第329話 政略結婚

 フォレスト・ロック・フェスタへの参加も、これで三回目となる。

 そしてついに、最終日のヘッドライナーを務めることになった。

「まあ外タレを持ってきても、あんまり最近は需要がないらしいからな」

 俊はそう言ったが、明らかにそんな理由ばかりではないだろう。

 実際にレジェンド級の洋楽バンドやシンガーを、ヘッドライナーに持ってくるフェスは普通にあるのだ。


 ただ本当に、ノイズがスターダムにのし上がっているのだな、という実感はあった。

 一番顔が売れている俊などは、普通にサインを求められたりする。

 あとは信吾が隠し撮りの被害にあったりもしている。

 顔の上半分が分からない月子と、ステージとは完全に印象の違う暁は、そういう問題は起きていない。

 また千歳も容姿が平凡なためか、サングラスでもしていれば気づかれない。

「昔のロックスターに比べれば、平和になったもんだ」

 運営の設営係にでも間違われそうな、ツナギを着ている栄二はそう言った。


 ロックスターに限らず、芸能人が身近な存在と感じられるようになった。

 私生活を切り売りしている芸能人も、それなりにいたりする。

 その分、スターの生活に憧れて、分不相応の生活を夢見る、愚か者が出てくるが。

 女の場合は玉の輿というのが、いまだにあるように思われている。

 実際に若いうちには、セックスの対価に贅沢な生活を送ることも出来るビジュアル持ちもいる。

 だがそれは若いうちだけ。

 女の価値は美しさと若さにあり、40を過ぎても美しいと言えるのは、ビジュアルだけを愛でる場合。

 結婚する相手なら、断然20代を選ぶのが男である。

 さらに言うなら贅沢を知っている40代など、絶対に選ばない。


 そう言えば母は全く、再婚の気配を見せていないな、と俊は思い出したりもした。

 ポップスの世界ではなく、クラシック声楽の世界に戻ってからは、スキャンダルなどとは無縁である。

 あの世界は本当に、ファンに上流階級がいたりするので、下手な報道などをしたら潰されるのだ。

 契約結婚であった、とは普通に言われた。

 離婚が決まり、父が再婚して死亡し、ようやく俊も受け入れられるようになった頃、母に尋ねたのだ。


 父が求めていたのは、自分の曲を表現出来る歌唱力の持ち主。

 さらに言えば美貌であり、父の隣りに立っていてもおかしくない、洗練さを持った生まれ。

 父親の事業の失敗で、声楽の世界への道が閉ざされた母は、父と契約したのだ。

 条件としては母の生活を全般的に、それまでと同じようにフォローすること。

 三年から五年間は、ポップスの世界で歌うこと。

 あとは妻としての、フォーマルな場所での装い。

 代償としては将来的に、母を声楽の世界に戻すこと。

 子供に関しては一人ぐらいは作っておくか、という適当な話であったそうな。


 ただ両者共に、一人ぐらいはほしいな、と思っていたのは本当である。

 その時点では父は、彩の存在をしらなかったのだ。

「そういうわけで俺は昔から、父親の付属物的に見られることが多かった」

「ひどいな」

「最初からそういう環境なら、特にひどいとも思わないもんだ」

 俊としてはその言葉は本気なのだが、気付かないうちに摩滅していたということもある。




 暁の場合は、父の保はそれほど、華やかな活躍をしていたわけではない。

 スタジオミュージシャン、あるいはバックミュージシャンとして、暁を育ててきたのだ。

 マジックアワーの華やかな時代は、暁が生まれるよりも前。

 華麗なる舞台から消えたことが、両親の離婚の原因にもなっていると、暁は聞いていない。

 純粋にカナダ人の母が、日本の生活に馴染めなかったということはある。


 国際結婚の厄介さは、こういう離婚の時に出てくるのだ。

 よく言われるのは、日本人妻が子供と一緒に日本に戻ってきて、誘拐扱いされること。

 欧米ではおおよそ、子供の環境がいい方に、親権が与えられる。

 日本の場合は女親有利、とはよく言われている。

 実際は母親一人よりも、祖父母がいるなら父親の方がいい、という考えも最近は出来てきた。

 それでもいまだに、母親に親権が行きやすいのが、日本の司法の判例である。


 暁の母も再婚するまでは、年に一度は日本に来ていたらしい。

 しかし暁の記憶には、ほとんどそれは残っていない。

 あちらはあちらで、もう家庭が出来ている。

 それでも暁としては、別に悲しいとは思わなかった。

 父がいて、ギターがあったからだ。


 寂しいと思う前に、60年代から70年代の洋楽を聴いて育った。

 それと同じように弾くために、色々と工夫したのだ。

 一人でいることに慣れすぎた。

 だが孤独であることを、今は感じていない。

 ノイズというバンドが、今の暁の所属する集団。

 ここを通じて多くの世界と、今はつながっていることが出来る。


 暁は今日も、ガーリーファッションである。

 髪型も変えていると、なかなかバンドの暁とはイメージが変わる。

 そもそも暁はステージ以外では、本当にナチュラルメイクしかしないものだ。

 オーラなども全然違うため、本当に未だに気付かれない。

 せっかくの関係者パスをもらっても、俊はなかなかステージを回るのが難しい。

 バンドリーダーではあるのだが、ノイズの華は女性陣三人。

 ずっとそう思ってきたのだが、さすがに一般にも顔が売れ出した


 元々ルックスは、メンクイの父親が選んだ母親の血も引いているのだ。

 それなりのルックスであれば、ミュージシャンは売れるしモテる。

 もっとも実際にモテた俊であるが、内面の優先順位を知られると、向こうから去っていった。

 常に音楽の方が、彼女よりも優先。

 だいたい年頃の女の子というものは、自分のことを考えてくれない男には、すぐに冷めてしまうものなのだ。

 逆になんとしてでも気に入られようと、従順になるタイプもいるが。


 音楽があれば生きていける。

 そう考えていたのが俊であり、音楽だけでは生きていけないのなら、その時こそ普通の生き方を考えればいい。

 そしてどうにか、音楽だけで生きていくことが出来るようになってきた。

 この自分の人生を邪魔しないのなら、結婚してもいいかなと思ったりもする。

 だが自分から動こうとは思わない。

 自分の音楽を尊重してくれる人間としか、共に生活が出来るとは思わないからだ。




 ホテルもほぼ最高級のスイートを取ってくれている。

 ロイヤルスイートなどではないのは、そんな金があればギャラに回してくれ、と言ってあるからだ。

 宿泊しつつも日々を、うろちょろと動き回ってステージを見に行く。

 そして三日目の夜には、GDレコードの専務がやってきた。

 例の社内政治の結果、それまでの専務は子会社と言ってもいいレーベルに左遷されている。

 つまり次期社長が確定した人物である。


 そして彼は、家族まで連れてきていたのだ。

「GDレコードの所属から最終日のメインでヘッドライナーが出てくるのは、初めてのことだからね」

 ニコニコと上機嫌で、紹介する。

「私の娘でね。今は聖歌音大の三年生なんだ」

「いつも渡辺さんの曲は楽しく聞いています」

「まあ習い事としてはピアノをやらせていたんだけど、趣味はどうもそっちというか」

 少し困ったような顔をしていたが、清楚な感じの美人であった。


 これは来たな、と信吾などは察する。

 レコード会社にとってアーティストをどう確保しておくか、それは重要な問題である。

 特に自己プロデュース力のあるコンポーザーなどは、絶対に他に渡したくない人材だ。

 年齢としても俊より四歳下で、丁度いい感じだろう。

 挨拶を終えて、ちょっとした激励を受けて去っていく。


「おいおいおい、来ましたなあ」

「何が」

 信吾の言葉に対して、俊は素っ気無い。

「いや、あれはお前を囲い込むための政略結婚の打診だろ」

「そうだな」

 最初から分かっていた、と言わんばかりの俊である。


 ただのミュージシャンであれば、そんなことは行わない。

 だが俊はビジネスを分かっている人間だ。

 そして才能自体もあるが、それよりは才能を見抜く目の方が、さらに優れているだろう。

 プロデューサーとしてほしい人材であり、マーケティングも分かっている。

 娘婿にしたいと思う人間がいてもおかしくはない。


 これまでの関係からも、俊と専務はお互いにいい影響を与えている。

 協力者として同盟者として、さらにその結びつきを強くしたい、と考えてもおかしくはない。

「俊君としてはどうなの?」

「条件を満たすなら、考えなくもないですけど」

 俊は自分の結婚さえも、成功のための地盤固めに利用する。

 その程度にしか思っていないので、向こうのお嬢さんもそれを覚悟しているなら、選択肢としてはありだな、と思っているのだ。


 阿部の考えていた俊の思考と、やはり変わらないということか。

 確かにこの業界、伝手やコネは重要である。

 そのために人脈を広げるわけだが、大手レコード会社の社長の娘婿になるなら、とんでもないアドバンテージが手に入る。

 もっともまだ慎重になっているあたり、俊らしいと言えるであろう。

「条件って?」

「明日の様子を見たら分かりますよ」

 俊は自分が、いい夫やいい父になれるとは思っていない。

 そして時間はやはり、音楽に捧げていくだろう。

 それを許容できるような、そういう女性であるかどうか。

 正直なところ美人ではあっても、俊の好みとは合致しているというわけではなかったのだ。




 暁は明確に不機嫌である。

 月子は確実に不安であった。

「ロックじゃないよ」

 暁の言葉に、千歳は苦笑する。


 女性陣三人に春菜を加えて、俊の将来の展望について語り合う。

「さすがに結婚なんかしたら、居候するわけにもいかないだろうしね……」

 月子としては現実的な問題はそちらだ。

 今の生活ははっきり言って、とても快適なものであるのだ。

 食事はおおよそ作ってもらっているし、掃除や洗濯も任せている。

 何か音楽を考え付いたら、すぐに試すことも出来る。


 同居している佳代も、最近では収入が安定してきた。

 ノイズのグッズのデザインの幾つかを、作ったのが地味に大きいのである。

 あれで意匠権が入ってきている。

 最初のイメージなどはノイズメンバーから出ているが、デザインとして完成させたのが佳代なのである。

 なので数%が、彼女のものという扱いになっていた。


 地味にこのデザインが、彼女の貯金を増やしている。

 他の仕事も順調なので、そのうち出なければいけないかな、とも思っているのだ。

 俊としては彼女に、演出のデザインの相談も出来るため、顧問料でも払おうかと思っているぐらいだ。

 ただ便利なところにいる人間、ということで恩恵を受けていることは否めない。


 今のノイズの音楽は、俊の家の地下のスタジオから、多くが生まれてきている。

 結局は結婚したりしても、さほど条件は変わらないのかもしれない。

 メンバーに女性が多いことが、ノイズの特徴である。

 また俊は彼女たちを、強く尊重している。

 それを許容できないのであれば、俊の結婚相手には相応しくない。


 千歳としては俊が、月子や暁に対して、そういう感情を抱かないのが不思議である。

 自分自身は恋愛と無縁ながら、恋バナの好きなのが千歳なのだ。

 ただ月子は俊のことを、恩人のように感じているところはある。

 自分を底辺から救い出してくれた、白馬の王子様といったところか。

 それは恋愛に近いのでは、と思わないでもない。

 また暁にしても、近いのは兄と妹の関係であろうか。

 そこまでは近くになくても、遠い親戚という程度の意識はあると思う。


 だがスタジオやステージの上では、二人は間違いなく対等だ。

 暁が感じているそれは、確かにロックじゃないと表現すべきものなのかもしれない。

 スーパースターは同じく、スーパースターとくっつくのが妥当。

 そんな意識が世の中にはあるだろうか。

 しかし俊は損得だけで、人間関係を考えるところがある。

 もっとも俊に言わせれば、恋愛なんていう感覚そのものが、人間に生まれたバグなのであろう。


 純粋に成功のためにならば、これは悪い話ではないと思う。

 少なくとも春菜はそう考える。

「バックアップがレコード会社の巨大なものになると言ってたし、それを保証するためのものなのかな」

 政略結婚という言葉が、普通に春菜の頭の中には浮かぶ。

 春菜の家も遠くには、金持ち連中が多くいる。

 その中では金持ち同士で、結婚をするということがあるのだ。


 俊の場合は金銭ではなく才能ではなく、現時点での能力だろうか。

 それを引き出すためには、資本によるバックアップがあった方がいい。

 だが俊の、音楽のために命を賭けているような生活が、一般人には理解出来るのだろうか。

 ステージを前日にして、厄介な感じが働いている。




 色々なことが変わってきた。

 その変化の多くは、好ましいものであった。

 渡辺家の大きな家には、俊がいて音楽を作り続ける。

 皆がすぐに集まっては、どんどんと練習をして楽曲を完成させていく。

 そういう流れの中で生まれた曲が、世の中に出て行ったのだ。


 あそこはノイズにとっての、原点であった。

 そこに他の人間がやってくるのか。

 あるいは俊も家を出て、どこかにマンションでも借りるか買うのか。

 今のノイズの収入であると、特に俊の場合は、充分にそれが可能である。

「やだなあ……」

 暁は別に、あそこに住んでいるわけではない。

 しかしあそこは、仲間が安心して集まれる、聖地のような場所であったのだ。


 どうも暁の情動が、いつもと違うなと千歳は感じていた。

 普段よりもなんだか、子供っぽくなっていると言えるだろうか。

 月子も不安感を抱いているようだが、これはいいことではないだろう。

(明日はステージなのに、このタイミングって悪いんじゃないかな)

 一番まともな神経をしている、千歳としてはそう思うのだ。


 ただ俊としては、本当に特に彼女に、気がある素振りを見せているわけではない。

 所属しているレコード会社の、次期社長内定の人物のご令嬢として、普通に接していただけだ。

 あんな音楽にしか興味のない人間と、結婚するのは大変であろう。

 千歳としてはそう思うのだが、甲斐性という点では間違いなく、俊は立派な人間である。


 俊の話によれば、彼自身の両親の結婚も、契約結婚であったという。

 父親からはそれなりに愛情があり、母親も少しは愛情を持っている。

 少なくとも責任をもって、ある程度の年齢までは育てたのだ。

 そんな俊にとって結婚とは、果たしてどういうものであるのか。

 ラブソングをほとんど作らない俊は、おそらく恋愛については分かっていない。

 全く分からないわけではなくとも、女心が分かっていない。

 分かっていても音楽を優先するのであろうが。


 それにしても今は、こんなことをやっている場合ではない。

「明日はセッティングからリハまで、短い時間でやらないといけないしさ」

 千歳はそう言うのだが、暁は既に前年のことを考えて、音作りは上手く出来るようになっている。

 それにどうせ他のバンドのセッティングもあるのだから、朝が早いというわけでもないのだ。

「俊さん自身は、どうでもいいと思っていそうだけどね」

 千歳はそう言うが、実際のところは俊なら、自分の利益が最大になるところで、己の結婚を決めそうではある。

 ノイズの内部に軋轢が生まれそうな結婚を、俊は望むであろうか。


 だいたい考えてみれば、相手もまだ大学生である。

 少し話した限りでは、嫌味のないお嬢様のような人間であった。

 結婚をするにしても、大学を卒業してからになるだろう。

 ただそれまでに、婚約などをする可能性はあるのか。

「あの家はあたしたちのベースだよ」

「10年後の八月にも会いたいよね」

 暁に合わせて千歳も言うが、全く今までとは全く違った方向の問題だ。


 それにしてもノイズは、これまで恋愛関係や男女関係のあれこれが、内部に影響することはなかった。

 栄二は普通に既婚者であったし、娘とは何度も会っている。

 親戚の子供、というような感じを他のメンバーも持っているのだ。

 女を欲しがるのは男の性、といった信吾の場合は、普通に何人も恋人がいる。

 そんな信吾からすると、俊は性欲よりも他の欲望の方が上回る、世の中には珍しくない人間だと思っていたのだ。


 どこか裏切られた、というイメージがある。

 千歳としてはしょうがないな、という程度であるのだが、月子と暁はほぼ創設からのメンバーだ。

 また関係性についても、千歳よりはずっと深いものがある。

(バンド内恋愛禁止とか言ってたけど、ツキちゃんとくっついてたら、今頃はもっと平和だったんじゃないかな)

 千歳はそんなことも思ったが、口にしない程度の節度は弁えていた。

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