第333話 身内の話
「あたしってブスじゃないよね?」
突然に千歳が言ってきたので、逆に暁は即座の否定が出来なかった。
実際に千歳はブスではない。
際立って可愛かったり綺麗だったりしないが、少なくとも平均的だ。
「悪く言っても平均だと思うし、ちゃんとメイクをしたらよくなるわ」
春菜がそう言うが、一応少しはメイクもしているのである。
ちなみにノイズメンバーで、一番しっかりとメイクの知識があるのは、月子である。
お祖母ちゃんの知恵袋的な肌がつるつるになる方法から、本職に近いところのメイクまで。
元は地下とはいえ、アイドルをやっていたのだ。
メンバーの間でお互いに、メイクをしあう。
人の顔の美醜が、あまり分からない月子であるが、それだけに正解に近い顔が作れる。
「なんであたしには彼氏が出来ないかなあ!」
「そんなのあたしら全員そうじゃん」
「わたしは一応、アイドル時代に少しだけどファンいたし」
この点では月子の圧勝であるかもしれない。
もっとも今は顔を隠しているため、ルックスで売れているわけではない。
練習前の時間に、馬鹿な話をしているなあ、と気楽に思った俊である。
俊は俊で自分が、ちょっと女性に声をかけられても、やがては振られるぐらいの人間だ、と思っている。
実際のところは行動こそが、振られる理由になっているのだが。
もっとも女よりも音楽を優先する、信吾はずっと女を切らさない。
このあたり音楽以外はどうでもいいか、音楽以外に少しでもリソースを回せるかの違いであるかもしれない。
結果として信吾は、二股は普通で今は三股。
俊は浮気などしたことがない。
もっとも俊の根底にある、女性に対する原始的な不信感。
全ては彩のせいであるが、さらに根を深く掘るなら、母親が離婚したこともあるだろう。
ただ父の浮気が先であるため、恋愛そのものに対する軽視というのはある。
一応はラブソングを作ってみても、メロメロになっている感情などは書かないのだ。
俊としては正直、政略結婚であるかどうかなど、どうでもいいことである。
それが自分に、そして自分たちにプラスになるかマイナスになるか。
プラスになるならば素直に、好意を抱くであろう。
だがマイナスになるならば、関係は崩壊する可能性が高い。
壊れた関係のまま、ずっと過ごす夫婦もいるのだろうが。
俊の場合は結婚に夢などを持ってはいない。
それでも最低限のラインというのは存在するのだ。
また今のタイミングで、GDレコードとの結びつきを強めるべきかどうか。
実はそこも微妙なところなのだ。
GDレコードは確かに、日本国内に限定すれば、メジャーレコード会社である。
しかし世界的な規模であるなら、他にももっと大きなレコード会社がある。
そしてアメリカのフェスで話題を攫ったノイズに関しては、興味を持っている人間がいるかもしれない。
もっといい条件で、海外展開することも可能かもしれないのだ。
そういったことになれば、この人間関係は無駄どころかマイナスになる。
将来的な社長の娘と結びつきながら、海外のレコード会社と契約。
「というわけでしばらくは、この話を進めるはずもないんだ」
俊は男の二人には、戦略的に説明をしていた。
女性陣にはこんな打算があることは伝えない方がいいだろうと思った。
ここはむしろ伝えた方が、安堵してくれるものであったのだろうが、俊はそれに気づかない。
なんだかずっと、厳しいスケジュールでやってきた気がする。
海外に行ったりしたのが、やはり疲労となっているのだろうか。
普段と違うステージは、それだけで疲れが違う。
特に海外の場合は、食事なども違ったのだ。
もっともブラジルを除けば、それほど激しい気温の変化などもなかったろうが。
次のフェスが終われば、とりあえず年末まで大きなフェスは入らない。
もちろんライブはするだろうが、九月いっぱいはほぼ完全にオフ。
そんなことを決めていても、俊は曲を作るだろうし、暁はギターを弾くだろう。
栄二はヘルプに入るだろうが、それでも家庭を優先するか。
俊と暁がいれば、月子も一緒に入るだろう。
それがノイズの一番最初の形だ。
千歳は大学が始まるが、それでも毎週数度は顔を出す。
どうせ新曲は作るのだし、今後の予定も決めていかないといけないからだ。
ただ千歳はもう、学生でありながらプロである。
もっともずっとノイズというバンドが続くわけではないというのは、彼女が一番考えているかもしれない。
大学にまで入ったのは、業界の知識や技術を学ぶためだ。
ギターの構造などに関しては、暁も相当に詳しい。
一番の勉強になるのは、俊についていることだろう。
いずれは自分でも、作曲をしてみたい。
「そう思ったら、今でしょ」
俊などはそう言って、大学でも使っているDAWソフトを、詳しく説明してくれるのだが。
定跡とも言える展開を知らない、千歳の作曲。
暁などの作曲であると、どうしても過去の名曲の再現という面が強くなる。
ただコードの多用は日本の音楽の特徴だ。
千歳の作るメロディは、そのままでは役に立たないものの、俊の発想に何かを感じさせてくれる。
もっともそういったものは、九月に入ってから。
八月の間は、残るフェスのために、練習あるのみである。
だが本日は、まだ調整的な演奏となる。
セットリストの順番などを、考えていかないといけないからだ。
一応はある程度、形にはなっている。
しかしここから、何曲かは引かなければ、持ち時間の間に終わらない。
フォレスト・ロック・フェスタが終わって、どうしても気が弛んではいる。
それでいいのだ。ずっと気が張っていると、どうしても集中力が切れてしまう時がある。
今日は珍しく、暁の調子が悪かった。
メンタルケアは年上の仕事である。
ついこの間も調子が悪かったので、今の暁は不安定と言える。
暁にとってノイズは身内である。
なので話しづらいことも話せるわけだが、それでも限度というものがある。
また性別によって話しづらいことはあるのだが、ノイズの女性陣は頼りにならない。
男性陣は、まともな既婚者、律儀な三股、性欲より音楽を取るという異常者。
まあ前の二人のほうが、一番最後の一人よりも、まともではありそうだ。
「あのさあ、相談と言うか、聞いてほしいことと言うか、質問があるんだけどさあ」
なんだか暁が珍しい感じだぞ、と男性陣は思った。
「男の人って……いや、そうじゃない。皆って親のセックスって見たことある?」
栄二はぶはっと口に含んでいた水を噴出したが、他の二人はそれなりに平静を保っていた。
「うちは妹がいるから、やってたことはやってたんだろうな」
信吾はそう言うが、その母が死んでからは、父には全く女の影はなかった。
まあ子供が三人もいて、いいパパさんであったのだから、なかなか再婚などは考えもしなかったろう。
栄二のところは娘が一人で、兄弟は他に兄が一人。
「まあ、親は子供に隠れてしてるよな」
「そういや陽鞠ちゃん一人だけなの?」
「共働きで忙しいし、一人っ子も今は珍しくないだろう」
「今でもその、やることはやってる?」
「たまにな! たまに!」
なんだこの逆セクハラ。
暁は難しい顔をする。
「まあ夫婦なら、やってることはやってるよね」
「なんだ、実家に帰って痕跡でも発見したか?」
俊は平静に訊いてくるので、逆に暁も話しやすい。
「いや、久しぶりに帰ってみたら、その最中で」
「保さんも若いな。新しい母親は幾つだったっけ?」
「え~と、32歳かな?」
ならば普通に子供が出来てもおかしくはないだろう。
マジックアワーの中でも、保は一番若いメンバーであった。
まだ40代であるので、元気なことは確かだろう。
「今度からは帰る前に連絡をしておくんだな」
「してたんだけどさあ」
「最中だったら気付かないか」
そういうこともあるだろう。
「だってキッチンでそんなのしてたんだよ!」
……OH……。
男には分かる。洗い物などをしているその後姿に、ぐっとくるのが本能だ。
そしてベッドなどには行かず、その場でやってしまうというのも、充分に分かるというか、信吾はしょっちゅうやっている。
一回戦が終わって、シャワーを浴びてから二回戦、というのが信吾のパターンだ。
大きな娘がいると考えるならともかく、新婚さんであると考えるならば、そういうことをしても全く不思議ではない。
なんなら信吾の場合、ソファーの上からでも、玄関を入ってすぐでも、色々なところでやっているし、外でやっていることもあった。
家の中から出た、ベランダでやったこともある。
「昔のロックスターなんか、ステージの上でやって警察に捕まってたりしなかったっけ?」
ペニバンだけの衣装でステージをした、という話なら知っているが。
「今は令和だ!」
俊はどうでもいいのだが、暁にとってはそういうものではない。
バンドをやっていてそれなりに売れていれば、そういう空気になってもおかしくはない。
偏見ではなく高揚した気分であると、そういう雰囲気になるのだ。
グルーピーの女の子を引っ掛けて、そのまま関係、というのがいまだに続いている一人であったりする信吾だ。
ノイズにそういったスキャンダルがないのは、俊の発するリーダーとしての支配力が、ライブ後の空気をちゃんと冷ましているからだ。
あとは妻子持ちの栄二が、まともであるところも大きい。
ただ食後の洗い物を片付けている時に、背後からそのままというのは、普通に充分あるなと考えるのは信吾と栄二である。
案外俊はそういった、性欲のリビドーに飲まれることはない。
「男の人ってそんなに性欲激しいの?」
信吾と栄二は、普通に猿だった過去を知っているため、あまり偉そうなことは言えない。
「逆に女にはそういった性欲はないのか?」
完全に真面目な顔で、俊は尋ねてきた。
セクハラではなく、真摯な質問である。
女性陣は沈黙である。
完全にセクハラに聞こえたかもしれないというか、おそらくセクハラ判定であろう。
だが俊としては、事実を自分の体で確認している。
「俺の童貞は処女に押し倒されて奪われたんだが」
「げ……」
「マジ?」
「あ~、女にも性欲は、あることはあるよ」
そう千歳が言ったのは、古くからの友人が、女同士で恋愛しているからであるが。
ただあれは性欲と言うよりは、恋人同士のコミュニケーションである。
男性の方が性欲に支配されているというのは、間違いないと言ってもいいだろう。
しかし女性にも性欲があるというのは間違いではない。
「まあ新しいお母さんの方は子供がほしいのかもしれないし、保さんも暁のために貯金していた学費とか、そういうことも考えて子供を作ることにしたんじゃないかな」
俊としてはそういう計算をする。
自分の学費など、ボンボン育ちの俊ではあるが、それだけに逆に金には敏感だ。
まだ残暑は消えない。むしろ暑いぐらい。
暁と千歳は練習を終えて、俊の家を後にする。
「あたしも家、出ようかな」
千歳がそう言ったのは、叔母への遠慮がある。
完全に自立して、既にマンションを買って暮らしている叔母だが、恋人の気配などはない。
ほとんど家から出ないが、男の友人が訪ねてくることはあるのだ。
今年でもう40歳になるし、結婚にも恋愛にも向いていない、と本人は言っていた。
だが何かのパーティーなどに呼ばれて正装した時など、母を思い出すような美貌に変化する。
千歳はどちらかというと父親似なのだ。
「あたしは俊さんが女に押し倒されたってのにびっくりした」
「あ~、あれね。何歳ぐらいの時なんだろうね」
女の側から言い寄ってくるのに、愛想を尽かされて捨てられるというのが、俊の言っていた自分の恋愛遍歴である。
ただ女性に対しては距離を保っているし、小さな女の子には普通に優しい。
父も継母も、親ではある。
再婚するまでには父が地方のツアーに同行する場合、あちらの住居に泊めてもらったり、逆にこっちに泊まったりもしていた。
女としての悩みを、色々と相談した相手でもある。
母親と感じることは難しいが、優しい従姉のお姉さんか、叔母さんくらいの意識ではあったのだ。
都合がいいので家を出ると言ったのは、むしろ暁の方であった。
「今度から帰るときは、ちゃんと返信もらってからにしよう」
「そうしな~」
ギターを背負った二人は、同じ駅までの道を歩く。
それにしても俊は、ちゃんと女性に対する性欲はあったのだ。
あのお嬢さんは美人であったし、結局は結婚相手になるのではないか。
父親の再婚には反対しなかった暁だが、俊の結婚にはもにょるところがある。
仲のいいお兄ちゃんが、取られてしまうという感情なのだろうか。
もっとも一人っ子である暁には、そういったこととの正確な比較が出来ない。
俊も別に、完全に女性に興味がないというわけでもないのは分かった。
それだけに許容範囲であれば、やはり結婚してしまうのだろう。
悪い女に騙されそうになっているなら、友人として止めるというのもあるだろう。
しかし春菜などにそれとなく聞いた感じ、悪い印象が全く持てない。
世の中にはそういう、大切に育てられたお嬢さんがいるのだ。
もっともまだ大学生であるし、一年以上の猶予はある。
二人で暮らしてあの家を、ベースとしてそのまま利用するというのはあるかもしれない。
暁としてはどうにも引っかかるものがあるし、それは月子も感じていると思う。
「千歳は俊さんが結婚するとしたらどう思う?」
「う~ん、あの人自体、もうちょっと素行調査はした方がいいと思うし、あとは結婚したとしてベースをどうするかかな」
さすがに月子も信吾も、居候のままというわけにはいかないだろう。
俊をノイズと一つに許容して、結婚することが出来る。
そんな人間であるなら、もう反対は出来ないだろうと思うのだ。
「そんなわけなんですけど、オカちゃん先生どう思います?」
大学が始まってすぐ、千歳は俊の親代わりの一人でもあった、岡町を訪れる。
同じ大学の講師であるので、足を伸ばす必要すらない。
「あいつにそんな話が出てくる年齢になったのか……」
感慨深いと考えるのは岡町である。
業界の内部事情には、それなりに詳しい岡町だ。
GDレコードの中の次期社長決定レースに、決着がついたことは知っている。
「そもそも俊自身はどう言ってるんだ?」
「条件が合うなら別に、って感じです」
「あいつもなあ。女には拗らせたところがあるからなあ」
千歳は単に、初体験のことかなと、そこは流してしまった。
岡町は俊のトラウマなどを、その母親以上に知っている、数少ない人間の一人だ。
もちろんそれを他人には話したりしない。
もしも話す相手が存在するとしたら、それこそ俊が結婚して配偶者と険悪にでもなった時に、そういう事情があるのだと説明するぐらいだろう。
「とりあえず俊なら、単なる嫁さんよりは、ノイズというバンド自体を取ると思うな」
俊はそういう人間である。
自分の人間的な幸福よりも、世界に何を残すかを考えるのだ。
家庭に幸福を見つけたい、と思う女では駄目だな、と岡町は思っている。
俊は金は稼ぐであろうから、そこはもう問題ではない。
家に帰れば俊をしっかりとケアする。
そういう古いタイプの妻でないと、俊の配偶者になるのは難しい。
今の俊ははっきり言って、家の中では何も心配がいらない。
完全に集中して、音楽に取り組んで生きている。
だがそれを家族サービス、などというものに逃げればどうなるか。
もちろんインプットは、純粋な円満家庭から得られるものもあるだろう。
ただ俊の父が、俊の父として振舞えるようになったのは、ミュージシャンとして落ち目になってからだ。
創作への燃えるような情熱が、天才や若手の台頭で、ランキング下位に沈むことが多くなった。
新曲を提供すれば、当たり前のように一位を取る。
そんな状況が長かったからこそ、心の防御力が弱まっていったと言えよう。
結果的には社会的にも破産した。
家庭も崩壊して、新たに築いた家庭もまた、過去の過ちを元としたもの。
成功期に色々と、手を出していたのは岡町も知っている。
あれがなかったら今も、業界の中で居場所があったのではないか。
その点では俊はストイックだ。
いや、そもそもそういった欲望が消滅しているとでも言おうか。
他人に合わせる程度には、飲み会やオフ会には参加する。
ツアーなどが終われば、しっかりと打ち上げを行う。
裏方への挨拶も欠かさない。
父が完全に反面教師になっている。
しかし父のことを、嫌っているわけでもないのだ。
岡町としては俊が、月子を居候させると言った時、そういう存在でもあるのかな、と思った。
俊の父が、俊の母を、ボーカルとしても必要としたが、妻としても必要としたように。
実際に俊が生まれたわけであるし。
しかし俊は月子には手を出す様子が全くない。
それが俊にとっての、ラインの引き方かもしれないが。
(あいつはミュージシャンとしてではなく、一人の人間としても幸福になってもらいたいもんだが)
その意味では今回の話は、それほど悪くもないと思うのだ。
夏の終りも近づいてきている。
そしてノイズの重大な変化も、すぐ近くに迫っていることを、正確に知っている人間はまだ誰もいなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます