第326話 ピンチはチャンス

 ミュージシャンが演奏しているとき、本当に集中していると、何かが乗り移っているように感じることがあるという。

 異国の大きな舞台に、プレッシャーがかかりながらも歓声を受けて、演奏は終盤。

 ノイズの中でもどこか、冷めた思考を頭の片隅に持っているのは、俊だけであったかもしれない。

(いい感じだな……)

 熱量を感じる。

 だがフェンスから手を差し出しているオーディエンスは、どこかゾンビめいてもいる。

(ん?)

 俊は敏感にそれを察知した。

(違和感が……)

 残るは一曲で、ハッピー・アースデイを残してある。

 アニメ自体は評判が悪かったが、ノイズとMNRの名前を広めたという点では、充分に意義のあった作品である。


 一応は少しだけ時間が残る配分にしてある。

 もしもアンコールがあったならば、一曲だけはやってみるつもりだ。

 そのために、果てしなき流れの果てに、を許可を取った上で残してある。

 もっともあの曲は編成上、打ち込みとシンセサイザーを使うノイズ以外は、MNRも永劫回帰もオリジナルメンバーでは演奏出来ないのだが。


 ハッピー・アースデイ。

 アニメタイアップとしては、積極的に合わせて作った、初めての曲である。

 作品のカラーは前半と後半でかなり違うが、前半はシリアスな場面こそあっても、基本はコミカルに進んでいく。

 曲調も明るく、自由に大きく幅を取り、音を広げていく。

 歌詞などを聞くと、大切な地球に感謝をというものがあったりするが、別に環境問題などを意識したものではない。

 いや、環境問題は知っている俊だが、欧米の環境問題への取り組みも、排出規制も、おためごかしのものだと知っているだけだ。


 それよりも単純に、この地球があるおかげで、生物が存在するということ。

 そしてその進化の果てに人間が誕生し、歌ったり踊ったりしているということ。

 そういった喜びを前向きに歌ったもので、環境真理教とはいっさい無関係のものである。

 ただスクリーンの映像には、歌詞のメッセージも書かれている。

 目覚めた人々には好ましいのだろうな、という皮肉を俊は考える。


 しかしノイズの歌には、そんな馬鹿げたメッセージ性はない。

 月子も千歳も、そんな意味を教えられてはいない。

 千歳は原作から読み込み、月子には俊が説明した。

 読解障害はあっても知能が低いわけではない月子は、しっかりと理解してこれを歌う。 

 背後の大きなスクリーンには、人類の過去の映像や、発掘された化石など、そういったものが映されていく。


 人間が他の生物と違う、もっとも巨大なもの。

 それは知識の継承である。

 文字を作り、歴史を作った。

 しかしそれから学ばず、多くの悲劇は繰り返される。

 俊は脳みそお花畑ではないが、それでも平和主義者である。

 なにせ人間、余裕がなければ音楽に金など使えないのだ。


 バンドを組んでいた時も、ボカロPとして活動していた時も、俊にはそれが分かっていなかった。

 月子や信吾を居候させて、ようやく分かってきたと言っていい。

 世の中には音楽など、本当は必要ないのだ。

 必要なものが満たされてから、ようやく音楽を楽しむことが出来る。逆ではない。

 もっとも黒人のブルースは、奴隷としての生活の中で、その苦しみから解放されるために生み出された、とも言われているが。

 だからそれは暁に言わせれば、原初のロックなのである。




 SNSでの拡散が、ものすごいスピードで広がっていく。

「ちょ、危ないなあ。って、人多っ!」

 気がつけば自分たちの後ろに、大量のオーディエンスが集まっていたフラワーフェスタの面子である。

「ちょっと集まりすぎだし、怪我しないように後ろ行こう」

 ジャンヌはノイズの音楽を聴いても、それほど飲まれてはいない。

 花音が本気を出したら、あれぐらいはやるからだ。


 拡散されていって、どんどんと他のステージからも客が集まってきたのだろう。

 これは危険ではないか、と思うが花音はステージの方を見ていた。

「ほら、カノも少し下がろう」

 エイミーに袖を引かれて、花音も素直下がっていく。

 だが視線はステージではなく、その少し手前に置かれていた。

「危ない」

 ぽつりと呟いたが、それは雑踏にまみれて聞こえない。 

 しかしすぐに、予知は現実化する。


 花音には他人には聞こえないものが聞こえるし、他人には見えないものが見える。

 五感以外の何かが、未来予知のような能力を与えている。

 母にも不思議な力はあったそうだから、遺伝性のものでるのかもしれない。

 演奏が止まって、ざわめきが広がっていく。

『下がって! 下がって! 人が倒れた!』

 俊の叫びはさすがに、切羽詰ったものになっていた。


 ステージ最前列の柵が、あまりにも押されていた。

 警備の人間はそれを止めようとしていたのだが、それがオーディエンスには聞こえない。

 後ろからの力は、前で限界まで高まる。

 そして複数の人間を巻き込んで、柵が倒れてしまったのである。


 この規模のフェスで、こんなことが起こるのか。

 演奏も全て止まって、ただざわめきだけが大きい。

『警備の人、ステージ側から担架入って!』

 俊は冷静に指示を与えているが、明らかに人間が多すぎたのだ。


 セカンドステージだから、という思考があったのだろうか。

 プロモーターの読みが、とてつもなく悪い方向に外れてしまった。

 単に盛り上がるのではなく、ぎゃくに下げるのでもなく、単純に演奏が中止される。

 倒れた中の数人は、立ち上がることも出来ていない。


 演奏で煽りすぎた、というのはあるだろう。

 だがこんな事故は、あってはいけないはずなのだ。

 ノイズメンバーは楽器を、とりあえず通行の邪魔にならない場所に移動させる。

 いざという時に備えて、医療スタッフも待機はしているのだ。

「ちょっとまずいんじゃないか?」

 骨折程度ならばいいのだろうが、その折れた骨が内臓を傷つけたりしていたらどうだろう。

 また圧迫されたことにより、普通にどこかの血管が切れていたら。


 いずれにしろノイズの演奏は、時間的にもここまでだ。

 俊が考えていたのは、こういう場合の責任は、プロモーター側にあるはずだ、という契約書の文言。

 あとはこの事態を、どう収拾するか、ということだった。

 ノイズだけではなく、壊れた柵を修繕するまで、次のミュージシャンも待たされるのではないか。

 するとタイムテーブルが、全体的に狂ってくる。


 最高のステージになるはずだった。

 だが起こった事態は、最悪のものである。

 下手に動かすことも出来ず、ノイズのメンバーはステージの上でスタッフが来るのを待つ。

 多くのレジェンドのステージでは、過去に色々な事故が起こってきたものだ。

 しかしこんな形で、それに肩を並べたくはない俊であった。




 ライブにおいて事故が起こることは珍しくない。

 もちろんほとんどの場合は、起こったりはしないが。

 雨が降って電装系のアクシデントが起こるぐらいなら、いくらでもある。

 野外のステージであれば、雨よりも風によって、ステージが壊れたりもするのだ。


 そういった事故が何度もあって、だからこそ安全には気をつけるようになっていた。

 しかし事態が想定を上回るというのは、いつでも起こるものなのだ。

 ノイズのメンバーは楽屋テントに戻ってはきた。

 ただ後味の悪い終わり方である。


 沈黙の中で、阿部が口を開く。

「貴方たちの責任じゃないわ」

 それはそうなのであっても、単純に目の前の光景が恐ろしかった。

「ちょっと、千歳」

 暁が震える千歳に気づいたが、その震えはどんどんと大きくなっていく。

「う……」

 頭を抱えて、うめき声を発する千歳。

 俊は気付く。目の前で事故が起こるというのは、千歳のトラウマのはずだ。

 彼女は両親を、そうやって亡くしているのだから。


 月子や春菜が落ち着かせようとするが、これはそう簡単にどうこうとなるものではない。

 阿部が激しく両方から、バチンと掌でその顔を叩く。

 ショックにはショックで対処する。

 だがあくまでも応急的なものである。

「春菜、医療スタッフを!」

 そこからまた、目の前の光景が忙しいものになってきた。


 千歳は鎮静剤を注射されて、どうにか我を取り戻した。

 しかしフェス自体は、果たしてどうなっているのか。

 このセカンドステージを、果たしてそのまま使えるのか。

 ヘッドライナー一組だけであるが、フェンスを修理してもまた、同じことが起こるかもしれない。

 一度あったことは、何度起こってもおかしくないのだ。


 ノイズとしては何も出来ない。

 そもそも演奏自体は、ほぼ完全に終了していたのだ。

「ステージが設備などの故障で、演奏続行が不可能となった場合、出演者には責任はない、と」

 阿部は冷静に契約書を確認していた。

 ただし出演者が自ら破壊した場合などは別だが、今回は間違いなくノイズの責任ではないだろう。

「興行の方が見通しが甘かったんだな」

 俊としては既に、完全に冷静さを取り戻していた。


 こういった観客が熱狂するイベントでは、警備に絶対の金をかけなければいけない。

 既に何度も行われているこのフェスで、そんな想定以上の事件が起こったのは、意外ではあるのだ。

 もっとも俊は、この状況を既に完全に受け止めていた。

 そしてこれはノイズというバンド全体においては、プラスになるだろうとも思っていたのだ。




 セカンドステージの応急修理は完了し、人数制限をしっかりとした上で、フェスのヘッドライナーは出演した。

 もっとも事故のことを知れば、それほど多くの人間が集まりようもなかったが。

 代わりにメインステージでは、ケイティがしっかりとヘッドライナーを務めた。

 以前にもやったように、花音にピアノを弾かせて。


 世界の歌姫のパフォーマンスは、事故の起こった印象を、なんとかマイナスイメージを減らしている。

 そしてそれをネットなどで見て、ノイズのメンバーもほっとする。

 フェス全体が中止になることなど、自分たちに責任はないとはいえ、後味が悪いことに変わりはないからだ。

 俊はそれを確認してから、SNSなどで事件の拡散具合を確認する。

 普段は使わないが、こういったことは一般人の声が重要である。


 ノイズを非難するような書き込みはほぼない。

 パフォーマンスが激しすぎたため、事故が起こったという書き込みはある。

 ただそれはむしろ、それだけの素晴らしい演奏だったのだ、ということは言える。

 おおよその論調は、運営が問題であった、というようになっている。

 集客をストップさせることが、当たり前であったろうからだ。


 阿部はホテルのエントランスで、一人PCを使ったり電話をかけたりしていた。

 その前に座ったのが俊である。

「千歳は?」

「ええ、問題ないって。今日は念のために入院して、様子を見るそうだけど」

「今日のこともトラウマにならないといいけど。それで、怪我人はどうなったんですか?」

「軽傷者五名、重傷者三名。二人は単純骨折だけど、一人は内臓破裂でまだ手術中よ」

 さすがに俊も、眉をひそめる。


 ステージは素晴らしいものであったのだ。

 いっそのこと最初から、メインステージでやらせてもらっていたら。

 日本のバンドで、しかもアメリカ国内の実績がなかったから、こんな結果になってしまった。

「まあ、うちのイメージが悪くなるということはないだろうけど」

「いや、これはチャンスでしょ」

 俊の言葉に阿部は、よく分からないという顔をする。

「ただ、ここは本当に、運が関係してくるけど」

 自分たちの運というのもあるが、他の運も関係する。

「とりあえず怪我をした人の、お見舞いをするように住所とかを調べてください」

「あ、……ああ、なるほど」

 イメージ戦略か。


 怪我人を出したという悪いイメージは、基本的に運営の責任である。

 そして怪我をしたオーディエンスは、前方にいたからにはノイズのファンではあるのだろう。

 そこを訪問して見舞うというのは、イメージ戦略的に間違っていない。

「けれど重傷の人、助かってほしいですね」

 阿部は千歳のことを考えていたが、俊はファンのことを考えていた。

 ただし俊が純粋に、ファンを心配していたなどとは、全く思っていない阿部である。


 ピンチはチャンスだ。

 そしてこのピンチは、他の存在がコストを抱えてくれた。

 もちろん補償などが発生するなら、それは運営の責任である。

 ただファンに対して実際に接触するのは、悪いことではないはずだ。

「あんたって子は、本当に……人の心が分かってるわね」

「イメージ戦略的には、いいことばかりでしたよ。これであとは死人さえ出なければ」

 さすがに死者が出たら、洒落にならない。

 俊個人としては、それぐらいの事件になった方が、ニュースバリューは高くなる。

 だがそれは千歳にとって、新たなトラウマになることも感じさせたのだ。




 オーディエンスが熱狂するあまりに、警備の声なども無視して事故が発生。

 これ自体はむしろ、ノイズさえもが被害者と言える。

 そもそも事態の直後に、俊は声を発していたのだ。

 そこまで熱狂させたステージというのは、悪い意味でも評判になるものだ。

 だが千歳の受けたショックは、さすがに想像以上であった。

 俊自身は確かに驚いたが、これは宣伝されておいしくなるな、と考えていたものなのだから。


 重要なのは千歳のメンタルケアである。

 目の前の事故で、両親を失った千歳。

 今回の件で、ステージでの演奏が出来なくなったりしたら困る。

 そのためにも死者は出ずに、千歳が安心して見舞いに行けるようになっていてほしい。

 他の怪我人については、特に問題もない。

 阿部が運営に連絡して、簡単に予定を入れたのだ。


 問題は重傷になった、内臓破裂の人間である。

 交通事故などと同じように、大きな衝撃で体の器官が壊れてしまった。

 ただ即死ということでなかったのは確かのため、今は手術が続いている、というわけだ。

 結果が分かったのは深夜になってからだが、無事に手術は成功。

 さすがの俊もこれは、純粋に安心した。


 ノイズの演奏ではこれまでに、オーディエンスがヤンチャをするということが、なかったわけではない。

 ただこれだけの大きな事故は、さすがに初めてのことであったのだ。

 俊はこういったアクシデントさえも、味方につけるべきだと考えている。

 さすがに出血も多かったため、即日に見舞えるという状況ではなかった。

 なのでアメリカでの滞在期間を、少しだけ伸ばした。


 千歳は精神的に不安定になっていたが、それでも負傷者が無事であったことには安堵した。

 軽傷のファンのところに、順番にお見舞いに行くノイズのメンバー。

 もちろん手ぶらではなく、フリーサイズのTシャツにCDなどを持っていく。

 アメリカではもう、CDプレイヤー自体を持っていないという人間も多い。

 だがそれならそれで、飾るだけでもいいだろう。

 ノイズメンバー全員のサインが入ったアルバム。

 こんなものがもらえるなんて、怪我をしてラッキーだったよ、という人間さえいた。


 ただ本当に重傷であった患者は、ベッドから起き上がることも出来なかった。

 それにはさすがに、顔を出して見舞いにする程度となる。

 集中治療室からは出たが、長い入院が必要。

 ならばということで、珍しいCDプレイヤーごと、プレゼントをした俊であった。




 これは美談になるであろう。

 なにせ見舞いに行った時には、一緒に写真まで撮影したのだ。

 宣伝費用としては、Tシャツとアルバムのみ。

 そしてCDプレイヤーなのである。

 こういう売名行為は、それが効果がある限りにおいては、大好きな俊である。

 そしてアメリカというのは、こういう行為をストレートに受け止めてくれる。


 成功者の義務、というものを考えているのがアメリカの社会だ。

 社会貢献の一部として、寄付が奨励されている。

 実際はそれによって、節税になる面が大きいのだが、それでも名声を得ることは出来る。

 宣伝の効果は果たして、どれぐらいのものであろうか。

 少なくともノイズが帰国するまでには、この件はYourtubeでまとめられていた。


 ただ俊には不安もある。

 果たしてあのショックが、今後の千歳に影響を与えないか、ということである。

 今までは別に、ステージで演奏をしようと、それが両親の死亡事故につながるわけではなかった。

 しかし今回の事故によって、千歳はステージの上から、連鎖的に事故を思い出すようになったかもしれない。

 もしもそうだったら、暁のスランプを抜けるよりも、ずっと時間がかかるかもしれない。

「帰ったら小さいライブハウスで、確かめる必要がありますね」

 俊としては本当に、気をつけるのにこしたことはない。

 阿部としてはそういった心配りは、マネージャーがすべきことだと思うのだが。


 ともかくアメリカでのフェスは終わった。

 演奏自体は成功したが、フェス自体には問題が残った。

 もちろんノイズにとっては、演奏以外でも大成功となった。

 しかし千歳の精神状態に、不安は残っている。


 一つの問題が片付いたら、また問題が出てくる。

 俊と阿部の心配の種は尽きない。

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