第324話 特殊演出
ゆっくりと準備をして会場に向かう。
セッティングに使える時間は少ないが、それでもノイズは踏んできた場数が違う。
アメリカの内陸部ではあるが、湖の存在で湿度がある。
日本の気候とそれほど変わらない、この数日である。
セッティングやリハにかける時間は、厳密に定められている。
どのみち最終的には、前の演奏からの一時間で、最終的な微調整もしないといけない。
三日間、設営を見ていた前日も含めれば四日間、ステージの様子は確認している。
しかし完全に本番仕様のステージの上からは、見える景色が違う。
(一万人だが上限は三万人か……)
そう言われていたが、実際にはもっと入りそうだ。
アメリカだからアバウトなのであろうか。
各自のセッティングをしているが、野外フェスの例に洩れず、音はすっかり抜けていく。
それでも聞こえるように、爆音になっているのだ。
短い時間ではあるが、セッティングはしっかりとする。
リハでそれぞれの曲を冒頭部分演奏し、感触を確かめていく。
事前にこのセッティングとリハの時間も、計算に入れて確認していた。
微調整はもう、本番前にするしかない。
とにかく大きな音を出すのだ。
ライブというのは静止した芸術ではなく、生命の躍動である。
何より大事なのがパワー。
特にこういった野外フェスでは、届かなければ本当に意味がない。
狂えるほどに大きな音を。
大歓声に負けない大きな音を。
セッティングではなくフィーリングで勝負する。
そうは思いつつも、最後のぎりぎりまで粘る、時間の計算もちゃんとしていた。
実際の演奏までは、まだ六時間ほどもかかる。
集中力を保つには、さすがに長い時間である。
ここは一度緩めて、一時間前からの準備で再び、集中力を高めていくのがいいだろう。
ただ普段の練習などだと、三時間程度はぶっ通しで練習することも、少なくはないノイズだ。
もっとも演奏せずに待ち続けるのは、また違ったプレッシャーがかかることになる。
一度ホテルに戻ろうか、という当然の話になる。
もちろん他のステージを見ていてもいいのだが、それだけでも精神的な気力を削られる気がする。
ホテルのレストランではなく、会場のフードコートで食事をするか。
出演者には無料となっているので、それはありがたい。
もっとも日本と比べれば、こういう場所での食事は、かなり大味なのであるが。
ステージを直前に迎えて、慣れていない食事をするのも苦しい。
ホテルに戻るか、あるいはファストフードを利用するか。
「さすがにアメリカまで来て、ハンバーガーはな」
栄二の言葉で、ホテルに戻ることにした。
なおホテルには、日本食のレストランも入っていたりする。
今までのどのフェスよりも余裕がない。
武道館やアリーナの場合は、自分たちだけなのでむしろ集中は出来た。
ただフェスは時間自体は、半分ほどの一時間。
「アメリカのフェスってある程度は時間に余裕を持たせてるよな」
「まあ色々な準備時間まで含めて、契約していたりするからな」
信吾は気にしていたらしいが、俊も話に聞いていただけである。
アンコールが出来るだろうか。
ブラジルもスペインも、それほどのアウェイ感はなかった。
アメリカもそれらに比べて、むしろ待遇は良くなっている。
セカンドステージにまで出演するなら、一流のアーティストという扱いなのだろう。
それでも本物のトップレベルに比べれば、まだ扱いは低いのだろうが。
ただ60年代や70年代のロックスターは、多くのホテルから出禁を受けていたりした。
ホテルの壁を破壊するなどの、無茶な行為が多かったかららしい。
もっともそういったものも、ロックスターの破天荒さを表現するパフォーマンスでしかなかったと言おうか。
隣りがメンバーの部屋だと思って壁を破壊したら、全く違う他の客の逆方向で、慌てて謝ったアーティストがいるらしい。
今であればさすがに炎上案件だろう。
ただ音楽業界を含めた芸能界は、いまだに混沌としていることは間違いない。
大きなステップアップになるか、もう一度前に戻ってやり直しになるか。
たった一日で世界が変わるのは、不思議なことであると思う。
だが現実にそれが起こるのが、この人間の生きる世界である。
そもそもここにまで来た時点で、大きな歩幅で歩いているのは確かだ。
これは間違いのないチャンスであるのだ。
海外のフェスと言うのなら、ブラジルとスペインで経験している。
だがアメリカの場合違うのは、周囲が英語であるということ。
これがポルトガル語やスペイン語であったなら、さっぱり分からないので気にしなかった。
しかし下手に英語なだけに、その意味を聞き取ろうとしてしまう。
ホテルに戻ってきて正解であったろう。
六人が一室に集まり、暁だけはギターを手に持っていた。
もちろんアンプになどつながず、弦だけを弾いている。
イメージトレーニングと言うよりは、リハーサルを自分の中でやっているのか。
それを目にする他の五人も、体のあちこちがぴくぴくと動く。
それを不満に思ったりはしない。
完全には出来ていないリハを、もう一度行っているのだ。
部屋に入ってきた春菜は、その異様な様子に驚いたものだ。
「MCの時間を取った方がいい」
俊の言葉に目を閉じたまま、暁は頷いた。
時間の経過が遅く感じる。
しかし一曲を演奏するごとに、確実に時間は過ぎていく。
案外これはいいのかな、などと思わないでもない。
今までにこういったプレッシャーをあまり感じなかったのは、ちょっと不思議である。
日本にいた頃は、ブッキングのツーマンやスリーマンのライブから始まり、ワンマンもかなり時間をかけて行った。
武道館などもある程度の計算は立っていた。
ブラジルやスペインなどは、はっきり言って逆に気楽であった。
英語圏でさえない国では、とりあえず試してみたり、次のスケジュールが決まっていたりと、精神的な余裕があったのだ。
もちろんこの後も、日本でのフェスの予定は入っている。
日本国内であれば、また大きなステージで出来るのだ。
だがアメリカで失敗すれば、またやり直しになる。
俊としては最悪も考えているが、そこまでひどいことにはならないだろう。
昔に比べればフェスも、洗練されてきたと言われている。
かつては直前にタイムテーブルが変更するなど、そういったこともあったらしい。
今は管理がネットとPCで出来るので、そういったことも楽だとか。
あとはステージの上で無茶苦茶をするバンドも、そうはいないという。
お利口さんになったとか、パワーがなくなったとかではなく、パフォーマンスの戦略が変わったということだろう。
普通の人間がやったら許されないことを、やっても許されるという爽快感。
特別な存在に憧れる時代があった。
しかし今は特別な人間を見つけたら、それを引き摺り下ろそうという考えが蔓延している。
LGBTやポリコレなどといったものも、結局は新しく作った無理やりな価値観。
ベジタリアンをヴィーガンとして、やっていることは変わらないが思想は変える。
太った人間を否定しないという、健康に悪い価値観。
まあ病気でどうしても太る人間はいるので、それは別とする。
もっとも日本は日本で、いくらでもおかしなところはある。
ただ「カイガイデハー」の出羽守がいることを考えると、問題はマスコミにあると言っていいだろう。
今はそれをネットで検証できるので、報道の信憑性は上がってきた。
俊がマスコミはもちろん露出自体を抑えてきたのには、そういったところがある。
逆に今では、月子のハンデキャップによって、ノイズにはプラスイメージがついている。
信吾の三股については、結婚詐欺にさえなってなければそれでいい。
あとは不倫であれば問題であるが、そうではないのだ。
むしろ信吾としては、自分を捨ててくれる女がいた方が、ありがたいとさえ思っている。
信吾も信吾で、音楽のために色々なことを制限している。
基本的には結婚して家庭を築くというような、そういったタイプの幸せは求めていない。
ただ俊としては、いずれ避妊に失敗して、認知する必要は出てくるんじゃないかな、とは思っている。
妊娠したらこっちの勝ち、と考える女は多いだろう。
もしそんなことになった場合、信吾がどう判断するかは、俊の知ったことではない。
充分な余裕をもって、ノイズの一行はホテルを出た。
会場までの道が、随分と遠く感じたり、逆に近く感じたりもした。
結局は前のミュージシャンの演奏しているところで、敷設のテントに到着する。
こちらで衣装を着替えたり、メイクをしたりするわけだ。
月子は久しぶりに、着物が衣装となっている。
もっとも前回と違って、しっかりと帯まで固めているわけではない。
やや着崩した着物であり、色は黒。
烏の濡れ羽色、というものである。
また袖も長く、そして裾も長い。
踏んでしまって転倒をしないように、とは何度も注意しあっている。
スタジオリハでは何度もやっているので、もう大丈夫とは思っている。
元々月子は、ほとんどの場合動くことがないのだ。
他のメンバーはいつも通りだ。
月子一人が衣装を変えるのは、彼女が本当のフロントマンだからと言える。
また衣装には他にも、一つ工夫がされてある。
そういった準備をしている間に、前の演奏も終わった。
ここからはまず、ステージ上の変更がされていく。
問題なくそれは進んでいく。
それからメンバーが出て、最後の微調整をしていく。
ただし月子だけは、まだ出てこない。
三味線の楽器の、最初の微調整というのは、どのみち必要なことなのだ。
本人がそれを見せるのも含めて、パフォーマンスの内である。
時刻は夕方だが、まだまだ明るい。
それはこれまでの三日間でも、既に分かっていることだ。
一時的にステージ前から、客は少し減っている。
直前になったらまた、少しずつ増えていくだろうが。
(少し早めに出てきた方がいいか)
俊の合図で、裾を引きずる長さの衣装で、月子はステージ横から出てくる。
今日はいつもよりも視界が狭いので、そこは気をつけなればいけない。
顔の上半分を隠している、いつもの月子。
今日はちょっと特別に、般若の面をつけている。
それに気づいた聴衆が、少しずつ注意を向けてくる。
視界が狭いのは、聴衆のプレッシャーをあまり受けないというメリットもある。
そして自分ではない自分になるのだ。
月子の最後の微調整。
三味線の音が響いていく。
このステージの最初の曲は、おそらく一番アメリカでは馴染んでいる曲。
霹靂の刻から始まるので、まずは三味線が必要になるのだ。
単純に珍しいだけではなく、あの曲をやるのだという予感を感じさせる。
他のステージを見ていたり、あるいは少し外しているという人間も、こちらに集まってくる。
一万人ぐらいはいるだろうか。
三万人ぐらいまでは、普通に音の届くようになっている。
まだスタートまでに時間はあるが、暁は改めてエフェクターなどを調整していた。
ほんのわずかな違いだが、ギターのチューニングも変化してくるものだ。
聴いている人間には分からないだろうが、弾いている人間には分かる。
そこでは妥協したくない暁であるのだ。
ほんのわずかな演出で、人数が増えてきたと思う。
重要なのは人数よりも、それがどれだけ満足したかであろう。
ただやはり人がいた方が、やる気は出てくるのだ。
ブラジルのステージでもスペインのステージでも、地元の人間だけではなく、アメリカ人がいたであろう。
それを充分に賑わせることは出来た二日間だ。
改めてここで、変に遠慮などはしていられない。
アウェイという気分ではあるが、それを吹き飛ばす演奏をしたい。
あまり前には行かないように、しかしちゃんと見えるぐらいの場所に。
まさに後方待機彼氏面で、関係者はこれを見ていた。
もっとも阿部と春菜は、トラブルに対処するためにステージの脇へ。
ある意味ではここが、一番ステージの見やすい位置であろう。
ただ音を楽しむためには、あまりよくはない。
楽しむのではなく、仕事で来ているのだから当たり前だ。
時間の経過するのが、また遅くなってくる。
楽器組はそれぞれ、即興で適当な音を出していく。
もう始まるのか、と思うオーディエンスも多いだろう。
だがスタート時間が厳密に守っていかないといけない。
ただ場合によっては、後ろにずれ込むことはある。
(まだか……)
誰か一人でも焦りだすと、それが全体に伝わる。
その空気を感じたのは、暁であったのだろう。
印象的な重低音を、ビーンと響かせる。
そしてそこから弾いていったのは、日本人なら普通に、必ず聞くことのある歌である。
著作権はフリーだ!
君が代。
なるほどこれは外国人であっても、様々な国際大会において、聴いたことがあるだろう。
ギターでもってゆったりと、これを弾いていく。
これでまだ落ち着かなければ、蛍の光でも演奏しようか。
こちらも海外の民謡が元になっているので、演奏には問題がない。
もっともわずかな時間で、上手くバンドの説明も出来たらしい。
月子の衣装を見れば、日本のバンドだとは分かるはずである。
ただ衣装のトータルコーディネートは、本当にバラバラであるが。
……白タイツだったフレディの例もあるし、別に問題ではないだろう。
時計をそわそわと、玲はチェックしていた。
同じ日本からの参加バンドとして、フラワーフェスタのメンバーもここに来ている。
あまり前の方には行かず、全体の動きが見えるように。
ただ本番前のパフォーマンスから、徐々に人が集まりだしている。
一時間のステージの間に、どれだけオーディエンスを増やしていけるか。
単純にどれだけが集まったかではなく、集め続けたかという方が重要である。
「日本の国歌、短くてとてもクールね」
ジャンヌなどはそういうのだが、子供の頃から聞いていた人間としては、短すぎるのではないかと思うこともある。
ただ国際大会などで演奏されると、一発で分かる曲だな、というのは確かに感じる。
フラワーフェスタは二日目のステージで、一皮剥けたと思う。
だが大きな舞台を幾つも経験してきた、ノイズの音がどのように聞こえるか。
遠く離れていると感じるか、それとも近くに感じるか。
遠く離されたと感じるなら、まだまだ頑張らないといけない。
いや、それよりは戦略の問題があるのか。
「最初にやるのは霹靂の刻かな?」
「そりゃあ三味線持ってるし、無難だと思うけど」
花音がぽつりと言って、玲も当たり前のように返す。
海外でもそれなりに、聞かれている曲はそこそこある。
タイアップ曲が多いからだ。
物販エリアではノイズのグッズが、それなりに売れていると思えた。
そもそもノイズは、サブスクなどでは公開している曲が少ない。
音源をフィジカル媒体で売っていく、というのはかなりの冒険だったろう。
俊たちよりもさらに若く、サブスクが当然のアメリカメンバーからすると、在庫のリスクは大きいと感じたのだ。
結果的にはそれも、正解であったと判断すべきだろうか。
人はそこに存在するものに、愛着を覚えていくのだ。
まだ遠くにいると思えたら、何か考えないといけない。
その売り方についても、さすがにもう自分たちの我を通すのは無理か。
ノイズの音楽を聞いてから、それを考えよう。
そんなことを考えている時点で、既に負けているとも言えるのだが。
時間がやってきた。
ノイズの音楽が始まる。
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