第51話 スクワイア

 あーでもないこーでもないと、千歳のギター選びのはずが、本人より真剣になっている俊と暁と信吾である。

「いずれはレコーディング用のレスポールは買いたいなあ」

 暁はそんなことを言っていたが、なぜか右利き用の普通のギターの試し弾きをしたりしている。

 少なくとも千歳よりは上手い。さすがに俊よりも上手くはないが。

「ギターって左で弾ける人は右手でも弾けるんだ?」

「いや、それはそいつだけ」

 千歳の感心した呟きに、俊がツッコミを入れる。


 そういえばポールマッカートニーは左利きのくせに、右でもそれなりに弾けるとかいう話を、どこかで読んだ気がする俊である。

 ともあれ店にあったテレキャスタイプのギターを弾いて、ついに千歳が納得するものを見つけた。

 千歳も弾いてみて、ストラトとはまた違うが、充分に弾きやすく軽いのを確認する。

「でもこれフェンダーじゃないの?」

「スクワイアだな」

 英字だとSquierであり、日本語発音ではスクワイヤーとも表記される。

「でもテレキャスターなんだ?」

「フェンダーのブランドの一つがスクワイアで、廉価版のテレキャスターを作ってるんだが、これはその中ではちょっと特別だ」

 こういう説明は俊が好きなのである。

「テレキャスターと言いながらピックアップがハムバッカーになっていて、テレキャスっぽい音も出せるし、クリーンな音もかなりいける。そしてハムバッカーっぽい太い音もしっかり出せる」

「つまり値段に対してお得ということ?」

「そうだな。とりあえず10万円のフェンダーテレを買うよりは、税込みで5万以下のこれを買った方がいいと思う。だけど」

 そこで俊は言葉を切った。

「今はまだいいけど、暁と合わせて弾いていったら、いずれ満足できなくなるだろうな」

 暁の腕もあるが、あのレスポールは間違いなくおかしいのだ。


 実際に弾いてみて、弾きやすいと感じたのは千歳である。

 ただ保護者の文乃は、少し疑問を出してきた。

「廉価版ということは、何かが劣るんじゃないの?」

「普通ならそうだけど」

 俊としてはそのあたり、ちゃんと確認してある。

「廉価版は微妙に、仕上がり当たり外れがあるんですよ。それが本家フェンダーの方だと少ない。これは弾いてみた感じ、当たりの範囲に入る個体です」

「私には同じにしか聞こえないけど」

 それはもう仕方がない。

 ただこれは機種自体も、それなりに違う音が出せるようにピックアップで調整出来る。

 本家のテレキャスターの音に完全に同じものとはならないが、それにかなり近い上に、他の音も出せるのだから、初心者には都合がいい。


 将来的には演奏する曲によって、使い分けることになるのではなかろうか。

 しかし個体差を聞き分ける、俊と暁の耳の良さは異常である。

 月子はともかく信吾も、言われてみればというぐらいにしか感じなかったのだ。

 はっきり言ってしまえば、ボディよりも電装系が重要なのが、エレキギターである。

 これはやはり、幼少期から音が傍にある、絶対音感の持ち主であり、さらに音の聞き分けの機会が多い環境でないと、とても育たないものである。

 英才教育などはかけられていない二人だが、門前の小僧は習わぬ経を読むのである。




 あれだけ試して、買ったのは5万以下。

 なのでその分、他の機材を買っていかなければ店に悪い。

 これがメンテナンスなどもしているなら、今後もここを使うということで、話は通るのだが。

 まずはアンプに、そしてヘッドフォン、あとはエフェクターといったところである。

 もっともまだ千歳は、音作りというレベルの演奏は出来ない。

 なのでアンプの性能のいいのを買っておいて、あとはマルチエフェクターで最初はどうにかなるだろう。

 その後は必要に応じて買って行けばいい。


 忘れてはいけないのはメンテナンス用品だ。

 他には音楽業界ではシールドと呼ばれるケーブル類。

 おそらく普段のメンテナンスは、近場の渋谷で行うことになるだろう。

 なのでここで、弾かせてもらった分、たっぷりと消耗品は買って帰るのだ。

 ギター弦は最低でも年に一度は変えないといけない。

 暁などは弾く頻度が高いので、もっと消耗する。

 ピックにコインを使っているのも関係するだろうが。


「そろそろジャックは交換しないといけないかなあ」

 暁のように頻繁に使っていると、どうしても損耗するのがその部分である。

 指弾きしている信吾などは、比較的消耗しない。

 暁の練習環境は異常である。

 今でこそ一日三時間程度しか弾いていないが、中学校時代は土日など、平気で八時間以上は弾いていた。

 特に今のレスポールを手に入れてからは。


 暁は天才というか、明らかに異才ではある。

 そんなに長い間、連続して弾いていられるという時点で、既におかしいのだ。

「それで、千歳はそれでいいのか?」

「うん、ストラトみたいにはいかないけど、体にフィットするし色も真っ黒でかっこいいし」

 ただライブハウスだと、明るい楽器の方が目立つのだが。

 レスポール・スペシャルの黄色い色は、まだテレビが白黒だった時代に、目立つように明るい色にされたとも言われている。


 立った状態で弾いてみても、千歳はしっくりとくる。

 持った時のネックの具合も問題がない。

「ストラップも買っておかないとな」

 周辺の部品などで金が溶けていく。

 調整に二日かかるので、実際の引き渡しはその後になるという。

 ただ、自分の初めてのギターである。

 それはいいのだが、どうやら店長であったらしい店員が、左利きのギターを出してきては、調子を確認するためと言いながら暁に弾かせている。

 そしてうっとりとしている。

「ギターは弾いたらほしくなるからなあ」

 俊はそう言うが、そもそも暁には先立つものがないのである。


 穏健なレスポール派である暁だが、他のギターが弾けないというわけでもない。

 ただ体が完全に、今のレスポールにフィットしてしまっているのだ。

「ん~、やっぱりストラトは体に合わないなあ」

「ジミヘンを目指さないのか?」

「ジミヘンは確かに天才だけど、変態だしギターを大事にしないから嫌い」

 まああの年代のロックスターはl、普通にギター破壊程度のパフォーマンスはやっているが。


 暁の弾く音は、基本的に伸びやかであるが厚く、そして重い。

 もっとも意識的に、跳ねるように軽く弾くことも出来る。

 ただその場合も、音の芯が伝わってくる感じはするのだ。

 これはもう才能とかではなく、とことんギターで遊んできた人間が、その結果に到達できる境地であろう。

 もちろんある程度の才能は必要なのだろうが。




 姪の買い物に付き合った文乃は、ここで別れた。

 そして五人は、少し移動してそこらのファミレスに入った。

 この時間帯は、客も少ないので問題はないだろう。

 話し合うのは、次のライブのことである。

 八月の間には、三回のライブは既に決定している。

 CLIPはともかく、他の二つは東京の区内となると。それなりに規模が大きなところである。


 ノイズの認知度は地味に上がってきている。

 そしてリーダーの俊としては、これが最終的な構成である。

 一応管やストリングスというのもあるが、それらはシンセサイザーとPCでどうにかする。

 西園はいまだに、正式な加入などはしてくれていないが。

「正式なドラマー、どうするんだ?」

 あとは月子の兼業のこともある。


 いずれは時間が解決してくれるのでは、と俊は考えている。

 特に月子に関しては、彼女一人がメイプルカラーの中では一人だけ強くなりすぎた。

 本来は月子は、歌スキルに全振りのキャラであったのだ。

 それが今では、センターのルリをも上回る存在感をもって、エースになろうとしている。

 いや、もうなっていると言ってもいいのか。


 アイドルが成功するかどうかは、そのグループのバランスと、あとはエースにかかっていると言っていい。

 メイプルカラーの場合はルリが年齢的にもリーダーでありルックスや存在感も一番。

 アンナはサブリーダーで、ダンススキルが一番高く、振り付けもやっていた。

 カナエやノンノは年下でもあるし、それぞれが一芸持ちであったり、客への対応が上手かったりした。

 月子はあくまでも、変り種枠であったのだ。

 それがここにおいて、その歌唱スキルでセンターの位置に立つようになり、エースになりつつある。

 だがそれで本当にいいのか。


 月子は相貌失認で、ファンの顔もなかなか憶えられない。

 ある程度の不思議ちゃん扱いであったら、まだしも良かったのだ。

 しかし今は歌唱力という一点突破の強みで、存在感を増している。

 それこそシンガーとして、スカウトが来るほどに。

 本人はグループの中の一員としていたいのに。

 相貌失認の彼女が、それでも判別できるほどには、メンバーに対しては愛着があるのだ。

 だが、いずれは限界が来ると、俊は確信している。

 西園のこともだ。




 目の前のライブについて、とりあえず演奏する四曲は決まっている。

 オリジナル二曲に、恒例となってきているタフボーイ。

 もっとも今回は、千歳が歌って月子がコーラスをするという編成になっているが。

 新メンバーとしての正式なお披露目である。

 四曲目は、その千歳の選んだアニソン。

 五曲目も条件はあるが、選んでいいと千歳は言われている。


 そう言われて挙げた曲に、他のメンバーは驚いたものだが。

「洋楽歌えるのか」

「意味とかあんまり分かってないけど」

 日本だけではなく、ほとんどの各国の現代音楽が、世界を席巻できない理由。

 それは単純に、英語で歌っていないからである。

 ただ日本語で歌っても、完全に向こうに伝わる分野もある。

 それがアニソンであったりするのだが。


「まあ超弩級の定番名曲だけど……いくらなんでもジャズはない」

「じゃあ、これならいいでしょ」

 千歳が改めて選んだのは、まさに洋楽のPOPSではあった。

 だが単純にPOPSというのも違うナンバーだ。

「あ~、これならいいかな?」

「俺は問題ないけど、ああ、確かにこれはギター二本いるな」

「こ、こっちも洋楽……」

 月子が頭を抱えていたが、これは全世界的に知られているはずだ。

「しかしどういう順番にするか……」

「あとアンコールはどうする?」

「エリーでいいだろ。今度は千歳がコーラス部分を歌うということで」

 バランス的にはやはり、月子がメインで歌う曲も必要だ。

 実際のところノイジーガールはともかく、アレクサンドライトは明らかに、月子に合った曲になっている。




 他に何か決めておくことはあるか。

「本名でいいのか?」

 それも重要なことである。

 このメンバーの中で、本名で活動しているのは、信吾だけである。

 月子はルナ、暁はアッシュ、俊はサリエリと名乗っている。

 西園もまた、そのまま栄二ではあるが。


 うぬぬ、と千歳は考える。

 本名でやっていて、周囲にバレるのは怖い。

 ただバレた時に、変な名前であっても恥ずかしい。

「まあそれは直前までに考えておけばいいか。あとはチケットノルマも、もう今回の分は捌けてるから問題ないとして」

「単純にギターの腕が足りない」

 暁が断言した。


 リズムギターというのは、基本的にはリードギターよりは簡単な旋律を弾く。

 だがジャカジャカと鳴らしているので、失敗するとすぐに目立つ。

 上手いベースほど目立たず、目立つベースほど失敗している、というのに通じるかもしれない。

「音を減らしてでも、ミスはないように弾いてもらうしかないか」

「あと、ミスしても気にせずどんどんと弾くことかな」

「夏休みだし、練習する時間はたくさんあるね」

 楽器組三人の圧力に、千歳は頷くしかない。


 とりあえず暁の家ならば、二人ぐらいは練習できる防音室がある。

 そこで毎日弾いていたら、簡単なところまでは弾けるようになるだろう。

 今回の場合はあまりにも、時間が足りないものであるが。

「こっちは仕方がないし、俺がリズム弾くわ。全部出来るようになるのは時間的に無理だろ」

「一日に八時間も練習すればどうにかならないかな」

「やめろ」

 暁のナチュラルなスパルタに、信吾がストップをかける。


 ギターの練習は初心者は、最初は肉体的に無理がある。

 指がベコベコにマメだらけになるのだ。

 暁の手を見ても、右手の指はもちろん、左手も相当にカチコチになっている部分がある。

 これは指で弾いている時もあるからだ。


 まず洋楽の方は、とにかくリズムでも弾くパートが多すぎる。

 よってここは俊がギターを弾く。

 ただもう一曲の方は、リズムもさほど弾くことはないので、千歳も頑張ってもらおう。

 他にもギターのイロハは、暁が教えるのがいいだろう。

「夏休み中も、軽音部は少し活動してるんだけど」

「じゃああたしも行くよ。なんだか三橋先輩も来てくれていいって言ってたし」

 一方的に嫉妬していたらしい京子とは、和解が成立している。


 日数的にもだが、あとは全体で合わせられる時間が少ない。

 はっきり言って千歳が、一番圧倒的に下手であるのは間違いない。

 だがリズムギターを弾いてもらえば、格段に音に厚みが出てくるのだ。

「あとは夏休み中の目標は、フェスとかの辞退したところに出場したいってぐらいかな」

「それはさすがに難しいぞ」

 信吾がそういうのは、もう単純に千歳のギターの問題である。

 この中では楽器演奏としては、完全に足を引っ張っているのだから。

 それでも千歳のギターにこだわる俊の気持ちは、いまいち納得できていない信吾であった。

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