第164話 3rdステージ

 わずかな雲が、時折強烈な日光を遮る。

 それでも30℃を軽く超える気温に、頭からタオルをかぶっている人々も多い。

 ステージに上がってきたノイズメンバーが目にしたのは、思ったよりもはるかに多いオーディエンス。

「5000人以上は軽くいそうだな……」

 信吾の声は少しかすれている。

「……18000人ぐらいかな」

「なんで分かるんだ?」

「10人いる面積を10個集めて、それをさらに10個集めたら、1000人になる。だいたいそれが18個あるから」

「なるほど」

 俊の計算の仕方はザルであるが、別にどれぐらいの人数であっても、これまでで最大なことには変わらないのだ。


 スタート10分前。

 機材をセッティングして、チューニングを合わす。

 機材スタッフとの確認をして、アンプなどの最終調整を行う。

 野天型のライブの常として、どうしても環境が完全には合わない。

 だが音さえ響いていくなら、それでいいのだ。


 終わりの時間は少しずれてもいいが、スタートの時間は合わせないといけない。

 念のためにアンコールの時間も計算しているので、終わりはずれて当たり前とも言えるのだ。

 かなりタイムテーブルは余裕を持って作ってある。

 ただ他のステージの開始に音が混じってしまうので、そこは後から注意される場合もあるが。

 スタッフからの合図により、ノイズのステージはスタート。

『こんにちわ、初めての参加になりますノイズです』

 最前列で手を振ってくれているのは、熱心な古参であろうか。

『MCはあんまり入れずに、ガンガン鳴らしていきます。まずはノイジーガール!』

 ドラムの合図と共に、ギターとベースがイントロを奏でていく。

 なんだかんだ一番人気のこの歌を、最初に持ってくるのはおかしくない。

 モニターにもMVが流されて、そして月子の歌が入る。 

 そのはずが、声が出ていない。


 声は出ている。

 マイクから音が伝わっていないのだ。

 すぐに全員が気づいて、そして演奏を止めることなく、千歳が歌いだした。

 本来はここは、月子のパートなのである。

 だがいきなりのアクシデントにも、ちゃんと対応していく。


 俊はステージ脇のスタッフに目をやるが、そちらも色々と慌てている。

 最後のチェックの時点では、ちゃんと鳴っていたはずなのだが。

 ただツインボーカルというのは、こういう時には機転が利く。

 月子は立ち位置を変えて、千歳のマイクで二人が歌う形になった。




 ノイジーガール。

 こんな閉塞感に満ちた世界でも、騒々しい少女たちは駆け抜けていく。

 二人のパートから、また月子のソロになる時に、千歳はさらに横に移動して、暁のマイクを使う位置に立つ。

 この歌には暁のコーラスパートはほぼないのだし、それよりボーカル二人をちゃんと使うのが重要だ。


 いきなりのアクシデントに、オーディエンスも気づいたであろう。

 だがそこから立て直して、すぐにそれぞれのパートを歌っていく。

(こんなことがあるもんなんだな)

 俊は冷や汗をかいたが、すぐにフォローした千歳はグッジョブである。

 出来るだけ長く、演奏時間には使いたい。


 暁のギターソロパートに入っていく。

 アレンジは今日も激しく、ステージからの熱量を増加させる。

 この夏よりも、さらに熱く。

 暁のギターは疾走感を伴いながら、音を歪ませていく。


 もしもマイクの音が聞こえなかったら。あるいは歌詞が飛んでしまったら。

 悪い想定を、しっかりしているノイズである。

 そんな馬鹿な、などと言ってはいけない。

 月子の脳の機能は、一般人とは異なる。

 悪いというわけではなく、とにかく異なるのだ。

 ボーカルはお互いに、フォローし合えるのが理想的。

 それがまさか大舞台で活きるとは、さすがに俊も思っていなかったが。

 ちなみにこれが楽器であると、俊がシンセサイザーでフォローする。


 最後まで暁のギターが弾ききって、オーディエンスのボルテージが上がっていった。

 だが演奏する側としては、冷や汗をかきながらのステージである。

 俊が脇のスタッフのところへ向かう。

 ならばMCをするのは千歳かというと、こういう場合は信吾と順番も決めてある。

 そんなアクシデントへの対応をわざわざ考えているあたり、やはり俊は純粋なミュージシャンとは違うのだろう。




『ちょっとマイクの調子見てます。それで、次に歌うのは新曲です。うちのリーダー、サリエリの作詞作曲、特に作詞はこういうきついのが、すんなり出てくるのって凄いと思うんですけど』

 そうやってつないでいる間に、俊は月子の持っているマイクを諦め、予備のちゃんと使えるマイクと取り替える。

 微妙な違いまで含めても、時間を無駄にはしたくない。

 千歳のフォローから、上手くオーディエンスはノってきてくれているのだ。

 この勢いを逃してはいけない。

 乗るしかないのだ。このビッグウェーブに。


 俊の作った新曲は、インモラルな作品である。

『新曲、イノセントタブー』

 バラード的な静けさを思わせる、ギターイントロから始まる。

 そして月子の紡ぐ歌詞は、ぶっちゃけ近親相姦を連想させるものなのだ。

 曲自体はむしろ静かな旋律で、オーディエンスの熱を冷ましていく。

 いや、これは冷ましすぎではないのだろうか。


 月子の澄んだ歌声には、そんな歌詞でも聞かせてしまうものがある。

 千歳のパートがこの歌にはないのは、向き不向きを考えてのものであろう。

 ノイズのメンバーの中で、まともな形の兄弟がいるのは、信吾と栄二だけである。

 栄二は兄が一人いて、信吾は兄と、かなり年下の妹がいる。

 自分とその妹の関係を歌詞に落とし込むと、とてつもなく不快になった。

 むしろ兄弟はおろか肉親に恵まれていない、月子だからこそあっさりと歌えると言おうか。

 千歳も千歳で、両親が死んだ時には、かなり親戚から嫌な扱いを受けたものだが。


 美しい旋律と、美しい歌声で、醜悪な歌詞を歌う。

 なんとも悪趣味なことではあるが、実験的な作品ではあるのだ。

 だがこれはあまりライブでは受けないだろうな、と思っていたりする。

 案外こういう悪趣味なものこそ、逆に受けたりしてしまうのだが。

『次行くよ! ツインバード!』

 MCを受け取り、千歳が宣言する。

 ギターをオーダーメイドした、テレキャスタイプに持ち替える。


 ツインリードギターの、鳥が勢い飛び回るような曲。

 暁と千歳の合作であるが、コード進行は暁、メロディラインは千歳が主に作ったものである。

 派手なギターパフォーマンスというものはないが、暁はその演奏自体が派手である。

 動き自体は、千歳の方が色々と取り入れている。

 だが暁は髪ゴムを外すと、そこから本当にバンドをリードする、強烈なギターリフを入れてくる。


 一曲弾き終えて、汗が噴出してくる。

 ライブハウスも暑いことは暑いのだが、この野天の暑さは太陽が肌を刺してくる。

 その中でやはり、暁はTシャツを脱ぐ。

 これはもう一つのパフォーマンスになっている。

 月子は日焼け止めを塗っているが、暁は気にしないあたり、ちょっと心配されたりはする。

 彼女は母親の人種の特徴を少し受け継いで、肌の色が相当に白いからだ。




 ここからが本気に本気を重ねた演奏だ。

『うちのリードギターが本気になってきたところで、これもまだ音源化してない曲いきます。荒天』

 月子のエレキ三味線が、激しく高音と低音を上下する。

 三味線とギターの、激しくぶつかり合いながら、それでいて融合する力。

 月子の透き通った声と、千歳の力強い声。

 表現の幅を広げてくれる、ツインボーカルの力を活かしている。


 俊は熱狂するステージへの声援に晒されながらも、どこか冷静な自分がいた。

(少しずつ増えてるな)

 オーディエンスを逃さないというのは成功していると言えよう。

 そして通りがかった人間が、そのまま足を止めてくれる。

 ボーカルの歌唱力と存在力が、人を引きとめてくれるのだ。

 上手いギターを弾いているのが、小柄な女の子であることも、驚く要因であるかもしれない。

 もっとも暁は確かにノイズで一番小柄だが、他が平均より上ばかりというのもある。

 ちなみに胸の大きさなら、三人の中で一番大きいだろう。ギャップである。

 

 荒天は激しい三味線と、ギターのソロが見せどころなのだ。

 もっともこれは、霹靂の刻から生まれた要素であり、完全な俊のオリジナルというわけでもない。

 やはり優れたアウトプットは、貪欲なインプットからしか生まれない。

 だがこの曲はジェットコースター的な面白さを意識して作ったものだ。

 霹靂の刻はこれよりも、もっと不条理な大自然のイメージを持っている。


 荒ぶる旋律は、月子の三味線から奏でられる。

 先ほどのツインリードギターにも似て、暁のレスポールが咆哮する。

 月子の厚みのある声に、千歳がハーモニーで被せていく。

 少しずつアレンジが変わっていく、それが霹靂の刻である。


 連続した、MCの少ないパフォーマンス。

 既に暑さだけではなく、演奏の激しさによっても、メンバーは汗が滴っている。

 その中では比較的、動きの少ない俊でさえも、熱気にあてられている。

 ペットボトルの水を用意しておいたのは正解であった。

『普段は、けっこうカバーもやってるんで、せっかく夏のフェスなんで、一曲カバーしていきます。プリンセスプリンセスの、世界でいちばん熱い夏』

 キーボードもいるため、実はノイズとは相性のいい楽曲が多い。

 80年代から90年代の、代表的なガールズバンドであった。


 なんだかんだ言いながら、ほとんどラブソングをやらないノイズであるが、カバーならば別だ。

 かなりこじらせている俊と違い、世間はラブソングが好きなのだ。

 もっともこの曲は、あまりラブソングという要素はないだろうが。

 人数の半分が女性というノイズは、男女の両方のファンが存在する。

 こういうガールズバンドの曲は、千歳の方が上手く歌えたりする。

 しかしツインボーカルであると、ハーモニーという手段も使えるのだ。




 おおよそ時間の半分が過ぎた。

 まだ半分が残っているのに、既に汗だくになっている。

 暑さもあるが、全員が飛ばしていっている、というのもあるのだろう。

「すごい……」

 ノンノはかなり後ろの方から、ノイズのステージを見ている。

 それなのに月子の歌と言うか、存在感がここまで伝わってくる。


 あの人と一緒に、ステージで歌い、踊っていたのだ。

 アイドルではないのかもしれないが、月子はまさに偶像になりつつある。

 さっきからこの遠く離れた周辺でも、人口密度が上がっているのを感じる。

 そして少しでも近くへと、歩みを進めていくのだ。


 もう、違う世界の人間である。

 だが、月子は昔と変わらなかった。

 どこかおどおどとしていて、それでいて優しい月子。

 他人の悪口などを言うのが、ものすごく苦手であったのだ。

 そのためかえって、浮いてしまう場合もあった。


 いつかは自分も、ああいうステージに立つことはなくても、立つ人々のために仕事をすることが出来るのだろうか。

 世界はジョン・レノンが死んでもカート・コバーンが死んでもジミ・ヘンドリクスが死んでも回っていく。

 だがおおよその人間には、何かの役割があったりする。

 その自分の役割を、見つけるのは自分自身の力である。

(いつかは……)

 胸を張って、月子の前に出ることが出来るようになるだろうか。

 ノンノを鼓舞するノイズの音楽は、まだまだ続いていく。




×××




 解説

 世界でいちばん熱い夏/プリンセス プリンセス

 日本を代表するガールズバンドグループであり、商業的には日本でもっとも成功したバンドのヒット曲。

 実は一度ブレイク前にレコードでも出していてそちらは売れておらず、ダイヤモンドでの大ブレイク後にCDシングルで発売してオリコンチャート一位を取った。

 なんでもこの年のオリコンチャートの一位がダイヤモンド、二位が世界でいちばん熱い夏と、一位と二位を独占したという。

 作者もプリプリのベストはCDからカセットにダビングして、よく聴いていたものである。

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