第334話 夏の終りの
ROCK THE JAPAN FESTIVALに向けての練習が開始される。
二日目のメインステージであり、過去には六万人を集めた。
おそらく今年もそれぐらいは、集められると予想されている。
フォレスト・ロック・フェスタでは大丈夫だったが、ROCK THE JAPAN FESTIVALではオーディエンスの顔の見える時間帯での演奏。
そこで千歳が普段通り歌えるか、少し心配している俊である。
またフォレスト・ロック・フェスタでの、月子と暁の暴走に近いパッション。
悪いものではないのだが、少し遠慮してほしいところである。
疾走と暴走は違うのだ。
もっとも調和の破壊されたステージも、それはそれでロックかもしれない。
俊の好みではないが。
セットリストも決まって、あとは練習である。
少なくとも練習をしている間は、それに集中出来ている。
「もうちょっと走らせたいな」
「じゃあ少しやってみるか」
俊は意識してSNSなどは見ないようにしているが、ノイズのこの間のステージはかなり評判がいい。
俊が思ったように、崩壊に届くような演奏は、同時に迫力も含んでいる。
自分では確認しないが、周囲が自然と教えてくれるので、俊にも伝わらないわけではないのだ。
練習練習練習。
ただし練習だけではなく、最近の音楽の話もする。
また最近の音楽業界の話もしていく。
阿部は色々と話を受けているのだが、フェスまではそれを伝えないようにしている。
またタイアップなどの話が色々とあるのだが、俊は基本的に仕事を断らない人間なのだ。
スタジオレッスンには、時折見に来る。
(いよいよ来た、映画のオファー)
主題歌に挿入歌の二つを作るという、完全にノイズのイメージを理解したもの。
(ただ俊君はこれまで、こういうタイプの作品の曲は作ったことがない)
逆に言えば今までに作っていない曲は、アイデアが豊富にあるのでは、とも思う。
俊には未完成のままの曲が色々と存在するのだ。
九月は休むと決めてある。
だが俊は止まると死ぬタイプなので、ほどほどの仕事は入れておいた方がいい。
「調子はいいみたいね」
「安定した演奏が確実に出来る上で、さらにその上に引き上げていく感じです」
俊はリスクヘッジをするように、最低限の演奏が出来ることを考える。
そしてそこから、最高の演奏をさらに超えることを考えるのだ。
リズム隊がしっかりとしていれば、最低限の演奏が出来る。
スペック以上のパフォーマンスは発揮するには、天才たちの共鳴に期待する。
俊は全体のバランスを取って、アクセルかブレーキをかける。
もっともアクセルをかけることはほとんどなく、たいがいはブレーキ役になってしまうのだが。
阿部はただレッスンの様子を見に来ただけではない。
ノイズ全体のスケジュールの問題も、ある程度は話しておかなければいけない。
それにまた、俊のみに関係する話もある。
ちょっと密談といった感じで、家を出て外の喫茶店に向かった。
阿部の話というのは、例の専務のお嬢さんの件であった。
そういえばそういう話もあったな、と冗談ではなく俊は忘れていた。
一応言われてみれば、すぐに思い出したのだが。
「向こうが何か言ってきましたか?」
「そうじゃないけど、また次のフェスも来るみたいよ」
「こちらに顔を見せるのは止めてほしいですね」
俊としても今のノイズを、どうこうしてしまうのは絶対にやめたいのだ。
今はどんどんと売れていて、環境を変えたくない。
その兆候さえも、メンバーに感じさせたくないのだ。
専務のお嬢さんと会うのにしても、あくまで個人としての方がいい。
別に会うのは構わないが、メンバーの前では会いたくない。
空気が変化するのは、さすがに俊も分かっているのだ。
栄二の場合はそれなりに、奥さんと娘を会わしたりする。
ただ信吾が愛人三人を、紹介するようなことはない。
当たり前の話ではあるかもしれないが。
あの家には、男女の恋愛関係を、持ち込みたくない俊なのである。
ノイズ自体に、そういうものを持ち込みたくないと言うか。
俊は人間としての自分よりも、アーティストとしての自分を優先する。
だから自分の配偶者よりも、ノイズというバンドを優先する。
少なくとも今は、ノイズが俊にとって必要だ。
ただこれが永遠のものになるかは、俊としても言い切れない。
どんなバンドにも、解散やメンバーの入れ替えは、おおよそあるからだ。
全く変わっていないバンドも、日本なら少しはあるが。
もしも自分が結婚するとしても、その生活はあの家にはならないだろう。
近くにマンションでも借りて、あの家はノイズのベースにする。
そもそもあの家は、母の名義の家なのだ。
今のまま使うのなら、生前贈与をしてもらうか、あるいはノイズのベースとして買い取る措置などもするかもしれない。
ただ母の私物もそれなりに、たくさんあるのが今の状態だ。
そういうわけでフェスの前は、面会はしたくないと阿部から言ってもらおう。
俊自身の言葉が必要なら、電話でもなんでもかけるが。
今のノイズには、ちょっとナイーブな空気が満ちている。
それを刺激してほしくない、というのが正直なところだ。
阿部からすると俊は、ある意味では正直すぎる。
普通ならばもっと、上手く人間関係を作ろうとするであろうに。
基本的に俊は、コネや伝手といった損得で、人間関係を築いている。
そして自分の恋愛が、それに絡むことなど考えていない。
おそらく結婚すれば、ひどく事務的な関係になるのではないか。
あちらのお嬢さんも、俊の才能を尊敬しているような気配はあった。
ただ女としての幸福を当たり前のように要求するなら、俊はあまりいい相手ではない。
俊とノイズをそのまま包み込んでこそ、俊にとってはメリットになる。
阿部の目からすると、俊は月子と結婚したらいいと思う。
俊が一番メンバーの中でも、気にかけているのが月子なのは間違いない。
サポートの必要なメンバーだからというのはあるが、少なくとも俊は月子を一番心配している。
最近は暁の調子が悪かったが、それも改善傾向。
グループ内恋愛を禁止してはいるが、俊と月子がくっつくのは、一番自然だと思うのだ。
かつての月子なら、完全に俊に依存したかもしれない。
だがステージ上では安定しているし、自分のハンデを理解した上で、社会の中で振舞えるようになった。
一人で出歩くことも普通なのは、東京に出てきた段階で既に完了。
なんだかんだ言いながら、意外としぶといのが月子である。
今なら普通に、支えあうことも出来るだろう。
もっともそのあたりのことを考えていけば、結婚の必要もないだろう、とも思う。
要は俊の状態が、今のままであればいいのだ。
結婚の話が持ち上がらなかったら、こんなことを考える必要すらなかっただろう。
(専務には上手いこと説明して、この話自体をなかったことにした方がいいかな)
バンド内恋愛は禁止、というのがノイズのルールであった。
しかし恋愛自体が禁止なわけもなく、信吾は三股をかけている。
俊は自分の人間としての生活を捨てて、完全にバンド活動に専念してきた。
阿部が知らないだけではなく、おそらくノイズ結成以来、女性との関係も全くなかっただろう。
またノイズ自体のことを考えた時も、あまり将来的にはいいことではない。
今の阿部と俊が考えているのは、海外のメジャーレーベルとの契約だ。
こちらは日本に比べると、非情にシビアな世界である。
しかし売れたミュージシャンは、日本よりもはるかに多くの金を手にする。
また世界への拡散も、日本からの比ではない。
音楽家族の中でも、阿部はノイズにかけたのだ。
なので有名レーベルなどから、わざわざ事務所を新しく作り、ノイズのために働いている。
そして兄弟や親戚の中で、一番のビッグバンドを育てた人間として見られるようになった。
この承認欲求は、タイプは違うが俊と近いものである。
どうせ大きく拡大するなら、世界へ。
その意識を共有しているのは、阿部と俊だけだ。
意外と暁も、それを考えているかもしれないが。
月子はもう、変なコンプレックスに悩まされることがない。
コンプレックスはあった上で、もうそこから自分の力を引き出すことが出来るようになった。
あるいはいずれ、なんらかの事情でノイズが解散か、休止にでもなったとする。
しかし月子は、歌だけで生きていけるだろう。
そういった技術面で未熟なのは、千歳だけである。
だからこそ彼女は、今も勉強しているのであるが。
八月の末は、特に問題もなくやってきた。
千葉の公園内を利用した、大規模フェス。
ただ今年はこちらも、MNRは欠席である。
俊は暁から、特に口止めされたわけでもないので、白雪のことを聞いていた。
しかし少しは心配である。
MNRは白雪のバンドだ。
作詞作曲にメインボーカルまで、白雪がやっているのである。
もっとも紫苑も、それなりにコーラスで歌うことはある。
しかし白雪がいなければ、まともにステージが出来ないというのは、構成上も明らかである。
ノイズの出番は二日目。
セッティングからリハへと、流れるように作業をしている。
(最低のラインが上がってきたな)
俊はそんな考えをしている。
ライブというのはどうしても、パフォーマンスにバラツキがあるものだ。
しかしある一定以上のパフォーマンスは、プロとしては維持すべきであろう。
たまにすごい演奏をするのでは、再現性が足りないだろう。
オーディエンスの期待値を、最低でも超えなければいけない。
ただノイズのように安定感があると、その期待値もどんどん上がってしまうのだが。
その最低ラインを、簡単に超えて演奏が出来る。
するともっといい時には、さらに上のパフォーマンスが出る。
演奏の上限値をどんどんと上げるのはいいが、下限値も上げていった方がいい。
最低でもあの程度は楽しめる、というパフォーマンスのためには必要なのだ。
順調にステージのタイムテーブルは進んでいく。
何も邪魔が入らず、演奏の前に集中することが出来る。
そしてスタッフから呼び出しがかかる。
気合は充分、気負いはない。
ノイズのメンバーがメインステージに現れる。
明るい天気の下のステージ。
あのシカゴのフェスと、それは変わらない。
少しだけ俊は心配していたが、千歳の様子に変化はない。
念のためにセットリストは、二つのパターンを用意していた。
シカゴのフェスとかなり、構成は似ている。
入り方が成功したとしても、あの同じタイミングで千歳の手が止まるかもしれない。
そういった最悪の想定にも、常に対応することを考えておく。
千歳という存在はノイズにとって、潤滑剤であるのだ。
いることによってさらにスムーズに演奏がされて、音に奥行きが生まれる。
ただいなくても、ある程度のパフォーマンスは発揮出来る。
それでも上を目指すなら、必要な人間ではあった。
(出来ればここで、トラウマになっていないと証明してくれ)
夜のステージでは、条件が違うのだ。
六万人が集まるステージ。
その群集の姿を、千歳は見ながら演奏している。
(大丈夫)
このステージは、自分が止めればいい。
『はーい、前に詰めすぎてるよ~。少し下がって~』
少し盛り下げてしまうかもしれないが、事故が起こるよりはずっといい。
そして一度落としたテンションをまた上げていけばいいのだ。
千歳は落ち着いている。
だがテンションが低いわけでもない。
自分の状態をちゃんと確認しつつも、パッションをしっかりと搾り出している。
一曲終わるごとに、汗が吹き出ている。
それを見て暁も、恒例となったTシャツ脱ぎを行う。
八月末の日光は、まだまだ強烈なものである。
この間はまだしも陽が傾いていたので、それほどのものではなかった。
だが今日は時間帯がずっと早い。
それだけ体力を削ってくる。
だが一時間だけのステージであるのだ。
今後はワンマンのライブを、数万人の前ですることも、たくさん出てくるだろう。
基本的には屋内がいいが、屋外でやることもあるかもしれない。
その時のためには、体力が必要となる。
テンションが上がっていく。
暁のギターが走りそうになるが、自分で抑制を加えている。
そしてそこでためた力で、ソロを大きくアレンジしてくる。
歪ませた音の響きが、まるで地面を動かすかのようだ。
(また大きくなったな)
小さな暁の演奏だが、その迫力は大きくなるばかり。
抑制することによって、逆に大きなメリハリがついているのだ。
またここから、少し沈んでいく。
メロディラインで魅せながらも、期待値を高めていく。
そして奏でられるギターリフ。
調和と崩壊の境界線、ぎりぎりを攻めるような歪ませ方。
やはりノイズの音楽の中で、暁のギターは一番自由だ。
そしてセットリストの曲は終了する。
アンコールとして準備していたのは、果てしなき流れの果てに、である。
この曲には速さのテクニックはあまり必要ではない。
だが音階は高低をたくさん使っているので、それなりに指を動かす必要はある。
今日もこれで、演奏が終わる。
誰かが心配するような、おかしなことは何もない。
ノイズの演奏が終わった。
テンションの上がりに上がったオーディエンスは、これでどっと疲労を感じたであろう。
満足感を与えると共に、疲労感まで与えてしまう。
だがそれこそが、満たされたというものなのだ。
夏が終わった。
まだ暑さは夏であるが、夏の熱量は今日で終わる。
客観的な気温などではなく、誰かがそれを感じたら、主観では夏の終りなのだ。
ノイズのメンバーも多くは、そう感じている。
今年もやりきったな、という感覚だ。
これから秋が来て、そしてまた冬がある。
年末のフェスにも、出場の予定が入っている。
しかし今年は、ここで大きな区切りがついた。
少し気を緩めてもいいぐらいであろう。
テントを訪れた阿部も、そんな気分になっていた。
今日はこれから、関係者で打ち上げといったところだ。
このタイミングならいいかな、と阿部は俊に話す。
「まだ先だけど、劇場版アニメの主題歌にイメージソング、あとサントラの依頼も入ってるわよ」
「歌じゃなくて、曲ですか」
「曲も、ということね」
これは今までになかったものである。
俊はこれまで、月子と千歳の歌をどう、活用するかを考えてきた。
その長所をどう、伸ばすのかが重要であったのだ。
しかし今回の話は、純粋に音楽だけのものとなる。
俊としてもすぐに、判断出来るようなものではない。
「まあ、悩むのは明日からにして、とりあえず今日は打ち上げだ!」
信吾はそう言って、躊躇っている俊の背中を押す。
やるかどうかの返事には、まだ少しの猶予がある。
ただこれが主題歌だけであれば、すぐに頷けたのだが。
テレビアニメの劇場版、三部作をやるという。
その一作目であるのだから、かなり要求は高くなる。
これまでとは違う、純ファンタジー世界のアニメ。
原作は俊も知っていると言うか、普通にテレビ版をリアルタイムで見ていた。
続編は絶対に作られるだろうと思っていたが、まさか劇場版であるとは。
(よし、よし)
やってみるべきであろう。これも新たな挑戦だ。
(俺だけじゃなく、曲を作れる人間はいるしな)
そのあたりも、今日の打ち上げで少し話すか。
だがまずはこの夏にあったことを、全て反芻してしまおう。
本当に、長い夏であった。
だがまだ夏の事件は終わっていない。
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