは出来るのだ。

「いい演奏をすれば、呼び込むことが出来るぞ」

 俊の言葉にも、各自は楽器のセッティングに集中している。

 それぞれの音を出して、拾ってもらう部分を調整する。

 特に一番うるさいのは、やはり暁なのである。


 演奏に妥協してはいけない。

 少しでも妥協してしまえば、成長が止まってしまう。

 全力でやって、それでもちゃんと最後まで集中するというのを、この三週間はやってきた。

 二時間の本番ライブを、四日か五日連続で、それを三週間。

 とんでもない過密スケジュールのようだが、それはやり通せば自信となる。

 もっと楽なものに、とは暁は思わない。




 演奏の環境が悪い。

 海の近くというこの条件だが、千葉でやった時よりもさらに、海が近いのだ。

 湿度も匂いも、日本のものとは違う。

 リハ代わりに軽く音を合わせて、上手く揃ってくる。


 メンバーがそれぞれの顔を見合わせる。

 月子の三味線の音は、既にそれだけで珍しそうにみられていた。

 いつも通りの、メンバーのファッションがバラバラなバンド。

 ただ月子のドレスは、肩や背中が大きく空いている。

 暑さに対抗するためのものだ。


 お互いが頷きあう。

 しかし暁だけが少し止めた。

 髪ゴムを外し、ギターを一度置いて、最初からTシャツを脱いだ。

 夜の重みが、開けた空間を潰している。

 それを砕くだけのパワーがほしい。


 今度こそ準備は完了し、暁のギターがリードする。

 そしてドラムとベースが入り、リズムも合わせていく。

 業から始まるセットリスト。

 透明なはずの月子の声に、どこか官能的な響きがある。

 それこそまさに、この空気が及ぼした影響なのか。


 テクニカルな始まりに、重たいリズム。

 そしてボーカルは知らない言語だが、妙に印象に残る。

 声だけで勝負出来る。

 俊の選んだボーカルは、とんでもないシンガーに育った。

 いや、既にシンガーであったのを、張り付いていたものを剥がしていったのであろうか。


 黄色いレスポールが目立つ。

 小柄な少女がパワフルに、しかしどこか妖しく響かせる弦。

 メタルにも聞こえるが、そんなシャウトの要素はない。

 本当の意味でハードなロックが、こういうものであるのだろうか。

 一曲目の途中から、既にオーディエンスの注意が集まってきた。

 そこからギターのソロの部分がやってくる。


 ガッと足を開いて、全力で弾き始める。

 スピードがあり、複雑であり、そして暴力的だ。

 これがロックだと言わんばかりの、暁の持っているロックである。

 ただ今のヨーロッパには、こういったロックはもうない。

 古い時代のものを思い出させるが、それにしては曲があまりにもメロディアス。

 そしてまたボーカルに戻っていく。


 ツインボーカルではあるが、今回は特に月子が上手く歌えるよう、アレンジを加えてある。

 だが千歳のこえも離れずに、音に厚みを加えている。

 この曲はどこか、不穏なところを感じさせる曲だ。

 元々殺し合いがメインとなるような、そんなアニメの攻撃的なOPとして作ったのだ。

 暁の性格は本当は優しいと思うのだが、その中からこういった動物的なものが生まれてくる。

 派手なことをしているわけではないのだが、根本的に演奏が派手である。

 まずは一曲目から、しっかりと音を届けていった。




 複雑で不思議な演奏をするバンドだ、と噂には聞いていた。

 確かに音源を聞く限りでは、その表現が正しいだろう。

 優れた技巧に、重ねられた厚み。

 まだ若いメンバーが多いが、それなりに年齢にも幅がある。

 最初から集まったメンバーではないのだろうな、と思わせるものではあった。

 そして今、実際の演奏を聴いている。


 正しく伝わってくるのは、パワーであった。

 お祭り騒ぎに持ってくるには、ちょっとシリアスすぎるぐらいの音だ。

 だがソウルフルな音と声は、はっきりとオーディエンスを乗せている。

 腕が上がって拍手があっても、軽くそれに手を上げて応えるだけ。

 そのまますぐに二曲目に入っていく。


 女性が三人もいるという、かなり珍しい構成のバンドだ。

 そもそもバンドというのが、欧米では男ばかりというのが多い。

 有名どころのバンドを10個ほど挙げてみても、おそらく全て男ばかりではないのか。

 女性のボーカルはシンガーとして活動する方が、ずっと多いはずである。


 ノイジーガール。

 二曲目は千歳が、やや目立つアレンジとなっていた。

 女性と言うよりも、千歳の声は少年っぽさを持っている。

 若さと共に感じられるのは、まだ荒削りなパワー。

 しかしそれをバンド結成から四年で、まだ保ち続けているのだ。


 日本のバンドやミュージシャンユニットは、この数年でかなり世界に拡散している。

 しかしその中でもこのバンドは、相当に音に深さがある。

 六人組というのも多いが、ツインボーカルにリードとリズムのギター、そしてベースにドラム。

 純粋なボーカルかと思えた女性も、三曲目には楽器を抱える。

 霹靂の刻。


 ロックな音楽ではあるのだろうが、日本人の民族性が、こういうものであるのだろうか。

 月子の声はよく響き、それでいながら粘りがある。

 こういった声質というのは、もう本当に才能である。

 千歳の声は素直なのに、ほんのわずかなざらつきがある。

 これが耳に残るので、やはり才能というものなのだろう。


 声という楽器の、優れている部分。

 これを磨いていくのが、トレーニングではある。

 同時に消耗品でもあるので、マメにケアもしているのだが。




 セッティングはやはり、万全とは言えなかった。

 だが暁も千歳も、ギターは少しずつ調整していっている。

 曲が後になり、演奏が後半になるほど、良くなっていくステージだ。

 もどかしさを全て、パワーにして音として出している。


 苛立ちがある。

 苦悶する中から、むしろその切実さが胸を打つ。

 そして激しい曲が終わって、バラードに入っていく。

 ノイズの曲の中では、珍しくも信吾が作曲したものだ。

 バーボン。


 比較的ベースの音が、表に出てくる曲である。

 バラードであり、そしてどこかジャズめいた響きもある。

 曲には色がある。

 そしてノイズの色は、一見すると多彩である。

 間違いではないが、正解というわけでもない。

 根底となる部分に、色の分厚さが存在するのだ。


 ギター一つと、ボーカルだけの曲。

 そういったものも作ってきた。

 音を重ねないために、誤魔化しの利かない曲である。

 それを平然と歌うのだから、ノイズのボーカルは鍛えられている。

 日本を分からないオーディエンスも、ボーカルの上手さははっきりと分かっただろう。


 元々ノリのいいオーディエンスたちではあった。

 だがこのあたりからは、本当に演奏の官能で、酔わせて魅せる。

 美しく透明な曲から、一気に不穏な雰囲気に移行する。

 サバト。

 知っている人間は、知っているだろう。

 思ったよりもずっといいなと、調べ始める人間もいるかもしれない。

 純粋に最初から、ノイズの音を楽しんでいる人間は幸福だ。

 そしてこれが、商売になるのかと、厳しい目で見ている人間もいる。


 明るさと言うよりは、不気味な軽快さ。

 BGMとして聞くには、難しい音楽をやっている。

 だが楽しもうと思うなら、間違いなく難解な楽曲もやってくる。

 そしてその後には、今度こそポップスな楽曲を並べる。

 ハッピーアースデイ。


 ブラジルでのフェスともまた違った感覚。

 二度目の海外ということで慣れたのか、それともこの地中海がそうさせるのか。

 音が激しくなってくる。

 しかしその激しさは、傷つけるものではない。

 聴いている人間の感情を、高揚させるものだ。




 俊は演奏をしながらも、また考えていた。

 ノイズはライブCDを出すべきだと。

 もちろんこれまで、ライブの様子を撮影したものを、配信では流している。

 しかしもっとマスターから、作っていくことが出来るはずだ。

 レコーディングで何度も、重ねて作っていくものではない。

 完成度は落ちても、熱量と気迫の感じられる、ノイズのライブ。

 特にフロントの音は、レコーディングよりもずっと、フィーリングに溢れている。


 盛り上げていく曲が、しっかりと届いている。

 そしてしっとりとした曲に、聴衆は体を揺らしている。

 笑顔でステージを見つめている。

 片手を突き上げている者もいる。

 激しさの中に、喜びを感じている。

 そしてバラードの中に哀愁を感じている。


 バンドとしてのベストパフォーマンスを発揮する楽曲がある。

 ボーカル二人の声を、たっぷりと聞かせる楽曲もある。

 とにかく演奏している楽曲の持っている、色合いが様々に溢れている。

 バンドの持っている音楽が、小さくまとまっていない。

 まだまだ完成形ではなく、これからも生み出していくと思わせるものだ。


 俊としてもこの感覚は忘れたくない。

(まだ成長するのか)

 月子と暁、この二人の伸びを感じる。

 それに比べれば、千歳の持っているものは変化だ。

 だがそれも悪いわけではない。

 変化し続けるのが、人間の一つの姿。

 もう一つの姿は、変わらずにいようとする力だ。


 土台はしっかりと作らなければいけない。

 このステージがしっかりとしていないと、安心して演奏を出来ないのと一緒だ。

 それがノイズにとっては、俊の打ち込みやリズム隊の力なのだろう。

 リズム隊がしっかりしていないバンドは、どうしても軽快ではなく軽薄になってしまう。

 たまにはそういう楽曲があっても悪くはないのだろうが。


 ステージは終焉が迫ってくる。

 不気味な音楽もあったのに、それでも心地のいいライブであった。

 曲も良かったが、演奏がさらにいい。

 日本語の多い楽曲の中で、英語のノイジーガールを歌ってみた。

 あれはこういう意味だったのか、と多くの人が理解した。


 日本人であることに、アイデンティティを感じる。

 だからこそ英語で歌っても、揺るぐことがない。

 アンコールに応えて、煌くような音を出していく。

 ノイズの演奏が、成功かどうだったのかは、分からないことである。

 ただ、メンバーは全員が満足していた。




 常に全力でプレイするのが、ノイズのライブである。

 しかしこのステージでは、限界以上のものが出せた気もする。

 二時間のライブを五日間連続でやったよりも、さらに疲れた感覚。

 それはセッティングまでも急激に、やっていったことから来るものであるのかもしれない。


 ただ限界を超えれば、また新しい世界が見えてくる。

 疲れてはいるが、充実感は凄い。

 夜の街の中、ホテルへと戻る。

 ぐったりと眠っている、暁などはベッドの上に転がされた。

 明日にはもう、この街を去っていく。

 しかし俊は自分の部屋に戻ると、ノートPCの電源を立ち上げた。


 俊も疲れていないわけではない。

 だがそれ以上に、インスピレーションが湧いているのだ。

 今ここで掴んでおかなければ、また消えてしまう音。

 それが本当に優れたものなのかどうか、今は自分でも分からない。

 何日かして、気分が落ち着いてからなら、それも分かるだろう。


 スマートフォンに連絡がある。

 明日からの予定を知らせるものだが、俊はそれにも気付かない。

 集中した自分の世界の中で、作曲に全力を尽くす。

 それはまだ曲にまとまることはなく、パーツのままでデータとして残っていくのであった。




 全員が寝坊した翌朝である。

 ただ阿部だけはしっかりと起きて、客人と対していたが。

 ノイズのライブを見て、今後の予定を訊いてきたプロモーターだ。

 八月いっぱいは詰まっていると聞いて、残念そうな顔をしたが。

 ヨーロッパでも多くは、夏場にフェスが開催される。

 また九月になれば、千歳の大学も再開するのだ。

 ここでもチャンスは生まれているが、それを掴む手を持っていない。

 いっそのこと大学など、休学してしまえばいいのに、とも思う。


 しかしノイズは、俊が生活を大切にしろ、というバンドである。

 千歳は今、実戦の経験ではなく、知識を吸収しているところだ。

 もちろんどちらも重要なものだが、今はバンド活動に比重をかけすぎだ、とも考えている。

 特にこの五月からは、ずっとライブが続いていた。


 予定が詰まりすぎていると、演奏が雑なものになる。

 暁などはライブが終わっても、次の日は練習をしている。 

 楽器に触っている時間が、一番長いのが暁である。

 俊は作曲をするにも、インプットをある程度しなければいけないので。


 タクシーに分乗して、空港までを走る。

 まだまだバルセロナの街は、騒がしい喧騒の中にある。

 それを楽しむ間もなく、日本へ帰る。

 ライブをしに来たのだから、ライブが終われば帰るのも当然。

 そんな考えでいては、音楽が小さくまとまってしまう。


 他人の音楽を聴くことによって、成長することがあるのだ。

 またアートやパフォーマンスなど、様々なものが催されている。

 ただ少なくとも俊は、充分にインプットをした。

 これ以上のものを含んでも、とても消化しきれるものではない。

 むしろ吐き出してしまって、無駄にしてしまうだろう。


 帰りの飛行機もビジネスクラスである。

 これはギャラを安くしてでも、阿部が加えた条件だ。

 エコノミーでは体が休まらない。

 小柄な暁などには、それでもいいのかもしれないが。

 同じルートで、日本へと帰る。

 その飛行機の中で、阿部は俊に、他のプロモーターから来た話を伝えていた。


 九月になれば、ノイズの予定も空いている。

 その時期にもまだ、やっているフェスはあるのだ。

 しかし八月の予定を考えれば、そこまでに色々と詰め込みすぎている。

 若いといってもまだ、ツアーなどには慣れていない体だ。

 しっかりと休ませなければ、どこかで潰れてもおかしくはない。




 俊としてもさすがに、ここでこれ以上の無理をするつもりはない。

 国内の連日のツアーでも、充分に疲労は蓄積していたのだ。

 七月に予定が空いているのは、千歳が課題を提出するため、追い込みの時間が必要と計算してのもの。

 それでも八月には、頭にシカゴのフェスがある。


 すぐに動くことは出来ないと、俊の判断も阿部と同じである。

 疲れすぎないように、しかし暇にはならないように。

 もっとも少しでも時間があると、俊はインプットかアウトプットに時間を使う。

 そこが阿部としては、心配になるところなのだ。


 俊は音楽のためにしか生きていない。

 人間としての喜びを、そこにしか感じられないのか。

 もっともそこには、名声や金、権威などといったものも、付属してくるものである。

 権力欲でさえも、俊は隠そうとしない。

 やりたいことをやるためには、権力も必要になる。

 ただ、名声のための名声、欲望のための欲望、そういったものを俊は求めていない。

 彼が求めているのは、ひたすらに音楽のために必要なものだ。


 夏が終わってから、と阿部は考えていた。

 しかし七月にも少し、俊には時間がある。

 放っておけばその時間も、音楽のために使ってしまうだろう。

 阿部の持っていく話も、音楽のものではあるのだが。


 ノイズは確かに、バンドとしてはもう、日本でもトップクラスの人気となっている。

 だがそれを売り出すための、メジャーな力には欠けている。

 レコード会社のレーベルも、今のインディーズのままでは足りない。

 しかし既存のものには、俊は頷かないだろう。

 作曲と作詞をやっている俊は、それなりに金が入ってくる。

 だが今のシステムでは、インディーズでやっていなければ、むしろ収入が減ってしまうのがミュージシャンというものだ。

 それもここまで大きくなれば、条件はいいものを出すことが出来るだろう。


 新しいレーベルを立ち上げるのだ。

 そして条件を良いままで、しっかりと収入を確保する。

 レコード会社からの援護があってこそ、大きなイベントをすることが出来る。

 事務所の力としても、新しいレーベルでやっていかないと、今のままでは限界であろう。

 俊のやってきた、金に汚い儲けるためのもの。

 しかし楽曲自体には、そういったものはない。

 問題はシステムなのだから。

 全てはツアーが終わってから。

 夏のフェスの前に、話をしよう。

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