第323話 直前リハーサル

 一日目と二日目はセッティングの様子やリハーサルも見た。

 なので三日目の午前中などは、特に何も見なくていいかな、とは皆思っていたのは確かである。

 だが急に俊が、練習をするぞと言ったのには驚いたメンバーである。

「暁がまだ不安定な気がするんだ」

 理由を聞いては納得せざるをえないが。


 フラワーフェスタの演奏については、今までのイメージと違い殻を破った、というのが俊の説明である。

 それ以上を聞くつもりは誰にもなく、良かったね、と素直に思えている。

 俊としても本当に、良かったねとは思っている。

 もっともあのパフォーマンスを、毎回出来ていたらの話であるが。

(海外で知ってる顔が少ないからこそ、逆に吹っ切れたのかな)

 日本よりも先に海外で有名になる、というパターンはあるだろう。

 日本で人気が出たことにより、アメリカなどでも人気が出たと言われる洋楽バンドもいるわけであるし。


 あれぐらいのポテンシャルはあるだろうな、と思っていたのだ。

 これまでは要するに、本番のプレッシャーに弱かったということだろうか。

 あるいは花音が本気を出したことで、ようやくライブ感を理解したのか。

 ただ元々花音は、配信で名前を売っていた。

 それに今でも、フラワーフェスタと花音の間の関係は、公のものになっていない。

 誰かが気付いてもおかしくなさそうなものだが、花音がステージで歌ったのは、ケイティのお供で歌ったぐらいだ。


 昨日の花音はそのステージの花音とも違った。

 新しく花開いた、とでも言うべきであろうか。

 どちらかというとフラワーフェスタの方の花音が、その先に進化したというイメージが強い。

 彼女はまだ、己の音楽を見つけていないのか、と俊は今さらながら感じた。

 確かに世間に向けた花音のイメージは、母親のイメージを引きずったものである。

 それはむしろいいことではないかとも思うのだが、いくら似ていても母親と娘が同じ声質をそのまま持っているわけではない。

 また母親はシンガーとしての活躍期間は非常に短く、あとはコンポーザーか楽器演奏の方で有名になった。


 フラワーフェスタの未来について、色々と心配した俊であったが、それも杞憂であったのかもしれない。

 あるいはここで潰れてくれれば、と将来思ったりもするだろうか。

 ただ俊はフラワーフェスタは、おそらく活動期間が短いのでは、とも思っている。

 音楽に対しては真摯であっても、どうしても成功すれば誘惑が付きまとう。

 ノイズの場合は千歳が、誘惑に負けたというわけではないが、大学での生活に魅力を感じて、集中力に欠ける期間があった。

 栄二は既に家庭を持っているのが、安定感につながっている。

 信吾は元から女と切れていないが、増やしてもいない。

 月子は集中したら一つのことに向かうし、それは暁も同じである。


 意外と自分自身が信用出来ない俊だ。

 作曲作詞の大部分に、アレンジもかなりを行っている。

 全体のプロデュースもしていて、大枠の売り方も決めているのは俊だ。

 さすがにやっていないことに関しては、阿部や他の専門家を頼っているが。

 今はもうレコーディングまで、一人でやってしまっているのだ。


 今回のステージのセットリストも、ある程度は意見を聞いたが、基本的には俊が作ったものだ。

 衣装についても少し普段と違うし、演出も俊が考えている。

 ステージにおける総合演出は、俊が色々な知識を蓄えて作ったものである。

 そして今、その通りに演奏をやってみた。




 問題点を洗い出す。

 もちろん既に日本で、何度も確認はしたものではある。

 だが明日が本番となれば、ナーバスになっているところもあるだろう。

「初めてのフェスに出た時のことを参考に……ならないか」

 案外プレッシャーを感じていなかったものだからだ。


 今回の海外フェスには、色々なプレッシャーがかかっている。

 やはり欧米で成功するには、アメリカのフェスで成功するのが第一だからだ。

 そのくせ条件的には、ファンが一番少ないであろう状況。

 いくら日本のファンがいても、ノイズのためにアメリカまで来るのは少数だろう。

 これまでずっとノイズは、チケットなどもお安めでやってきた。

 もちろんフェスなので、ノイズ以外を目的としている人間もいるだろうが。


 去年のこのフェスに、最初にオファーを受けたのが始まりであった。

 既に予定が入っていたので、そちらはどうしようもなかったが。

 ただそういった情報があったからこそ、ブラジルやスペインのフェスにつながったとも言える。

 一番最初に海外で知られるようになったのは、霹靂の刻によるものだが。


 日本の音楽シーンを、アメリカは重視している。

 ただ日本の市場は、欧米の楽曲がランクインすることがほとんどなくなってきた。

 もっとも過去の遺産は、今でも充分に使われている。

 60年代から、新しくても90年ぐらいまで。

 それより新しいと、なかなか使われていない。

 それこそヒップホップの類が、それなりに出てきているだろうか。

 ラップ調の音楽自体は、普通の楽曲の一部としては、よく使われてもいる。


 これで勝てるだろうか、と俊は考える。

 勝ち負けという考えもおかしいのかもしれないが、次につながる仕事でなくてはいけない。

 アメリカはいくらでも再挑戦の機会がある社会だが、同時にカットされるかどうかもシビアだ。

 本番に弱いとでも評価されれば、印象が悪くなるのは確かだ。

 もっとも日本に戻れば、それはそれでまた機会は出来るだろう。

 日本を本拠地に、つまり後背地として考えている場合だ。


 強気で攻めるか慎重に攻めるかは、俊が言ってどうにかなるものではない。

 もちろんメンバーにある程度、方向性を示すことはするが。

 少なくとも暁には、あのステージは刺激になった。

 復調した暁ならば肯定的に捉えて、パワーを引き出されてくるだろう。


 阿部や春菜からすると、前日に全力リハというのは、体力面での心配がある。

 ただノイズは演奏が、しっかりとすぐに合うのが特徴だ。

 化学反応が上手く計算されたバンド。

 それでもどこか心配になるのは、阿部でもこのレベルのステージは、関わったことがないからだ。




 やりすぎない程度に練習をした。

 あとは明日のセッティングと、短いリハを行うのみ。

 そしてホテルのレストランで食事をするノイズメンバーだが、そこを訪れる者たちがいた。

「アシュリー」

「お母さん?」

 まずは暁の母であった。

 記憶にももう、うっすらとしか残ってはいない。

 それでも毎年お互いに写真を送り合っていた。

 今はネットがあるので、そのまま動画を送ることも簡単だ。


 暁と似た部分が、少しはある顔立ちだ。

 髪の色は金髪で、天然のものであるため、やや焼けている。

「大きく……なってはいるけど、それでもあまり大きくないわね」

 父親の保がそれなりの身長なので、母方が小さいのかと思っていた。

 だが母もまたそれなりに大きく、そして恰幅がよくなっている。


 暁が言うには、おそらくは父方からの隔世遺伝であるらしい。

 祖母は今の暁ぐらいの身長しかなかったのだ。

 もっとも日本人は、昭和の中盤に入っても、栄養失調の傾向があった。

 そのため男子であれば平均身長が170cmを超えるぐらいまでは、年々伸びていったし、女子もその傾向があった。

 ならばどういうことかとも思うが、おそらく睡眠が関係している。

 暁は昔から、真夜中でもギターを弾ける環境にあった。

 そのため成長ホルモンがたくさん出る深夜帯にも、まだ起きていたのだ。

 なお身長が伸びすぎると困る競技には、この深夜帯に眠らず、無理やり成長を止めるという手段がある。

 それでも成長してしまったら、それは肉体にその競技の才能がなかったということだ。


 現在ではスポーツなど、おおよそほとんどが上背を必要とするフィジカルスポーツだ。

 運動、食事、休養の三つがそれを伸ばす三要素。

 そしてその休養の中には、質のいい睡眠というものがある。

 俊は今でこそ死にそうな勢いで夜更かしをするが、高校生ぐらいまではしっかりと寝ていたので、平均よりも背は高いのだろう。

 信吾の場合は遺伝であろうが。


 そんな暁と母親との再会は、余人を交えずに行われた。

 もちろん阿部と共に、俊は挨拶はしっかりと行ったが。

 離婚して久しぶりに会う母であるが、別に険悪ではなかった。

 もっとも暁としては、母親と言うよりは久しぶりに会う親戚、という感じであったが。


 別に母親がいないことを不幸と思ったことはない。

 幼少期は祖母が主にいたし、最近では父が再婚している。

 元々甘えるタイプではないが、ノイズのメンバーには甘えている自覚もある。

 そんなわけで大舞台の直前ではあるが、特にメンタルに影響はなかった。

 本番のステージには、父の違う弟二人もやってくるという。

 上が五歳年下なのだから、もうある程度は音楽も理解する年齢であろう。


 軽くやる気が出てきた。

 精神的に揺らぐわけでもなく、ほどほどの感じである。

 そして俊にも母が会いに来た。

 久しぶりの再会ではなく、日本に戻ってきた時は、普通に顔を見せることはある。

 ただ心理的な距離は、かなり遠いものがあると俊は感じている。




 母との話し合いは、お互いの今後のスケジュールや、キャリアについてのものであった。

 母の場合はともかく、俊はまだこれから色々と、異なるステージで演奏していくことになるだろう。

「また東京ドームでやらないの?」

「あそこはレンタル料がバカ高いから、ペイするのが難しいんだ」

「昔とは変わったものね」

 そう言う母は、東京ドームで歌ったことがあるのだ。


 ノイズもやったが、あれはソロのものではない。

 ゴートが計画を立てて、MNRや花音も共にやったものだ。

「貴方は謙虚なんで安心したわ」 

 傲慢になったり、過信することこそ、失敗の元である。

 世界の大金持ちが、意外と質素な生活をしているのと同じことだろうか。


 俊は優先順位をちゃんと考えている。

 音楽に関することであれば、レコーディング設備を整えたりと、かなり金を使っているのだ。

 また少し余裕が出てきたので、ツアーのホテルなどもしっかり、コンディションが整えられるレベルのものとはした。

 だが無駄に遊んだり、女遊びをしたり、酒びたりになったりもしない。

 ロックスターにはなれないなと思っているが、それでいいのだ。

 父は一時期、別荘を何軒も持ったり、ゴルフ場の会員権を買ったり、音楽に関係のないことに金を使った。

 そんなことをするぐらいなら、スタッフへの臨時ボーナスを出したり、あるいはそれなりの金額を寄付したりと、名声を買った方がいい。


 メジャー契約を行って、より大きな動きが出来るようにする。

 以前に阿部に言われたことは、確かに間違いではないのだろう。

 ただどうせなら日本のメジャーレコード会社ではなく、海外ともつながっているところがいい。

 日本のレコード会社と違い、海外でメジャーと呼ばれるレコード会社は三つしかない。

 もちろん日本と同じく、メジャーとインディーズの違いもなくなってきているが。

 

 このフェスを成功させ、そして続いて日本でも二度のフェスがある。

 その後は休むつもりであるが、冬にはまたフェスへの参加はあるだろう。

 九月に入ればもう、来年の予定を立てていかなければいけない。

 もっとも本当においしいところのハコなどは、既にプロモーターが抑えてしまっているわけだが。


 日本に戻ればライブハウスだけではなく、もっと収容人数の大きなコンサートホールなども、利用することを考えていくべきだろう。

 ただライブ用の設備が整えられているわけではないので、そこで経費がかかることにはなる。

 俊であってもそこまでの万能性は持っていない。

 そもそも人手が足りないので、仕方がないことであるのだ。




 母が自分のホテルに帰った後、今度はフラワーフェスタの一行が訪ねてきた。

 千客万来というものである。

 おそらく明日のステージが終われば、さらに接触してくる人間はいるだろう。

 実際に俊たちにはともかく、阿部や春菜に接触してきている人間はいるのだ。

 一つのステージで、この先の未来が変わる。

 シビアな世界かもしれないが、失敗すればまた日本でやり直せばいい。

 俊は常に安全策を立てている。


「どうでした!?」

 玲がそう言ってくるが、なぜ今日なのか。

 昨日の夜でも良かったろうに。また今日も帰らなかったのか。

「昨日は打ち上げがあって」

 なるほど。

「それに最終日まで、見れるものは全部見て行きますから」

 なるほどなるほど。


 実際にフラワーフェスタの演奏は、パワフルなものだった。

 お上品なお嬢さんとして見ていたかもしれないオーディエンスも、驚いた様子を見せていたのだ。

 確かに何か吹っ切れた感じを、俊と暁も見ていた。

 何より花音が、本気で歌っているのが分かった。


 ただそのあたりを全て、正直に話すつもりはない。

「今までで一番良かったんじゃないかな」

 そういう程度に、内容にまでは言及しない。

 それでも玲は嬉しそうであったし、他のメンバーも満足した顔はしていたのだ。


 おそらくライブの感覚が、あれで掴めたのだろう。

 日本にいた頃の演奏は、確かに正確ではあった。

 しかしフィーリング重視で弾いた方がいい、という場合は少なからずあるのだ。

 フラワーフェスタはガールズバンドである。

 なのでお上品なテクニック重視でも、それなりにファンが付いている。

 だがロックじゃないな、というのが暁の評価である。

 昨日の演奏は間違いなく、ロックであったが。


 これでようやく、来客の訪れることも終わった。

 あとは明日の午前中、セッティングとリハを行うのみである。

 しかしそれを終えてから、本番までにまだ、ある程度の時間がかかる。

 メンタルをどう保っておくか、それが重要になるだろう。

 集中力がなければ、満足な演奏は出来ない。

 これまではずっと、全員がしっかりと眠ることが出来ていた。

 だが明日はどうなることなのか。


「おはよ」

「鏡見て来い」

 ギターの弦の跡を、しっかりと顔に残して起きてきた暁に、俊は素っ気無く言ったものであった。

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