第52話 君の名は
ほどほどに自由で、だがまだ完全には自由ではない高校生の夏休み。
高校生になれば何かが変わるのかな、と漠然と考えていたのが、春休みに入る前の千歳であった。
自分の学力で入れる中では、まあ妥当な高校に入ることが出来た。
中学時代からの、仲のいい有人も何人かいたのだ。
そして軽音部でも、普通に友達は出来た。
夏休み中も、軽音部は活動している。
ただこの時期は空調を使える教室に限りがある。
音楽室でガチャガチャとそれぞれが音を鳴らす。
それなりに練習もしているが、全体的にはまったりとした、ガチでやっている人間は少ない。
昨今では同じ音楽なら、ダンス部に人数を取られているぐらいである。
まだそれほども集まっていない音楽室の扉を開いて、女子が二人入ってきた。
千歳は普通に新入部員の一年生として知られているが、その後に続く暁は二度ここにやってきただけなので、知らない者も多い。
「あれ? ちー、その人は?」
「同じクラスの安藤さん。ちょっとあたしの先生してくれてるんで」
「うん? そういえばライブハウスでヘルプしてくれてた人?」
あのライブを見に行った、軽音部の部員は多い。
そしてあまりいい出来でなかったことも知られている。
最後の千歳の歌った曲だけは、それなりに受けたが。
暁としては一刻も早く、千歳のギターの腕前を上げなければいけない。
幸い本人にも、向上心はある。
「それじゃあ早速やろっか」
暁は部屋の一画に陣取って、アンプなどの準備をする。
自分で持ってきたので、普段のものとは違う。
音がどうのこうのではなく、それ以前の問題として千歳のギターのレベルを上げる必要がある。
スマートフォンから音源を鳴らしつつ、それに合わせてギターを弾いていく。
黄色いレスポール。
TVイエローとも呼ばれる、レスポールながらもハムバッカーをピックアップに使っていない個体。
ただ暁のレスポール・スペシャルは本当におかしな音が出る。
リードギターを弾くのには丁度いい、個性を感じさせるギターなのだ。
今度のライブで弾く、六曲を弾いて見せる。
そして次には、千歳に弾いてもらうパートを弾いていく。
急に現れた一年生が、とんでもなく上手い演奏をしていく。
それは色々な思考を奪ってしまうものであった。
とにかく技術的に上手いだけではなく、何かを伝える響きがあるのだ。
一通り弾いた後に、千歳に弾かせる。
同じ曲とは思えないほど、印象が違って聞こえる。
もちろん使っているギターの差、というのもあるだろうが。
「うん、間違っても最後まで弾いて」
そんな千歳の使っているギターが、備品とは違うものだとはすぐに気がついた。
テレキャスターだとはフォルムで思うのだが、ピックアップの部分が違う。
弦の振動を電気的に替えて拾うピックアップが、テレキャスターの分かりやすいものとは違っている。
またトーンやボリュームのスイッチも違う。一般的なテレキャスターは二つである。
「少し休憩にしようか」
それまでは二人のうちどちらか、あるいは両方がずっとギターを弾いていた。
暁は平然としていて、トイレに立つ。
だが千歳の方は、指の痺れもあって、がっくりと椅子に座ったままである。
「ちょっとちー、どうなってんの? ギターもこれ、買ったの?」
小学校時代からの、幼馴染が話しかけてくる。
もっとも今は、家は遠くなってしまったが。
「あ~、うん。アキ……安藤さんのバンドに入って」
「え、マジ? 学外のバンド?」
「そこのレベルがあたし以外高すぎるんだよ~」
あ~、という顔をする友人である。
そこからはギターの話になる。
これまで使っていたギターは、まさに初心者向けの安物ギター。
もっともそれでも、本当の初心者が練習するのには充分であるのだ。
千歳が買ったのは、機能的なこともあるが、電装系などが劣化していないもの。
新品だからこそ、劣化は最低限。
それでも調整をしっかりとしてもらってから、購入したものである。
楽器の中でもギターなどは、新品であっても状態が変化しているものがある。
他のメンバーの中でも、ギターを弾ける人間に共通して言えるのが、楽器は実際に弾いてから買え、というものである。
中古であろうとなんであろうと、まずは触ってみないといけない。
もちろん顔見知り以上の関係である人間からなら、ある程度信用して買ってもいい。
ただ千歳はこれから、ギターとの関係を築いていくのだ。
ノイズについて調べていた友人たちは、SNSやブログなどから、色々と情報を引き出してくる。
「うわ、歌ってみたの人、フォロワー数えげつな」
「リーダーのサリエリって人のボカロ発表曲もすごいよ。なんだかもうほとんどプロじゃん」
「ベースの人もインディーズの有名バンドからの移籍って、安藤さんがギターなの? ここはあんまり有名じゃ……アッシュっていうの?」
やはりこうやって注目されてしまうが、暁は弾いてみたもしていないし、ブログでの紹介も多くはない。
未成年である二人が、あまり注目されないように、という配慮もあるのだ。
そこへ暁が戻ってくる。
「指はまだ大丈夫?」
「かなり痛い」
「最初は皆、そうなるらしいから。本気でやっていれば」
「アキも?」
「あたしは憶えてない」
言葉を喋るより早く、ギターの演奏をしていたという逸話。
それはある程度の誇張があるにせよ、そんな頃からギターを弾いているので、指の皮も頑丈にはなっているのだ。
「あと、他にも教えてほしいっていう人がいるんだけど」
聞いていれば分かるが、暁のギターのレベルは違う。
それはいつの間にか来ていた京子でさえも認めるものだ。
だがこれに対して、暁は首を傾げる。
「あたしの場合、先にギターを弾いてて、後からコードとかスケールとか学んだから、あんまり参考にならないんだけど」
千歳に教えているのは、あくまでも次のライブの曲であるからだ。
おそらく他人に教えるのは、俊や信吾の方が上手い。
「とりあえずコードを全部弾けるようになってからかなあ」
「そのコードを上手く弾くコツとかが問題なんじゃない?」
ぱちくりと目を丸くする暁は、コードを弾くのにコツなどいらないと思っている人間だったりした。
周りにいるのが、全員すごい人間ばかり。
その中にどうして自分がいるのか、千歳は不思議に思ったりする。
特別な人たち。
それらが千歳をも、特別な存在と扱ってくれている。
もっともまだまだ未熟なので、そこは指導されている。
「やっぱりもう一曲の方は俺が弾くしかないか」
そう言って俊が持ち出してきたのは、年代物のストラトキャスターであったりする。
「これってヴィンテージじゃねえの?」
「あちこち修理してるし、ペグとかも替えてるから、ヴィンテージの価格にはならないんだよな」
これがまたギターの美術的価値という、おかしなものである。
ヴィンテージギターというのは、当然ながら本来のパーツが揃っている方が望ましい。
ただし本物の58年物などになったりすると、ちゃんと弾いていたギターであるほど、ペグを交換していたり、ピックアップも修理してあったりする。
58年物の完全にパーツが揃っていて、さらにちゃんと楽器として機能するレスポールなどであれば、数千万円もする。
しかしどこかが壊れていて、パーツをオリジナルの物以外に換えていると、評価額の桁が一つ変わったりする。
ギターであるのに、弾けないオリジナル製の物の方が、値段は高い。
まさにコレクションアイテムである。
そういったギターを、元はたくさん持っていたのだが、遺産相続で処分した結果、ちゃんと使えるものはほとんどが、パーツを交換したものなのである。
本来この曲は、ギターが三本必要なのである。
なので千歳にも、簡単な部分は弾いてもらうしかない。
「間違ってもそのまま飛ばして弾けばいいから」
そう言う俊も、この曲の原盤の音を聞くと、ちょっと自分で弾くのが嫌になる。
ソロを弾く暁よりはマシであろう。なにしろこの部分は、エドワード・ヴァン・ヘイレンが弾いているのだから。
ただ合わせてみても、そのソロを楽しそうに暁は弾いている。
楽しむと言うよりはもう、暁にとってギターを弾くのは、三大欲求の一つであるかのようだ。
ステージで弾いている時のキマった表情などを見ていると、おそらく性欲よりは上位にある。
思えば暁はライブハウスデビューも、全く臆したところがなかった。
中学生に間違われることもあるちっこい体ながら、そのアクションの激しさはすごい。
もっともジャンプや寝ギターなどといった目立つことをしているわけではない。
アンガス・ヤングのように縦横無尽に動き回るということでもない。
ただ、そのギターの旋律がそのまま、体を動かしているようにユニゾンしているのだ。
楽器の演奏に関しては、千歳一人のレベルが低いため、ぶっちゃけ足を引っ張っている。
ただ歌わせた時の声の存在感は、俊が固執するのも分かるところだ。
月子の声と上手くハーモニーとなるところも、その歌の厚みを何倍にもしてくれる。
ギターの演奏に関しても、確実に上達はしている。
(完成度はむしろ落ちたけど)
そう信吾は考えているが、俊の想像しているであろう完成形が、彼にもようやく見えてきた。
ライブバンドとして上に行くには、千歳が必要だ、というのは間違いない。
この日も三時間ほどを、俊の家のスタジオで練習した。
「なんか指の肉がなくなりそう」
「それだけ確実に上手くはなってるからな」
初心者のうちは、それなりに上達が早いのだ。
特別に上達が早いという、天才性は感じさせない。
だが練習がそのまま、ちゃんと結果につながっている。
壁が見えてくるのは、まだかなり先のことであろう。
思えば自分は早熟だったんだな、と俊は思う。
ピアノもヴァイオリンもギターも、それなりに早く弾けるようになった。
ただちょっと壁が見えると、急激にその上達速度は落ちた。
もちろんその間に、ドラムやベースに浮気していた、ということも関係するが。
ピアノとベースはそこそこ弾けるのだが、専門的にやっている者には敵わない。
次のライブの演奏順も、ここでしっかりと決めて、MCを入れるタイミングも考える。
「そういや、MCってずっと俺がやっていていいのか?」
「どうなんだろな。うちは女子三人がフロントっていう珍しい構成ではあるけど」
信吾は以前から、MCなどはやっていない。
そして女子三人の中では、月子は明らかに向いていない。
暁は、やってもいいのだろうが、どうして自分がというものである。
するとやはり、リーダーである俊ということになるのだろう。
それと、そろそろ決めないといけないことがある。
千歳の芸名である。
別にそのまま、信吾のように本名でもいい。
暁もミドルネームを愛称にしただけだし、その意味では俊のサリエリが一番本名からは違うが、これはボカロPをやっていた頃からそのまま使っているのである。
知名度を考えれば、これを今さら変える意味はないだろう。
果たして千歳はどうすればいいのか。
本名のままでも、それほどおかしな名前ではない。
だが本人が、それに難を示した。
叔母の影響もあったのか、PNのようなものに対する憧れがあったとも言える。
なんだかもう一人の自分になるようで、かっこいいではないか。
「一応、二つまでは絞ってきたんだけど」
ぺらっとした紙に、千歳はそれを書いてきた。
「あたしの名前の千歳って、そのままだと千歳で長い時間っていう意味じゃん? それをさらに長い時間と考えたら」
トワかクオン。
漢字であれば永久か久遠ということになる。
なるほと自分の名前に、しっかりとルーツを持っているということか。
変に自意識の高かった俊が、はっきり言って一番かっこ悪い。
若さゆえの過ちだと言えよう。だが本名でやるのは、ちょっと問題があったのも確かなのだ。
ふむ、と他のメンバーは考える。
「俺たちの意見を聞きたいのか?」
「どっちがいいのかもう、自分だと分からなくなってきて」
「俺はこっちかな」
「俺もこっち」
「わたしもこっちで」
「あれ、あたしもこっちがいいと思うんだけど」
なぜか全員、トワの方を選んでいた。
不思議なものであるが、理由が分からない。
「クオンだとクオ・ヴァディスを連想してしまうから、俺はこっちを選んだんだけど」
正確な発音だとクォ・ヴァディスの方が近いのだろうか。
ラテン語で「(主よ)いずこへ行き給うぞ」というキリスト教に関連した言葉になる。
他の三人は、単純にクオンであると呼んだ時、最後のンが発音しにくいのではないか、と思ったのだ。
それにしてもサリエリ、ルナ、アッシュ、信吾ときて最後にトワであるのか。
一応トワも日本語っぽいが、信吾だけが漢字で浮いている。
「栄二さんを引き入れられれば、二人になるじゃん」
信吾はそれなりにこの名前で認知されているので、今さら変えるわけにはいかない。
ともかくこれで、芸名は決まったわけである。
「あ、そんで普段はちーって呼んでほしいかな」
「お、了解」
メンバーは揃って、ガワも出来てきた。
あとは六人がそろっての、CLIPでのライブを待つだけである。
千歳にとっては、実質これがライブバンドとしてのデビューになるのだ。
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