第332話 酒の話
祭りの後は大変なものだ。
特にヘッドライナーなどをやっていると、帰り道は群集に巻き込まれる。
それを恐れて近辺のホテルにもう一泊。
運営も撤収は明日の朝になってからである。
「まあ、言いたいことは色々あるけど、とにかく乾杯」
俊はそう言ったが、暁だけはまだ誕生日が来ていない。
つまらないことでスキャンダルになったら困るので、オレンジジュースなどを飲んでいる。
ホテルのバーで軽くつまみながら、食事もこちらに持ってきてもらった。
崩壊寸前のステージであったが、同時にスリリングなステージでもあったのだ。
腹を満たしてから、さて反省会をしつつ今後も考えなくてはいけない。
なおこの場には春菜はいるが、阿部はいない。
レストランの方で専務親子と、これまた話し合いを行っている。
ミュージシャンに限らずアーティストには、なんらかの刺激が必要である。
バンド内がギスギスしていても、バンド自体の活動は活発、ということはあるものだ。
ただそこに男女関係が介在すると、崩壊すると昔から言われている。
恋愛はバンドの外で、というのはノイズのルールである。
俊がそれを決めて、実際に外で相手を作ろうとしているのだ。
本来ならば何も、問題などはないはずである。
ノイズの関係性は強固過ぎた。
六角形が最も安定しているというのは、よく知られていることだ。
ただ普通に恋愛の興味がある千歳でさえ、結局は恋人を作っていない。
そもそも家庭があった栄二と、元から恋人を三股していた信吾。
この二人以外には異性の影もないのである。
俊はそもそも、男女の恋愛関係など、全く信じていない。
それは幼少期に両親が離婚していると、それなりにあることらしい。
ただ彼の場合は彩との爛れた関係や、向こうから来たのに勝手に去っていくという、そういう恋愛をやってきてしまった。
恋人よりも音楽を優先する。
いくら金持ちのボンボンで、才能が見えたとしても、限界があるだろう。
特に学生時代の恋愛などに関しては。
恋愛は感情だが、それが大人になって結婚となると、生活となってくる。
一般人の感性を嫌って、まともな結婚生活を送れないのは、スターにはよくあることだ。
多くの人が破天荒な人間を求めていたのは、もう前の時代となる。
SNSなどで距離感が近くなると、むしろ妬ましいと思えてくるのだ。
俊はその点、性格に角があるが、それでも周囲には味方が増えるように行動してきた。
内心では馬鹿にしても、そっと距離を置くか縁を切ってしまう。
ただ大学時代のコネクションなどは、今でもそれなりにつながっている。
暁のスタンドプレイに関しては、俊がどうこう言うよりも先に、一気にアルコールを入れた千歳がつっかかった。
「この子はもう! 勝手に突っ走って!」
まあ今日のステージでは、一番大変だったのは千歳であろう。
素面の暁としては、抵抗が出来るものではない。
もっとも彼女も間もなく、20歳にはなるのだが。
月子も珍しくそれなりに飲んでいるが、彼女の場合は酒に相当強い。
それでも節度を保って、千歳の怒りが自分に向かないよう知らん振りを続けていた。
信吾と栄二も純粋にバンドメンバーとして、暁の才能は認めても、行き過ぎに関しては厳しい目をする。
この中では最年少ということもあるが、最近は甘えが見えているのも確かなのだ。
ただ暁は父親の再婚と合わせるように、家を出た。
別に継母と険悪なわけでもなく、普通に時々帰っている。
だがより俊の家に、つまり月子の部屋に泊まることも多くなっている。
バイト先に行くのには、借りているマンションの方が、便利なのは間違いないのだが。
どうせ毎日練習はするのだから、誰かと合わせられる俊の家に来るのも当然なのだ。
子供の頃は父が出張する時など、祖母に預かってもらうことが多かった。
ある程度長じてからは、自分で生活のことは出来るようになったのだが。
一人で暮らすというのは、それまでも普通にやってきたことのはずだ。
ただ仲間を見つけてしまってから、そこを自分の居場所と感じてしまった。
孤独に慣れていたはずの人間が、仲間の温かみを知ってしまうと、そこから離れがたくなる。
それは別に、暁だけの話ではない。
ぐだぐだになった千歳は、月子の膝を枕にしていた。
そして暁はようやく解放されるかと思ったら、その月子にロックされている。
珍しくも春菜からも、苦言を呈されている。
すると男共三人が、ひっそりと話す隙も生まれる。
「あのお嬢さん、どうするんだ?」
女性関係では一番ややこしいことをしている、信吾がそう囁く。
「千歳はそれほどでもないだろうけど、あとの二人は小姑みたいになりそうだぞ」
「ノイズはつながりが強固になりすぎたな」
栄二の言うとおり、月子と信吾が同居している上に、暁もかなりの頻度で泊まっている。
実家というのはさすがに違うが、ベースとして機能しているのだ。
音楽に満ちた、安心できる場所。
それに共同生活をしていれば、料理や掃除などはかなり、分担して行うことが出来る。
さすがに洗濯は、男女別に行っているが。
そういったあたりはハウスキーパーが、基本的にはやってくれているというのもある。
何かを思いついたら、すぐに地下で試すことも出来る。
電車一本で渋谷などに行くことも出来る。
また郊外に出るための足も、しっかりそろっているのだ。
快適すぎて出ることが難しい。
メンバーはそう思っているだろう。
ただ栄二は家庭があるし、信吾は女の家を巡っている。
二人に比べると女性陣は、ベースキャンプへの依存が強く思えてくるのだ。
一泊したノイズメンバーは、東京へと戻る。
これからまたおよそ二週間後、今度は千葉でフェスが行われる。
夏場のフェスとしては、最大級のものはこれで終わりとなる。
そのための準備の大枠は、既に俊は考えている。
こちらも複数回の参加経験があるため、演出はある程度決まっているのだ。
二日目メインステージの、ヘッドライナーから一つ前。
来年はこれが、ヘッドライナーになるだろうか。
ただそのあたりにあまりこだわりはない。
もちろんヘッドライナーはトップの証明の一つであろうが、プレッシャーもかかってくる。
ノイズの場合はプレッシャーに弱いタイプがいないが。
パッションやフィーリングは、確かにその場で生み出すものだ。
しかし完全に仕上げたテクニックは、心理状態と別に肉体を正確に動かす。
もっともいくら技術があっても、人間は人間である。
月子や暁に引きずられたら、止められるものではない。
だから技術によって、出来る範囲の音だけを拾っていく。
天才には追いつけない。
だがその踏み台になることは出来る。
俊から天才と思われている暁は、一人で住むマンションに帰宅した。
それほど大きな部屋ではないが、防音室があるちゃんとした物件だ。
ここのオーナーである白雪は、夏のフェスを欠席している。
MNRの活動も休止しているが、紫苑とは少し話すこともある暁だ。
一人の部屋である。
父の出張が多かったので、一人で過ごす日も少なくはなかった。
以前にはさみしくなかったのに、今では孤独を感じる。
ノイズの中にいすぎたのか。
人間の生活の雑音が、この部屋の中にはない。
一人では生きていられなくなった。
いや、一人では生きていられないということを、ようやく理解したと言うべきか。
父と長く過ごしたあの部屋は、今は実家となっている。
別に戻っても悪くはないし、母と思うことは難しいが、姉のように感じる継母はいる。
「久しぶりに帰ってみるかな」
月に一度は顔を出すようにしているが、暁の部屋は元のままに保たれている。
こんな時でもギターは背負っていく。
むしろ今のマンションに、メインのレスポールを置いたままというのはないのではないか。
ノイズのベースである俊の家には、置いたままで出かけたことがある。
そのままアルバイトに行って、また戻ってくるという場合だ。
アルバイト先にも、また顔を出さないといけない。
あらかじめ事情を分かってもらった上で、今の店で働いてはいる。
八月は随分と休んだため、九月はその分働かないといけないだろう。
色々な客が、色々なギターやベースを持ってくる。
ギターがいくら弾けても、構造などを完全に分かっているわけではない。
ただ修理したり調整したギターを、試し弾きするのは楽しみだ。
先にバイト先に行って、それから家には行くべきか。
(順番的にそっちの方がいいか)
そして行ってみれば、やはりフェスには見に行っていたというバイトの仲間がいる。
休んでいる間に、色々とまた修理の品は持ち込まれたらしい。
メンテナンス程度ならば、暁も既に出来るようにはなっている。
九月以降は、とりあえず九月については、仕事の予定が入っていない。
そんなこともあって、色々と話すことがあった。
随分と古いギターが持ち込まれて、これはなんだと思ったものである。
レスポール・スタンダードの59年物なんか手に入らないか、などという別口の案件もあったりする。
それはパーツが揃っていれば、2000万円はするものだ。
ちなみに暁の父である保は、今ほどギターが高騰する前に、買っていて持っていたりする。
もっとも右利き用なので、あまり使う機会がないのだが。
いつかは自分だけのギターを。
イエロー・スペシャルを作るのだという夢はずっと持っている。
今はまだ、選んだ素材を乾かしている段階。
いずれは必ず作り上げるが、今はまだ電装系を学んでいる状態。
ただそろそろピックアップは試してみたいかな、とも思っている。
隣りの店は、新品も中古も手に入るギターショップ。
なおギターショップと言いつつ、普通にベースも売っている。
ここも暁がやってくると、試してみないかとギターを渡してくる。
いや、それは右利き用であろうと思うが、そちらでも暁はそこそこ弾けるようになっている。
以前に暁の試し弾きを聞いて、嘲笑うような表情を向けた人間もいたものだ。
それに対して暁は、当然のように持っていた自分のギターで、しっかりと演奏を上書きしたものだが。
レフティのギター弾きというのは、当たり前だが珍しい。
偶然右を練習していたのは、他人にも教えるためである。
左用のギターであっては、暁は何をどうすればよくなるのか、本能的な部分が多いので分からないのだ。
色々と捕まっていて、少し遅くなった。
まだ寝る時間でもないが、さすがに鍵はしまっている。
当然持っている合鍵で、ドアを開けて挨拶。
「ただいま~」
リビングの方でドタバタと、騒がしくする音が聞こえた。
「?」
真夜中ではないが騒々しいな、と思った暁は居間のドアを開ける。
そこでは食器を片付ける継母と、床を拭いている父の姿があった。
普通に何か、食べた後か何かか。
あるいは掃除をしているのか。
「あ、ああ、おかえり」
「昨日までフェスだったんじゃないの?」
「うん、昨日はあっちで泊まって、今日戻ってきたんで顔を見せに来たんだけど……」
なんだか少し、食べ物とは違う、しかし嗅いだことがあるような匂い。
「何かこぼした?」
「ああ、ちょっと足元汚れるから、ドアの向こうに」
そう言われた暁であるが、よく見れば二人の服装が乱れている。
硬直してしまった。
二人の付き合いは、それなりに長かったはずである。
そして父が外で泊まる中には、そういう日もあったはずだ。
しかし再婚してからも、そういう気配は暁に見せなかったのに。
「……セックス?」
冷たい娘の声に、父と継母は顔を赤くした。
「こんな場所で?」
これがまだ寝室とかであるなら、普通に理解は出来たかもしれない。
暁は自分が感じているのが、衝撃だとは理解していた。
しかしどういった衝撃であるのか、それを分類出来ない。
「ごめんなさい。お邪魔しました。続きをどうぞ」
そう言って背中を向けた暁に、二人は手を伸ばす。
だが言葉には何も出来ないまま、去っていくのを見送るのであった。
とりあえず実家を出た暁であったが、果たしてこれからどうするべきなのか。
いや、普通に自分のマンションに戻って、悶々としてもいいのだろうが。
(誰かに話したい)
ただノイズのメンバーは駄目である。
三人全員、それなりに耳年増なところはあるが、男性経験はない。
(春菜ちゃん……は駄目か)
恋人に振られたショックでしばらくニートをしていたというのだから、相談相手としては不適切。
俊の家に居候している佳代なども、月子も一緒にいるわけだ。
知り合いに女性は、それなりにいる。
こういうことを相談できそうな年齢も、確かにいることはいる。
ただ音楽でつながっている者が多く、プライベートな話には不向きではないのか。
こういった遅い時間に、話せそうな人間。
千歳ならいっぱいいるのだろうな、と思う。
その千歳のところに、向かってもいいだろう。
一緒に住んでいる叔母はいるが、ちょっと美人で男にモテそうであった。
しかしもうちょっと離れた関係の方が、相談はしやすい。
いや、これは相談してどうにかなるのか、というものでもあるのだが。
「それで、私のところに来たわけか」
暁の住んでいる物件の最上階、広大なフロアを占拠している、白雪の部屋である。
「すみません」
「いや、別にいいけどね」
奥に招かれた暁であるが、白雪の住居は少し散らかっていた。
「最近、紫苑が片付けてくれる回数がへっているからね」
いや、あんたはどうなんだ、と思ったが口にはしない。
白雪はおおよそのことについて、達観したような目をする。
暁の話についても、普通に無表情のまま全てを聞き終えた。
「お父さんはともかく、継母は30歳ぐらいだろう? 子供を作るのは早い方がいい」
「それはそうなんですけど……」
考えてみれば20歳も年の離れた、弟か妹が出来る可能性があるのか。
父の恋愛関係については、割とオープンに知らされていた。
むしろ暁にとっては、ちょっと年上のお姉さんで、相談相手になっていたところもあるのだ。
白雪は表情を崩さないが、かといって突き放すわけでもない。
「しかし、そういったことを相談するのに、私は適切な相手じゃないな」
「そうなんですか?」
「アラフォー処女の私に、いったいどう反応しろと?」
「そうなんですか!?」
むしろ誇らしげに、白雪はそのない胸を張った。
芸能界というのは爛れたところである。
白雪は本当に、合法ロリなどと言われるところはあるが、それでも長くこの業界でやってきた。
またヒートの時代には、死んだリーダーとは恋人関係であったのでは、と噂されることもある。
「私たちの間に肉体関係はなかったよ。ただ深い、信頼と尊重の関係はあった。……まあ今から思えば、さっさと押し倒して子供の一人も作っておいたら良かったなとも思うけど」
「……ええ~」
暁は呆れるが、白雪は本気で話しているらしい。
ヒートの活動期間は約一年で、そしてそれだけに伝説的であった。
「あっちから押し倒してきても、多分私は拒まなかったと思うんだけど、自分の病気が気になっていたのかな」
そんな話をされると、やはり彼女の中には悲しみがあるのだろう。
果てしなき流れの果てに、もう一度巡り会いたい。
「そういう話なら、紫苑と紅旗の方がいいかな。やっとくっついてたぶん今日も今頃、しっぽりとやっている頃だろうし、呼び出してみるか」
「やめてあげてください」
どうして白雪はこう、ナチュラルにおっさんな言動をするのだろうか。
なんだか脱力してしまった暁である。
「本当にもう、どいつもこいつも」
「まだ他に、カップルが誕生していると?」
「そういうわけじゃないんですけど、うちのリーダーがレコード会社の重役の娘さんと、結婚するかもしれなくて……」
別に知られても困る話ではないと、暁は語ってしまう。
そして白雪も、別に驚きはしなかった。
少子化の日本、さっさと結婚してたくさん子供を作ってくれれば、おばちゃんは安泰である。
白雪の場合は国の制度に頼らずとも、金でどうにかなるものだが。
今のところ結婚の予定はないというか、おそらく結婚はしないだろう。
心はもうずっと、一番大切な人を失ったあの日から、未亡人のようなものなのだ。
自分の財産については、一応紫苑が半分は受け取るようにしてある。
もちろん今後、変化していくこともあるだろうが。
俊が結婚をするのは、彼一人の環境を考えれば、ちゃんと生活を見る人間がいて、悪いことではない。
ただその点だけを見るならば、既にノイズは運命共同体だ。
むしろ月子や信吾、そして泊まりこむことの多い暁がいずれ、あの家を離れることがあればどうなるのか。
「まあ、後悔するかどうかなんて、後になってからしか分からないしね」
そう言いながらウイスキーをちびちびと舐めつつ、白雪は暁の愚痴の聞き相手となってくれるのであった。
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