第250話 昇りつつある者

 音楽の世界というのは、果たしてどうやって評価すればいいのだろう。

 クラシックのアマチュアコンクールや、若手向けのコンクールならば、ある程度は分からないでもない。

 しかしポップスの世界は、突然怪物が出てくることもある。

 もっとも発見されていなかっただけで、実際には前からいた存在であったりするが。

 特にボカロPには、その分野があると言えるだろうか。

 だが暁や木蓮のように、ひたすら自分でギターを弾いているという人間もいるのだ。


 月子のような転身する人間はどうだろう。

 民謡の世界から、地下アイドルの世界へ。

 そこからユニットでどうかと、俊が誘ったわけである。

 正確には歌い手にするために、アルバイトとして提案したわけだが。


 そこからは人と人の出会いによって、状況が展開していった。

 暁との、正確には再会と言える出会い。

 そして彼女がライブをと言ったため、ノイズが誕生している。

 バンドとして成立するなどとは、俊は思っていなかった。

 しかし事実として、今は日本のポップシーンで、最高に近いところにいる。


 ただデビューしてから有名になった早さでは、MNRの方が早いと言える。

 だが積み上げてきた実績をもって、万全の状態から一気に売り出した。

 そういった部分まで考えるなら、ノイズはとんでもない早さであるし、特に千歳は高校に入ってから本格的にやりだしたのだ。

 俊はそう考えると、フラワーフェスタの活動は悪手であると思う。

 八月の間にレコード会社がオーディションをして、主にギターを狙って絞っていった。

 しかしあの四人のレベルが下手に高く、そして気が合ってしまっているだけに、五人目が上手くマッチしていない。


 花音がメジャーデビューしたら、瞬時にスター街道を駆け上がるのだろうと思っていた。

 月子もボーカルとしての才能は巨大だが、花音には現時点で負けているとも思ったのだ。 

 もっともまだまだ伸び代があると感じたのも、確かなことではある。

 ボーカルにも色々とタイプがあって、月子と千歳は両方とも魅力的だが、特に千歳はバンドミュージックで映える。

 花音は逆に、ソロでやればよかったものを、バンドなどを組んでしまったりしている。


 他の三人も、別に悪いわけではない。

 それどころか普通に、メジャーデビューする力はあるため、ALEXレコードとしても切ることが出来なかった。

 だが相乗効果で強くなるはずのバンドが、今は停滞している。

 それでもライブハウスでは、相当の人気は誇っている。

 あと一歩が、どこか弾けないのだ。




 それとは全く別の場所だが、千歳は部活に顔を見せると、木蓮を連れ出す。

 軽音部に馴染んできている木蓮だが、それとは別に練習をさせるのだ。

 千歳が腕を怪我していた間など、彼女をステージに上げようかなどと千歳は言ってみたりした。

 だがそれにストップをかけたのが俊である。


 なんだかんだ言いながら、涼はそれなりの規模のステージでの演奏経験がある。

 だが木蓮は50人から100人ぐらいのハコで、幾つかのバンドに混ぜてもらっている。

 単純な技術だけでは、暁の居なくなった軽音部では、浮くほどの実力がある。

 しかしステージに立って演奏するなら、それはまた別の話だ。

 バンドの中でしっかりと、萎縮せずに合わせることが出来るか。

 普段の気性を考えると、むしろどうしてこんな子がギターを、と思うことはあるのだ。


 いっそのことフラワーフェスタに紹介したら、などと暁は思うのだ。

 技術だけなら少なくとも、既にアマチュアのレベルではない。

 もっともステージ慣れしていなくて、体力的な問題もある。

 一人でならばいくらでも弾けても、合わせてステージで弾くのは違う。

 むしろギターの弾き語りの方がいいのかもしれないが、ボーカルとしてはそこまでの特色は持っていない。


 千歳が高校を卒業したら、直接的な彼女とのつながりはなくなる。

 だが俊はなんとなくだが、彼女に道を作っておいてやるべきでは、と思うのだ。

 人間の中で生きるのに、音楽以外では苦手なタイプと言えようか。

 もっともプロとしてメジャーデビュー出来るかというと、確信を持てるほどのものは感じない。

 バンドとして相互に関係しあうようになれば、何か変わるのかもしれないが。


 ノイズはややライブの回数を落としている。

 それは年末のイベントに備えて、バンド間の調整をするためだ。

 また新曲のアイデアについても、互いに相談している。

 特に三つのバンドが全部ステージに出る曲は、相当に複雑なものになるはずだ。

 それでいて最小限の構成でも、演奏出来るようになっていなければいけない。


 交響曲の作曲のようなものだ。

 それぞれのパートを、順番に演奏したり重ねて演奏したり。

 こういった複雑な構造の曲は、ボカロ曲の作成に慣れた俊が、一番適している。

 単純にクラシックの曲などであるなら、ゴートや白雪もある程度は出来るのだろうが。


 白雪はベースを基本、他のバンドの二人に任せる。

 ノイズの信吾と、永劫回帰のロゼである。

 だが皮肉なことに、この二人よりも白雪の方が上手い。

 上手いと言うか、ベースの本質を掴んでいるのだ。

 ベースだけではなく、他の楽器も全てある程度出来て、それで作曲をしているわけだが。


 このあたりは最近のコンポーザーに共通したものである。

 実際の楽器はちょっと触れてみるぐらいしか出来ない。

 だがソフトを使うことによって、多くのパターンが作れるのだから、まずは楽器の音が分かる。

 しかしソフトで音を鳴らしても、実際に演奏が可能かどうかは話が別だ。

 なのである程度はバンドなりなんなりで、楽器に触れてみる必要がある。




 永劫回帰とMNR、二つのトップクラスのバンド。

 そしてノイズで、他にもバンドはあるものの、日本でトップ10には入るのではないか。

 もっともどの部分ではどこが上手い、などということはある。

 ノイズは人数が多いのと、俊がシンセサイザーを使うため、音の表現の幅が広いのが大きい。

 ただトップクラスであっても、実力差は出てくる。


 MNRはスリーピースバンドだが、一番手堅くまとまっている。

 それにギターの紫苑は技術的に、暁と確かに競っている。

 永劫回帰のギターのキイは、単なる技術よりはもっと、感情的であると言おうか。

 早く弾くよりも、音を歪ませるのが上手い。

 そしてアルペジオなどを、情感たっぷりに弾いてくるのだ。

 普段はクールでありながら、表現力は高いのだ。


 このギターパートの中では、暁が総合的に一番上手いだろう。

 年齢的には一番下であるが、技術的なこと以外にも、まさにレジェンドのコピーなどをしているため、表現が感覚的だ。

 もっとも他の二人のギターも、成長中ではある。

 おそらく他のバンドを見ても、特に30歳ぐらいまでなら、この三人が一番上手いのではないか。

 時々リズムギターを担当する、永劫回帰のタイガは、はっきりと千歳よりも劣る。


 ベースに関してはどのバンドも、そこまで達者というわけではない。

 その中ではやはり白雪が、年季の入った演奏をするが。

 ベースという楽器は、基本的にバンドの中では、ドラムと共にリズム隊ではある。

 しかしベースソロがあったり、ベースイントロがあったりと、低音で甘い音を鳴らしはするのだ。

 ここで冷静に評価してしまうのが、俊のいいところなのか悪いところのなのか。

 永劫回帰のロゼは、正直紅一点というところはあるが、あの中では少し落ちる。

 ただ信吾と比べると、それほど劣っているというわけでもない。


 ドラムなどは以前にも、感じたそのままである。

 栄二の正確さ、ゴートの華麗さ、そして紅旗のパワフルさ。

 スタジオミュージシャンやバックミュージシャンとして演奏していた栄二には、自分の華を消すという特徴がついてしまっている。

 それでもノイズではそのドラムがなければ、演奏が成立しない。

 そもそもゴートなどは、他の楽器も色々と演奏するのだ。


 シンセサイザーと電子音使いという点では、俊が一番である。

 もっとも白雪もかなり、この楽器は扱うことが出来る。

 アレンジ能力という点では、二人の間にあまり差はない。

 ただ幅は母親からクラシック音楽も聞かされている、俊の方が広いかもしれない。

 質が違ってはいても、技量の差とはまた違う。

 永劫回帰などはゴートが作詞作曲を担当しているが、アレンジは他に任せている。

 MNRはノイズと共に、アレンジまで全て白雪がやっているが。


 ボーカルに関しては、これはもう完全に好みの世界だ。

 月子の声域が広いと言っても、花音の声質や白雪の声質を、明確に上回るというわけではない。

 永劫回帰のタイガなどは、完全に声質の良さが、バンドボーカルとして優れている。

 耳に残る声というのは、楽器としては最上級。

 ただそれも他を圧倒しているというわけではない。

 また彼のボーカルに合わせるなら、月子よりも千歳が合っていると思ったりもする。




 俊は何度も会合を行う上で、ゴートの視野に触れることになる。

 漠然と目指していた、世界進出という目標。

 ゴートの場合はそれが、かなり現実的なものとなっている。

 そもそもアメリカのチャートにおいても、日本の音楽は別に計算されている。

 ただネットによって、配信だけは普通にされているのだ。


 過去のシティ・ポップなどが向こうでは、かなり流れていたりした。

 それは俊などからすると、音の薄いあっさりめの音楽に聞こえたりする。

 ただそういうタイプの日本のバンドが、アメリカではそれなりに受けていたりする。

 とんでもなく売れるというわけではないが、異質なものとしての需要があるのだ。

「でもそれじゃあ、つまらないよなあ」

 もっと圧倒的に、新曲を発表すればすぐに向こうでも、話題になるほどのパワーがほしい。


 ノイズの場合は霹靂の刻の印象が、アメリカでは強いのだ。

 またアニソンタイアップも、曲としては成功していた。

 だが日本のアニメが世界で流行などといっても、全てが全て売れるというものでもない。

 しかし今のアメリカの主流でないところを、日本の楽曲が埋めているという傾向はある。

 アメリカでは特に、ロックの衰退が激しい。

 ヨーロッパの色々なところから、ロック自体は生まれている。

 ただアメリカであると、主流がヒップホップとR&Bなのである。


 比べると日本は、ロック色のあるポップスが人気だ。

 バンドミュージックというのが、多少の波はあってもずっと続いている。

 あえてアメリカの流行に寄せないところが、日本の音楽も需要があるということなのか。

 もっとも大金を稼ごうと思えば、ヒップホップが若者には人気になる。

 ここはやはり、ボカロ曲の存在が大きいのではないか。


 音楽が隆盛するために必要と言うよりは、その文化が隆盛するのに必要なものとして、裾野の広がりというものがある。

 WEB発のコミックや小説は、それまで潜在的にあった需要に、供給を与えた。

 紙ではない媒体で発表されることによって、初期費用があまりかからない。

 また在庫を抱えなくても済むというのが、参入への道を開いた。

 もっともこれによって、通常の紙の本などの販売は減少。

 この流れを止めることは、もう出来ないであろう。


 音楽においてはボーカロイドと、DAWの存在によって参入が可能になった。

 発表するプラットフォームも、国内のものから全世界規模のものへと、どんどんと広がっている。

 当初は採算を度外視した、趣味の延長でしかなかった。

 マンガで言うならば、同人誌のようなものであろうか。

 しかし今は同人出身の作家もいれば、同人で食っていく作家もいる。

 それがボカロ曲においても同じことが起こったのだ。

 決定的なのが千本桜であったろうか。




 今度のイベントについても、ノイズはボカロ系統の代表的な面がある。

 永劫回帰は現代のバンドのトップだが、実はMNRの方が白雪のキャリアがあるので古くから存在する。

 もっとも何をもってトップと言うかなど、やはり野暮というものである。

 それぞれがそれなりの役割を果たして、化学反応を起こすことを願う。

 もう大々的に告知も行ってしまっているので、避けようがない。

 これほどのチャンスを、避けるという選択もないが。


 花音はケイティのコンサートでデビューしながら、その後は完全に楽曲の発表だけで、テレビなどにも顔を出さない。

 だが楽曲と歌声だけで、相当のファンを増やしてはいる。

 それがこのドームのコンサートで、やっとまた人前に出るのだという。

 テレビという媒体を無視して、ネットでの配信のみ。

 ただその楽曲に関しては、アニメーションを使っているものがほとんどである。

 それでなくてはCGなので、実写で彼女の顔を出すということはない。


 曲については母ではなく、自分名義で発表している。

 ただこれが本当のことなのかどうか、それを知っている人間は少ない。

 実際のところアレンジの仕方によって、曲というのは大きく変わるものだ。

 そしてこのアレンジの能力を、花音は既に持っている。


 英才教育と言っていいだろう。

 師匠はそもそも、クラシックの技法でもって、花音を育てている。

 だからといってポップスを遠ざけたわけでもなく、母親の作った曲を多く聞かせている。

 また花音自身が、そういった音楽を聞いて好んでいた。

 それにクラシックの、多様な楽器の音色を使うという表現が加われば、この年齢でも編曲が可能になるのだ。

 元々中学生になる頃には、既にそれを行っていた。


 天才の音楽というのは、いつの時代にも通用するものなのか。

 少なくともクラシックであるならば、100年以上の時を超えて残っている。

 現代クラシックなどというのもあるが、いかに己の演奏で表現するか、クラシックはそちらの方が主流であろう。

 実際にクラシックと言われて思い浮かべるものは、貴族時代に作られたものが多い。

 その貴族の時代というのも、とんでもなく幅があるものだが。


 ビートルズの音楽のみならず、70年代あたりの音楽は、いまだにカバーされている。

 それは別に洋楽だけではなく、邦楽においても同じことが言われる。

 たださすがに昭和戦前の、軍歌などがメジャーになることはない。

 しかし美空ひばりの曲などを、普通に現代の若者は歌うこともあるのだ。

 カラオケ文化の発達した、日本ならではのことであるのか。

 そのカラオケにしても、最近はさすがに廃れる傾向にあるらしい。




 誰の音楽が一番新しいのか。

 それに関しては別に、俊や白雪はどうでもいい。

 ゴートは少し考えることもあるが、新しければいいというものではない。

 電子音の打ち込み音楽が、新しさでは一番だろう。

 あるいはヒップホップとなるのだろうか。

 確かにラップバトルなどは、比較的新しくはある。

 だが日本のポップスでは、メインストリームには成りえていない。


 俊はほんの半歩だけ、新しければいいと考えている。

 おそらく俊の知る限りなら、日本のコンポーザーの中で、一番新しいのは徳島である。

 新しいと言うよりは、次々と違う曲調を出していると言うべきか。

 彼は過去の自分を、あっさりと捨てていく。

 スタイルなど確立することなく、世の中を切り裂いていくような音楽を作ろうとする。

 それでいて下手に実験的すぎることもなく、ポップスの範囲に収まるようになっているのは、プロデューサーの手綱捌きによるものだろうが。


 10月の下旬、普通の公立高校の体育館で、ノイズはライブを行う。

 ただの発表ではないので、五曲ほど演奏するのだ。

 30分も時間があるので、やろうと思えばもっと出来る。

 だが音響も整っていない環境で、果たして何が出来るものか。

 俊としては千歳の思い出作りに、協力してやるだけである。

 もちろん本物を聴かせることで、少しはファンも獲得しようと考えてはいるが。


 学園祭においては、軽音部からは他にも、幾つかのバンドが演奏する。

 学外での活動も、それなりにはしている軽音部だが、その中では木蓮が特別だ。

 ライブハウスで演奏する中で、彼女はあちこちでヘルプや臨時として入っている。

 そしてその実力が、次第に周知されるようにもなってきているのだ。


 単純な音楽好き、という点では彼女を定義することは出来ない。 

 俊の目からすると、木蓮もまた音楽をやらなければ、何者にもなれない人間だ。

 もちろんそれが悪いわけではない。

 社会に存在する多くの人間は、歯車ではあっても社会を動かしている。

 替えは利くものの、いなければ困ってしまう。

 そういう存在が、世界を大きく動かしているのだ。


 ビートルズを知らないバンドマンはいないだろう。

 しかしビートルズが演奏をする上で、そのセッティングなどをやっていた裏方は、果たして必要なかったのか。

 どんな偉大な存在であっても、それは巨大な社会の中で支えられている。

 ただ上手くそうやって生きていける人間と、スーパースターにならなければまともに生きていけない人間がいるのだ。

 木蓮も本当に、成功するかどうかは分からない。

 だが少なくとも、可能性を持っているのは確かなのである。




 学園祭でも軽音部内のバンドで、木蓮も演奏する。

 おそらく彼女の演奏は、その中では浮いてしまうだろう。

 普段から演奏しているレベルが、そもそも違うのである。

 また週に一度ぐらいの頻度で、ライブに参加している。

 これはノイズが力ををつけるため、ほとんど毎週のようにやっていたのと、同じペースである。


 舞台度胸はついてきている。

 そして合わせる技術というのが、とにかく上手くなってきている。

 単純に合わせるのではなく、上手く力を引き出すようになってきた。

 下に合わせるのではなく、自分のところまで引き上げる。

 そういった演奏をしていくので、地味に名前が知られていくようになる。

 やがてそれが、フラワーフェスタに届くぐらいには。


 フラワーフェスタの五人目のメンバーは、なかなか集まらない。

 ALEXレコードがオーディションをして、それで見つけた才能というものはいる。

 だがフラワーフェスタには、これまで合う人間はいなかった。

 要求するレベルが高いというのもあるが、どうにもしっくり来ないのだ。


 日本では花音と玲が、アメリカではジャンヌとエイミーが、それぞれ探してはいた。

 それでもこの四人が、他には見つけられなかったのだ。

 暁などは上手く合わせてくれていたが、あくまでもノイズがメインの活動。

 ノイズの音楽の幅は、ツインボーカルでかなり広い。

 フラワーフェスタもボーカルを、各メンバーが出来るものだ。

 しかしそれでも、何かが足りていない。


 年末にはコンサートの他に、フェスや紅白が控えている。

 今年の場合はノイズは、紅白に出る予定をしている。

 ただ金を稼ぐために、しっかりとアルバムを作る必要がある。

 基本的にはサブスクには、全ての曲を置くわけではない。

 むしろYourtubeなどで、楽曲は公開している。

 それも今のところ、MVが作られた限られた曲だけであるが。


「やることが多い!」

 俊はそう叫ぶが、売れっ子ならば仕方のないことなのだ。

 特にリーダーであり、作詞作曲から編曲まで、主にやっているとこういうことになる。

 せめてアルバム制作さえやめれば、ずっと楽にはなる。

 ただ稼げるチャンスで稼がないのは、俊の主義に反するのだ。


 ただドームのコンサートにおいて、どれだけのCDをプレスすればいいのか。

 正直なところ阿部でさえも、こういった形のイベントは初めてなので、よく分からないものである。

 三日間でおよそ15万人。

 チケットはいい場所であれば、早々に売れてしまった。

 もっとも微妙な席は、いまだに残っている。

 これを売ってしまうため、コンサートでの最速販売というのを、ノイズはやってしまいたいのだ。

「あと三曲……」

 瀕死になりながらも俊は、作曲の手を止めない。

 レコーディングなども考えると、ほとんど手を休められない。

 それでもボランティアのステージで、演奏するのがノイズであるのだった。

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