第325話 いつかどこかで見た
時間となる。
俊が手を上げると、楽器の演奏が止まった。
そしてまばらに聞こえていた口笛なども、やがては止まる。
遠くから聞こえてくるのは、他のステージの演奏である。
まずは月子の三味線が、カーンと音を鳴らした。
うなるような音が、しなるようにも聞こえる。
そして唸る。
弾ける音は、わずか三本の弦から生み出される。
音と音の間の微妙な移動。
ギターとは違う弾き方ではある。
ドラムが追随を開始し、ベースとギターを導いていく。
霹靂の刻であるが、明らかに入り方が違う。
ざわざわと嵐にざわめく森の音に乗って、千歳が歌いだす。
マスターとして出されているものとは、また違う演奏。
だが間違いなく、メロディは同じだ。
高音の部分からは、歌が月子に渡っていく。
千歳の低音部と、月子の高音部でコーラスとなる。
同じ曲のはずなのに、またイメージが違うのだ。
千歳の声が低音で、闇をイメージするもの。
そして月子の声は、それを切り裂く雷だ。
(どうだ?)
アレンジのしすぎで、原曲に気づかないか。
だがそれも想定の範囲内なのである。
三味線ソロのところからは、元々の曲へと変化していく。
このために歌詞も、一番と二番を逆にしてあるのだ。
意識の空白のところに、耳慣れた旋律を入れる。
本当なら最初の部分から、いきなりノせていけたのなら最高だったのだが。
三味線の音色というか、じょんがら節というものを、アメリカ人はおおよそ理解していない。
ただアメリカのアニメーションに使われたのだから、当然有名ではある。
バックスクリーンに映し出されるのは、そのアニメーションの映像である。
これの前後については、改めて違う映像を作り出したものだ。
このあたりの権利関係も、あの分厚い書類には含まれている。
分かりやすい曲がやってきて、意識の空白にエネルギーを届けた。
最初の入り方からして、技術的には高いものである。
しかし届かないかな、とも俊は思っていたのだ。
普通にやるならば、霹靂の刻をそのまますれば良かった。
だがそれでは三味線の力が、完全には発揮出来ない。
つまらない、と思われるのだけは避けたかった。
だからこれはなんだ、と興味を抱かせるものにした。
そしてそこに、これはこいつだ、という解答を突きつける。
それによって群集には、しっかりとパワーが届いたのである。
熱量が湧き上がってきた。
やはり一曲目には、これを持ってきて正解。
オーディエンスのノリというのは、知名度があれば予定調和的にノってくれるものなのだ。
しかしアメリカにおいて、本当にその法則が通用するかどうか、疑問があったのは確かだ。
だからここでも、月子の衣装や仮面、そしてアレンジという飛び道具を使っていった。
おかげで一曲目から、しっかりと暖めることが出来た。
このフェスはステージ上の撮影は自由になっている。
そのためスマートフォンのカメラを向けている人間も多い。
日本ではおおよそ禁止されているが、今は少しでも拡散してほしい。
月子の三味線が最後に残り、そして余韻が消え去っていく。
大きな歓声と共に、拍手や口笛が聞こえてきた。
フェスは入り方が難しい。
この難しさに対する解答は、昔やったツアーにおいて、大阪で経験したのを参考にしている。
ショッキングな歌詞で注意を引いたが、今度はまず三味線を前面に押し出していった。
異国の音楽はまず聞こう、と意識を向けさせた。
そこに霹靂の刻である。
『Hi USA』
今回はMCも入れているが、基本的には俊が全て話す。
千歳は聞き取りはともかく、話すほうはまだ難しいからだ。
俊の英語はかなり、クイーンズイングリッシュに近い。
そういう教育を受けたのだから仕方がないが、気取ったように聞こえるのも仕方がないだろう。
『ノイズの初めてのUSAステージへようこそ。霹靂の刻は気に入ってもらえたかな』
YAH と声が戻ってくる。
ある程度の演奏が届いたのは、間違いないであろう。
ノイズの演奏はここから、アニソンタイアップを二曲続ける。
スピード感と躍動感に溢れた業に、どこかおどろおどろしさを感じさせるサバト。
後者などはタイトルだけを聞けば、デスメタルの曲だと思われてしまうだろうか。
ともかくここで、音の洪水を浴びせかけていく。
『初めてアメリカで演奏する僕らが、言葉をいくら飾っても仕方がないと思う。だからたくさんの演奏をするよ』
そして俊の合図で、ギターとドラムが走りだす。
サイキック・バトルアクションアニメのOPにもなった業である。
アニメの人気にあやかって、昨今はその音楽も海を渡っている。
だがテーマに合っていなければ、それは違和感があるだろう。
俊は原作のイメージを重視して、楽曲を作ったのだ。
そしてこの曲においては、リードギターが重要になる。
既に一曲目を終えた時点で、暁は髪ゴムを外していた。
一時間というステージは、それほど長くもないはずだ。
しかしそれでも、全力で一時間を駆け抜ける。
それぐらいの気合を入れて、暁は演奏をリードするのだ。
リズム隊とのロープの引き合いは、ステージに緊張感をもたらす。
そんな張り詰められたステージにおいて、二つのボーカルが炸裂するのだ。
月子の声が空気を貫いていく。
アメリカの空気もまた、同じ地球の空気だ。
重くても湿っていても、パワーさえあれば貫くことが出来る。
腹の底から出している声は、音の圧力となっていく。
オーディエンスへの挑戦のような声だ。
千歳もまたそれに、コーラスで合わせていく。
上手くハーモニーになると、二人の声が共鳴するように聞こえてくる。
足し算ではなく、掛け算の力。
純粋な音階の広さなどでは負けても、千歳の声には強さがある。
何もかもを、一度は全て壊してしまいたい、というそんな破滅的な声だ。
その中には怒りがある。
世界の理不尽への怒り。
この炎が消えない限り、千歳の声には力がある。
やがてそれが失われた時は、果たして何を支えに歌っていくのか。
それこそ単純な、歌唱力だけになるのかもしれない。
ただ声に含まれるざらついた感じは、決して失われることはない。
想像よりも早く、人が集まってきている。
だがこれはありがたいことなのだ。
三曲目のサバトも、ギターの旋律が悪魔的だ。
小柄な女性が、はっきり言えばまだティーンエイジャーである暁が、そんな音を鳴らすことに、不安を感じる人間もいるだろう。
しかし人間は不安を感じれば、同時に期待も感じるものなのだ。
千歳の感情表現の豊かな声の方が、こちらには合っている。
しかし月子の高音域の声も、コーラスとしては必要なのだ。
本当なら俊としては、録音でコーラスの声をもっと増やしたい。
だがあまりやりすぎると、また原曲からは遠くなってしまう。
スピードがあるのに、重さもある曲だ。
重さというよりはもう、おぞましさと言うべきであろうか。
不気味な魔女のサバトでも、般若面の人間が出てくれば、それは怖いであろう。
もっともこちらは声質的に、千歳の方が合うのであるが。
メロディラインは高音域にある。
デスメタル系の曲調だが、主旋律はポップスを外さない。
あえてゴスペル要素を入れるという、冒涜的な楽曲。
ただしキリスト教がどうでもいい日本人には、かっこいいだけの曲である。
そして人は、背徳的なものに魅かれる。
(アメリカ人の方が反応がいいな)
白人はともかく黒人が、どうしてキリスト教を信じられるのか、よく分からない俊である。
いや、調べれば分かるのだろうが、調べる気にもならない。
まあ他の宗教と違って、現在ではかなり茶化しても平気なぐらいには、穏健な宗教として認めてはいる。
だがデスメタルなどと違って、かなり一般的というか、その辺を歩いていてもおかしくないような服装で、ステージに立っている。
一人だけは豪華一点主義だが、このスタイルも不思議なものだ。
日本人の感性なのだろうか、とも思うが曲調はともかくボーカルは、間違いなくブルースとポップスの傾向にある。
個性的な声が片方で、もう一方は圧倒的な音圧を叩き込んでくる。
本来ならソロで歌うディーヴァが合っているのでは、とも思われるものだ。
二曲目と三曲目の間には、MCを挟んでいなかった。
だがこのサバトが終わってからは、少し時間が必要になる。
『アメリカで演奏するのは初めてだけど、なかなかオファーが来なくて嫌われてるのかなと心配してたんだ』
なお俊の英語は、普段にも増してガチガチのクイーンズイングリッシュなので、実は聞いている方としては違和感がある。
そしてこの間に、暁はTシャツを脱いでいた。
『ああ、彼女はちゃんと水着を着ているからね、これ以上は脱がないから期待しても無駄だよ』
笑いが起こったが、暁は俊に向かって中指を立てていた。
OH……というため息が洩れる。
『大丈夫。日本では中指を立てる行為は、アメリカほど過激じゃないからね』
まったく文化の違いである。
『僕のつまらないおしゃべりの間に、準備も出来たようだしね』
そして今度は、静かな演奏が始まった。
アレクサンドライト。
初期の作品であり、バラードの曲調に分類されるだろう。
これも今日はアレンジをして、ギターだけはそれなりに寄り添っているが、他の楽器は完全に伴奏に徹する。
月子の声で勝負するという、完全な力技である。
このフェスに参加している、多くのシンガーにも負けない。
柔らかな布団で、潰され続けるような圧力。
それが不快ではないのだ。
あまりやることのない俊は、周囲を観察していた。
(ちょっと多くなりすぎてないか?)
チケットの種類によって、見れるステージは変わってくる。
だがメインステージが準備時間の今、こちらに集まってきてもおかしくはない。
おかしいのは増えてくる速度と、その数である。
一応は区切られていて、三万人を限度とはしている。
だが全エリア有効のチケットは、多くの人間が持っているはずなのだ。
日本のフェスでも確かに、途中から人数が増えてくることはあった。
しかしアメリカのこの増加具合は、日本よりも早い。
SNSで拡散されるのが、日本よりも早いからであるのか。
出来ればもっと、音楽自体を聴いてほしいものだが。
(警備はしっかりしてるけど)
落ち着いたバラードから次には、またスピードのある曲に変化して行く。
次は空へ還るという曲。
なおタイトルが決定する前は「投身自殺」という仮題がついていた。
あまりにもあまりにであるので、さすがに変えたものだが。
死にたくなるような人間の心情を、歌詞にしたものである。
これは千歳に合わせて作ったのだが、歌ってみると月子の過去の心情とマッチして、こっちの方にアレンジしたというのもある。
月子はなんだかんだ言いながら、生きづらいとは思いつつも、自殺までは選ばなかった。
ただ気持ちとしては分かるのだ。
俊のような上流が、どうしてこんな作詞を作れたか、とメンバーも思う。
そこは想像力で補うしかないものだ。
歌詞の意味が分からないと、伝わらないものであろうか。
だが月子がこれを歌うと、フィーリングが伝わっていくらしい。
セットリストにこれを入れたのは正解であった。
前の方のオーディエンスは盛り上がっているが、後ろの方はまだ冷静に聴いている。
まだこれぐらいでいいだろう。演奏時間は半分以上残っている。
基本的には知名度の高い曲を演奏する。
だがノリのいい曲というのは、やはり優先順位が高いのだ。
もっとも知名度の高い曲というのは、ちゃんと計算して作ったものだ。
タイアップなどで使われることまで考えれば、受ける曲を作るのはマストだ。
基本的にはハードロックの中でも、テンポの早い曲をイメージしている。
また電子音をメインにしながら、途中からギターの旋律が入ってくる、という自由な曲も作っている。
バンドの音楽と考えれば、どうしても楽器から曲を作ってしまう。
しかし曲を自由に作れば、楽器は後から入れればよくなるのだ。
俊は楽曲を作るにあたって、楽器ごとにどれぐらいを割り当てるか、ということは考えない。
リズム隊は必要であるが、リードギターが中盤まで、全く演奏しないという曲もある。
およそ半分が過ぎて、普段よりもスタミナの消耗が激しい。
それだけ集中しているということでもある。
演奏の激しいドラムなどは、汗をかいてこそ。
ただそんな演奏をしていても、栄二は全くリズムを乱さずに叩くことが出来る。
俊もドラムは叩けるが、それが可能なのはせいぜい三曲ぐらいまでか。
完全にリズムで叩くことを、体に教え込むのである。
俊の場合はDAWを使うことによって、機械が完全に正確なリズムを刻む。
ただ自分でも微調整は出来るのだ。
栄二以外にも水分補給はしっかりして、特に暁は残った水を頭からかぶったりした。
(やっぱりリードギターは華があるよな)
ノイズのそっち方面は、女性陣に任せている。
だが花は豊かな土があってこそ咲くものだ。
上手くステージは盛り上がりが続いている。
収容可能数の上限まで人間が集まってきて、柵の外から聴いている人間もいる。
果たしてどこまで、音は届いているのだろうか。
野外でやる演奏については、俊は音響に問題があると思っている。
だが外で歌うのが好きな人間もいるものだ。
千歳などはそういうタイプの気もする。
ただ屋内と屋外の他にも、色々な条件はあるのだろうが。
残りの曲は、どんどんと攻めていく。
英語訳したノイジーガールもまだ残してあるのだ。
(それをここで持っていく)
イントロの激しいギターから、けたたましい演奏が始まった。
一つの曲に何度も手を入れるのは、あまりしたくはない俊である。
だがバンドとしての完成度が高くなってくると、出来る演奏が増えていくのだ。
ボーカルの声にも、表現力が高まってくる。
特に千歳の方は、知識として己のフィーリングを、マッチさせることが出来るようになってきていた。
感覚的なものを、正確に言語化して落とし込む。
それは再現性を高めるために重要なことである。
もちろんどうしても、それが不可能なこともあるのが人間だ。
しかし本物のアーティストというのは、安定したライブをどれだけ出来るか、その能力も高い。
当たり外れがあるのは駄目で、当たりと普通があるのが正しいのだ。
ノイジーガールは俊がノイズのために作った、一番最初の曲である。
一番最初の曲が、一番良かったということは、それなりにあることだ。
少なくとも一発屋というのは、自分の限界を超えていけない存在である。
ただ俊の場合は、手直しを何度もやっている。
自分のフィーリングだけではなく、新しい技術まで身につけて。
苦しんでいた暁だが、もうここでは問題がない。
一番の演奏をしてもいいだけ、ステージのボルテージが上がっている。
(こういう光景を見たかった)
俊は感慨深く思っている。
(そしていつかは)
ステージの大きさで、その価値が決まるわけではない。
だが世間の評価は、間違いなく影響してくる。
ノイジーガールは英訳版なので、歌詞もちゃんと伝わっていく。
ここまでは歌詞ではなく、パッションとフィーリングで届けていた。
しかしメッセージがちゃんと、言葉となって届いていくのだ。
一番の盛り上がりがやってきた。
これだけ波が大きくなると、もう逆に止めることが出来なくなる。
もちろん止まろうとするはずもない。
月子の歌声はずっと遠く、セカンドステージエリアの外まで、その感情を伝えていた。
そして千歳も、それに負けまいとしてくる。
上手くコーラスになっているが、やはり月子が主導権を握っている。
二つのギターが絡み合うのは、また少しアレンジを加えたものである。
展開はギターソロになって、暁のギターがスピードを熱量に変えていく。
(埋まった)
少なくともステージエリア全体が、人の波の中にある。
突き上げられた拳が、人間の動きを波のように見せている。
これが見たかったのだ。
この光景が見られることこそ、一流のミュージシャン、一流のライブバンドの条件であろう。
(それにまだあと三曲)
ステージの状況を把握しつつ、俊はMCで間を取っていく。
(アメリカ人、思ったよりもノリいいな)
どこか皮肉な目で、このステージを見てくる人間もいるかと思ったのだが。
人数の集まりが問題ではない。
しかしその人々が、どれだけ熱狂しているかは問題だ。
顧客満足度は120%を目指す。
当初はスマートフォンで映していたオーディエンスも、ほとんどはそれをしまっている。
音楽の暴力で、小手先の動きを封じてしまう。
それだけのパワーが今のノイズにはある。
ミュージシャンであれば誰もが、どこかで夢見る。
その光景がここにある。
しかしステージは、まだ終わってはいない。
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