第354話 夏の終りから

 ノイズの体制はそれほど変わっていない。

 作曲は大元を俊が行っていて、それぞれのパートが肉付けをしていく。

 最後に全体を整えて、電子音などを使ったりというアレンジを、俊が付け加えるのだ。

 そう、作曲はこのままである。

 作詞の方はかなり、千歳が意見を出すようになってきた。

 大学で学んだことは、それなりに力になっている。

 もっとも文章を読むということは、叔母の影響で昔から好んでいた。

 最近は人間関係で、より小説を読むようなことが多くなっている。


 ステージの上でこそ輝くタイプ、というのが多すぎるノイズは、根本的に変わっていない。

 月子はへっぽこと思われているが、漢字が読めないということを、もう既に自分で分かっている。

 ハンデキャップがむしろ個性になるのは、アーティストだからこそと言えるかもしれない。

 暁はミュージシャンの間でならば、普通に対話も成立する。

 一番普通の千歳が、一番日常では辛かったかもしれない。


 そもそもSNSを出来ない月子や、しない暁と違って、千歳はそれなりに一般的な交流をしている。

 そこで色々と言われるのも、目にしてしまうのだ。

 俊は冷静に距離を置き、信吾はむしろ楽しむ。

 栄二もまたしないタイプである。

 彼は奥さんが音楽系の雑誌などで働いているので、一般的な層の評価と、専門的な層の評価を比較出来る。

 するとどうしようもないものが、世の中にはいると分かってくるのだ。


 夏のフェスもいよいよ終わる。

 俊が提案していた京都旅行であるが、それなら今度はアメリカツアーで観光もしたい、という話が出てきたりもする。

 ただ俊はアメリカでは、フェスに参加すればそこまで、ツアーをする意義はあるのかとも考える。

 市場の大きさだけを言うなら、中国やインドであるだろう。

 しかし中国は海賊盤が多すぎて、コンテンツ事業が儲かる土壌ではない。

 インドはイギリスの植民地だった歴史があるが、土着の文化が今も色濃く残っている。

 よって東南アジアにも影響を広げたいな、とも考えている。


 ボーカロイド・MOONの成功は、地味にノイズの存在の、裾野の拡大に貢献した。

 気に入った曲があれば、月子が自分で歌ってみたりする。

 ただボカロPとしての活動が長かった俊には分かるのだが、人間の声帯では不可能な高音まで、ボーカロイドは発声が可能になっている。

 なのでいい曲だなと思っても、さすがの月子でも歌えなかったりするのだ。

 さらにいいと思った曲は、ライブで演奏したりもしたが。


 現役の人気歌手が、ボーカロイドになるということ。

 この強さに関しては、ボカロPであった俊であっても、想像以上のものであった。

 なにしろ元は自分たちと同じ、ボカロPであった俊が、月子を手に入れたことにより、シーンの最先端に立つこととなった。

 少なくともかなりのボカロPには、そう見えたというわけだ。

 よってSNOWも売れたが、MOONはそれ以上に売れた。

 それによって作った曲が、本家を超えることがなかったが、月子が歌ってみた結果、ものすごい再生数になったものはある。


 中堅ボカロPが一曲か二曲、傑作を生み出すということもあった。

 ただ俊と違うのは、そのクオリティを継続しては出せなかったということだ。

 ある意味で俊には、主体性やオリジナリティがない。

 変わっていくことや取り入れていくことを、普通に行える精神性。

 変にアーティストぶって考えるよりも、よほど時代の流れにマッチしている。

 その時代に特有の鬼子と言われるようなものではない。

 普通に残って懐かしく聴かれ、それでいて多種多様である。




 ノイズは多作なバンドである。

 もちろん多くは、俊がメインで作った曲だ。

 しかし月子が主体となって、和楽器演奏を元ネタに作った曲もある。

 暁もギターが目立つ曲は、大量に作ってきた。

 その多くは没になったが。


 特に最近、千歳が作詞に関わるようになった原因。

 二つ年下の男の子、と言うにはもう成人しているが、その影響があるのだろう。

 舞台音楽のつながりで、知り合うこととなった。

 舞台の脚本を書いたり、小説を書いたりして、そして賞を取っているので小説家なのだろう。

 ただちゃんと本まで出しているのに、まだ小説家とは呼べないと、俊は思っている。

 メジャーレーベルからデビューしなかったから、という理屈ではない。

 俊がそれをプロかどうか判断するのは、それだけで食っていけているかどうかだ。

 ノイズも音楽と物販だけで食っていけるようになるのに、それなりの時間と労力が必要であった。


 脚本を書いて本も出しているのに、脚本家でも小説家でもない。

 おかしな話であるが、アルバイトをしてやっと生活出来ている。

 野球で言えばプロ野球選手だが、まだ二軍の選手であるといったところか。

 もっとも二軍の選手は、普通にそれだけで食っていける。

 ならば独立リーグの選手であるのか、もしくは社会人野球の選手と分類すべきかもしれない。


 ともかく音楽に限らず創作の世界は、それ一本で食っていくのは難しい。

 そんな男のどこがいいのか、千歳は付き合っているわけだ。

 もっとも俊はその小説を読んだので、どこがいいのか分かっている。

 美しいものを書いている。

 ただそれは売れるためには、ちょっと特別なきっかけが必要になるだろう。


 売れるものを書けばいいのに、と俊などは思ってしまう。

 だがそう都合よく、売れるタイプの作品が作れる才能ではないのだろう。

 純文学に近いので、芥川賞でも取らなければ、おそらく小説だけでは食っていけない。

 ただ脚本の仕事もしているあたり、いずれはそちらでも食っていけるようになるのではないか。

 それに千歳の言語選択に、いい影響を与えているのは間違いない。


 あともう少し、それだけにしかない、特別な何かがあれば。

 俊はそれを題材にして、楽曲を作ることが出来るだろう。

 ノイズが元ネタにした小説、となれば少なくとも数万人は買ってくれる。

 それでもたった一作で、ずっと生活出来るはずもない。


 俊は作曲に対しては苦労するが、作詞に対してはあまり苦労したことがない。

 不思議なぐらい簡単に、語彙を選択することが出来る。

 ボーカルの要望に対しても、おおよそは対応して行く。

 新しい境地を見るのだ、と熱く語り合うことはあるが。




「京都はけっこう暑いよ?」

 大阪でのステージのついでに、観光もしようと決めた俊に、月子はそう言った。

 1000年の都でありながら、京都は盆地にある。

 夏は暑くて冬は寒いという、あまりいい条件の場所ではない。

 なのにどうして、都が置かれることになったのか。

 色々と理由はあるが、気候を除けば地理的には良かったからであろう。


 盆地でありながら、あちこちに抜けていく道が作れる。

 東側には川があり、水源ともなっている。

 あとは宗教的な問題もあったりする。

 東に川、北に山、西に道、南に海という条件だ。

 海なんてないじゃないかとも言われるが、昔は巨大な湖であった巨椋池が存在した。

 今では京都競馬場の近くに、その遺構が残っていたりする。


 鬼門の方向には比叡山があり、国家守護の役割を担う。

 奈良に比べれば確かに、交通の便は良かったのであろう。

 ただしそれは攻め込むにも都合がいいということで、京都を舞台に戦闘がなされた場合、守る側がかなり負けている。

 中国の都市に倣ったのはいいが、巨大な城壁を持たなかったのが、敗北の主な理由である。

 戦国時代の始まり、応仁の乱によって焼き払われたのは、有名な話。


 大阪の会場で、ライブは行われる。

 収容人数は一万人以上で、これ以上となるともう大阪ドームといった具合になってくる。

 あるいは甲子園球場になるのだろうが、この時期にはまだプロ野球がやっている。

 東京ドームと違ってそのレンタル料は、さほど高いものでもない。

 もっとも東京ドームも、野球を目的としてものであれば、それほど高くもならないのだが。


 先に観光を済ませる、という選択肢はない。

 ぎりぎりまで練習し、クオリティを上げていくのだ。

 単純に話題性だけを考えるなら、四大ドームでの公演、というのも宣伝にはなるだろう。

 だがドームでの音響などには、あまり信用を置いていない俊である。

 それを言えば武道館なども、最初の頃はひどい音響だったのだが。


 実際のところライブというのは、正確な音楽性を楽しむものではない。

 フィーリングがかもし出すパッションを感じるものなのである。

 ライブバンドであることに、俊は価値を見出している。

 だからこそというわけでもないが、暁が活動休止していた時も、ツアーを行ったのだ。

 あれは本当に、タイミングがどうしようもなく、必要なツアーであったので。


 これから先、千歳が結婚したりして、また月子も恋人などが出来たとする。

 女性の場合はどうしても、妊娠と出産の問題が発生する。

 暁の場合は出産後すぐに、ほとんどを外注してしまった。

 それでも全く以前と変わらず、活動できているというわけではないのだ。




 ドームでやってみたいか、という話になると、眉根を寄せるのが俊である。

 むしろ阿部などは、やってみる価値は充分にある、と思っているのだが。

 あそこでやるとなると、前日の準備と後日の後片付けもあるため、とんでもない金がかかる。

 もちろん会社の金も出すし、スポンサーも付いてくれる。

 それでも三日間やってチケットを売り切り、さらに物販もどんどん売れてくれないといけない。


 フェスであれば五万や六万といった数を相手に、普通に演奏しているノイズである。

 しかし俊のこの、埋まらないことに対する恐怖は、もう根源的なものだ。

 月子はもちろん、信吾や栄二も共感出来る。

 誰もが最初から、売れていたはずもないのだから。

 ただ暁と千歳は、ほとんど最初から強烈な反応を感じていた。

 だからドームドームと、軽く言ってしまえるのである。


 実際のところ、ちゃんと採算は取れるのか。

 他の三万人規模のアリーナでも、複数日公演はちゃんと全て売り切れた。

 そしてこの大阪での公演も、既に事前チケットは売り切れている。

 立ち見の席とシートの席があるが、色々と演出には工夫がされている。

 それこそ演出の問題であるのだ。


 関西でも一万人以上を、しっかりと集めることが出来ている。

 だから東京ドームであっても、おそらくは大丈夫と思えるのだ。

 実際にファンからは、どうしてノイズはドームでやらないのか、という疑問は出ている。

 一応は永劫回帰やMNRと合同したイベントで、演奏してはみたのだが。

 あれは話題性が凄かったため、やる前から成功は約束されていた。


 MNRは現在、ほぼ解散に近い、活動休止中である。

 紫苑と紅旗がそれぞれ、別のグループに入っているのだから、活動再開は難しいと思われる。

 実際のところ俊は、白雪の病気も聞いているため、確かに難しいのは分かっているのだ。

 この三年間で、白雪は毎月のように検査を受けながらも、まだ決定的に症状が悪化していない。

 原因は分からないが、酒をやめたことなども関係しているのか。

 クラブに行ってゆったりとした空気の中、ウイスキーをロックで嗜む。

 死ぬのは怖くない白雪であるが、紫苑にお願いされてしまえば、しぶしぶと食生活や生活習慣を改めたものだ。


 肉を食べるのを控えめにというか、腹八分目を常に意識する。

 そんな節制した生活が、彼女の体調を良くしているのか。

 紫苑と紅旗は結婚したが、二人の新居は白雪の隣りのまま。

 そして生活に関しては、紫苑のチェックが入っているのだ。


 フラワーフェスタがツアーなどをする時は、なぜか俊の方にお願いがあったりもした。

 俊は白雪のことをとやかく言えないほど、生活習慣はでたらめな人間だ。

 ただ子供が生まれた結果、ある程度は生活時間が拘束されるようになった。

 むしろ健康のためには、これは良かったのかもしれない。




 大阪公演の準備に、地下室で何度もリハを行う。

 現地のステージに立ってみないと、わずかな違和感などを解消するのは無理ではある。

 しかし毎回、しっかりと練習するのがノイズである。

 少なくとも練習を適当にして、知名度に胡坐をかくことなどはない。

「よし、少し休憩しよう」

 二時間をぶっ通しで演奏し、やっと少しの休憩を入れる。

 食事でもするか、と地下からメンバーが上がってくる。


 廊下を走って暁に激突するのは、息子の響である。

 勘良く休憩のタイミングになったのを、察知してやってきたのであろう。

 ギターを持っていない暁は、その衝撃を逃すかのように、抱き上げてやった。

「お母さん、一緒にご飯食べる?」

「そうだね、お母さんは一緒に食べようかな」

 渡辺家における家事は、おおよそ全てが外注されている。

 そして食事に関しても、三人分は用意されているのだ。


 ただここには、ノイズのメンバーが揃っている。

「もう一回は通したいし、何か注文するか?」

「近所の中華、けっこう美味いぞ」

 このあたりは微妙に、住宅地なため美味い食事はあまりない。

 あったとしても予約をするようなところだ。

「もうピザでいいんじゃない? なんとなくピザの口になってるし」

「ツキちゃん、最近太ってない?」

「う」

 言われて腹を押さえる月子である。


 仕事が忙しいということもあるが、月子の運動は演奏の練習が多くなる。

 それで疲れてしまうため、外食で済ませるということも多いのだ。

 ならばもう配達で、しっかりとした栄養管理をしてもいいだろうに。

 太ったロックスターというのは、ちょっと見た目の受けがよくない。

「俺と一緒にジム行くか?」

「信吾君と一緒だと、目立っちゃうからなあ」

「いや、同じジムに行っても、一緒に行く必要はないだろ」

 そういう提案もあるのだが、月子は少し自堕落になりつつある。


 運動となると楽器の演奏は、カロリー自体はそれなりに燃焼するはずだ。

 それなのに太っているというのは、食生活に問題があるか、生活習慣が乱れて太る原因になっているか、そのあたりだと分かるはずだ。

 それが分かっていても、改められないのが、今の仕事の入り具合なのだが。

「音楽以外の仕事、あんまり入れない方がいいんじゃないか?」

「でもお仕事とかあると、その後に色々ご馳走してもらえるから」

 それが太った原因ではないのか。


 もっとも太ったと言っても、身長のある月子が5kgといったところだ。

 ならばもっと練習して、脂肪を燃焼させればいい。

「20代も半ばぐらいから、代謝は落ちてる気がする……」

「よし、じゃあ蕎麦でも出前を取るか」

 蛋白質は豆や魚で、あとはカロリーも少し落とす。

 そういった管理をするのも、俊の仕事であった。

「白雪さんとこに行って、一緒に食べたりすればいいだろうに」

「紫苑は確かに手料理作るけど、手間をかけないタイプだから……」

 栄養さえあればいい、と考えるタイプの人間であるらしい。

 白雪はそれなりに、美食も体験しているはずだが。


 家族三人は、用意された栄養バランスの良い食事を摂取する。

 そして他のメンバーは、カツ丼だの蕎麦だのを、出前で注文するのだ。

「こういうのに普通にお金を使えるあたり、リッチになったなって実感する」

 月子はそう言うが、貧乏性自体は、まだまだ残っていると思う俊であった。

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