第328話 日本の夏
現在の音楽においては、純粋な音楽だけで評価する、というのが実は昔よりも浸透している。
ネットによる拡散が、様々な層に伝染して行くからである。
そんな中でノイズは、ストーリーを持っているバンドだ。
MNRにしても、ある程度のバックストーリーはある。
永劫回帰もゴートが自分で選び出したメンバーだ。
しかしノイズにはそういうものはなく、偶然や運命とでも言うべきものが、やって来たり引き抜いたり見つけたりしてきた。
今回のイベントでの事故についても、ネットニュースでは大きな扱いになったものだ。
ノイズのせいではないし、むしろ運営側の不手際なのだが、叩こうと思えば叩けるのは、国会の野党を見ていても明らかであろう。
国会議員でもあそこまで醜悪になれるのだから、マスコミが醜悪になっても無理はない。
今のノイズの評判は、事件後の行動が的確であったため上がっている。
乗るしかない、という大きな波が来ているのだ。
舞台はフォレスト・ロック・フェスタ。
都市型ではなく大きな舞台を広大な場所に設置した、屋外フェスである。
メインステージでの演奏は決まっていた。
だが今年もまた、ヘッドライナーの一つ前、という予定であったのだ。
しかしこういうフェスでは、かなり直前にミュージシャンが急病になることがある。
名目上の急病もあれば、季節がら本当の急病もある。
そしてノイズの日程が、ヘッドライナーのところにずれたりもするのだ。
風が吹いている。
「つーかあの人ら、もういい年だから体調悪くしても仕方ないわな」
栄二が言うのは、やはり大御所には夜でも、夏場のステージは大変だということだ。
ともあれ四日開催の四日目、メインステージのヘッドライナーが回ってきた。
他のバンドでもいいのであろうが、ノイズの現在の話題性を考えて、この変更としたのだろう。
完全に流れが、ノイズのためのものとなっている。
(時代を作ったバンドとかも、こういうのを感じてたのかな)
俊はそう思うが、あくまでもこれはまだ、一過性のものではないかと考えている。
変に流れに任せていると、転倒して崖から落ちることもあるだろう。
しかしこのタイミングでヘッドライナーが初めて回ってくるとは。
これでROCK THE JAPAN FESTIVALの方までヘッドライナーが回ってくれば、まさに今年はノイズの年になるのだろう。
だがさすがにそこまで、他人の不調を当てにして、成功への道を行こうとは考えない。
まずは目の前のフェスを終わらせること。
「じっくりと考えて、来年の上半期にアメリカツアーを行おうと思っているんだけど」
「う~ん……」
阿部の持ってきた案件は、悪いものではなかった。
向こうのプロモーターとしては、ノイズの事後処理によって、イメージの悪化をかなり防ぐことが出来ている。
それに対する礼もあるが、同時に今なら売れるとも思っているのだろう。
「全米と言っても、八ヶ所だけどね」
それでもアメリカには、巨大都市があるのだ。
シカゴはアメリカ内陸部の中心都市の一つだった。
来年の一月あたりから初めて、主に南部から回っていく。
「最後はニューヨークか……」
ミュージカルの聖地であり、おそらくはアメリカのショービジネスの最大の都市。
規模としても屋内の、数千のハコを全て用意していけそうだ、とのことである。
これが流れか、と俊は感じている。
ただこの急激な流れが、何か不安にも感じられるのだ。
「来年の二月から三月なら、あたしの学校もないなあ」
国内のツアーと違い、アメリカを移動するのならば、どうしても千歳の大学の問題が出てくる。
しかしその時期なら、どうにか可能であると思われる。
とりあえず夏のフェス二つを終わらせてから、細かいところは詰めていこう。
また分厚い書類との格闘が始まるのだろう。
今回はフェスよりもさらに、契約関係が細かいことになるはずだ。
それでも、まずは目の前のフェスの成功。
音楽性だけでは、勝負できない領域に入ってきていた。
色々なことがあったアメリカ行きであった。
そしてまたすぐに、今度は日本のフェスである。
出演者のトラブルがあったとはいえ、ヘッドライナーだ。
考えてみればメインステージのヘッドライナーというのは、初めてのことではないか。
しかも最終日であるのだから、完全にイベンターもノイズを認めたということであろう。
今が知名度のピークであるのかもしれない。
それに気がかりになる部分が、ないわけでもない。
練習をする限りでは、少なくとも千歳にはおかしなところは感じられない。
だが実際のステージに立って、フェンスの向こうを眺めたらどうなるのか。
セットリストを少し変更した。
いざとなれば千歳が止まってしまっても、他のメンバーでカバー出来るように。
阿部と話し合ってもみたし、月子や信吾とも話してみた。
事故の記憶と、フェンスの記憶がつながっていないか。
それは結局ライブをやらないと分からないことであろうし、ライブにしても屋外と屋内では違うかもしれない。
またメインステージの最後というのは、夜の闇の中での演奏になる。
実際はペンライトであったり照明であったりと、明るい部分はあるだろう。
それでも暗いほうが、千歳にはいいのではないかと思う。
そういった演奏のことを相談するわけでもないが、俊はMNRの白雪に会いに来た。
また彼女が根城にしているラウンジにである。
会員制であるが、彼女に頼んで入れるようにはしてある。
奥まったソファーで、彼女は一人で飲んでいた。
少し珍しいことだ。
彼女はMNRの他の二人と、共にいることが多かった。
ミュージシャンとしてはずっと長いキャリアを誇っている。
だがヒートの解散以降は、ずっとコンポーザーとしての活動が長かった。
「お久しぶりです」
「派手なことをしたね」
「良かったのか悪かったのか……」
「とりあえず、知名度だけは上がったからいいじゃない」
白雪の言葉は、いつにも増して淡々としたものであった。
彼女はどこかいつも、達観したような目をしていた。
ヒートがカリスマの死によって解散して以来、長く彼女の時間は止まったままであったという。
それが昔の仲間から、弟子を預けられて久しぶりに本気になったのだ。
「今年の夏フェスは、どこも参加しないんですね」
「ああ、私の体調がね」
「どこか悪いんですか?」
「肺に腫瘍が出来てる。幸い悪性じゃないけど、癌化しないように取るから夏は全休だよ」
言葉の途中までは、息を飲むものがあったが、なんとか安心は出来た。
MNRは白雪が中心のバンドである。
彼女が休むのであれば、それは活動も出来ないであろう。
「まあこれを機会に、私もプロデュースとコンポーザーに戻ろうと思ってるんだけどね」
「MNRはどうするんです?」
内心ではちょっと驚きながらも、そちらの方が気になる俊である。
「紅旗と紫苑がようやくくっついたから、解散した方がいいかなと思ってる」
「ああ……くっつきそうでくっつかない距離感でしたね。バンド内恋愛は長続きしないし」
「そうでもないと思うけどね」
どうやら白雪としては、あの二人の関係を見守ってきていたらしい。
MNRが解散するのか。
ノイズよりも後発ながら、瞬く間にスターダムにのし上がったスリーピースバンド。
白雪のコネクションが、それを可能とした。
また声質も、かなり特殊な生来のもの。
白雪の代わりになれるボーカルは、ちょっといないと思う。
競争相手がいなくなるのを、俊はいいとは思わない。
お互いに切磋琢磨する対象は、絶対に必要だと思うからだ。
他のバンドだと、年齢に差があったりする。
永劫回帰などは、一応ライバル関係にも出来るだろう。
だが一対一よりも、複数のバンドが存在する方が、化学反応は複雑なものとなると思うのだ。
これがノイズが圧倒的に、抜け出してしまったとかなら話は別だ。
しかし今のノイズの注目度は、音楽以外のところから入ってきたもの。
純粋な音楽性だけで戦う、ライバルの存在は絶対に必要だ。
やや前にいた永劫回帰も、今はほとんど並んでいるだろう。
この一瞬だけを言うなら、むしろ半馬身ほど先行している。
一度は大きく差をつけたフラワーフェスタは、またその姿が背後に見えてきた。
しかし彼女たちのフェスの出来はよかったのに、ノイズの話題でシカゴのフェスは一色となっている。
これは彼女たちにとって、不運であることは確かだ。
普通にノイズが成功しただけなら、あちらにもマスコミの取材などが、ある程度は行っていたであろうから。
「MNRは誰かを新しくメンバーに入れないんですか?」
「新しくと言ってもね」
だいたいバンドのメンバーが代わると、昔の方が良かったという声が聞こえてくるものだ。
そして今の時代、その声はダイレクトに伝わってくる。
これもネット社会の弊害の一つではあるだろう。
ノイズも幾つかの楽曲は、あちこちのパクリだなどと言われてきたのだ。
今の時代、完全なオリジナリティなど、どこにもない。
在野にも耳のいい人間はいる。
そういった人間が、格安や無料で聴けるようになれば、オリジナルとの比較も出来るようになるだろう。
パクリどころか、自分自身の曲さえも、縮小再生産しない、徳島のような人間もいる。
「あの二人は、いい距離感を持っていたと思いますけどね」
「そう見えた?」
「違うんですか?」
「まあ二人とも、育った環境が似たようなものだったからね」
MNRの二人については、俊もある程度の事情を知っている。
紫苑は孤児である。
孤児院にヒートの元ベーシストが、ボランティアでギターなどを教えている時に、ギターに触れた。
高校を卒業する年に白雪に紹介されて、音楽の道で生きていけると判断された。
彼女もまた音楽に、自分の哀しみを乗せていける人間であった。
紅旗は孤児ではなかった。
しかし両親が早くに死んだ、という点では孤児に近い。
親戚の中で彼を引き取ったのが、ヒートの元ドラマーであった。
強くドラムを叩くことを教えたら、誰よりも強くドラムを叩けるようになっていた。
そして白雪の元に連れてこられた。
一人であったら白雪は断ったであろう。
だが二人分の願いで、彼女は動くことになった。
そして彼女が動くということは、ヒートの遺産が動くということ。
ノイズよりもわずかに後発でありながら、一気にメジャーになったのは、そういう流れがあるのだ。
白雪は二人に比べると、ずっと音楽業界で長く生きてきた。
彼女がいないと二人は、やはりまだ未熟な部分があるのだろうか。
「二人とも、十分以上には育っているけどね」
「新しく作るバンドにでも、二人を入れるんですか?」
俊の質問にも、白雪はしばしの沈黙で応える。
芸能界というのは、時間の流れが早い。
少し曲を出さなかっただけで、忘れられる存在もいる。
いくら時間が流れても、忘れられない存在こそが、いい音楽であるのだろう。
マジックアワーの音楽は忘れられつつある。
だがヒートの音楽はいまだに強く残っている。
もちろんそれは、白雪がいまだに活動していることも関係あるだろうが。
「本当に体調は悪くないんですか?」
「少なくとも死ぬほどではないよ」
白雪の言い方は、俊を不安にさせる。
俊の周囲には、死が転がっている。
父は死んだし、メンバーを見ても家族がしっかりそろっているのは、本当に栄二ぐらいである。
もっともそれを言うなら、暁は別に関係ない、と言うかもしれない。
アメリカでは久しぶりに母親と会えたし、二人の弟とも会った。
今の母のパートナーとも会ったが、普通に挨拶をしていた。
ただ、それとは別に彼女は、孤独であるのは間違いない。
白雪には本当に、悪いところはないのか。
MNRは解散するというが、活動休止ではないのか。
「フラワーフェスタ、またフェスに出てくるらしいね」
今度は白雪が話を振ってきた。
「いい演奏をしてましたよ」
「ライバルになる?」
「ずっと前からそう思っていました」
「花音一人だけなら、もっと早く売れていたと思う」
「俺もそう思ってましたけど……」
「今は違う?」
「遠回りした分、彼女たちは花音を支えられるぐらい、強くなったのかなと思います」
「そういう考えもあるかもね」
俊の正直な気持ちである。
ビートルズは時代を変えたが、あのブリティッシュ・インヴェイジョンはビートルズだけで達成できたであろうか。
同時代に多くの才能が出現したからこそ、業界自体が大きく高まったといえるであろう。
ストーンズやキンクスに、ヤードバースやザ・フーなどの諸々。またかなり方向性は違うし時代も少し後だがQUEENなど。
ブリティッシュ・インヴェイジョンは第二次もあり、こちらは80年代のおおよそ半ばである。
それこそQUEENや既に解散していたビートルズのポールなどが、この時期にまた人気となっている。
だがこの時期はまさに、マイケル・ジャクソンやマドンナ、そしてプリンスなどが音楽市場を席巻する時代となっていった。
マドンナはあまり、音楽的には高い評価を受けてはいないとも言えるが、商業的には間違いなく大成功である。
俊がブリティッシュ・インヴェイジョンと似たようなものを日本の音楽に感じるのは、ボカロ曲の存在だ。
DAWとボーカロイドの誕生により、音楽はより一人でも出来るものになっていった。
そしてネットの存在が、地方からの発信を可能とした。
このボカロPの出現は、それまでの形式の音楽に対しても、影響はともかく刺激は与えた。
ネットでの発信から、一気に有名になる。
ノイズも俊の作っていた導線があったからこそ、初期からある程度の集客が見込めたのである。
MNRが解散するというのは、俊にとってはショックであった。
実際の活動期間は、四年も経過していないではないか。
ただ昔から一過性の人気というのは、それぐらいで過ぎ去ってしまったりはしていた。
それに白雪はプロデュースとコンポーザーとしては、活動を続けると言っていたのだ。
「それより、紫苑と紅旗がくっついたって方、詳しく!」
そっちに食いついてくるのが、けっこう恋バナの好きな千歳と、何気に興味のある月子である。
「いや、どうでもいいと思ってたから、詳しくは聞いてない」
使えないやつだな、という視線を向けてくる千歳である。
俊としては本当に、他人の恋愛沙汰などどうでもいい。
自分自身の経験から、恋愛というもの自体に不信感がある。
またいわゆる女性的な女性にも、嫌悪感というものではないが、警戒しているところはある。
今のノイズは、知名度が過去最高に達している。
寄って来る人間の数も、過去最高となっているのだ。
仕事に関しては基本的に、事務所を通してもらえばそれでいい。
だがそれ以外の私生活にまで及んでくるのは、さすがに問題がある。
俊が自宅に、月子と信吾を居候させているというのも、やりようによってはスキャンダル化させることが出来るだろう。
特に信吾の場合は、昔から女性関係においては、手を出しやすいものであったのだ。
もっともマスコミなどが叩くのは、こういうモテに強い面子ではない。
自由恋愛で、不倫でもなく、複数の女性と付き合っているのみ。
開き直ってしまえば、ただそれだけなのである。
またルックスのいい信吾は、基本的に女性陣からの人気がある。
はっきり言ってしまえば、誠実な不細工よりも、浮気なイケメンの方が人気はある。
これがまた世の中の真実であるのだ。
暁は白雪の持っている、セキュリティの高い物件に一人暮らし。
そして千歳は叔母の家を、まだしばらくは出る気もない。
栄二の場合は妻もまたマスコミ側の人間であるため、話題にしないという暗黙の了解が成り立っている。
まったくノイズというのは、そのあたりの防御力が高いバンドであるのだ。
もしもノイズの中で、一番そういった誘いを受けると見るなら、それこそ俊であろう。
過去には普通に付き合った女性がいて、しかし振られている。
さすがに今さらヨリを戻そう、などという連絡はない。
あったかもしれないが、無意識のうちに連絡を無視している。
仕事の付き合いで今までも、クラブなどで酒を飲むことはあった。
だが完全に無関心でいるのが、俊という人間なのである。
バンドのメンバーにしてからも、音楽と結婚した男、と思われたりしている。
スペックなどを見てみれば、確かに優良物件に見えるのだろう。
だが本人は結婚について、全く幻想を抱いていない。
身の回りのことは自分である程度出来るし、出来ないと思ったらそういう業者を雇えばいい。
他人と家族になるということについては、それだけでストレスがたまってしまう。
「家庭を持って、父親になるっていうイメージが湧かないやつだ」
信吾などはそう言うが、栄二としてはちょっと違う見方をしている。
「なんだかんだ言って、身内はしっかりと守る人間だから、内向きのことをしっかりとやってくれる女性となら、上手くいくと思うけどなあ」
月子や暁としても、それは確かにそうだろうな、と思う。
「でもあたしだったら、あそこまで生活全て音楽にどっぷり浸ってるの、さすがにダンナにするのは無理かなあ」
千歳の意見はおそらく一般的なものであろう。
だがアーティストの結婚というのは、一般的なものとはなりにくい。
第一線から退いたならば、普通に結婚することはあるかもしれない。
あるいは政略結婚などなら、むしろ上手くいくのではと、栄二は考えていた。
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