第335話 あやまち
個室ではあるが特に高級でもない、普通の居酒屋。
だがチェーン店などではなく、個人経営のかなり美味いところである。
「それではとりあえず、お疲れということで!」
ノイズメンバーに阿部と春菜、そしてフェスに機材などを運んでくれたローディー数名、裏方までも含めた打ち上げである。
もっともツアーに比べれば、必要となる人員はずっと少なかったが。
「暁も飲酒解禁おめ」
「前に飲んでたこともあるけどな」
あの時は俊の家であるから、問題はなかった。
いや、あったのだが。
「やっぱビール苦い」
暁の素直な感想である。
「日本酒いけ。これお勧め」
珍しくも俊が、酒を勧めてきた。しかも日本酒である。
ちなみに俊は日本酒かカクテル派だ。
ワインなどは、こんなものにするぐらいなら、美味しいぶどうジュースでいいではないか、と言ってしまう。
フランス人が怒るかもしれないが、素直な感想ではある。
「これ、すっごい飲みやすい! 水よりもすっと喉に入ってくる!」
「飲んだ後に腹の中から匂いが昇ってくるだろ?」
うんうんと頷く暁である。
暁はお子様舌というわけではないが、基本的に父に合わせた料理を作る。
そして父の保が、お子様舌なのである。
ただ保はビールを飲むらしいが、暁の好みには合わない。
「暁はカクテル類が好みか」
もっともこういった居酒屋は、さすがにカクテル類は多くはない。
日本酒の種類は多く、それが俊の好みまで備えてくれていたのだが。
日本酒にも明確に、甘口と辛口がある。
ただ俊が注文したのは、どちらとも言いがたい透明感がある。
そのまま胃の中に入っていって、体の中から酒の成分が満ちていく。
「ちゃんと食べる方も食べろよ」
そう言って注文をしていくあたり、俊もお父さんのような役割である。
この店は美味い。そして値段はそこそこ。
もっと高くてもいいのではと思うが、そこが料理人の矜持なのだろうか。
そして安くて腹にたまるものもある。
「いや~、しかし作曲の方の話まで来たか~」
「あの超ド級名作の三部作でしょ? あたしらはギターと三味線で参加?」
「西洋ファンタジーの世界に三味線ってありなのかな」
「少なくとも巨大ロボット物に三味線はありだけどね」
主題歌だけならばともかく、劇中音楽までも打診がある。
ただ俊としては、はっきり言って自信がない。
このノイズで始める以前から、ずっとミクさんやGUMIさんを使って、歌のある曲を作ってきたのだ。
ただボカロ曲から脱した場合、人間の声をしっかり使える曲をイメージしてきた。
インスト曲というのとも、ちょっと違うのがアニメの劇中音楽であろう。
幸いなことに原作は知っているので、あれに合わせた曲を作るのか。
「はっきり言ってBGMは、俺の領分じゃないと思うんだよなあ」
俊もちょっと酔ってきている。
アニメのサウンドトラックというのは、確かに主題歌を作るコンポーザーが、そちらの方まで手がけるということはある。
だが今はそれが別々のものとなっているのも、全く珍しくはない。
過去にしても主題歌だけは、別の作曲家というのはよくあった。
アニメやゲームの歌のない音楽というのは、インストバンドとも違うものだ。
もちろん俊に、作れないと断言するものでもないのだが。
ただ作品が西洋ファンタジー風。
するとエレキギターなどの音が、世界観とミスマッチするのではないか。
シンセサイザーならば色々な楽器の音が使える。
特にストリングス系が、豊富に用意されている。
いや、そもそもDAWでそのまま作曲すればいい。
単純に使える楽器の数は、その方が多くなる。
俊がタイアップ曲を作る時には、必ずその作品を理解して行う。
それこそが原作に対する、リスペクトだと思っているからだ。
人間の業の深さや、陰湿さに関しては、かなりの描写を行う俊である。
確かに色々な経験はしているが、結局は全てが音楽に結びつく。
不幸である人間こそ、素晴らしいものを作り上げるという。
だが単純に不幸なだけではなく、そこから抜け出そうとする気迫を持っていなければ、そう面白いものが作れるはずもないのだ。
ただ世の中には天才がいる。
思考回路が普通とは違い、見えている光景が違うという人間。
それがそのままを歌詞にすれば、天才的な表現と言われたりもする。
しかしただ見え方が違うだけであり、そこに安住していると、すぐに受けなくなる。
俊は天才でないからこそ、インプットを多くしているのだ。
そこから生まれる多彩さは、誰かが見てきた光景を、勝手に拝借するものではある。
だがそれが美しければ、充分にオリジナルになるものだ。
俊が残したいのは、曲なのか詩なのか。
この双方が組み合ったものなのか。
さらに言えばこれを、誰が演奏し誰が歌うかで、印象なども変わっていく。
またレコーディングとライブで、これまた変わっていくものだ。
「俺は100億再生を目指すんだ……」
酔っ払っていて、普段は表に出てこない、大それた目標を口にしている。
100億再生。
おそらくこの後の世界を考えれば、不可能ではないのではないか。
少なくとも現在、10億再生されているMVなどはそこそこある。
同じ人間が作業中にでも、何度も流してはいるのだろう。
しかしそれを含めた上でも、とんでもない数字だ。
アメリカという市場を通せば、これぐらいの数にはなっていくのではないか。
もっとも単なる再生数だと、色々な手段で嵩増しをして、大人気と偽ることも出来るだろうが。
「あたしは女ジミヘンと言われるようになりたい!」
暁も酔っ払っている。
「でも新しいことなんて、今さら生まれるわけじゃないし」
ジミヘン以外にも伝説的なギタリストはいる。
ただジミヘンの場合は、革命的な部分が大きいのだ。
夏が無事にではないが、許容範囲の出来事で終わったため、少しだけ羽目を外している。
アルコールに頼らなければいけないというのは、あまりいいことではないだろう。
しかし二人に限らず、他の皆も陽気に酔っ払っている。
おそらく明日になれば、二日酔いに苦しむのではないか。
そして二日酔いになっていなければ、俊は早速作曲にかかるだろう。
阿部も酔っ払ってはいるが、奇妙に冷静な自分がいるのも分かる。
もっとも明日になれば、その冷静な自分が、醜態をなげ放置していたのかと苦しむかもしれない。
ほとんど酔っていないのは、月子だけである。
いや酔ってはいるのだが、自分を失うということはない。
「よし、どっかで二次会しようか!」
「わたしは先に帰るよ」
もう付き合えないな、と月子は物理的に離脱する。
酔っ払いの中で、素面でいられるというのは、ある意味酷だ。
栄二は今日の打ち上げは、かなり遅くなるとも言ってある。
ほんの少しは羽目を外しても、人間は楽になれると思うのだ。
「じゃあゆっくりお酒を飲めるところに行きましょうか」
今度は阿部が、クラブなどに連れて行く。
芸能人御用達の店というのはある。
ただノイズは庶民感覚が強いので、そういったところには行かないようにしている。
周囲がちゃんと止めてくれるような場所。
阿部もまたそういう店を、ちゃんと確保しているのだ。
だが本当に一人だけになりたい、そういう店も持っていたりする。
話題がどんどんと飛んでいく。
MNRの活動はどうなるのだろう、という話も出てきた。
あのバンドは白雪が中心だ、と話題が巡っていく。
紫苑と紅旗がくっついた、という話から千歳が嘆く。
「あたしも! 恋愛がしたい! とまでは言わなくてもいいけど、恋バナがしたい!」
実際のところ千歳は、本当に彼氏がほしいのか、傍から見ていて微妙に思える。
ただ恋バナは確かに、好きなようなのだ。
千歳になぜ彼氏が出来ないのか。
出来ていてもおかしくないと思うのだが、本人が原因に気付いていない。
そしてメンバーの中には、気付いている者もいるが、それを口にしたりはしない。
彼女はとにかく、音楽の学業とバンドの活動を優先している。
将来の職業のために、色々と知識が必要であるのだ。
またバンド活動は、既にもう仕事である。
男が出来ても完全に、そちらを優先するだろうと思われる。
それでいながら一夜のアバンチュールなどをするよりは、ずっと真面目な性格でもある。
きっかけが出来ないのだ。
俊としても他のメンバーにしても、千歳に恋愛をバンドより優先されては困る。
月子などはそういうのも、あっていいだろうと理解はするのだが。
音楽に人生を乗せている俊と暁。
信吾と栄二はノイズで成功することを、第一に考えている。
信吾などは女との約束があっても、バンドの方を優先する。
栄二の場合は実家にも頼れるので、こちらに集中出来る。
千歳もちょっと積極的になれば、いくらでも男は引っ掛けられるのだ。
今を時めくバンドグループの、ギターボーカルから声をかけられる。
そういうものは男にとって、ステータスの一つだ。
あの有名人が俺を、という優越感をくすぐることが出来る。
もっともそれが、長く健全に続くとは思えないが。
千歳は昔から、普通に仲のいい友人は作れる。
そしてその中には、普通に男子もいた。
今も友達の中に、男性はいる。
だがすぐに友達にはなるが、そこから恋人への発展の仕方がない。
「彼氏いない歴=年齢!」
酔ってるなあと思いつつ、暁も同じなわけである。
俊にしても大学に入って、一年生の頃に数ヶ月だけ付き合った。
もう随分とそういったお付き合いはしていない。
だがそれが必要かといったら、別に必要ではない。
いたら便利かな、と思うのは恋人ではなく妻である。
他の女からの、露骨なアプローチが少なくなるだろう。
そんなことを俊は考えているのだが、実はそうでもない。
女というのは彼女持ちの男というのを、女を引き付けるだけの魅力を持っている存在、と考えたりするのだ。
貧乏人と結婚するより、金持ちの愛人になりたい。
そう思う女が一定数いるというのは、社会的には確かなのだ。
考えてみたら確かに、パートナーがいる男というのは、既に女性の扱い方を知っているということ。
これは魅力的なことの一つと言える。
もっともパートナーがいるのに他に手を出すというのは、浮気性でもある。
よりよい条件の女が現れれば、別れてそちらとくっつくだろう。
結婚という制度は基本的に、女性に有利なものである。
日本はジェンダー差別が大きいなどと言うが、実は女性が家庭の主導権を握っている場合が多い。
世界的に見ても、そういう国なのだ。
ただ結婚さえしなければ、男性有利な国でもある。
特に稼げて外見も良ければ、向こうから女がよってくる。
そして男の場合、既に彼氏持ちの女は、一歩引いて接する場合が多い。
なぜなら他に男がいたというだけで、比較される場合があるからだ。
俊の場合はキモいと思われるかもしれないが、結婚相手に求める条件に、処女性というものがある。
今どき、などと言ってはいけない。
実は世界各国のアンケートに、結婚相手に処女性を求めるかという質問では、求める方が圧倒的に多いのが他の国なのである。
キリスト教とイスラム教の影響もあるだろうが、実は日本ではそれほど処女にこだわらない、というのが男の建前になっている。
俊などは素直に言っているだけ、逆に誠実であろう。
そもそも日本の場合は、昭和初期の時点でさえも、まだ田舎には多くの、乱交文化が残っていたのだ。
結婚してからは浮気は厳禁であるが、それまでは普通に情を交わす。
庶民の文化としては、それが本来の姿だったのである。
処女信仰は近代以降の西洋の価値観だ。
それが実は、今でも強く残っているのが、西洋の社会なのである。
ただ極端に振り切って、フリーセックスなどを持ち出すのも、欧米社会であった。
村社会であると、年配の男や女が、童貞や処女に教育を実践で行うというのは、本当に行われてきた。
しかし昔から、上流階級では女性の処女性は大事に扱われてきた。
逆に男に対しては、筆おろしなどという行為もあったのだ。
ちなみに外国人は現在、日本人女性との恋愛遊びまではともかく、結婚は避ける傾向にある。
これは処女性がどうとかではなく、経済力や役割分担の話である。
アメリカをはじめ欧米だけではなく、世界では女も働いて当たり前。
日本の女性の働いている割合というのは、実は未だに相当に低い。
もっともこれは昭和の、女性は家庭に入って当たり前、という常識がまだそこそこ残っているからでもある。
結婚をしたがらない理由には、他にも離婚時のリスクがある。
日本人妻が子供を誘拐して、日本に帰国するということ。
それは父親からすれば、我が子と会える機会を奪うことになる。
なぜかこのあたり、フェミニストは問題にしない。
ノイズの楽曲にはラブソングが少ない。
それは俊が、愛を知らぬ男であるからではない。
親子愛や、情愛といったものはある。
性愛というのも自分にあることを、ちゃんと理解してはいるのだ。
薄いだけで俊には、性欲がないわけではない。
そういったエネルギーを、全て作曲に向けてしまう。
映画アマデウスの中でサリエリは、生涯童貞を貫くから、音楽の才能を授けてくれと神に祈った。
もちろんあれはフィクションであるが、俊が自分の人間らしさを、削って音楽を作っているのは確かである。
しかし実際のところは、作曲というのは何かを捨てて、そこから生み出されるものではない。
何かを得たからこそ、そこから生まれてくるものであるのだ。
インプットの量は莫大である。
それでも確実に、アウトプット出来るとは限らない。
目標に対しての、正解の道などがない。
これが創作の世界ではあるのだろう。
ただ俊はクラシックやコードの世界、またボカロの世界から色々と、アウトプットの仕方を学んだ。
流れる才能の量は、それほど多くはないのかもしれない。
しかし湧き出たものを上手く組み合わせるのは、職人的な技術に近い。
こうやってアルコールに溺れるのも、一つの手段ではある。
だが常にアルコール漬けであると、長期的には悪い影響しか出ないだろう。
「それじゃそろそろ解散しよっか」
阿部がふらふらになりながら言っていて、春菜はなんとかそれを支えている。
「タクシー拾わないとな」
「スタッフで運転できる人に、臨時バイトで頼んでみようかな」
「俺は女のところ行ってくるし」
「俺は奥さんに迎えに……はちょっと時間的に無理か」
信吾はそこそこ近くに、愛人の一人の家がある。
栄二は少し距離があるので、タクシーを拾った。
千歳はやや迂回するが、途中で降ろしてもらえばそれでいいだろう。
「問題はこいつか」
「こいつとはなんらー」
ギターケースを抱えている暁は、完全に足腰が立たないようである。
距離的にはさほどではないが、この様子では一人で帰らせるわけにもいかないだろう。
それに終電は終わっている。
「じゃあ俺が送って、そこから家に帰るんで」
「ちょっと飲ませすぎたかもね」
春菜の言うとおりで、いくらいい切があるとはいえ、外で初めて飲んだことで、より暁は酔っ払っているのだろう。
それでもギターケースを放さないところが、暁の暁たるところであろうか。
最近はタクシーを拾うのも難しくなった。
それでもどうにか捕まえて、俊は暁を突っ込む。
念のためにビニール袋を持っているのは、吐いた時のための対応だ。
距離的にはそれほど長くないが、時間的にもう車の流れもやや少なくなっているか。
しかし東京は眠らない。
「10分ほどで戻ってくるんで待っていてもらえます? 一応ここまでの金額はこんだけ」
暁のマンションまでは、どうにか運んだものである。
だがあと一人ぐらい、運び手がいてくれれば良かっただろうか。
防音室のある2DK。
比較的大きな部屋で、そこのベッドに寝ころがし、横向きに寝させておく。
(まあ二日酔いでも、明日は休みだしな)
千歳は明日から大学のはずだったが、大丈夫なのであろうか。
「鍵はボックスの中に入れておくからな」
そう言って背を向けた俊の服の裾を、暁は握り締めていた。
眠りから覚めようとする中、強烈な痛みが頭の中を走る。
「うぐぐ……」
目を開けた暁は、そこに知っている天井を見つけた。
まださほどでもないが、慣れてきた天井。
しかし強烈な痛みにより、思考が上手くまとまらない。
「あ~? 服着てないし……」
ぐるりと頭を回したところに、俊の顔があった。
そこで一気に酔いは醒めるが、頭痛は強烈になる。
少なくとも上半身は素っ裸である。お互いに。
(いや、どうせあたしがゲロ吐いたとかで、服を脱いだだけ……)
しかし下腹部のこの痛みはなんであろう。
そっとブランケットをどけてみると、お互いに全裸であった。
「……ええ……」
やったのか? やっちゃったのか?
そんな暁の動きが伝わったらしく、俊もむくりと起き上がる。
頭痛の度合いは暁より、少しはマシらしい。
「ああ……おはよう……」
「え~と、……やっちゃった?」
「……避妊してないな。後で婦人科に行って、アフターピル処方してもらってくれ」
「マジか……。あ~、なんでこんな」
「記憶がないのか? 言っておくけど誘ってきたのはお前の方だぞ?」
「そんなこと言っても、酔っ払ってたし……」
「お互いにな……」
二人して頭を抱える。
しかしそれは問題を認識したからではなく、頭痛をこらえるためである。
「あたしから?」
「ああ」
そして俊は説明を始めた。
×××
次回 「きんじられたあそび」 来週もサービスサービス
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