第249話 最後のステージ

 八月が終わって二学期が始まれば、周囲は受験に一色となる。

 もちろん大学ではなく、専門学校に進んだり、あるいは一部だが就職する人間もいる。

 そんな中で千歳は、アンニュイな気分になっていた。

 高校生活もあとわずか。

 推薦で大学進学がほぼ決まっている彼女は、基本的にしっかりと授業に出席をして、定期テストで平均点を取ればそれでいい。

 そして軽音部として最後の、学園祭への出演となる。


 三年生はもう、夏の前に引退している人間もいるが、この学園祭で最後に演奏し、やっと引退という人間もいる。

 もっとも気晴らし程度の練習であり、ほとんどは受験などに向けての準備をしているが。

 現在の日本の大学は、少子化などの問題もあって、多くのタイプの推薦入学が存在する。

 そこで学生を確保するというわけだが、その質を担保するためには、最低限の学力も必要なのだ。

 一時期は一芸入試などと呼ばれていたが、現在では成績評価も重要になっている。


 そして今年は千歳の場合、もうバンドを組んでくれる人間がいない。

 暁もいなくなり、そして後輩の部員からは、近寄りがたい存在となっている。

 最後の一年ぐらいは、のんびりと見る側に回るかな、と思ったりもした。

 だがそこに気が配れるのが、俊という人間である。


「外部から?」

「ボランティアという形で、バンドを呼んだり出来ないのか?」

「……俊さん、何を企んでるの?」

「人聞きの悪い」

 単純に千歳のために、ちょっと骨を折ってやろうと思っただけである。

 そもそも今さら学校などで、そんなボランティアをやってやる意義などない。


 しかし本当に純粋に、千歳のためだけというわけでもない。

 自分に必要なインスピレーションを、高校という若い環境において、摂取できないかと考えたものである。

 去年までは自分も、学生ではあった。

 だが大学と高校では、やはり感覚は違うものである。

 同時代性というものが、創作においては必要なものだ。

 もちろん年齢を重ねることによって、生み出されるものもあるのだが。


 ノイズのメンバーとしては暁以外は、懐かしいと感じるのが高校生活である。

 暁の場合はおおよそ、学校生活自体がずっと、退屈なものであったが。

 それでも二年間は通っただけに、愛着らしきものがないわけではない。

 こういった場所で、普段はライブハウスになど、絶対に来ない相手に演奏する。

 その一発ではまってしまったファンも、実際にいるのだ。


 人は結局、自分からしっかり見たものでないと、信じない存在ではある。

 暁と千歳の演奏を見て、軽音部に入った人間もかなり多いのだ。

 大きく人気を得たからといって、偉ぶったりしていてはいけない。

 そうすると先にあるのは、ライトなファンに見限られていくものである。

 もっともロックスターであると、破天荒なところについていくファンもいる。

 しかしそれは70年代こそが最盛期であり、今はもうロックな生き様も、おおよそストイックなものになっているのだ。

 暁はたとえ自分のものでなくても、ステージの上でギターを燃やしたりはしない。




 ちなみに学校のステージで演奏する場合、いいことが一つある。

 ボランティアでこういう場所で演奏する場合、カバー曲を使っても著作権を払わなくてもいいのだ。

 微妙にアレンジなどをしてしまうと、また話は変わってくる。

 だが結局は問題にならないのは、学校教育の一環として捉えられるからである。


 事務所の阿部には許可を取っている。

 こういったところで、未だに草の根の活動をするあたり、ノイズは庶民的であると言えようか。

 もっともただボランティアというならば、絶対にやってはいない。

 千歳が在籍しているからこそ、こういったことも出来るのである。

 大学なら大学で、学際にそれこそミュージシャンを呼ぶことはある。

 だがそういった場合は、ギャラが発生している仕事であることがほとんどだ。

 大学のイベントを企画する側も、しっかりとチケットという形で販売している。


 ノイズのメンバーの中で、高校時代にバンドを組んでいなかったのは、月子だけである。

 栄二も信吾も、そして俊もバンドを組んでいた。

 もっともそのバンドのメンバーは、とてもプロに至るものではなかった。

 信吾はメンバー探しのために上京し、栄二も大学時代にバンドを組み、そして俊も改めて大学でバンドを組んでいる。

 だから高校生の集団の前で、ライブをするというのは実は、月子にとっては初めてになるわけだ。


 これは彼女のためでもあるのかもしれない。

 俊は月子から、そう質問された。

「そう言われてみればそうなるのかなあ」

 自分では考えてもみていない。

「高校生の前で、歌いたかった?」

 ライブハウスはフェスなどでも、高校生の客はいたであろう。

 だが月子があえて言及したのだから、そういうことでもない。


 月子は中学時代までは、イジメとまではいかなくても、友達がいなかった。

 そして高校時代は、障害に配慮した高校に通っていた。

 なのでまともな学生生活というのを、実は送っていなかったりする。

 両親が生きていたとしても、この障害があったならば、あまり変わらなかったのではないか。

 むしろ音楽の素質を磨かれることなく、何者にもなれなかったかもしれない。


 文字が理解出来ないというのは、人間の社会では大変に不便なものだ。

 平仮名に加えて、単純な漢字を読めるようになるだけで、随分と苦労した。

 今の日本の社会は、識字能力があることを前提に、考えられている。

 本なども日本語の他に、英語や中国語はあったとしても、むしろ日本語はある程度の漢字を使う。

 なので千歳の叔母の書いているような、児童向けのファンタジーなどは、振り仮名が振っていて読めるのだが。


 その月子の凄いところを、高校生たちに見せるのだ。

 今さら素人を驚かせなくても、月子が凄いことは業界が認めている。

 歌唱力を単純に比較すれば、千歳よりもずっと上だ。

 どれだけ成功したとしても、彼女の中にある飢餓感が満たされることはない。

 なぜなら誰からしても明らかに、自分には劣った部分があるからだ。

 劣等感を消すことは、月子自身には不可能である。

 だがその苦悩がかえって、表現の上ではプラスの方向に働くのだ。




 俊は少し千歳に、尋ねてみたいこともあった。 

 今度ノイズが主題歌を担当する、原作の人気がどの程度のものであるか、ということだ。

 来年四月放送開始というのは、割と最近に情報が解禁された。

 だが主題歌をどこが歌うかなどは、まだ発表されていない。


 主な制作スタジオや、スタッフについては公開されている。

 だが既に決まっているノイズを、まだ発表しないというのは不思議な話だ。

 しかしこれもまた、宣伝の戦略の一つである。

 ノイズは確かに今、急激に伸びているバンドではある。

 だがドームのイベントにおいて、もっと認知度が上がることが期待されている。

 そこで合わせて情報を解禁すれば、より注目度も上がるのではないか。

 プロデューサーなどは宣伝のために、そういうことも考えていたりする。


 俊もそれに異存はない。

 とにかく売れて、知られて、伝えられていきたい。

 ずっと残り続けて、いずれは誰かがカバーしていってもいい。

 もっともノイズの楽曲の場合、歌うのが難しい曲も多い。

 二人で歌うことを前提といた曲も、かなりあるのだ。


 千歳としてはクラスの人間に、色々と質問されることもある。

 なにせ態度は変わらないが、これでも芸能人であるのだ。

 だがノイズは私生活を切り売りするような、そういうタイプの売り方はしない。

 そもそも信吾の女性関係以外は、ほぼ後ろ暗いところがない。

 そこが充分に危険ではないか、などとも言われるのかもしれないが。


 売れるというのは、周囲も変わるということだ。

 もっとも千歳の場合は、その前に大きく環境が変わっている。

 高校生になる直前に、両親を失ってしまったこと。

 それは深く刻まれた傷で、癒えても痕は残る。

 親が自分より早く死ぬのは、当たり前のことではある。

 ただ千歳は早すぎたし、突然すぎた。


 人間はある程度、成長して適切な時期に、ストレスを感じるべきである。

 だがそう上手く行かないのも、世の中の事実である。

 俊の場合は必要以上に、自分が他人とは違うと思っていた。

 あの父親の息子なのだから、違って当然と思っていたのだ。

 実際に子供にしては、ギターもピアノも上手かったものだ。

 しかし本当にプロのレベルに達するかというと、それは自信過剰であった。


 周囲の大人は、父に阿る人間が多かったのだ。

 子供はお世辞が通じないということもあったが。

 それでも趣味のレベルなら、またはアマチュアとしてならば充分。

 選ばれた人間ではなかった。

 だが積み上げていけば、選ばれたとこにまで辿りつける。


 人間の中でも、各種の才能でトップクラスになる人間は、おおよそ人生に問題を抱えている。

 そこで這い蹲って二度と立ち上がれないか、なんとしてでも這い上がるかで、人生は決まる。

 高い壁であれば、這い上がるしかないのだ。

 ジャンプして飛び越えるだけの才能がなければ。

 中途半端に才能があると、ジャンプして壁に激突して、結局は届かなかったりもする。

 俊の場合も中途半端な才能から、這い上がった人間であることは間違いがない。




 才能だけでやっている人間というのも、いることはいるのだ。

 ひたすら好きだからこそ、音楽を追及していける。

 そういう人間は努力を努力とすら思わない。

 これこそが本物の天才と言うのだろうか。

 素質自体は持っていて当然、というレベルである。


 学園祭には呼ばれて、四曲ほど演奏することになった。

 自前の曲が二つに、カバー曲を二つである。

 MNRの曲を一曲と、ブラックマンタの曲を一曲。

 男性ボーカルであっても、永劫回帰の曲などは、千歳の声質に合ってたりはするのだが。


 こちらの準備は千歳以外、それほど労力はかからない。

 タイアップ曲も提出した今、ノイズの準備のほとんどは、年末のドームイベントに向けて行われる。

 バンドの内部の人間だけではなく、演出をするためには設営の人間も一緒になる。

 演出家を起用することによって、客観的にはどう、三つのバンドを使うかが見えてくるのだ。


 もちろんそれぞれのバンドから、意見やアイデアももたらされる。

 だが客観的にファンが、どういうものを見たいのかというのは、やはり外から見ないと分からないものだ。

 そして三つのバンドにはそれぞれ、一曲は新曲を作ってもらう必要がある。

 さらには三つのバンドで、それぞれがメドレーで歌うような曲も作る。

「ボヘミアンラプソティみたいな、それぞれのパートが全く違う感じになるとか」

「いや、せっかくなら同じタイプを、それぞれのバンドでやった方がいいと思う」

 俊としては分かりやすい曲を作りたかったのだが、白雪はそこで妥協しない。

 ゴートも白雪の意見には賛成だ。


 ただここで発表する曲については、一つの課題がある。

 演奏や歌唱自体は、それほど難易度が高くないもの、ということである。

 三つのバンドが揃って演奏するのだから、あまり特化しすぎた曲も良くないのは確かだ。

 だがそういう意味だけではなく、この曲を他のバンドなどもカバーしたり、あるいはカラオケで歌いやすいように、という条件がついてくる。

 注目度の高いこの曲は、歌われる曲でもなければいけない。

 それこそ今年はともかく、来年の紅白ではどこのバンドが出ても、歌えることが出来るような。


 もっともノイズにしても、永劫回帰やMNRにしても、もう紅白に出るつもりはない。

 年末の年越しフェスで、そちらに出た方がずっとギャラはいいのだ。

 紅白に出るというのは昔と違って、あまり効果がなくなっている。

 それでも一度ぐらいなら、出ておいてもいいだろうとは、それぞれのリーダーは考えているが。

 ノイズの場合は完全に、月子の要望に沿ったものである。

 もちろん他のメンバーも、ちゃんと納得してのものであるが。


 日本ではなく世界規模で見るなら、今年一番知名度を上げたのは、MNRではなくノイズである。

 霹靂の刻がアメリカのアニメーションで使われたというのが、かなり大きかった。

 ただ日本国内だけなら、MNRの方が伸びている。

 覇権を持つ永劫回帰は、これ以上はなかなか伸びていかない。

 それでも充分に、ナンバーワンバンドとは言えるのだろう。

 またパイレーツなどという、活動期間がずっと、長いバンドも存在するのだ。




 音楽の世界でトップを取ることに、果たして意味はあるのか。

 実際のところ創作の世界には、比較をすること自体が野暮という感覚がある。

 もちろん純粋に、金になったかどうかということで、比較することは可能だ。

 しかしポップスの世界だけではなく、クラシックなども含むとしたらどうなのか。


 日本に限ったことではなく、ロックスターよりもクラシックの関係者の方が、社会的な信用度は高い。

 そもそも社会の反権力、などというところから始まっているのが、ロックであるとも言えるからだ。

 ビートルズなどを聴いていると不良になる、などと言われたのは俊の父親のさらにもう一つ前。

 だが現在の日本で、ビートルズとクラシックの巨匠、どちらの方が知名度はあるか。

 これはさすがにビートルズであろう。

 クラシックなどもモーツァルトやベートーベンとなったら、現代の巨匠よりも普通に有名だ。

 音楽に興味のない人間は、今の日本のポップスよりも、ビートルズの名前の方がよく知っているだろう。


 世界に与えた影響度というなら、クラシックの過去の巨匠より、ビートルズの方が上か。

 もっともクラシックは多くの場合、貴族のための娯楽であったのだ。

 庶民向けのものもあったが、パトロンとなるのはやはり貴族。

 ポピュラーに流れたという点に関しては、やはりロックが初めて世界的に有名になったものか。

 もっともその世界というのも、欧米の文化とそれに接するところまでだが。


 今の日本のポップスが、欧米でもかなり認知度が上がっているのは、理由は主に二つ。

 一つは単純に、日本の音楽でもネットによって、聞くことが出来るようになったから。

 もう一つも単純で、日本のアニメが欧米でもネット配信されるようになったから。

 このアニメのタイアップソングで、飛躍的に有名になったユニットやバンドがいる。

 もっとも日本国内では、それ以前から有名であったものだが。


 永劫回帰も元から人気はあったが、爆発的に人気となったのはやはり、アニメタイアップで有名になったところが大きい。

 今の日本は昔と比べると、音楽よりもゲームにユーザーが流れている。

 無料で出来るスマホゲーというのが、やはり大きな入り口なのだ。

 もっともサブスクを別にしても、音楽もまた無料配信サイトで、かなり流れていたりはするが。

 純粋な楽曲の技術という意味では、昔よりも今の方が上だ。

 使えるソフトや機材が、比較的安価で手に入るようになったからだ。

 また発信するのがネットによって、地方からでも可能になっている。

 

 ノイズは国内での人気と共に、国外でも知名度を上げている。

 霹靂の刻のおかげで、他の楽曲も聴かれているからだ。

 もっともサブスクなどで、発表している音楽はいまだに少ない。

 基本的にはMVを作って、それを流すというパターンだからだ。

 MVを作る場合は、ライブ映像に音楽を合わせたりする。

 これが意外と言うべきか、かなりPVが回ったりするのだ。


 どうやったら金になるか、ということをずっと考えている。

 俊としては本当は、作曲の方に頭を使うべきなのだが。

 当初の予定の売り方で、ここまでやってくることは出来た。

 だがこの先となると、ちょっと予想していくのも難しい。




 世界進出、というのが一つの目標だ。

 アジアではなく、まずアメリカである。

 アジアは基本的に、そこで止まってしまうからだ。

 もちろん台湾など、かなり文化的に近いところなら、行ってみるのも悪くはない。

 ただアメリカで成功すると、そこから世界に拡散していくのだ。


 忘れてはいけないが、ビートルズもイギリス出身で、アメリカ制覇を目指したのだ。

 もっとも音楽のフェスなどは、アメリカ以外にもヨーロッパ各地で、大きなものが開催される。

 またアメリカ国内においても、意外と都市部ではないところで、大きなフェスはあるのだ。

 巨大な会場を抑えるというのも、アメリカならば出来ること。

 ただ昔と違って、五万人などの人数が集まる会場ではなく、音楽専門の一万人規模のホールなどが、今の主流になりつつある。


 一度のライブの動員数としては、日本のバンドがその国内で、ギネス記録を作ったこともあるのだ。

 ただこれは計算の方法によって、色々と違ったりする。

 また人を集めるという点では、アメリカだけではなくブラジルのリオでも、相当なコンサートが行われている。

 リオデジャネイロはカーニバルでも有名で、巨大な祭りを行うノウハウを持っているということも大きいのだろう。

 ただコンサートではなくフェスならば、また違った動員数があったりする。


 動員数を記録するのは、確かに一つの目安ではある。

 しかし重要なのは、それによってどれだけの熱量を集められるかだ。

 今の日本においては、東京ドームを三日間、埋めるだけのバンドはない。

 それを分かっていて、ALEXレコードは抑えてしまったわけだ。


 永劫回帰にMNRとノイズ、そして花音を加えた布陣。

 これはかなりチケットの料金も高いが、売れやすいところはあっという間に売切れてしまった。

 とりあえずチケットが売れて、ようやく赤字にならないラインに到達する。

 そこからは物販などで、どれだけ売上を伸ばしていくかだ。


 アイドルなどのライブは、チケットをやや安めに抑えて、物販で利益を出す。

 これによってチケットのソールドアウトと、黒字化を計算しているのだ。

 ノイズの場合も俊は、音楽だけで利益を出そう、などとは考えない。

 今の場合はメディアミックスではないが、ファングッズはしっかりと揃えるべきだ。

 そもそもファンとしても、好きなミュージシャンは推したいものなのだから。


 どういった商品を作っていくか、それも一つの問題ではある。

 だがさすがにそちらまでは、もう手が回らない俊である。

 この年末までに、アルバムを一枚作りたい。

 会場で販売したならば、利益は大きなものとなる。

 CDの売上において、小売の店舗が得られるのは、相当の割合である。

 しかし今はもう、CDショップ自体が減少している。

 ノイズは通販も行っているが、そのあたりのフットワークの軽さは、いまだにインディーズでやっているからだ。

 企画から実施まで、どうしても時間がかかるのが、大きな金をかけるイベントである。

 金の亡者になるつもりはないが、売れてくれないと音楽活動自体が続けられない。

 一生を音楽にかけて生きていきたい。

 俊のその望みは、ノイズのメンバーなら誰もが、もう分かっていることなのだった。

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