第165話 クライマックス

 ボーカルとギターを兼務している千歳が、一番疲れているだろうか。

 暁の場合は時折、止めるまで二時間も三時間もぶっ続けで演奏しているので、そこまでの限界は感じていない。

(暑い……)

 ペットボトルから直接、もう生温くなっている水を頭にかける。

 ギターはしっかりと守って、わずかに頭が動くようになる。


 最初のセットリストの通りであれば、次の霹靂の刻で一応は最後となる。

 だがアンコール用に、二曲用意してあり、一曲はまだ微妙に未完成の新曲だ。

 しかし季節的には、まさに夏に歌うべき曲である。

『アンコールに応えて! 新曲行くよ! レジスタンス!』

 ヒステリックなまでの、ドラムとリードギターの旋律。

 月子の声の音圧が、そのまま拡大されて流れていく。

 

 ノイズというバンドのカラーは、基本的には80年代的な色がある。

 洋楽で言うならば、思想としてはパンクが近いのか。

 ただ反体制的なものではなく、日常への鬱屈を嘆くような歌詞が多い。

 しかしそこでとどまってしまうのではなく、そこから何かを汲み取ろうとする意思を埋め込むのだ。


 単なる発散であるわけではない。

 創造のための破壊であると、多くの歌詞では歌っている。

 若さを単純に美点とはしない。

 30歳になんかなりたくないと言っていた、古い洋楽の思想などはないのだ。

 俊は27歳で死ぬつもりはない。


 レジスタンスはわざと荒削りにした、原点に戻るような曲である。

 洗練させることを、わざと放棄してみた。

 それだけに歌詞も過激なものになるが、あまり行き過ぎると逆に子供っぽい。

 そのあたりのバランスを、俊はちゃんと考えている。

 またこの年のボーカルでないと歌えないであろう、という歌詞も作ったりしている。

 ライブで一度歌ったきりだが、Sixteenなどという歌もあった。

 もうすぐ千歳も17歳になるので、あの歌もお蔵入りになってしまうのかもしれない。




 二曲目のアンコールには、アレクサンドライトを歌った。

 バラード系に入るであろうこの歌は、確かにラストを締めくくるタイプの歌である。

 予定時間を許容範囲で過ぎて、ノイズの演奏は終了する。

 楽屋のテントに戻ってきたメンバーは、全員が汗だくになっていた。

「あ~、シャワー浴びたい」

 一応楽屋の中は、空調が利いている。

 それでも満足できずに、団扇で空気を襟元に送る千歳である。


 暁は自分で脱いだTシャツで、そのまま汗を拭う。

「野天のライブだと、日焼けが怖いんだよね」

 人種の特徴であるのだが、暁はかなり色白ではあるのだ。

 新しいTシャツを取り出して、そちらに着替えた。

 月子もパーテーションで区切られた部分で、ドレスからさっさと着替えている。

「ファスナー降ろして~」

 どうやら汗のため、上手く脱げなくなっているらしい。


 阿部はそんな六人の様子を、しばらく見ていた。

 今日のステージの観客の数は、間違いなく今までで最大のものであったはず。

 他のフェスならある程度、数を数えたりする。

 だがこのフェスは観客の流入ルートが多数あるため、計測しにくいのだ。

「俊、最終的にどれぐらい増えた?」

 それでも信吾の言葉に、俊は熱いままの頭で答える。

「25000はいってないと思う」

「あ~……今年中にどうにか、一万規模のとこで出来ないかなあ」

 信吾としてはそれぐらいを求めても、もう大丈夫なのではと思っているのだ。


 俊もおおよそ同意見である。

 ただ上手く客が集まる会場を、いい感じの日程で押さえるのは、かなり難しいはずだ。

「阿部さん、今からなら来年の武道館って無理かな?」

「日程によるでしょうね」

 俊の問いにも、即座に阿部は答えてくれる。つまりもう検討はしていたのだろう。


 武道館ライブというのはビートルズに始まり、一つのアーティストの区切りとなる。

 また実績があればそれなりに、押さえやすい場合もあるのだ。

 とはいえレコーディングバンドがまた、ライブに戻ってきているのが今の時代。

 たとえば新たなムーブメントであったボカロPやVtuberも、今では多くライブを行っている。

 人を動かせば金が動くのだ。




 ノイズは間違いなく、ライブでパワーを発揮するタイプのバンドだ。

 特に女性陣が花開くのが、ライブであることは間違いない。

 ただ一気に一万人規模の会場を押さえるのは、かなりの難易度がある。

 金を動かすためには、まず金がなければいけない。

 チケットも高くなるであろうし、それがちゃんとはけるのか。

 もっとも武道館などは、比較的ペイしやすい会場であるのだ。

 なお一番赤字になりやすいのは、東京ドームである。


 幸いと言うべきか、ノイズのメンバーの中で東京ドーム公演を希望している人間は一人もいない。 

 千歳などは単なる好奇心で、どうなのかと話していたことはあるが。

(武道館は難しいとしても、関東の近隣)

 千葉、埼玉、神奈川あたりには、大きな会場がいくつかある。

 もっとも交通の便を考えれば、武道館は相当にペイしやすい会場なのだが。


 これが巨大アイドルグループなどであったりすると、三日連続でドーム公演を行い、グッズなども売りまくってペイすることもある。

 だがノイズではまだ不可能と言うよりも、単独のバンドでペイする興行を行うのはほぼ不可能だ。

 見栄と宣伝のために、赤字覚悟でやるということもあるが、それはノイズの方針ではない。

 芸能界においては、かけはなれた四字熟語。

 質実剛健という思考が、俊の頭の中にはある。

 煌びやかな芸能界の中でも、特に派手なポピュラーミュージックの中で、何を言っているのかという話だ。

 しかし硬派を前面に出しているバンドというのはあるのだ。

 硬派にこだわっている時点で、それは別に硬派でもないと、俊などは考える。


 音楽というのはある程度、感性の世界である。

 その中で俊は、理論を重視する。

 さほど影響を受けたとは思っていないが、メソッドを重視する母親の姿を見たからであろうか。

 またピアノやヴァイオリンを習ったというのも、間違いなく蓄積されている。


 自分の中に作られた、形式を破ること。

 それはまず形式の中で、しっかりとした技術を得てから行う必要がある。

 俊は幸いにも、そういう教育を受けることが出来た。

 ただ完全に自分の音楽を作るというのは、月子と出会うまで出来ていなかったわけである。

「あとは他のステージを回っていってもいいけど、どうするの?」

 阿部の問いに、ようやく回復してきたメンバーは顔を見合わせる。

「ヘッドライナーのバンドとかより、その手前が見たいかな、あたしは」

 暁の言葉に俊も頷く。


 フェスの主演、つまりトリを務めるヘッドライナーは、まさにレジェンドとも呼ばれるミュージシャンが選ばれる。

 特にこの最終日である三日目は特別な意味を持つ。

 このフェスの場合は国内のミュージシャンをメインにしているが、他のフェスでは洋楽の一昔前のレジェンドなどを呼ぶことも多い。

 人気が最高潮という絶頂期のミュージシャンは、ギャラもそれなりに高額となる。

 それならば国内のミュージシャンに還元した方がいい、という考えがこちらなのだ。

 主催が主に国内の音楽業界に根を張っているというのもある。




 このフェス全体がどうであったかはともかく、ノイズの公演に関しては成功であった。

 間違いなくステージでオーディエンスを引きつけたし、ネットを使ってエゴサしても、かなり注目度が上がっているのが分かる。

 もっともやはり、思っていた通りに、普通の意味でのノイズと混じってしまっているのは確かだ。

 その場合はフェスの名前と組み合わせて検索しなければいけない。


「改名はなあ……」

 以前にも思ったことだが、後回しにしすぎていた。

 今さらどうこう考えるよりも、目の前にあるステージに意識を向けるべきであろう。

「私はここで、色々と調べておくわ。何かあったら連絡するから」

 阿部がそう言ってくれたので、ノイズのメンバーはステージを見に向かう。

「どこに行く?」

「ヘッドライナーのパイレーツはもう、飽きたと言えば飽きたよな」

「MNRが今は一番勢いがあるんじゃない?」

「そうだな。確かに」

 暁の提案に、メンバーの意見が一致した。

 確かにMNRは、現在の覇権バンドと言えるであろう。


 デビューから三年、そして去年には大ブレイク。

 俊から見ても、かつて目指した方向性にある音楽だ。

 歌詞のイメージと曲調がマッチして、そして電子音も使った四人組。

 ここもボーカルは女性であり、他の演奏を男性がしているという特徴がある。

 このあたり俊は、複雑なものを感じているのだ。


 音楽のムーブメントにはバランスというものがある。

 女声ばかりでは飽きてきて、男声を求めたりするという、自然な動きだ。

 ブラックマンタもそうだが、MNRも女声によるバンド。

 そしてノイズも女声ツインボーカルというあたりで、後追いのイメージがないではないのだ。

 もっとも去年のMNRの大ブレイクは、さすがに俊も予想していなかったことである。


 ステージでは堂々の1stステージで、かなり後ろの方からしか見えない。

 ギター、ベース、ドラムという構成で成り立っていて、あとはエンジニアが電子音などは調整しているはずだ。

 なので正確には、五人組のバンドと言った方がいいのだろうか。

 ただその五人目は、表に出てくることがない。

 そこもちょっと不思議なところであるが、俊が表に立たなくなったら、ノイズも似た感じになるのかもしれない。




 確かここは六万人が集まってこれるはずだが、おそらくそれをずっと上回る人数がいる。

 対面にある2ndステージにまで溢れれば、倍近くは聞けるはずであるのだ。

(なんというか、これも唯一無二の声だよな)

 甘ったるさを含んでいるが、同時に突き放すようでもある。

 彼女にしか出せないボーカル、というまさにそんな声なのだ。


 大きなステージであっても、安定していて全く動揺を見せない。

 ノイズよりも20分以上長い時間を与えられているが、それでも全く飽きないほどに、上手く盛り上げていく力がある。

 今後数年は、おそらく頂点に立つのではないか。

 それこそ今年、武道館ライブも控えているのだ。


 遠い。

 はるか彼方のステージに見える、この距離さえもが現実に比べれば近いもの。

 同じフェスに参加できているとはいっても、あちらはおおよそ誰もが知っているバンドだ。

 名前を知らなくても、曲を聴けば分かる。

 そういうものを国民的なバンド、その年を代表とする歌、などと称するのだろう。


 ミュージカルパイレーツも長く第一線にあったバンドではあるが、もう固定ファンが予定調和で盛り上がっているというイメージしかない。

 もちろんその膨大な固定ファンが、ずっと支持していることが、すごいことではあるのだが。

 なにしろ俊の父の、マジックアワーが活躍する前から活動をしている。

 そして一時的にムーブメントの主役を奪われたように見えても、長い息で活動が出来ている。

 ああいうバンドもまた、一つの形ではあるのだ。

 ビートルズとローリングストーンズを比べるようなものであろうか。

 そして俊は、ストーンズよりもビートルズになりたいと考えるような人間だ。


 MNRのステージが終わった後、ノイズのメンバーはテントに戻った。 

 夕暮れが近づいてきていて、いよいよヘッドライナーの登場を待つ時間帯となる。

 普段は自分たちでやっているセッティングだが、さすがに今回のフェスの規模では、ローディーを雇って運搬はしてもらった。

 なので機材の一部を持って、ノイズの面々はそのまま、バンに乗って帰ることが出来る。

「俊さん」

 沈黙していたメンバーの中で、一番自己主張の下手くそな、月子が声を出した。

「わたしも、あんなふうに歌いたい」

 アイドルというステージから、一人のボーカリストへ。

 生き方を変えた月子が、明確に自分の意思を示す。

 彼女は、あそこが手の届かない場所とは思っていない。


 俊はその言葉に、背中を押されたような気がした。

 何度も何度も、自分の才能の限界らしいものを感じさせられ、折れそうになっていた。

 今のノイズの成功は、このメンバーがいるからだと分かっている。

 その中で自分が、これからどう舵取りをしていくか。

「……あと一年は必要ね」

 返答したのは俊ではなく阿部で、彼女の目にはある程度、成功へのルートが見えている。


 ノイズの紡ぐ騒音は、人々の中で大きなものとなっていく。

 この夏はまだ、終わっていない。

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