第286話 早めの晩夏

 八月下旬のROCK THE JAPAN FESTIVAL。

 ノイズはここでもメインステージに立っている。

 一般的な価値観からしたら、ここいらがもう上がり、と考えられるのかもしれない。

 単純に成功することだけを考えていたら、モチベーションの維持も難しいだろう。

 具体的なイメージがあってこそ、そちらへのロードマップが見えてくる。

 その点ではノイズは本当に、先達の築いた道を歩いていると言えるだろう。


 日本の夏の大規模フェスは、海外から大物アーティストが来ることもある。

 そしてそれと一緒に、プロモーターなども来たりするのだ。

 基本的には日本ではまだ、それなりに洋楽バンドなどが稼げる。

 しかし今の新しいバンドよりは、一世代以上昔の、レジェンドクラスのバンドが好まれたりする。

 欧米の流行がロック系統から外れた、というのもあるのだろう。

 ライブでこそ映えるのがロックだなどとも言われるが、ロックの幻想も剥がれてきたとも言える。


 今は多くの人間が、共感を求める時代。

 ロックスターにアイドル性を求めないのだろう。

 またネットによって拡散が容易な時代。

 パフォーマンスについても、下手に派手なことをやっても、すぐにアンチコメントがついていく。


 ノイズの無駄なパフォーマンスをやらない、というのはかなりストイックなものなのだ。

 そういったスタイルの方が、今では受けることになっている。

 俊としても自然と、そのスタイルには気づいていた。

 少なくともメタル系の衣装というのは、かなりダサいのではないかと。

 ちょっとお洒落な普段着で、演奏した方がいいのではないか。

 邦楽では昔、渋谷系と呼ばれたものが、それに近いだろう。

 実際のところは月子一人に神秘性を持たせている。

 逆方向には暁が、そのギタースタイルを見せ付けている。


 直感的に気持ちいい、というのがなんとなく分かってもらえる。

 また月子の顔を隠したスタイルというのは、逆に今の宣伝にはなりやすい。

 美人だとはいくらでも証言が出てくる。

 しかし実際の顔を完全に晒した写真や映像は、一つもないというもの。

 女優やミュージシャンというのは、昔から強く執着されるものなのだ。

 ストーカー被害を防ぐため、公式には正体は隠したままでいいだろう。


 月子の場合は下手に顔が売れると、周囲への対応が大変になる、ということもある。

 相貌失認などのことを考えると、人間関係にも影響がある。

 この点に関しては、珍しく阿部が公共放送に営業に行っていたりする。

 もう二度と紅白に出るつもりはないが、こういったものは著名人が発信すると、分かりやすいものなのだ。


 アイドルにとっては人の顔を憶えられないというのは、ひどく不便なものであった。

 実際のところあれもまた、月子が地下アイドルでも人気が出なかった理由の一つだ。

 彼女が一般的な幸福を手にするのは、まだまだ難しいだろう。

 俊としても月子の人生にまでは、ちょっと責任を持ちきれない。

 ただ友人として相談に乗り、そして不労所得で食っていくことが出来るぐらいには、なんとかしてやりたいと思う。




 どこまでも音楽と共に生きていく。

 俊はもう、そういう覚悟をしている。

 そしてバンドを組むならば、やはり月子と千歳に歌ってほしい。

 二人のボーカルがあってこそ、ノイズであると思うのだから。


 ただボーカルには寿命があるのでは、というのも感じる。

 少なくとも声は、加齢によって変わっていく。

 もちろんそれが悪い方に変わるとは限らない。

 渋みを増していったハスキーボイスなどは、アメリカ人は好みであったりする。

 月子はクリアなハイトーンで、千歳はざらりと耳を撫でる。

 そんな二人を上手く、使っていくのがノイズというバンド。


 別にノイズが最高のバンドとは言わない。

 だが他のバンドで同じ事は出来ないだろうな、とは思う。

 この灼熱のステージの上でも、最大のパフォーマンスを発揮する。

 ドラムのリズムキープに、ベースの重低音。

 ギターはリードが普段はない軽さと重さを兼ね備えている。


 あちこち細かいところは、俊がシンセサイザーでフォローする。

 分厚い音の圧力こそが、ノイズの他にないところだろうか。

 シンプルな楽器の構成による、古きハードロックとは違う。

 ストリングスや管もまた、完全に自分で管理しているのだ。


 ロックバンド的な楽曲ではあるが、実際はポップス。

 ただ演奏を聞いていると、暁のギターは明らかにロックテイスト。

 集まったメンバーが俊を変えたのか、俊の感性に合ったメンバーが集まったのか。

 どのみちどうであっても、俊の表現出来る音楽は、他のメンバーでは無理だろう。

 誰かが抜けた時は、果たしてどうすればいいのか。

 もちろんずっと、誰も抜けないのがいいのであろうが。


 成功へのロードマップは、もうこのあたりからはあやふやになりつつある。

 海外展開はずっと考えているし、なんなら霹靂の刻で、それは果たしたとも言える。

 だが本格的に海外での日本ムーブメントに、しっかりと乗るにはどうすればいいのか。

 ラップは少し導入してみたが、ヒップホップへの奇妙な忌避感は、俊の中からは消えない。

 本格的にヒップホップをやるなら、さすがに俊の持つ技術とは、違ったものになっていくというのもある。

 ヒップホップ調を少し入れる程度なら、可能なのであろうが。


 DJがレコードを回して、周囲が踊りまくる。

 そんな単純なものでもないのだが、俊の中にはそんなイメージがある。

 おそらくこれも記憶を遡れば、原因が判明するのだろう。

 しかしそこまで増やしてしまうと、さすがに音楽性がばらばらになってしまう。

 ただでさえEDMを使っていて、ロックとは違う感じになってしまっているのだ。




 新曲の中にはユーロビート系のものもあったりする。

 電子音が目立つが、ギターソロになった瞬間、その早弾きとアルペジオの旋律が、オーティエンスの耳に届いていく。

 一瞬無音になってから、ベースのリズムが一小節響き、そこからまた複雑な音が混ざっていく。

 技巧に走りすぎると、複雑なだけの音になってしまう。

 ギターとベースとドラムが、ほんのわずかに音を響かせる中、アカペラに近い状態で、ツインボーカルが混ざっていく。

 最後にはまたユーロビートに戻っていって、派手に終わる。

 そういった楽曲もしっかりと受けるのだ。


 EDMが流行して、そしてまたバンド演奏に戻る、という動きもあった。

 ノイズはそういった音楽を、どれも使うことが出来る。

 なんならベースソロさえも、曲の中に組み入れていくのだ。

 だがやはりギターは、二本あるとメロディが作りやすい。


 曲の生み出す雰囲気が、多種多様である。

 節操のない売れ筋音楽、などという人間もいるだろう。

 むしろ売れれば売れるほど、そういった声は大きくなる。

 それは売れている人間にとっては、当然の反応なのだ。

 そこで下手に尖った曲を出せば、一般層が離れてしまう。


 尖ったものをほんの少し混ぜていく。

 その分量を上手く計測していくのが、職人的であるのかもしれない。

 世間の反応など無関係と、己を貫き通すということも、アーティストとしてはあるのだろう。

 だが先を行き過ぎた音楽に限らずアーティストというのは、売れなかったりする。

 売れてからこそ、己を貫き通しても、聞いてもらえるようになるのだ。


 もっともこれはタイミングが難しい。

 売り出すということは、全てタイミングが重要なのだ。

 今はネットによって、個人情報が活用される時代である。

 ちょっとだけそこをコントロールして、ノイズの音楽を流したとする。

 それだけでバズる確率は、一気に上がっていくのだ。


 時代がまだ合っていなかった。

 それは音楽性の問題であったり、技術的な問題であったりする。

 たとえば現在の欧米では、日本のシティポップがかなり流行している。 

 しかしそれは昔から、既にそこにあったものなのだ。

 なぜ今、それが流行しているのか。

 それこそネットによって、アクセス出来るようになったからである。


 逆に今、日本では欧米の音楽はあまり売れない。

 ただヒップホップなどが売れる素地が、全くないというわけでもないのだ。

 学校の体育の授業に、ダンスなどが盛り込まれたりする。

 それだけダンスというものが、若者の下地になったりする。

 そしてダンスには、ヒップホップを使ったものが、かなりあるのだ。




 80年代の日本の音楽が、世界に通用する。

 世界進出を目指していた90年代などは、結局は通用しなかったのに。

 そして今はボカロPから誕生した音楽が、リアルタイムで通用している。

 ただボカロPはもう、10年以上も活動している、という人間もそれなりにいるのだ。


 タイミングの問題でもあるし、ムーブメントの問題でもある。

 音楽資本が一人のミュージシャンではなく、大量にたまった状態から、あふれていくというものでもある。

 単純なPVだけならば、アメリカで流れている音楽は、ノイズよりもMNRよりも、ミステリアスピンクの方が多かったりもする。

 それは徳島の作る音楽が、一曲ごとに大きく変化しているからだ。

 ただミステリアスピンクは、ライブはほとんど行わない。

 やはりあのフェスでの失敗から、配信メインで考えているからであろう。


 ノイズのパフォーマンスを見ていて、なるほどと感じる人間は多い。

 軽すぎることなく、重すぎることもない。

 軽すぎる音があったら、すぐにまた重く戻っていく。

 そして重過ぎる音もまた、ずっと続いていくことはない。


 バランスがいいのだが、それはずっと動かないというわけではない。

 むしろ動きながらも、絶対に転倒しない、そういう感じのバランスの良さだ。

 売れ線をしっかりと狙っていながらも、実験的で冒険的なリフなども入れてくる。

 ただドラムとベースのリズム隊は、しっかりと粘っこく土台として動かない。


 激しいドラムに、キープするベース。

 この安定感があるからこそ、リードギターはいくらでも遊べるのだ。

 そしてボーカルの持っている華は、確かに分かりやすいもの。

 技術的に分かりやすい高音と、耳に残る中音域。

 ビジュアルでは売らないと決めているのに、顔を隠しながらドレスアップする。

 さらに熱いと、暁は脱ぐのだ。


 売れ線の音楽というだけではなく、売れるために特徴を作っている。

 キャラクター性が強くなければ、今は売れない時代である。

 芸能人は自分を切り売りする、という面が必ずある。

 ノイズに関してはそれは、かなり上手く本当の自分を、隠しながら成功している。


 これならばいいだろうな、と判断されていく。

 阿部としてもこのフェスも、しっかりと成功する内容だな、と感じている。

 あとはここから、どのように展開していくか。

 海外進出をするのであれば、そのための準備が必要となる。

 そして俊の場合は、必ず利益が出ることを絶対条件にするだろう。


 実際のところは海外でチケットが売れれば、その情報が宣伝となる。

 ノイズはライブの出来るバンドであるので、またアリーナでライブをすればいい。

 これだけチケットを売っていれば、既にハコを抑えているイベンターとも、普通に話し合うことが出来る。

 そして武道館であれば、またレンタル料は安くて済む。

 もっとも海外で売れてくれたなら、もうそれは外タレと同じような扱いになる。

 チケットが少しばかり高くても、当然と思ってもらわなければいけない。


 ただ俊には現実的なところが多いが、理想主義的なところもある。

 一般のファン、古くからのファンを、大事にしたいというものである。

 アリーナなどのチケットは、どうしても高くならざるをえない。

 かといってライブハウスでも、今はすぐにソールドアウトしてしまう。

 だからこそ全国ツアーをして、地方のファンにはサービスもしたいのだ。




 人気というのは一瞬のものではいけない。

 実際は一発屋のミュージシャンであっても、その一発でかなり食っていくことは出来るのだが。

 ノイズは、俊は自分たちの音楽を、ずっと残しておきたい。

 どんな年代の人間が聴いても、ああ、あの音楽かと思い出すように。


 そういう楽曲を、いくつも作るのだ。

 やがては教科書に載るような、そんな音楽も作っていきたい。

 ビートルズまでは目指さない、という現実的なことは頭の隅にある。

 しかし100年後、死んでから後も残るような、そういう存在ではありたい。


 忘れられない限りは、本当の死ではない。

 ジョン・レノンもジミヘンもフレディも、その魂はいまだに生きている。

 同じことはショパンでもベートーベンでもモーツァルトでも、同じことが言える。

 あるいは別のジャンルだが、手塚治虫や鳥山明はどうであろうか。

 その生み出したコンテンツというのは、永遠に残るのではないか。


 ディズニーがやったような著作権の制限を、日本は基本的にしない。

 二次創作の活発な国であるというのは、悪くないことであろう。

 ただそれとは別に、海賊版はどうにかしたい。

 今はもうサブスクで、レコーディング出来るようなものは、そのままネットで回っている。

 完全にこれを制限するのは、もう不可能なのであろう。


 違法のDLサイトというのは、間違いなく犯罪であった。

 しかし同時に、大きな文化資源を、世界に拡散することには役に立った。

 それを肯定するか否定するか、もうその段階ではない。

 広がってしまったものならば、利用するしかないのだ。


 俊としては時代の流れを、ボカロPとしてはっきり感じていた。

 今はもう、CDが売れない時代なのだと。

 しかし同時に、日本はまだCDが売れている国である、という事実もある。

 握手券などの付属物をつけなくても、ブックレットなどのフィジカルを、持っておきたいという人間はいる。

 それだけのファンをどれだけ作ることが出来るか。

 ファンを沼のように沈める、そういうアーティストにはなりたくない。

 はっきり言ってそれでは、ホストやホステスの悪質な、借金をさせてでも貢がせるのと変わらない。


 健全であってほしいのだ。

 自分たちはファンの金で生活する。

 そして自分たちは、音楽で力を与えていく。

 俊の中にはそういうビジョンがあって、それがこれまでは通用してきた。

 これからのステージで、どういう戦い方になるのか。

 夏の夕暮れの中に、ノイズの音が溶けていく。

 ここからがまた、新たなステージでの戦いとなるのである。

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