第312話 ツアー再開
長く時間は過ぎたが、やったことは少なかったような気がする、一週間であった。
移動に往復一日ずつをかけて、あちらでは結局ライブを一時間ちょっとしただけだ。
日本のような丁寧な段取りではなかったが、それでも学ぶことは多かった。
なお帰りの飛行機の中では、俊が珍しくもぐっすりと眠り込んでいたものである。
曲はまだ断片的にしか出来ていない。
今は寝かせておいて、いつか勝手にパズルのピースのように出来上がるものだろう。
日本に戻ってきて、東京にまで戻ってくる。
今回は楽器はともかく、機材もある程度向こうで用意していたので、それも演奏には影響したのかもしれない。
暁にとっては命の次の次ぐらいには大事なギター。
しっかりと持ったまま、マンションの中へ入るのを見送ったのは春菜である。
おおよその荷物は、俊の家に送ってしまえばいい。
千歳も栄二も、家族のいる家に帰る。
眠るための家に帰るのは、三人ばかりだ。
ステージのコンディションと、フライトの時間とで、さすがにこれまでとは違う疲労が蓄積していた。
ぐーすかと24時間ほども、眠っていた俊である。
こういう時に元気なのは、やはり若さの順番なのであろうか。
暁は昼頃には、俊の家のスタジオにやってきた。
珍しくも俊は、しっかりと自室のベッドで眠っている。
なので暁は、スタジオを独占していた。
千歳は普通に大学である。
そして友人たちが寄って来る。
ノイズのメンバーが思っていたより、バルセロナのフェスの影響は大きい。
そもそも音楽フェスと言うよりは、文化全体のフェスという趣があったが。
ロックだけに偏っているわけではない、ノイズの音楽としては良かったのだろう。
実際にEDMの分野に、ヒップホップなどもジャンルはバラバラ。
ただひたすらビッグネームと、期待のニューフェースを集めたものではあったのだ。
海外の一万人のステージに立つという。
既に国内では、六万人のステージに立っているのだ。
ヘッドライナーにならないのは、実力や人気が関係しているわけではない。
ただ知名度に限って言うなら、まだ日本のトップには立てていない。
マスコミからの取材が少ない。
本来ならばもっと、取材があってもおかしくないものなのに。
ただ国内のツアーの方は、順調にチケットは捌けている。
そもそも用意できているハコが、人気の割には小さいのだ。
阿部は来年あたりは、夏にまたアリーナや武道館を抑えるつもりだが、なかなか予定が空くことはない。
二日連続でやらないと、ちょっと儲けも出にくい。
ここで金を貯めて、使う道があるのであるから。
夕方、まだ千歳の頭ははっきりしない。
それでもギターを背負って、俊の家のスタジオにやってくる。
24時間以上、ギターを弾いていなかった。
おそらく暁は目覚めたら、すぐにギターを弾いたのだろうな、と思いつつ入る。
「朝起きたらさ、ギター抱いたまま眠ってたから、顔に弦の跡がついてたんだよ」
さすがである。
週末から週明けにかけて、最後のツアーを行う。
そして東京の大きなハコでその〆をする。
3000人入るハコは、東京でもそう多くはない。
だが上手く予約が空いた時に、取ることが出来ているのだ。
スペインの大地で、海を見ながら演奏したのは、新しい経験となっている。
暁のギターで高音を鳴らす時に、乾いていたり湿っていたり、色が自由に変わっていく。
才能と言えば簡単なのだろうが、これは感性であろう。
ギターを最大の友としてきた、それ以外を粗雑に扱ってきた、その結果から生まれた音なのか。
しかしプロの世界に来てみれば、案外友人は増えてきたりする。
蓄積された経験が、まだ上手く消化されていない。
そのため音が重いのは、主にリズム隊だろうか。
俊はあえて、軽薄な演奏をしていく。
すると重さが丁度よくなる。
新潟から高崎、そして長野と続くツアー。
最後の東京が、一番簡単にチケットが売り切れたという。
東京という巨大都市でやれることは、アドバンテージになっているのか。
確かにパイは巨大だが、比例してバンドの数なども多い。
作曲と歌のユニットだけなら、別々の場所に住んでいても可能だ。
それが今の時代である。
そんな時代にあえて、バンドという形態を取っている。
東京にはミュージシャンが、一番多く集まっているのは確かだ。
しかしバンドの発生地は、ここばかりではない。
俊が東京に実家を持ち、そしてそれが都心からも近い豪邸であったというアドバンテージ。
これこそがノイズにとっては、本当のアドバンテージと言えるだろう。
ノイズというバンドは単純に、練習している時間が長い。
たくさん練習をしていれば、技術は純粋に上がっていく。
そしてライブの回数も、結成からの期間を考えれば、随分と多いだろう。
以前のバンドでやっていた、という経験も含めれば、相当の実戦経験がある。
その中で千歳の次に実戦経験の少ない、暁が客を煽るのが、一番上手いというのは不思議だが。
伝説的なギタリストが、散々に煽ってきた動画を、何度も見て盗んだものだ。
夕方から夜の練習で、しっかりと合うようになってきた。
そしてようやく、ツアーの再開である。
今回もローディーは、深夜には東京を発つ。
メンバーは午前中から、新幹線などを使って新潟に向かうわけだ。
新潟もなかなかに惜しい都市なのである。
日本海に面した市町村の中では、最大レベルの80万近い人口がある。
ただその人口は、やや減少傾向。
もっとも日本全体が、これからは人口が減っていくのだが。
先進国というのはおおよそ、人口の減少問題を抱えているものだ。
このあたりでは最大規模の、700人が入るライブハウス。
ここもしっかりとチケットは売り切れている。
月子の要望がなかったら、山形ではなく秋田か青森で、ライブをしていたであろう。
一応は新潟は、山形に近い街なのである。
ちなみにかつて戦国時代などは、上越のあたりの方が栄えていた。
ここも初めてのハコだが、悪い感じはしない。
しっかりと事前に、セッティングをすることが出来ている。
リハまで含めて、しっかりと音作りは完成する。
日本に帰ってきてからは、初めてのライブとなるのだ。
(慣れているハコで、一回ぐらいやった方が良かったのかな)
俊としては少しだけ、そういった後悔が生まれてきたりもする。
調整のためのライブなど、いいことか悪いことか分からない。
リハからセッティングの微調整まで、充分に時間の範囲で終わった。
俊は色々と調整が必要であったが、暁がそれ以上に調整をしている。
スペインから戻ってきて、また何かを掴んだのか。
確かにフェスでのライブでは、また何か少し変わった感じがしたものだが。
スタジオ練習の時は、むしろどこか苦しそうですらあった。
そしてここでも慎重になっている。
バルセロナにおいては、わずかな狂いを直しつつ、パワーで全てをひっくり返したものだ。
技術で誤魔化すことも出来るだろうが、暁のギターはハードなのが魅力だ。
そうでなければレスポールのような、シビアなタイプのギターは使わないだろう。
レフティが珍しいと言っても、ストラトタイプで普通に手に入るはずだ。
レスポールはスペシャルでもそこそこ重い。
暁のギターもその特徴に変わりはない。
だがわずかながら、サイズが小さい。ミドルスケールのギターなのだ。
小柄な暁には、合っているギターである。
開場の30分前には、ちゃんと全てのセッティングが終わった。
この時期はまだまだ、明るい時間にステージは始まる。
もっともライブハウスの中は、外の光のない密室空間。
擬似的な夜の雰囲気は、もう慣れたものである。
巨大なライブハウスのざわめき。
『こんばんわ、スペインから帰ってきましたノイズです』
MCで煽っていくことはない。それでも千歳なら、少し煽ることはあるのだが。
『成長した演奏を見せていきたいと思います』
そして即座に演奏へと入っていく。
スペインから帰ってから、暁はずっと感じていた。
ギターを弾くのに、押さえる指は変わらないが、弾く左手のピックが重い。
強く弾いて、強く返ってくる。
今までにギターをずっと弾いてきて、こんな感じになったことはない。
(重い……)
激しく弾いてしまいそうになって、力の加減に苦労する。
(どうして……)
激しく弾くよりも、軽く弾く方が、ずっと難しい。
(下手くそ!)
怒りで演奏が粗くなる。
ステージに向かって一番左、俊は全員の様子を観察している。
(今日の暁は凄いな)
スペインから帰ってから、練習の時も少し感じてはいた。
(さらに一段階上に行こうとしてる)
本人がどう思っていようと、周囲からはそのように見えているのだ。
自分が下手くそだと思うから、一生懸命に練習が出来る。
満足した時に、人はそこから成長を止める。
暁の演奏が凄まじく荒々しい。
しかしその暴力的な音に、ノイズのメンバーはついていく。
重たいドラムは正確にリズムをキープしている。
ベースは粘り強く、ギターが走りすぎるのを止めている。
ボーカルが響き合えば、ギターとも共鳴していく。
バンドが一つの生き物のように、音を作り出していくのだ。
まだまだ上手くなっていく。
上手くなり、強くなり、激しくなって、優しくもなる。
俊はノイズの将来性を、まだまだあるとは感じていた。
しかしここで、こういった形で新しい姿を見せてくれるとは、思っていなかった。
音楽の色というのは、いくらでも増えていくものなのだろう。
ただ自分には、演奏でそれを表現することは出来ない。
頭の中の音楽を、実際の音にしてくれる人間が、俊には必要であった。
「最悪」
ステージから降りれば、いつもおとなしくなる暁が、厳しい表情を貼り付けたままであった。
ホテルに行くまでのタクシーの中で、同乗した春菜が首を傾げる。
「私にはいつも通りの演奏で、お客さんもすごく満足してたと思うけど」
「全力では弾いたけど、ちょっと上手く届かなかったと思う……」
「アキは自分の理想の音と比べてたから、そういう感想になったんじゃないかな」
同じくギターを弾いていた千歳としては、今日はかなり引っ張られるものであった。
六角形は物理上、最も強固な形。
ノイズのメンバーが六人であるのは、それが崩れない演奏をするためのものであるからだ。
華があるのは暁のギター。
太くも透明で巨大なのが、月子のボーカル。
千歳のボーカルはそれと違い、感情が上手く乗る分かりやすいもの。
他の三人は土台を作っている。
ホテルに戻ると、まだレストランがやっていた。
そして六人で食卓を囲み、今日の反省会をする。
他の五人は暁の不満を感じ取っている。
ただあのステージでは、充分に演奏出来たとも感じているのだ。
明日は高崎での演奏となる。
移動は朝からで、特に急ぐ必要はない。
かつてバンで運転しながら、ツアーをしていたような貧乏ツアーではない。
なので暁は、こんなことを言い出す。
「この辺にどこか、24時間練習できるようなスタジオってないかな?」
「いや……エフェクターボードは積み込んじゃっただろ?」
「普通のアンプがあるだけでもいいんだけど」
「探します」
「いやいや、練習や調整をするなら、明日の移動先ですればいい。セッティングの時に充分な時間はあるだろ」
俊はそう言うが、暁はどうも満足していない。
暁は自分に妥協しない人間だ。
俊もそうであるために、それは分かるのだ。
ただここは穏当に、明日を待ってもいいのではないか。
「俊さん、あたしは今、弾く必要があるんだよ」
才能の頑固さは、自分に妥協を許さない。
そもそもそういった頑固さこそが、才能の本質であるのかもしれない。
「明日の演奏に疲れを残すなよ。と言ってもそんなスタジオ、今から見つけられるのか」
東京ならば24時間営業のスタジオはあるが、ここは新潟である。
こういう時の仕事が、マネージャーの役割である。
春菜はホテルの人間にまずは尋ねてみた。
そしてそういったところは、すぐには見つからないと言われる。
ただこのホテルはビジネスホテルだが、簡単な演奏の出来るホールがある。
そこは防音もしっかりとしていて、備え付けのアンプもあるということであった。
たいした会場でもなく、アンプもたいしたものではない。
だが暁にとってはそれで充分であるのだ。
シールドまでしっかりあれば、演奏をするのには充分。
こんな無茶を聞いてくれる、ホテルの方に感謝である。
もちろん使用料は取られてしまうが。
他のメンバーは、風呂に入ってそのまま睡眠だ。
しかし俊だけは、ノートPCを持って戻ってきた。
「俊さんも寝てよ」
「眠くなるまではここにいる」
暁の音は、アンプのものがあまり良くないので、俊の耳には違いが分からない。
ただ弾いている暁だけは、それが分かるのだろう。
俊の耳に入ってくるのは、ノイズ混じりのギターである。
弾いている曲は、ノイズの演奏する曲ばかりでもない。
ハードロックの洋楽を、楽しそうに弾いている。
何か迷いでもあったのかもしれないが、少なくとも俊の耳する音にはそれを感じない。
俊もまた、暁の音をBGMに、曲を組み上げていく。
今の暁の音に合う、新しい境地に向かう音を。
だが作曲をしている間に、色々と考えてくることも出てくる。
明日のハコは500人が入るという。
群馬でライブをしたことはあるが、あれは前橋のハコであった。
今度は規模が二倍以上になっている。
ただやるのは同じライブである。
何かが変わっているというものでもない。
(いや、全部が変わってはいるのか)
同じライブなど、一度もあるはずがないのだ。
日付が変わってしばらくして、ようやく暁は納得がいったようだ。
あるいは疲れきって諦めたのか。
とにかく暁は演奏をやめて、部屋に戻ることにした。
見ればどっさりと汗をかいていた。
「俊さんも付き合わなくてもいいのに」
「こっちも好きでしてることだしな」
睡眠時間の短い俊は、少しでも長く眠らなければ、早死にするだろう。
新潟から高崎までのルートは、鉄道をつかっても車を使っても、それほどの変わりはない。
だが時間通りに考えるならば、やはり鉄道からタクシーを使っていくのが間違いない。
上越新幹線の中で、暁はぐっすりと眠っていた。
俊も珍しく、PCを使わずに眠っている。
到着したのは昼前であり、そこで荷物をまたホテルに運ぶ。
そしてライブハウスに向かい、セッティングとリハを行っていくのだ。
使い慣れた機材で、暁は音を調整して行く。
その顔に前日のような、難しい表情は浮かんでいない。
最後まで音作りに時間がかかるのは、他を全部終わらせるのを待っている俊である。
それからリハを行っていく。
高崎でのライブが終われば、次は長野だ。
そして長野で、事実上のツアーは終わる。
あとは東京でライブをして、ようやく長かったツアーが終わる。
実際は何度も東京に引き返し、海外のフェスに参加したので、終わった気にならなかったのだが。
高崎から長野へは、むしろ東京から少し遠ざかる。
ただこの行程がいいと決めたのは、実際にブッキングをする阿部である。
地方のツアーをブッキングするのに、阿部より上手く出来るはずもない。
長野をツアーの予定に入れたのは、ここが楽器の工房が多いことで知られているからだ。
実際に暁がバイトしている店でも、大規模なクラフトやリペアは、そちらの工房に送っていく。
そこまで極端に大きなハコはない。
だがギターに関係した人間は多いのだ。
まさに長野の長野市に、工房がかなり集まっている。
本場の人間がどれだけ、ノイズの音を聴きに来るだろうか。
そんなことも少し頭の隅で考えながら、俊はセッティングを終えた。
今日は予定よりも早く終わって、開場までは一時間ほどもある。
日本語の通じる国内なのだから、少し外に出てもいいものなのか。
しかし楽屋に戻ってくると、暁が横になってしまった。
演奏のコンディションを万全に整えるのに、直前の居眠りは良くないはずだ。
だが眠りを欲しているのなら、眠らせる方がまだマシだろう。
少なくともセッティングの最中、暁の音は澄んでいた。
朝起きてすぐに、そのまま楽器を弾いて名曲を作った、というアーティストのエピソードはよく聞く。
俊にしても朝から、ギターやキーボードを弾いていることはある。
暁にしてもそれは同じなのだろう。
スペインで演奏し、おそらく一番成長したのが暁か。
そう考える俊は、自分も大きく変化したことに、自分では気付いていなかった。
俊はずっと考えて、ずっと変わっていく人間だ。
しかし人間性の本質は変わらない。
変化の中で良質のものを、成長と呼ぶのだ。
そして飛躍するような成長を、進化とでも呼べばいいのだろう。
楽屋の中で、俊は作曲を行う。
あまりにも生き急いでいるような、そんな生活である。
さすがにこのツアーが終われば、少しは休むこともあるだろう。
阿部の提案を聞けば、休まざるをえない。
俊もまた、変革のタイミングを迎えているのであった。
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