第355話 古都

 京都はかつての都だが、大阪も実質的に日本の中心であった頃がある。

 豊臣秀吉が大坂城を作ったのは、戦国時代を終わらせるような時期。

 それ以前から経済の大拠点ではあったが、江戸時代などは天下の台所などと言われていた。

 都道府県の区分では、府にになるのは京都と大阪のみ。

 なお古い名前では大坂の方が正しいらしいが、現在は大阪に統一されている。


 京都とはまた違った意味で、観光地としては面白い。

 だがコテコテの関西人というのは、そうそう見られるものではない。

 それは東京で、下町の江戸っ子を探すような感覚なのだ。

 つまりいないわけではないが、どんどんと少なくなっている。

 京都ぐらい徹底して祭りなどを保存していけば、確かに守られるかもしれない。

 だが実際に住んでみれば、自分の生活にはあまり関わらなかったりするものだ。


 もちろん月子は普通に、自転車で京都市内を動き回った。

 市内を移動しようと思えば、地下鉄と自転車を併用するのが一番早い。

 バスもあるが、あれは渋滞に巻き込まれて、意外と予定通りにはいかないのだ。

 折りたたみの自転車を持って、動き回っていたのが高校時代。

 その移動する途中に、普通に1000年前の神社や寺があったりする。

 ただ本当にその時代からあったのか、それとも再建されたものなのか、月子は興味がなかったので分からなかった。


 まずは大阪入りして、ライブの準備を行う。

 一日だけのライブというのは、そのためだけに設営をするということで、あまり予算効率がよくない。

 それでも俊は地方での、ノイズの人気を過信しない。

 もちろんチケットが早々に売り切れているので、そこは信じているのだが。

 東京まではさすがに無理でも、大阪までなら行けるという西日本のファン。

 だがノイズは千歳が大学を卒業してからは、かなり活動の自由度が上がった。


 学校に行きながらプロとしても活動、というのは暁と千歳が高校のころは、本当に不自由であったと言っていい。

 プロモーションのことを考えるなら、千歳には大学にも行ってほしくなかっただろう。

 しかし俊はメンバーに対して、何が本当に必要なのかを考えている。

 そもそも自分の計算だけでは、自分の想像の範囲内のものしか生まれない。

 才能というものの使い方を、ようやく俊は理解してきた。

 自分にある才能は、他人の才能に乗っかることだ。


 千歳はミュージシャンとしては、やはり相変わらず能力的には低い。

 生まれ持った声質に、俊たちから受けた影響でもって、今はトップバンドのデュオボーカルとなっている。

 周りが凄い人間ばかりなせいで、いまだに謙虚な気持ちではいる。

 だがさすがにもう、ギターの演奏もお荷物などにはならない。

 声質が独特のため、ソロでも歌ってみないか、という提案なども受けた。

 ただ千歳はそういった判断を、自分一人ではしないようにしている。




 才能に対する考え方が違う。

 ノイズの人間の中で、自分が天才だと思っている人間は、一人もいない。

 傍から見ると明らかに天才なのは、月子と暁であるだ。

 信吾と栄二は純粋に、練習量の蓄積が違う。

 もちろんある程度の才能がなければ、ここまで音楽を続けることは出来なかったろう。


 俊はやはり天才と思われているが、実際は小器用を極めたような存在だ。

 インプットを多くして、アウトプットにつなげる。

 少なくともノイズのメンバーは、俊を単純な天才とは思わない。

 そもそも才能というものは、多大な努力の結果に過ぎない、と考えるだろうか。


 それに比べると千歳は、天才でも努力でもなく、個性と呼んだ方がいいだろう。

 生まれ持っての声質に、感情を声に乗せていける力。

 ボーカルだけは万人に一人の個性、というものがあると思う。

 ただそれは才能とはまた別のもの。

 そしてそれに感情を乗せていけるのは、千歳の人生の蓄積があるからだ。


 不幸であれば不幸であるほど、音楽は輝く。

 そんな極端なことは言わないが、衝撃的なインプットが多ければ、それだけ表現というアウトプットも多くなる。

 もちろん普通の人間が、そんなにたくさんの経験を出来るはずもない。

 インプットに加えて、想像力。

 これがあまりに感性が鋭すぎると、精神を病んでしまったりする。

 俊から見ると千歳は、自分と似たようなところがあると思う。

 ただし自分とは違い、楽しみながら行っているのが千歳だ。

 俊はもう、楽しいとか楽しくないとか、そういうレベルで音楽をやっていない。

 音楽をやることが、もう自分の生きている理由になりかけている。

 

 人生は音楽をするためにあったのか。

 ほとんどの人間にとって、音楽は消費するものである。

 今の時代、音楽によって世界を変えられるなど、思うはずもない。

 だが痕跡は残すことが出来る。

 そして人気が出れば出るほど、音楽以外の面も注目されてしまう。


 そういう意味ではスター性が一番あるのは、月子であったろう。

 人間はスターに、欠点があった方が、より強く感情移入する。

 読解障害や相貌失認といった、人生におけるハンデキャップ。

 もちろん本人は今でも、どうにかしたいとは思っている。

 アメリカでも診断されたが、脳に関しては分かっていない部分も多い。

 一部の機能が停止しても、他の部分が補うことがあるのだ。




 今回は関西の大きなステージとなった。

 これまで万を超えるステージは、フェスを除けば在京圏でしか行っていない。

 ここでの展開次第では、次は九州でやってもいいかもしれない。

 あとは北ではどう動くか。

 北海道でやるならば、やはり札幌ということになる。

 以前にツアーでやった時には、それほど大きなハコは用意しなかった。

 今ならドームを格安で借りることも出来るかもしれない。


 ノイズというか俊の戦略は、売れるために当たり前の選択をすることと、その前段階の準備である。

 阿部は石橋を叩きすぎると思っていたし、信吾や栄二も微妙ではないかと思っていた。

 しかし現実においては、これが一番良かったのでは、というぐらいの売れ方をしている。

 無理にツアーをしなかったし、逆に足が出るぎりぎりぐらいのツアーはやってのけた。

 色々な選択をしていたのだ。

 基本的にはライブを続けていたが、MVを作ったりもしたし、物販もちゃんと作った。

 ライブを続けるという基本は守ったまま、他の選択を色々とやっていく。

 何が受けるかというのは、本当に分からないものなのだから。


 日本の場合は東京のやや東から、北九州までの地帯が、ほとんどの経済圏を占めている。

 ここで売ることを中心に考えて、無理をするのは余裕が出来てからにした。

 驕ることがなかったというのもあるだろう。

 運がよかったのは間違いなく、それはメンバー集めの時点から、ゴートの企画に呼ばれたことまで、色々とあったものだ。

 そういった経験が、選択の間違いを少なくしている。


 大阪のステージは、一万人以上が入る。

 何度かツアーで訪れたのだが、大阪から兵庫のあたりまでは、ノリが東京とは少し違う。

 それでも熱量の高さは同じであり、オーディエンスとの一体感を感じることが出来る。

 これは北九州あたりでも、かなり似た感じを受ける。

 地域的に不思議なことだが、感覚的には間違いないのだ。


 今日のステージもしっかりと、盛り上がってくれている。

 これならいっそのこと、昼夜二回の時間帯でやってもよかったかもしれない。

 演奏するほうは大変であるが、オーディエンスは単純に倍になる可能性がある。

 もっとも時期的に、やはり夏にするべきことだとは思うが。


 週末にライブをすれば、集客力が上がるのは当たり前のことだ。

 もっとも今の時代、土日に働いて平日が休みという人間も多いが。

 それでも今回も、週末にライブを行っている。

 これが平日であると、ハコを借りる金額も安くなったりする。

 集客力の低下と、かけられる予算の低下。

 普通に週末の予約を取るのが難しいことから、どちらを選択すべきかは分かるのだ。


 ステージの上でも、おおよそ考えることは安全策。

 もっとも土台となっている部分は、常に重く安全でないといけない。

 暁がどれぐらい許されるのか、と派手なアクションを起こしてくる。

 それに千歳が悪ノリするが、月子の声はそれを全て包み込む。

 本当に凄みが出てきたな、と俊はもうずっと思っている。

 ボーカロイドではまだ成しえない、人間の魂のこもった声。  

 月子の声には変な雑味は少ないのだが、それだけに感情がストレートに乗ってくる。


 千歳も千歳で、ギターが上手くなってくると、ソロパートを歌うようになってくる。

 月子の声に関しては、これが完成形に近いのかもしれない。

 高音であり透明感もあるのに、圧力を感じる。

 その音圧の分厚さが、ディーヴァと呼ばれるようなものとなるのだ。

 千歳の声はいい意味で、バンドボーカルの範囲にある。

 それでも表現力は、随分と高くなったものだ。




 今日のライブも上手く出来た。

 どれだけライブを繰り返しても、少し場所が違うだけで、プレッシャーを感じるのだ。

 大きなフェスを何度も経験したが、このプレッシャーには下手に慣れない方がいい。

 このプレッシャーに打ち勝とうという心が、より高いパフォーマンスを発揮する。

 俊の場合は常に、自分はただの機械であろう、という思いでいる。

 それでも引っ張られるのだから、女性陣のパワーは凄い。


 昔から変わらないが、ステージが終わればもうヘロヘロになっている。

 楽屋に戻ってくれば、そのまま座り込んでしまう。

 夏場であれば空調があっても、その熱量で汗だくになる。

 床に寝そべっては、その冷たさを感じるのだ。

「う、きた」

 激しいステージの後は、これがやってくる。

 強烈な便意に襲われて、月子はトイレへとダッシュしたのであった。


 体力は問題だな、と俊は思う。

 楽器の演奏を二時間やって、休みを入れながら歌っていって、それで消耗する。

 スポーツ選手からすると、そこまで消耗するのか、と思うかもしれない。

 適当に歌っているだけであったり、俊のように機械的に演奏するなら、それほどの消耗はない。

 だが月子の歌は体の中心の筋肉を使っていて、喉を痛めないように腹から声を出している。

 千歳もそれは同じであり、あとは暁がギターを弾きまくっている。

 もっとも暁は、子供の頃からずっと、ギターを弾いてきたのである。


 体力は何事にも重要だ。

 テンポのゆっくりとした曲であっても、それに込めるエネルギーは莫大なものがある。

 なにせ後ろからそれを見ている俊でも、プレッシャーを与えられるのだ。

 俗にライブ感と言われるものだ。

 休みながらやっているレコーディングと違い、ライブはMCが長くなりすぎるとつまらなくなる。

 上手くセットリストを作成し、飽きられないようにしていかなければいけない。

 そうやってようやく、ここのところは高い位置で安定してきた。


 満足のいくライブが出来た。

 なので次は、しっかりと打ち上げを行うのだ。

 裏方のスタッフは、明日の朝までにセットなどを解体する。

 地味に大変なこういった作業を、ファンの多くは知らないであろう。

 そして知られるべきでもない、とプライドを持って彼らはやっている。


 本格的な打ち上げは、明日の夜に行う。

 スタッフはこれからほぼ徹夜で、作業を続けていくからだ。

 バンドのメンバーは、ありがたいとは思いつつも、ホテルで先に一杯となる。

 ステージの上で消費するカロリーは、半端なものではないのだ。




 ここから一週間ほど、ノイズのメンバーはオフとなる。

 京都のあちこちを観光するわけだが、京都も市内とそれ以外では、かなり交通の便が違う。

 かつて平安京であった都は、おおよそ市内に含まれる。

 ただ少し南下すれば、これまた観光名所のある宇治に到着する。


 おのぼりさんのように、俊たちは行動した。

 そしてこの行動に、俊と暁の息子が、保育園から合流してくる。

 これを春菜に頼んでいたわけであるが、彼女も大変であったろう。

 今のノイズはメイン以外にも、サブのマネージャーが付いている。

 金を使っているなあと俊は思うが、それでもいいパフォーマンスが出来るなら悪くはない。


 子供は元気だ。

 神社仏閣をメインに観光するが、普通に楽しんでいたりする。

 京都は大学も多いので、若者向けの場所も存在する。

 普通に四条烏丸のあたりは、繁華街になっているのだ。

 あとは鴨川沿いを歩いていくと、夜なら本当に等間隔のカップルがいたりする。


 小学校に入ったら、さすがに義務教育になるので、簡単に休ませるわけにはいかない。

 ただ思い返してみれば、自分も幼稚園の頃などには、父が色々と連れて行ってくれていたな、と俊の記憶にはあるのだ。

 公私の区別があまりついていないとも言えるが、子供の目を通して観光をすると、新たな発見があったりする。

 そして広い境内などであると、暁は響と追いかけっこをしたりする。

 俊にはあまりそういう元気はないが、実際に持ち上げてやったりする腕力は、さすがに俊の方が上である。


 月子の準地元であるが、彼女自身はあまり、知ってはいても興味はなかった。

 地元民のあるあるである。

 それでも色々と案内は出来て、キンキラキンの金閣を見に行ったりはした。

「修学旅行で来なかったか?」

「班によって違ったなあ。俺は個人行動で、古本屋とか巡った」

 俊は東京でも、神保町を訪れることがある。


 暁が愛機のレスポールと出会ったのも、京都であった。

 古都などと言われてはいても、普通に繁華街は今風になっているところもあるし、確かに昔のままとも言える作りの家もある。

「あんまり大きな建物はないんだな」

「確か制限があったはずだ。京都タワーは建物は建物でも、タワーだから例外になるんだったかな?」

 ちなみにこの理屈で、東京の高さを抑えた場所でも、東京タワーが建てられたのだ。

 法の穴を突いたやり方であるらしい。


 市内を巡った後は、南の方に行ってみる。

 また今日とは普通に市外にも、寺がたくさんある。

 ただ多くの人が勘違いしているが、一番寺が多い都道府県は、実は京都ではない。

「あ、奈良県?」

「いや、愛知県」

「なんでさ」

「ちなみに近畿に限っても、大阪、兵庫、滋賀の方が京都より多い。あと人口割合別だと全国で滋賀がトップなんだと」

「滋賀県なんて琵琶湖以外に何かあったっけ?」

「比叡山があるじゃないか」

「あれって京都じゃないの?」

 なお月子は地元でありながら、なぜか滋賀県が一番多いという記憶を持っていた。


 おそらく大阪や京都、そして兵庫といったあたりは、もっと他にも色々とあるからだろう。

 しかし滋賀県には、琵琶湖以外にはあまり、目立つものがない。

 ただ短期間ではあるが、滋賀県には都が置かれたことがある。

 また日本の中心という点では、信長の築いた安土城が、この滋賀県にはあった。

 当時は水運が強かったので、琵琶湖を利用できるということは、内陸の移動には便利であったのだ。

 ちなみに豆知識であるが、近畿の府県で甲子園でまだ一度も優勝していないのは、滋賀県だけである。




 京都の観光は、普通に終わった。

 後の方はちょっと、山岳地帯の寺社仏閣を巡ったりもした。

 響は途中で電池が切れるので、俊が肩車をして運んでいく。

 シンセサイザーより重たいものを持ったことがない俊にとっては、それなりの重量であった。

 もちろん機材の搬入では、それよりもずっと重い物を持ったりしている。


 仕事のついでに観光をするというのも、なかなか悪くないものだ。

 アメリカは何度か行ったが、そんな観光をしている余裕はほとんどなかった。

 ニューヨークでは博物館などに行ったが、ニューヨークはとにかく色々とあるのだ。

 普通にミュージカルなども見たし、楽しめる場所ではあった。

 しかし住むのは辛いな、と思ったのはその物価などの値段である。


 日本円にして3000円ほどで、サンドイッチと飲み物の値段になる。

 頭のおかしな価格設定であるが、さらにひどいのは時給が安いということだ。

 ただアメリカは本当に、場所によって物価が違う。

 日本でも東京以外の場所では、かなり物価が安くなっている。

 また地方であればさらに、物価は安かったりもする。


 なおノイズメンバーでは月子が、一番東京から遠い場所の出身だ。

 しかし東京に出てきた時は、本当にプランもあまりなく、肉体労働で働く予定だったのだ。 

 実際に地下アイドルをしながらも、アルバイトを掛け持ちして生活していた。

 グループの他のメンバーは、東京に実家のある人間ばかりだった。

 月子は海の見える土地から、北の寒い土地へ移動し、そこから京都にやってきて、東京に住んでいる。

 一番劇的な人生を送っている、と言えるであろうか。


 人生の経験は、確かに多いのかもしれない。

 だが俊や暁、それに栄二のように、子育てなどをしたことはない。

 田舎ではそれなりに、小さい子の面倒を見たりはしたが。

 淡路島では微妙に、街とも田舎とも言いがたいところに住んでいた。

 ただその頃の記憶はあまりなく、山形での10年間が長い。


 月子はツアーで訪れてから、山形に長期間戻ったことがない。

 祖母の遺産の管理などは、全て叔母がやっていたはずだ。

 もっとも祖母としては、叔母が月子を引き取るなど、全く思っていなかったろうが。

 あのあたりは普通に、工場などがちょこちょことあった。

 中学を卒業したらそこで働くのかな、と月子は思っていたものだ。

 あるいは三味線を弾きながら、誰かの世話になっていたのか。


 もういいだろう、と月子は思うのだ。

 色々なことがあったが、あの頃の心の痛みに、もう向き合えるようになったはずだ。

「俊さん、今度ちょっと、山形に行ってこようかなって思うんだけど」

「そうか。スケジュール調整を、春菜さんに相談しろよ」

 淡々と言う俊であるが、その膝の上では電池の切れた、響が乗っかって眠っている。

 音楽の奴隷と言えるほどの、音楽に対する俊の献身。

 それでも今は、人間らしく父親らしく生きているのであった。

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