第二部 第五章 スターダム

第327話 美名

 ロックスターというとかつては、無茶苦茶な存在の象徴であった。

 だが昔から環境問題などには、保護的な立場であったりしたのだ。

 なぜかというとそれは、環境破壊が権力側の立場であったから。

 もっともあの頃はまだ、音楽の力が世の中を変える、と信じられていた時代。

 俊は実のところ、音楽の力が世界を変える、ということは信じられるようになってきている。

 ただ自分の思うように変えられる、などという傲慢さは持っていない。


 自分たちがやるのは、自分たちが何者かであることを世の中に示すだけ。

 結果的に世界は、社会は変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。

 歴史を作った人間であっても、その最初の一歩がどういうものであるのか、果たして分かっていたかどうか。

 俊としてはとりあえず、絶対的な成功こそが、本当に世界を変えると思っている。

 それ以外にも世界を変える方法は、はっきり言って分かっている。

 だがそれは、とんでもなく不運な運がないとありえないし、そもそも選択肢にもならない。

 非情であり冷徹であり、善人面をする俊であっても、絶対に選ばないものである。


 ともかく俊は、ノイズメンバーと共に怪我人の見舞いを終了させた。

 これで少しは世間の批判も免れたためか、プロモーターは帰りの飛行機のチケットを、ファーストクラスに変更してくれたりもした。

(俊……おそろしい子!)

 阿部は白目を剥いていたが、誰にとっても悪い影響など与えていない。

 そもそも千歳のトラウマを、さらに上書きしないためには、必要な措置であったのである。


 そう、俊はあくまでも、打算の上で行動している。

 千歳としてもつたない英語で、一番重傷であった聴衆の女の子と、わずかな会話をしたのだ。

 少しだけ年下の彼女は、今は15歳。

 あんな風に歌えるのだろうか、と彼女は言った。

「あたしがバンドを始めたのも、同じぐらいだったから」

 もちろん千歳が背負っているものなどは、他の人間とは違う。


 音楽性というものは、その人間の本質から生まれる。

 別に最初は真似から入ってもいいのだ。

 単純な憧れから入ってもいい。

 そもそも俊であっても、父の背中を見て育っている。

 それを早々に反面教師に出来たところが、俊のひねくれたところであろうか。


 暁は父を通して、レジェンドのギタリストたちをコピーしていた。

 その結果が今の技術とフィーリングに宿っている。

 月子はなんだかんだ言いながら、祖母の民謡の力が彼女を作った。

 信吾も栄二も、自分たちなりの憧れがあったわけである。

 その中で千歳のみは、自分の中にあった何かを、音楽を通して発した唯一のメンバーであるのかもしれない。


 ともかく名前は売れた。

 売れすぎたと言ってもいい。

 それに気がついたのは、いよいよ飛行機が日本に到着してから。

 その直前までは、それなりにのん気な話もしていたのだ。

「結局すぐにフォレスト・ロック・フェスタかあ」

 気だるげに言ったのは暁であり、あの熱狂をいまだに反芻しているのかもしれない。

「まあ色々あったけど、総合的には良かったのかな」

「もう二度と事故は勘弁だけどね」

 月子は比較的楽観視していたが、千歳の言葉は心からのものだろう。


 本当に千歳にトラウマが与えられていないのか。

 俊としては心配であったが、見舞った怪我人たちも、またアメリカに来てと言っていたのだ。

 あの言葉を聞いたならば、ステージは怖くないだろう。

 少なくとも千歳は、ギターを握ること自体まで、怖がったりはしていない。

 まあ暁と違って、最悪歌うだけでもいいのだが。




 空港に到着し、ようやく日本に戻ってきた。

 当初予定よりも長く、10日ほども留守にしていたことになる。

「ファーストクラスはいいなあ。この年になると、長時間のフライトもこたえる」

 栄二は最近、自分のおっさん化をネタにすることが多くなっている。


 だがスマートフォンをONにした信吾は、難しい顔になっていた。

「俊、お前あんまりSNS見てないよな?」

「うん、最近は公式も春菜さんに任せてるし」

「なんかえらいことになってそうだぞ」

 その言葉の意味が分かったのは、いよいよゲートを潜る通路に入ってからだ。

 待ち受けるマスコミの数が尋常ではない。

「有名人でも一緒に乗ってたのかな?」

「多分俺たちのことだぞ」

 信吾もあまりエゴサはしない人間であるが、それでもトレンドに上がってきている。

 ノイズの名前とシカゴのフェスの事件である。


 待ち受ける報道陣の数に、さすがの俊も立ち止まった。

「なんだか飛行機に乗ってる間に、色々とネットに流れたみたいね」

 阿部も信吾と同じように、今チェックをしていたらしい。

 アメリカでは後処理が大変であったし、飛行機の中では眠っていた。

 だがノイズの演奏がものすごい人数を集めたことと、その結果の惨事。そしてノイズのその後の行動は、一つのストーリーとしてまとめられている。


 なるほど社会面かゴシップ面かはともかく、分かりやすい物語ではある。

 初めてのアメリカ上陸で、オーディエンスを集めすぎて演奏はストップ。

 その後には怪我をしたファン全員に、見舞いをしたという話はもう、美談としてまとめるのには丁度いいものだったのだろう。

「下手なことを言わないように、挑発されてもとにかく無視して、俊君が代表して話しなさい。あと細かいことは後日記者会見をするからと言って」

「俺一人ですか」

「君も気をつけて」

 俊としてはだが、ここで意地の悪い質問をしてくるマスコミは、むしろいないのではと思っている。


 イメージのいい商品であるならば、それをそのまま流せばいい。

 そしてそれが飽きられそうになれば、今度は逆に叩いていく。

 そういうものであると、俊は教わっている。

 父からはその末路で、母からは実際の言葉で。

(今の時点ではセカンドステージなのに、話題性ではメインステージを上回ったという成功が、世間の主流な見解かな)

 どうやら事務所ではなく、レコード会社の方から人が来て、そのあたりも整理してくれているらしい。

 阿部も気付いていなかったが、それぐらいはさすがにしてくれるのも当然だろう。


「お帰りなさい、ノイズさん!」

「ステージは大成功でしたがその感想を!」

「お見舞いに行った時、どういう話をされましたか!?」

 これまでも取材は多く受けてきている。

 カメラに撮影されたことも何度でもある。

 しかしこれほど注目されているというのは、さすがに初めてのことである。


 とりあえず、あわあわ状態の月子を中心に、少し歩いていく。 

 他の邪魔になりそうな所から離れて、俊は立ち止まった。

 マイクを向けられても、しばらくは無言。

 そしてその背後に立つノイズのメンバーもまた、無言で俊の背中を見ていた。




 ここからはイメージの戦いになる。

 もっともノイズの方向性は、基本的に決まっている。

 月子はリーダーではないし、発言も一番少ないが、ノイズの顔と言える。

 だがやはり中心は俊であり、さすがに東条高志の息子であるなど、そういうことは知られている。

 元となるのは俊と暁の父親の関係。

 一時代を築いたレジェンドの子供たちというのは、一つのストーリーになる。


 月子のバックボーンについても、既にテレビで放送されていた。

 俊や暁が親の代からのエリートとすると、月子は生まれつきのハンデを持った天才。

 パパさんドラマーに、ヒモベーシスト、素人から抜擢された千歳と、俊が思っていたよりもずっと、メンバーにストーリーが存在する。

 月子や千歳のショッキングな出来事も、既に承知の上ではあろう。

 ただ、今はそれを持ち出すのはむしろ、不利だと考えているのかもしれない。


 父の時代と現在で、最大のマスコミの違い。

 それは過去は、マスコミが一方的に情報を流せたということだ。

 政治の足を引っ張ることさえ、平気で行う。

 マスコミの動きを見ているだけで、外国のどことつながっているのかが、よく見えてくるというものだ。

 基本的にアメリカにとって、日本は極東アジアの最重要点。

 また経済的にも、多くを巻き上げてきたという過去がある。

 ただ戦後すぐの復興には、かなりの力も注いできたのだが。


 日本が潰れれば、世界も潰れる。

 経済力を削ってきたのと、技術力を海外に移転させたのは、アメリカの思惑があってこそ。

 ただそんなアメリカが、今は文化的な侵略を受けているのは、滑稽なことでもある。

 俊たちは春菜が、このマスコミたちの様子をしっかりと撮影している。

 お得意の切り貼りに関しては、すぐに対応出来るようにするためだ。


 準備は出来たので、沈黙を保つ。

 マスコミは対面したまま、やがて質問の声を上げなくなった。

「僕たちはただ、一生懸命にステージに立っただけです。成功とかどうとかは考えていませんでしたが、あんな事故が起こってしまっては喜ぶことは出来ません」

 実際に向こうでは、打ち上げなどは行っていない。

「怪我人が出てしまったことには、どう考えていますか」

 嫌な質問である。

 そもそも警備に関しては、運営側が全ての責任を持つものだ。

 それを人数制限もかけずに、どんどんと流し込んでしまったのは、明らかに向こうの計算が甘すぎた。


 叩けるものならどんなものでも叩く。

 世の中とは逆張りに論ずれば、それだけ目立つことは出来る。

 本当にクズだなとは思いつつも、利用できるものは利用する。

 最終的には物理的に抹殺するという手段もあるだろう。

 芸能界とは怖いところなのである。


「怪我人に関しては、不幸なことだったと思います。もしも自分たちも企画に触れることが出来たなら、人数制限をしたでしょうし」

 責任は全然ないよ、もしもあったらちゃんとしてたよ。

 確かに日本であったなら、こんなことは起こらなかったと思う。 

 昨今はライブでも、オーディエンスが無茶なことをするのは減ってきた。

「お見舞いは、そうですね。せっかく参加したフェスが、嫌な思い出になってほしくはなかったので」

 ひょっとしたらあの後には、他のステージも見たいと思っていたのではないか。

「音楽が嫌いになってくれなければ、それで良かったと思います」

 優等生の回答である。




 悪名も美名も名声は名声。

 かつてはそんなことも言われていたものだ。

 だが現在は炎上商法が、なかなか働かなくなっている。

 むしろそういったものは、全力で個人のネットワークが、叩く時代になっていると言えよう。

 それこそマスコミ自体が、どんどんと叩かれるようになっている。

 古い時代とは情報の拡散が、全く違うようになっているのだ。


 俊としては確かに、あの悲劇を上手く利用したというところはある。

 ただ本当に、起こらなければそれにこしたことはないのだ。

 千歳のメンタルには、間違いなくダメージを与えた。

 トラウマになって歌えなくなったらどうなるのか。

 もっともさすがに、千歳も図太くはなってきたらしい。


 むしろあの事故で、死人が出なかったということが、千歳には幸いであったと感じる。

 過去のトラウマを上書き出来ただろうか。

 ただ千歳のボーカルには、あの事故によるトラウマがあってこそ、声にフィーリングが含まれているということもある。

 人間の中には幸福になった途端、つまらないものしか作れなくなるものがいる。

 裕福になったら、作品が作れなくなる創作者は多い。


 それは創作の原点に、渇望があるからだ。

 飢えを満たされることがあってしまっては、その飢えを原動力にしていたなら、もう何かを作る必要がない。

 名声や地位を手に入れてしまったら、途端に無能になる人間はいる。

 モチベーションの低下というものであろう。


 俊としてはとりあえず、マスコミ対策が終了した。

 だがそれはその場にいたマスコミ対策というものであって、会見を開いたものではない。

 もっとも今、特に何かをやっていく、ということは決まっていない。

 ただフェスの終わりにプロモーターから、アメリカでツアーをやってみないか、という話はあった。

 すぐに返事が出来るものではないし、向こうとしてもそう多くの箇所を巡るものではない、というぐらいであったが。


 あちらはあちらで、フェスでの事件をちゃんと、ビジネスに変えることを考えている。

 ノイズが収拾してくれたとはいえ、運営の責任は批判されている。

 ビジネスばかりを考えて、入らないはずの人数にまで、チケットを売っていた。

 もっともメインステージであったなら、あれだけの人数でも問題はなかったのだ。

 警備の人数も、メインとはかなり違ったのだから。


 ああいう形で事故になったのは、実は幸いであった、と俊は今なら思う。

 ステージの上からは群集が、前に集まりすぎていた、というのは見えていたのだ。

 曲の間のMCで、前に出すぎだと注意することは出来たはずだ。

 しかしそういったものは、警備の者の役目である。

 実際にそういう契約の文言があったので、俊はそのままステージを進めてしまった。

 熱量を失いたくはなかったのである。




 ステージを成功させることにばかり、頭がいっていた。

 重要なのはアクシデントを防ぐことだが、オーディエンスに何かがあったとしても、それは自己責任だと考えているのが俊である。

 特にノイズのMCなどは、群集を煽っていくようなものではない。

 演奏自体は立派に、煽っていくのに成功しすぎていたが。

 ただ千歳の様子を見て、自分の判断は間違っていたのでは、とも思っている。


 成功や失敗よりも、アクシデントの方がニュースになりやすい。

 運営はちゃんと、あそこで演奏を少し止めるべきであった。

 セカンドステージであったため、そのあたりの人間がいなかったとは言える。

 そもそもノイズがセカンドステージに、あそこまで人数を集めることを予想していなかったのだろうが。


 普段はSNSなどをやらない俊であるが、あの状況がどういうものであったのか、参加者のブログなどからは調べた。

 セカンドステージなのに、凄い演奏をやっている、という論調であったのだ。

 むしろメインステージであれば、あそこまでの人数は集まらなかったかもしれない。

 そう考えると世の中、本当に上手くはいかないものである。


 次のライブはフォレスト・ロック・フェスタ。

 こちらはメインステージで、ヘッドライナーの一つ前である。

 永劫回帰はともかく、MNRは今回は不参加にしたらしい。

 理由は分からないが、少し会ってみる気にはなっていた。


 小さなライブをやって、千歳に影響が出ていないかを確かめるにも、もう時間がない。

 少なくとも練習をする限りでは、問題はないように見える。

 この夏はあと二回、大きなフェスをして終わり。

 九月はほぼ丸々、休みを入れているノイズである。


 アメリカでの滞在期間が延長されたので、他のメンバーはともかく栄二は、家の方が色々と困っていたらしい。

 予定の急な変更は、各所に迷惑がかかる。

 ただフェスに間に合ったのは、なんとか一安心である。

 こちらはこちらで、ちゃんとしたビジネスなのである。

 もちろん夏場のフェスなので、急な病人は毎年出たりする。

 そもそもミュージシャンというのは、不健康なものであるのだ。


 ノイズは今、過去最大の波に乗っている。

 ただそれは勢いが大きいということで、転覆したらそのダメージも大きいだろう。

 10月以降の予定については、まだ計画していなかった。

 来年には日本各地の、かなり大きめのホールなどを使って、ツアーをするという予定はあったのだが。

 冬にはまた、フェスへの依頼が来ている。

 それには参加するつもりで、各自が準備していた。

 ただアメリカのツアーというのも、時期は考えなければいけないが、魅力的なことは確かだ。




 ミュージシャンが音楽以外の分野で評価されるのは、いいことなのか悪いことなのか。

 人生での成功を求めるのならば、もちろん悪いことではない。

 ただ暁に言わせれば、それはロックではない。

 破天荒な人間の、衝動的な行為などは、最近は許されない傾向になっている。

 それでもいい子ちゃんでいるのは、やはりロックではないのだ。


 別に不良でいろ、というわけではない。

 しかし暁は世の中に、上手く対応出来ない人間であった。

 もっとも高校生になってから、音楽業界に絡むようになってからは、普通に人間関係を構築できている。

 単にそれまで、相応しい場所にいなかったというだけなのだろう。


 俊としてもあまり、ノイズは人格者の集団だ、などと思われては困る。

 少なくとも信吾の女性関係は問題であるし、俊も自分は単純に、計算高いだけだと分かっているからだ。

 だが音楽の世界では、知名度を広げていくのに問題はない。

 ある程度の領域に達してしまえば、向こうからどんどんと仕事は入ってくる。

 もちろんノイズの音楽を使いたい、という条件でだ。


 ツアーなどをすると、その収入はどこから来るのか。

 もちろんチケット販売などは、分かりやすいものである。

 だがスポンサーがついて、何かを販売したりもする。

 そのスポンサーとの契約などが、バカにならない金額になる。


 ノイズの過去の楽曲を、使いたいと言ってきている会社もある。

 これに関しては基本的に、俊は阿部と相談して、全て受けてもいいかと思っている。

 新曲ではなく、過去の曲なのだ。

 CMなどに利用するにも、ノイズが話題となっている今がいい。

 本当に人の不幸の上に、ノイズの成功が発生している。

 もちろんちゃんとそれを利用する、プロデュース能力があってこそのものだが。


 アメリカでツアーをしても、今ならば成功するだろう。

 話題性というのはそれだけ、重要なものであるのだ。

 いっそのこと今年中に、10月からやってみたらどうか。

 一応はそのあたり、緩く予定は立てている。

 だがまだ変更は可能なはずである。


 これこそ本当に、流れというものだ。

 人の不幸を飯の種にする人間が、絶えないのもその成功率の高さゆえであろう。

 俊としてはこれは、別に悪いことではないと思っている。

 皆で幸せになるためのものであるからだ。

(プロモーターとの話し合いは、ちょっと考えないとな)

 そもそもアメリカツアーなどをするとしても、そうそうハコは確保出来るのか。

 そのあたりの事情については、さすがに疎い俊であった。



×××



 おおよそ完結が見えてきました。

 400話以内には終わるかと思われます。

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