第331話 時の果ての音楽
野外フェスの中でも特に、フォレスト・ロック・フェスタは普段何もない、巨大な自然公園を舞台とする。
ステージ間の移動も距離があるため、なかなかお年寄りには辛いものとなる。
お年寄りだからといって、足腰が弱っているとも限らないが、とりあえず体力が必要なフェスだ。
そしてそれは演奏する側も同じである。
ただ去年まではノイズの面々も、普通にあちこちを出回っていた。
他からの刺激を受けることは、いいことであるのは間違いなかった。
しかし今年はもう、周囲から向けられる視線が痛い。
別に見られるぐらいなら、構わないとも言える。
実際に接触されるのが、本当に面倒なだけだ。
ルックス売りはしていないが、信吾は普通に女性ファンが多い。
また暁などは小柄な体でギターを激しく弾くのが、ギャップ萌えであるらしい。
水着になったらはっきりと分かる、体格に比しての巨乳も魅力であろう。
ホテルで待つ時間は長かった。
集中力をどう保つのかが、メンバー全員の課題ではあった。
春菜としてはその空気を感じると、ご令嬢の話を伝えるのも憚られる。
思ったよりもずっといい人、というのは分かった気がする。
彼女本人もだが、友人というのがタイプが違い、ガチガチのロックファンのファッション。
それと平然と付き合っているのだから、偏見がないタイプであるのだろう。
交友関係が広いというのは、人間の人格の奥深さであるかもしれない。
もちろんたった少し会話しただけで、その人間の本質を当てられるとは思わないが。
だが少なくとも、分かりやすいマイナスイメージはなかった。
単なるマネージャーである春菜にも、下手にへりくだることもなく、普通に接していたのだから。
(俊君のことを考えると、悪い相手じゃないと思うけどなあ)
そもそも悪いと思っていたら、阿部も止めるであろう。
また専務にしても、金の卵を産む存在の俊に、娘というだけで相手をつけるであろうか。
政略結婚と言うか、見合いに近いのではないか。
晩婚化や少子化が叫ばれる現在、稼げる男が多くの子供を作るのは、悪いことではない。
もちろんそこまで割り切って、春菜は考えているわけではないが。
純粋にマネージャーとして、ノイズの今後が心配なだけである。
稼ぐ金額が多く、阿部と俊が多くの、それこそ本来の意味でのマネジメントをするので、春菜の仕事は楽なものになっている。
だが時々阿部も俊も、専門的なことを教えて学ばせてもいる。
あまり甘やかしすぎると、人間はより楽な方にいってしまう。
ほどほどに難しいこともしなければ、マネージャーという仕事にもやりがいを感じない。
人間は仕事にやりがいを感じていれば、人生のおおよそが幸福なのである。
やりがいを感じているというか、もはや執念とも思われる俊。
楽屋となっているテントに入り、ヘッドライナーとしての出番を待つ。
こういった野外フェスで、しかもそれなりに交通事情が悪いとなると、最後まで客を引っ張れるミュージシャンでなければ、ヘッドライナーであることは許されない。
少なくとも今は、夏の長い日が、完全に没しようとしている。
ようやくここからがノイズの出番である。
設営がスタッフの手によって完了して行く。
エフェクターの調整などは、暁が最後に自分で調整する。
他人に任せられないあたり、ギタリストとしてのこだわりと言えようか。
だが月子の三味線も、本人が最後に確認するのだ。
「よし、行くか」
俊の言葉に、他の五人が立ち上がる。
今日のフェスに関しては、心配していることが一つあった。
先日の事故において、千歳のトラウマが刺激されたことである。
ただ思いもよらない展開で、メンバーはおおよそそれを忘れている。
忘れていないのは俊ぐらいであろうか。
栄二も忘れてはいない気がするが。
心配していることがあるなら、他の何かで上書きしてしまえばいい。
別にそんな意図があったわけではないが、俊は千歳が集中できているな、とは思っていた。
これを最後にステージは解体され、またどこかで使われることになる。
そのステージにノイズは上がるが、完全に夜の気配が感じられる。
日中の完全な暑さとは、違ったものがまだ地面にへばりついているように感じられる。
数日間の間に、この大地には音が染み込んでいった。
もちろんそれは物理的にありえないものなのだが、実際にそれを感じるならば同じことだ。
ヘッドライナー。
それも最終日ともなれば、間違いなくスターダムの頂点に位置する。
時期的なものもあったし、予定していたミュージシャンが抜けたということもあるが、上手くいく時とはそういうものだ。
アイドルのコンサートでもないが、ペンライトが目立っている。
昼間は地面がうねるように見えるが、夜であるとこうなるのか。
武道館やアリーナと違い、高所に客席はない。
そのため大地の先までずっと、ペンライトの光がある。
『どーも、ノイズです』
本日のMCは、千歳が最初を担当する。
珍しくも彼女から言い出したことだ。
『最終日、熱がこもって盛り上がってるけど、前に来過ぎたら駄目だからね。怪我人出したら、本当に危ないから』
かすかに笑いが出てくるのは、それを冗談と思っているからか。
『冗談じゃなくてさ。怪我人のお見舞いが美談になってるけど、内臓破裂で死にかけたなんて、あたしらも悲しいし』
真面目なトーンであるが、その間にも暁はちょぼちょぼと、ギターの弦を鳴らしている。
『ま、あんまり重くなりすぎてもいけないし、行こうか!』
こうやって普通のやり取りをするのは、千歳は本当に感性が一般人に近い。
ステージの上からは、もうオーディエンスの顔が見えない。
だが熱量だけは、ひしひしと感じられるのだ。
月子の三味線と、暁のギター、二つが微妙な調整をされていく。
そして二人が頷き合って、最初の曲が始まった。
霹靂の刻。
天地を揺るがすような爆音が、まさに雷のごとく走っていく。
彼方の群集まで、包み込むように。
月子と千歳、二人の声が届いていく。
東北の冬は特に、日本海側からの風が強い。
その激しい冬の中、かつては三味線一本で、渡り歩いていた盲人たちがいた。
そういった人々は伝承してきたものは、今は伝統民謡となっている。
しかし本質的には、芸の世界なのだ。
苦しみを月子は知っている。
暁には分からないものであるが、それでも二人は友人になれる。
寂しいのに、寂しいと感じる時間が長かった。
その痛みを共有することで、二人は共感出来るのだ。
ノイズという居場所は、二人が共存できる場所。
この六人のためのもので、俊の家がノイズのベース。
佳代や阿部、そして春菜でさえも、訪れるのはあくまでも客人。
そこに無関係の誰かが来てほしくはない。
ステージはノイズメンバーの聖域だ。
ここには完全に、阿部も春菜も踏み込むことは出来ない。
開始から終了まで、俊が管理している。
もしも誰かが倒れても、俊か栄二が対応するだろう。
今日は二人ほど、倒れそうな演奏をしている人間がいる。
月子と暁である。
(なんとかするけどさ!)
左右からの圧力を、一身で感じている千歳である。
潰されそうな二人のパフォーマンスを、受けられるほどの強さ。
当然のことだが、ノイズの結成以来一番成長したのが千歳。
いまだに伸び代があるのも千歳である。
しかしまだまだ追いつけない。
背中が見えていても、ほとんど差が縮まらない。
音楽の世界というのは、こういうものなのかと感じる。
音源で聴いてもある程度分かるが、ライブに参加していればより分かる。
そしてステージに共に立っていれば、明確に感じる。
(また、あのドームみたいなライブがしたいな)
ステージにいた全員の中で、自分が一番下手くそであった。
それでも一番いい演奏が出来たのが、あのドームであった。
アメリカでのステージより、さらに一回り大きい。
聴いていても阿部は、はっきりとそれが分かる。
(千歳ちゃんのトラウマは、全然心配なかったか)
そんなことを考える、余裕が全くないのであろう。
あのシカゴのステージで、何かを得ることがあったのか。
スタジオの練習では感じ取れなかったが、何か大きなものが響いてくる。
月子と暁の二人が、特に激しい。
その二人のプレッシャーが、千歳のトラウマを凌駕しているのだろう。
俊が珍しく苦労している気がする。
普段はステージの前に、全ての準備を終えている。
そしてあくまでパフォーマンスでは、自分は黒子に徹するのが俊だ。
しかし今は微調整に、苦心惨憺といったところか。
信吾と栄二の二人がいるので、崩れずに済んでいるところであるが。
砂上の楼閣という言葉もあるが、ものすごく微妙なバランス取りだ。
俊はあえて自分の音は減らしていったりもする。
テンポが人間の演奏でしか出来ないように、徐々に早くなっていったりする。
走りすぎとも思えるのだが、それがむしろ爽快なのだ。
(天才はこれだから)
いくらでも努力だけは出来る人間は、そんな風に感じていたのだ。
信吾と栄二は自分の体に、太い鉄柱を一本通し、地面に突き刺すような感覚で弾いている。
そうでもしないとぶん殴られて、どこかへ飛んで行きそうになる。
あるいは膝から崩れて、その場に座り込んでしまうか。
最初から座っている栄二はともかく、信吾は受け止めるのが苦しい。
(音がシリアスすぎるだろ)
テンポが明らかに早く、それを俊が修正できない。
セットリストの曲は、順調に消化していた。
ただほんのわずかずつ、本来のテンポよりも早い演奏だ。
これはちょっと、アンコール用の曲まで、全て消化してしまうのではないか。
もっともヘッドライナーのため、多めに用意してはいたのだが。
盛り上がっているのは間違いない。
だが暴走の一歩手前でもある。
だからこそこの、熱狂を呼んでもいるのか。
正しく演奏することを100点とするならば、この演奏にはひどい点数が付けられるだろう。
しかし綱渡りをするような、暁のギターのリフレイン。
そこからすぐにアドリブでソロが入ってくる。
月子のボーカルも、タメが入ってわずかにうねる。
音を外しそうになるのだが、ぎりぎりで外れていない。
その間に立っている千歳が、一人泣きそうになってはいるが。
(でも、次はさすがにバラード)
ここで休みを入れられる。
ライブというのは生き物である。
ただ有機的なつながりなだけに、一人が勝手に走ってはいけない。
しかしノイズのメンバーは、結成からそれほど時間は経過していないが、過ごしてきて練習してきた時間は長い。
すると練習の中でも、色々なアレンジが出てくるわけだ。
目と目を合わせた月子と暁は、暁の笑みに月子が備える。
ギターが鳴り響く。
しかしバラードではない。
(いや、これは)
練習の間には、色々とやってみたものだ。
バラードのロックポップアレンジなども。
(あれは途中までしかやってなかったろうが!)
(ふぎゃー! 勘弁しちくり!)
半泣きになりながらも、千歳はなんとか合わせていける。
打ち込みの調整でどうにかなるものではない。
俊はシンセサイザーで、足りないところをフォローする。
信吾と栄二にしても、しっかりとアレンジに応えられる。
ノイズは六人のグループであるが、同時に一個のグループだ。
誰がどれぐらいのことを出来るか、おおよそは把握している。
だからこそこんな、無茶苦茶なことも出来るわけだ。
ギターの無茶ぷりから、一曲が終わった。
初めて聞くアレンジに、オーディエンスは盛り上がっている。
まあそれは分からないでもない。
今まで聴いていたものが、全く違う展開で発表される。
完成度が低くても、既に耳に慣れた曲であると、それだけで新鮮さが加わる。
次は何をするのか、という期待がまたも出てくるだろう。
ドラムから始まる。
そしてこれもまた、アレンジされたものになった。
逆パターンだ。ロックをバラード調にしている。
テンポを落として、音も減らしている。
それにベースも合わせていった。
お前らなあ、と俊は言いたい。
ただここでペースを落とすのは、分からないでもないのだ。
セットリストのバランスが崩れたのを、無理にでも元に戻す。
それでいながら下手に、冷水をぶっかけるようなことはしない。
俊もシンセサイザーを、ストリングス系の音に変えた。
甘く優しい旋律となっていく。
暁のギターも、長く遠くに響く音になっていった。
そして月子の歌も、高音で長く伸びていく。
大変なのは千歳で、ギターのリズムは放棄して、上手くコーラスすることに専念する。
随分と基礎が鍛えられている。
そうでなければとても、月子には合わせられなかった。
熱量はたもったままで、しかしちゃんと休ませる。
そういった構成をしなければ、またオーディエンスの暴走が生まれるのだ。
最後に何をやるのかは、最初の時点で決めていた。
結局はシカゴのフェスで出来なかった、白雪の曲である。
果てしなき流れの果てに。
これは打ち込みを多用しない限り、ノイズ以外のバンドでは出来ないのだ。
ノイズにしても完全にやるには、俊が大変になる曲である。
既に正規の時間は過ぎているが、これをやらないと終わった空気にならないだろう。
『なんだかアンコールに応えてばっかりだけど、これが本当に最後だから!』
そう叫ぶ千歳は、本当にヘロヘロになっている。
月子と暁も、凄まじいエネルギーを発散してはいた。
だが二人はまだしも、ちゃんとメリハリをつけていたのだ。
それに対して千歳は、アクセルとブレーキを何度も行った。
二人の間の調整に入れば、こういうことになるのだ。
しかしこれが本当に、今日の最後の曲になる。
果てしない時の流れの果てに、果たして何があるのだろう。
人々の生活は続いていくが、人間は誰しもが生まれ死んでいく。
それはこのステージに立つ全員が一緒で、そしてそれを聴いている全員も一緒だ。
いつかは必ず死んでいくし、それが同時なはずもない。
人類はこれからどこへ行くのだろうか。
月にまでは立ったが、次の目的地はどこなのか。
火星にまで行ったとして、その先はなんなのか。
かつて打ち上げた巨大なロケットの先端が、今では太陽系外を移動している。
そんな遠くまで、人間が生きているうちに、行けることがあるのだろうか。
やがては太陽もまた、寿命を迎えて死んでいく。
地球という巨大な存在でさえも、やがては太陽に飲み込まれていく。
その運命を覆せる可能性をもった、唯一の存在が人間。
少なくとも太陽系の外までは、人工物を届けることに成功した。
電波に乗って流れる音楽は、今も宇宙を漂っている。
人類が初めて電波に音楽を流してから、今でどれぐらいの時間が経過したのだろう。
人が他の星へ到達する、それよりもはるかに先に、電波となった声は届いていく。
人間の歌もまた、届いていくのだろう。
宇宙の深淵のはるか先、あるいは人間よりもはるかに優れた種。
もしくは人間と同じような種が、この宇宙にはいるのかもしれない。
果てしなき時の流れの果てに、歌は届くのだろう。
一方的なメッセージであるが、それは光の速さで移動して行く。
ブラックホールに飲み込まれることもあっても、それ以外の方向へ進んでいく歌もある。
果てしない時の流れの果てに、歌は永遠のものになる。
この宇宙が終わるまで、歌が消えることはない。
人類は既に、永遠を手に入れている。
アナログな音楽が、先に果てに届いていく。
デジタルな音楽は、そのままでは分からないだろう。
宇宙は広がって、やがていつかは収縮して行く。
その宇宙の寿命の果てに、音楽はまた戻ってくるのだろう。
その時には既に、人類は滅亡しているかもしれない。
だが果てしなき時の流れの果てに、音楽は最後まで残るのだ。
演奏が終わった。
夏の暑さのせいだけではなく、全員が汗だくになったステージであった。
千歳はふらついて、わずかな段差で転びかける。
それを止めようと手を伸ばした月子も、一緒になって転んでしまった。
「あ」
月子の仮面が外れている。
「メガネメガネ」
月子、それメガネちゃう。
わずかではあったが、素顔が見えてしまった。
もっともマナーのいい日本のフェスで、しかも終わったタイミングであったため、カメラを向けていた人間はほとんどいなかった。
いたとしてもそれを、上手く撮影出来た人間はいなかった。
先に倒れたはずの千歳が、仮面を月子に渡す。
ノイズの演奏が終わった。
そしてこれで、今年のこのフェスも終わる。
次は八月末のフェスであり、それが終われば夏も終わる。
まだまだ暑いのであろうが、一応は夏の終わり。
ノイズも休暇に入っていく。
休みの前に、まずはあと一回。
今度は無茶はさせないぞ、と考えている俊。
まったくもって、月子と暁、特に暁が走りすぎた。
ステージが崩壊しなかったのは、本当にギリギリであったのだ。
(しかし……疲れたな)
悪い気分でないのが、ちょっと困っている俊であった。
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