第330話 判断
午前中の短い時間に、セッティングとリハが行われる。
ノイズの面々ももう慣れたもので、さっとセッティングを完了していく。
下手に慣れすぎても問題だが、こだわるところと簡単なところを、純粋に分けられるならばそれでいい。
だいたい暁が最後まで、こだわっていることが多い。
しかしそれは音を色々と出して、遊んでいるとも言える。
直前のリハは、ピタリと合わさった。
「さて、出番までどうする?」
「あ~、囲まれたら嫌だな~」
俊や信吾と一緒にいたら、暁も自然と気付かれるかもしれない。
それは千歳も同じことが言える。
また月子はサングラスをずっとしているが、これで素顔が明らかになったら、一番注目されるようになるだろう。
スターダムに成り上がるというのは、自由度が減っていくということでもあるのか。
そのあたり信吾は、かなり気をつけて女に会いに行っている。
いまだに関係を切らず、しかし新しい関係は作らない。
信吾としてはさすがに、苦しいことになっているのではないか。
「昔メジャーリーガーで双子の姉妹を両方お嫁さんにした人いたわね」
阿部はそんなことを言うが、それも日本の社会ではマスコミがうるさいため、メジャーに渡ったというのが真相である。
俊としては経済力があるのなら、男がいくら愛人を持っても、別に悪いとは思わない。
逆に女が派手に男遊びをしてもいいが、男は一度に何人もの女を妊娠させられるが、女は一人ずつしか産めない。
生物的に仕方のないことであるが、一夫多妻にした方が、少子化は解消されるのかもしれない。
もっともこれをやった場合、いい男がいい女を独占し、普通の女はいい男の二号にも三号にもなれないであろう。
男も女も、相手に望みすぎているとは思う俊である。
今でも普通に、社会的地位のある男は、政略結婚などで女と結婚し、愛人を持つのがよくあることだ。
この愛人になれるのが、男の眼鏡に適った者になるわけだが。
信吾の場合はそもそも、愛人三人がそれぞれ稼いでいる人間だ。
売れていなかった頃は、ヒモに近い状態だったのである。
誰かを選ぶとしたら、果たして誰を選ぶのか。
誰も選ばない信吾は、本当にそのうち刺されるかもしれない。
それが分かっているからこそ、誰か一人に選ばないのかもしれないが。
俊としては自分の邪魔にならないのなら、別に誰と結婚してもいい。
また逆に自分の力になってくれるなら、政略結婚も悪くはないだろう。
ただ自分のような人間と結婚して、果たして幸せになれるのかどうか、それは疑問である。
結婚相手とノイズというグループ、どちらが大切かというのならば、ノイズのメンバーを優先するだろう。
「それはひどい」
「だが本音だ」
千歳は本当にひどいと思うのだが、俊は悪びれない。
人間の本能としては、自分の遺伝子を後世に残そうというものがあるはずだ。
しかし俊の場合は、自分の音楽で他者の人生を変えたいと思っている。
それは子供を育てるよりも、はるかに大きな影響を残すことではないか。
ロックスターの中には、家庭を持つのに不向きな人間が多くいた。
しかしその音楽は、世界に強烈な影響を残したのである。
ノイズの中で結婚願望があるのは、千歳だけである。
月子の場合はそもそも、自分に子供が育てられるとは思っていない。
また暁の場合も、あまりそういったものに関心がない。
ただ俊がバンドよりも奥さんを優先したら、ちょっと怒るだろう。
信吾や栄二についてはともかく、俊はそういうタイプではないと思っているので。
そんなノイズの様子を、また専務が見にやって来た。
ご令嬢も一緒だが、今日は完全に装いが違う。
「皆さん、準備は良さそうですね」
専務はそう言っているのだが、お嬢さんは昨日の清楚なワンピースと違い、バンドTシャツにジーンズ、足元もスニーカーという身軽ないでたちであった。
「ええ、こちらも慣れたもので。お嬢さんは一緒に回られるんですか?」
「いや、この子はけっこう活発と言うか、友達と一緒に色々と回ると言っていてね」
「でもノイズの皆さんのステージには、絶対に前にいますから」
「あんまり前だと危ないなあ」
思わず千歳は心配してしまった。
ありふれたお嬢さんかと思ったら、真剣にステージを回る覚悟もしている。
なんとなく金持ちに対して持っていた反発が、失われてしまった気がする。
この野外型フェスは、ステージ間の移動にも距離がある。
大自然の力を感じてくれ、という意図が運営にはあるのだ。
もっともフードコートなどは、明らかにスポンサー企業が入っている。
経済原理からは逃れられない、というのは今の世界では当然なのだ。
ヘッドライナーのステージまでは、まだ六時間以上の時間がある。
それをずっと会場を回って、楽しみながら過ごすのも難しい。
有名になってしまうと、本当に有名税というのが出てくるのだと思わされる。
「来年のシカゴのフェスにも出られたら、怪我をしてしまった人たちに、入場券と航空券のチケットを送った方が良さそうかな」
俊としては露悪的に、そんなことも言っている。
まさに生贄となってくれたおかげで、ノイズはこれだけの知名度を手に入れたのだ。
俊は性格が悪いわけではない。
むしろ正直な方であろう。
正直に言ってしまうと、性格が悪いと思われる場面が、この世界には多すぎる。
もちろん俊もちゃんと、オブラートに包むぐらいはしているのだが。
身内や認めた相手に対しては、正しい評価をそのまま伝える。
なので辛辣だな、とはよく言われるのだ。
どうもあのお嬢さんは、思ったよりは俊に合いそうだ。
人格の根底にひねくれた、そして陰鬱なものを抱えている俊に対しては、おおらかに育った人間の方が合っているだろう。
それに前日の場違いな服装を、ちゃんと変えて回るだけの気合もある。
「なんか意外と良さそうな人だったね」
一度ホテルに戻る関係者用通路の途中で、千歳はそんなことを言った。
だが女性陣からの反応がない。
阿部としては次期社長との関連は、強くしておいた方がいいと思う。
ただそれはノイズが、今のままのGDレコードに所属しておくならという話だ。
久しぶりに、ムーブメントを作るスターが誕生した。
爆発的に人気が上がったというと、ヒートを思い出す。
セックス・ピストルズよりも短かった、あの鮮烈な印象。
短いからこそ輝くものもあれば、長く君臨して確かとなるものもある。
春菜はノイズの中でも、月子と暁の反応を見ている。
二人は女性陣の中でも、俊との関連性が強い。
千歳は純粋に、俊に関しては師匠に対する敬意を抱いていると思う。
だが月子は居候という名の同居生活も長いし、暁は親戚のお兄ちゃん的に感じている。
今日のステージにおいては、そのあたりの感情がどう出るか。
そんなわけでこのステージ前の時間の過ごし方も、重要な集中力を上げる場となっている。
春菜としてはノイズの男性陣、残り二人を当てにするしかない。
「俊は放っておくと早死にしそうだし、家に入って様子を見てくれそうな女性ならいいんじゃないか?」
「美人だしバックアップもしてくれそうだし、バンドとしてはいいだろう」
駄目だこりゃ。
基本的にお嬢さんが、好感度の高い人間であるのが、春菜としては問題である。
しかし、俊の家庭的な幸福を考えるなら、確かに良さ気なのかもしれない。
少なくとも千歳は、反感が薄くなっている。
ただ俊は月子にとって、自分の保護者と言えようか。
いや、月子が本当に一人で生きていけるだけの力を付けたという点では、人生を変えてくれた人間なのか。
難しい問題と言える。
そもそも相手はまだ大学生なのだから、すぐに結婚ということにもならないだろう。
彼女自身はどう考えているのか、それも確かめておくべきであろう。
少なくともノイズの男性陣は、あまり当てにならないらしいし。
「ちょっと会場に行ってきます」
「気をつけてね」
阿部はどう考えているのか、春菜としては分からない。
だが政略結婚と考えるなら、確かに悪いことではないのだ。
ビジネスや損得で考えるならば。
ただこれはノイズの音楽性そのものには関係ない。
俊の優先順位を考えれば、ノイズの中に不協和音を組み入れるはずはない。
だが必要だと思うならば、引き入れてくるだろう。
強大なライバルの存在さえも、必要だと考えている求道者。
アーティストと言うよりは、芸の鬼に近い。
月子がよく見ていたタイプの人間なのだが、そのあたりは春菜の知ったことではない。
このフェスともう一つのフェスが終われば、今年の夏の予定は消える。
そして九月は休み、10月からは順調にライブをしていく。
だが年の瀬のフェスなどの参加はともかく、次のステップをどう踏み出すか。
アメリカに行くタイミングが、微妙に決めづらい。
千歳の予定に合わせるなら、二月から三月頃にすべきなのだが。
日本は国内であれば、どこでも普通に移動が出来る。
しかし海外への移動となると、向こうを移動しつつツアーをするしかない。
「どうするかな……」
それもこの夏の、残り二つのフェスの結果によるのだろうが。
部屋で考えていた俊を、ノックとともに訪れたのは阿部であった。
阿部としてはこの業界、綺麗ごとだけでは済まないことが分かっている。
「あのお嬢さん、どうするの?」
「本人についてなら、許容範囲ですけど」
まるきり他人事の俊に対して、阿部は印刷した資料を何枚も渡した。
彼女本人の素行に関するものと、その父親に関したものだ。
さらにはそこからつながる、音楽業界の人脈図と言えるだろう。
こんなものが用意されているということは、阿部は事前に知っていたということか。
いや、知らされていたからこそ、このタイミングでやってきたのか。
「悪くない条件ですね」
「本人の方も、そんなに爛れた過去を送ったことはないみたいね。大切に育てられたお嬢さん、ってとこかしら」
「そんな大切な娘を、よくもまあ」
俊が浮かべた笑みは、苦いものであったろう。
過去に異性との恋愛に発展したことは、少なくとも調べた限りではないらしい。
ただミュージシャンの誰かのファンだとか、その程度のことはある。
本人は昔から、永劫回帰のゴートのファンだとか。
まあ全国にごまんといるゴートのファンなのだし、別に嫉妬するわけでもない。
「お付き合いをするのはいいとしても、ノイズの他のメンバーへの影響も考えてね」
「そんなことをしている暇はないでしょう。俺に時間を使わせるようなのは、ちょっと考え物です」
ひどいことをいうなあ、と阿部としては思う。
だが俊はこういう人間であるのだ。
何も今すぐ、というわけでもないだろう。
あちらが今大学の三年生なのだから、卒業してから結婚というのが妥当なところだ。
俊の家にノイズのメンバーがたまっている、今の状況。
月子と信吾だけではなく、暁も月子の部屋に泊まっていくことが多い。
一人暮らしを始めて、そのあたりは緩くなっている。
信吾はともかく月子と暁は、ノイズのメンバーのことを家族も同然に思っている。
なので栄二の娘の陽鞠には、お年玉をあげたりするのだ。
今のアットホームな関係が、ノイズにとっては最良ではないのか。
そのあたり俊がどう考えているのか、阿部としてもはっきりしないところがある。
少なくとも阿部の知る限りでは、どんな女の影も見えてこない。
彩とは少し関わっていたが、あれは異母姉であったそうだし。
他には音楽業界の関係者と、話し合う姿しかない。
高校時代と大学時代には、それぞれ彼女がいたという。
だが向こうから迫ってきて、俊の素っ気なさにすぐに別れたとか。
まあ若いうちはそうだろうな、と阿部としても思う。
しかし夫とするならば、俊は外でしっかりと稼いでくる人間だろう。
「俊君としては、どういう関係がいいわけ?」
「そうですね。まあ俺の音楽を邪魔しない程度にはわがままを言って、子供が出来たら俺が離れすぎないように注意してくれる、そういう母親になってほしいですね」
なるほど、別に子供がほしくない、というわけでもないらしい。
あくまでもこれは、俊個人のことなのだ。
阿部が口を出すのは、本来なら踏み込みすぎだ。
ただ俊という人間のことを考えるなら、これぐらいはプライバシーの範囲ではない。
「ノイズと彼女、今の時点ならどっちを取る?」
「今の時点なら、考えるまでもないでしょう」
芸の鬼だな、と阿部も同じようなことを思ったのであった。
春菜は専務のお嬢さんと、連絡先を交換していた。
業務の一環として、今日は案内することがあるだろう、という理由である。
友人たち二人と一緒に、ステージを回っている令嬢。
それと連絡を取って、春菜は二人で話す機会を得たのであった。
直接専務と話すのは、少し敷居が高い。
だがその娘とであれば、そこまでの圧力は感じない。
連れの二人が見たいステージに行っている間に、春菜は彼女と話す機会を作れた。
そして彼女自身がどう考えているのか、それを知ろうとしたのである。
音楽業界を含む芸能界というのは、血縁などの関係が大きい。
才能で決まる世界と思いがちだが、政治家や企業家などの子息が、真剣に趣味の延長でやっていたりする。
たとえばゴートなどがその典型的な例だ。
そして俊にしても、分類するならばそういったもの。
「渡辺さんのことですか」
フードコートで一息つきつつ、春菜との対話を行う。
「俊さんは別に、ノイズの誰かと恋愛をしているわけじゃないけど、なんだかんだ言って家族的なところもありますし。そのあたりをどう考えているのかなって」
「父はおそらく、結婚相手としてかなり、真剣に考えているとは思います」
それを冷静に話すあたり、いいとこのお嬢さんという感じは間違いではないのだ。
お嬢様が行くような、音大に行っている。
音大というのは医大の次に、学費が高いような大学なのだ。
私立でそんなところに行くというのは、当然ながら富裕層の出身なわけである。
もっとも専務はレコード会社内で、派閥争いを制したあたり、ただのエリートというわけでもない。
「父は私を、どこにお嫁に出しても恥ずかしくないように、と育ててくれましたから」
音楽以外の趣味についても、子供の頃は色々とやっていたという。
その中でもピアノが好きであったため、音大に通わせてもらっている、ということだ。
「けれど父も、本当に私の幸せを考えてくれているのだとは思います。渡辺さんは、とても強い人のようですし」
メンバーを含む身内からすると、もうちょっと自分の体を労わってくれ、と思うのだが。
今は月子がいるので、ある程度の無茶は抑制するようになっている。
一緒に住んではいるが、信吾は外泊することも多いのだ。
「昔からパーティーで、男性と引き合わされることはありましたが、渡辺さんのような強い人は今までいなかったと思いますし」
「結婚相手としては、申し分ないと?」
「私、本当にノイズの音楽は好きなんです。ですから結婚相手とか婚約者になっても、むしろ嬉しいぐらいなんですけど」
春菜を見つめるその視線には、どこか透明なものがある。
「あまり望まれていませんか?」
「う~ん……」
話していても、悪い人間だと思えない。
問題は単純に、俊を取られると思っている、月子と暁にあると言えるだろうか。
なんだか悪いのはこちらのような気がする。
それにあえて少し外の立場から、俊の体を心配してくれる人間は、いた方がいいのだと思う。
もちろん春菜も色々と心配はしているが、マネージャーとしての一線は守っているのだ。
「どのみち、すぐに話が進むようなことじゃないと思いますよ」
「それはそうでしょうね」
まだ大学生なわけであるし、結婚には早いのは確かだ。
しかし婚約ぐらいはして、囲い込むことはしてくるかもしれない。
果たして春菜は、どちらの味方をすべきであるのか。
正確に言えばノイズメンバーにとって、どちらの選択のほうが正解であるのか。
(せめてもっと分かりやすい、高飛車お嬢様とかなら良かったのになあ)
春菜の判断は、どちらが正解かなど、まだとても出せないものであったのだった。
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