第124話 最終日・東京

 丸一日を休養にあて、そしてツアーの最終日となる東京でのステージ。

 他にも二つのバンドが出演するが、あくまでも前座のようなもの。

 ノイズは一時間の演奏があるので、最後にその確認をしなければいけない。

 午前中にやってきた暁と千歳は、若いからかもう元気になっていた。

 それを言えば俊も信吾も、まだ20代前半なのだが。

 アラサーである栄二も、問題なく練習には集まる。


 かなりきつい日程でのツアーであった。

 しばらくは関東圏のライブハウス、特に千葉や埼玉、神奈川あたりの都市圏を中心にやっていくべきであるかと俊は考えた。

 まだやったことのないライブハウスで、果たしてどういう反応が見られるか。

 また北の方は札幌は遠すぎるが、仙台まではどうにか遠征出来ないものか。

 聞けば信吾の実家は、お客さんが五人ほど来ても、どうにかなるぐらいの一軒家ではあるらしい。


 今後の予定は、新年度が本格的に始まってから考えよう。

 まずは休んでいた間に、何かがおかしくなっていないか、そのチェックである。

 セットリストにあるのは10曲。

 一時間のライブであれば、ようやくオリジナルだけで勝負出来るようになってきた。

「大阪でやったようなことはもういいの?」

「あれは、とりあえず目を引くためのものだったからな。東京でやってイメージを変えるのも問題だろう」

 千歳としてはSixteenが自分の曲だというイメージを持っているらしい。

 もっとも現実の千歳は、恋愛関係とは遠いところにいる存在だ。


 新学期が始まれば、彼女たちは二年生となる。

 そうすれば後輩も出来るわけで、その中に新たなノイズのファンも作りたい。

 そもそも二人の高校の生徒は、それなりにノイズのライブにはやってきているとは聞く。

 学園祭でやった二人の演奏が、それだけ届いたのであろう。

「部活紹介とかでも演奏するしね」

 暁はそういうが、高校の部活の紹介とするには、彼女の実力はオーバースペックであろう。




 練習の結果、しっかりと音を合わせられるようになった。

 おかしな影響は残っていないと思うが、そういうものは実際のステージに立ってみないと分からない。

「そういえば一年近くになるんだ」

 千歳が呟いたのは、この一年というか、ノイズに加入してからの時間の流れの速さだ。

「ギターもかなり聴けるようになったな。もう俺よりは上手いんじゃないか?」

「そうかな?」

「甘やかしたらダメだよ」

 俊の賛辞にも、暁は厳しい。

 普段はぽんやりとした性格であるのだが、ギターを持たせていると彼女は、やはり人格が違うような気がする。


 昼食を食べてから、ライブハウスへと向かうこととなる。

 ホライゾンの300人のキャパは、もう充分に埋められるようになった。

 セッティングからリハまで、順調に調整していく。

 そして本日の対バンのバンドメンバーとも話す。

 ホライゾンではまだ新参で、ノイズと対バンをするのは初めてであった。


 リハを聴いている限りでは、なかなか悪くない。

 少なくとも前座として、空気を冷やしてしまうことはないであろう。

 もっともちゃんとメインで客が集まる場合、前座はある程度冷えていた方が、ドリンクが良く売れたりもする。

 ともあれ300人規模が、ちゃんと埋まるのだ。

 昔に組んでいたバンドとは、安定感が違うと言うか、安心感が違う。

 50人のハコに半分も入っていない、ということもあったりしたのだ。


 しかしこれ以上の大きなハコとなると、演出なども重要になってくる。

 音響の機材なども違うので、それだけ金もかかってしまうのだ。

 これまでは50人規模のハコの延長や、フェスのステージということで、どうにかやってこれた。

 だが本当に大きなステージでやるなら、色々と考えないといけないことがある。

 そもそも1000人規模のハコとなると、既にイベンターが抑えていて、そちらに話を持っていかないとどうにもならなかったりする。

 そこは事務所との作戦会議となるのだが。




 前座扱いとなっている二つのバンドは、大学生とフリーターがメンバーのバンドであった。

 千歳はそれを見ながら、不思議に思う。

 高校に入るまで、ギターなど触ってもいなかった自分が、今ではこんなサイズのライブハウスでメインを張るバンドの一員となっていること。

 給料速吸が他のギャラという形で、高校生にとってはそれなりに高額の給料が払われる。

 アルバイトをするよりも、よほど多い。

 とは言っても、それはこの数ヶ月ほどで、加入当初はむしろ赤字であったらしいが。


 物販が弱いのだと、いつも俊は悩んでいる。

 ツアーの時も持って行ったアルバムはすぐに売れて、音源はこれだけなのかと問い合わせがあったものだ。

 千歳もようやく、芸能界と言うか、音楽業界の仕組みは少し分かってきた。

 アーティストは基本的に、CDが売れても儲からないのだと。

 昔はそれでも、圧倒的に売れていたので、良かったそうだが。


 90年代というのはまだ、バブルの余韻が残っていて、日本は豊かであったのだという。

 もっとも2000年前後は就職氷河期とも言われて、この時期は厳しかったそうだが。

 ゆとり世代だのZ世代だの、色々と言われてはいる。

 だが今は地方から音楽を発信するならば、かなり有利な時代であるという。


 今では千歳でも持っているスマートフォンだが、確かに小学生の頃などは、自分の物は持っていなかった。

 携帯電話さえ普及していなかった90年代半ばほどまでは、世界が違うのだと俊などは言う。

 暁などは今でも、スマートフォンなどは音楽を聴く以外、あまり使いこなしていない。

 だが90年代というのは携帯電話やインターネット普及の黎明期。

 その頃との比較などをするのは、俊だけである。


 ギターだけ弾いて生きて行きたいな、と暁は言う。

 暁なら可能なのかな、と千歳はライブ後の打ち上げに感じる。

 基本的にギターボーカルの千歳は、ギターを誉められることがほとんどない。

 それでも時々、ボーカル二人もったいないから寄越せよ、などと他のバンドには言われたりしている。


 果たしてこういった活動が、いつまで続いていくのか。 

 男性陣は本気で音楽で食っていくつもりで、特に栄二は今もヘルプに入ったりスタジオに行ったりしている。

 信吾はノイズの活動を主眼にしながらも、同じように他のバンドに関わっているらしい。

 俊はおぼっちゃんだから別として、暁も浮世離れしたところはある。

 千歳が心配になるというか、この業界で成功しなければどうにもならないと思うのは、やはり月子なのだ。


 生来のハンデがあり、一人で東京に出てきた月子。

 今では俊と一緒の家に住んでいて、二人が恋人関係にでも発達するのかな、と女子らしく恋愛方向の妄想が捗ったこともある。

 だが俊は月子のことを、大切な楽器のように扱っていて、保護者的にしか振舞わない。

 むしろ間違いを起こしかけたのが暁であったというのを、知っているのは俊以外は千歳だけである。


 もう新学期が始まり、生活も日常に戻っていく。

 今年の目標としては、夏の大規模フェスに出ることだと、俊は言っていた。

 それがいまだに、どこか現実的ではない。

(集中しないと)

 まずはこのツアー最終ライブというのを、盛り上げて終わらないといけない。

 一時間、MCを挟みながら演奏を続ける。

 今日は元に戻って、俊がほとんどのMCをする予定であるが、千歳も少し喋ることになっている。




 ツアーはツアーでいつもとは違う緊張感があったが、演奏自体はかろうじて及第点だった、と暁は思っている。

 やはり春休みを使ったものなので仕方がないが、日程的に無理があったのだ。

 俊はまだしも、大人組の二人が、二日酔いなどでパフォーマンスが低い日があった。

 もっとも暁自身も、普段とは違う、どこかしっくり来ない感じがしたものだが。


 今日は一日休んで、午前中には練習もしたため、コンディションは良好。

 冒頭から暁のギターは走っていく。

(あ~、春休み、終わらないでほしいな~)

 移動も運転は大人組がやってくれたため、暁はツアー自体には、心地いい疲労感ぐらいしか感じなかった。

 それでも次の日は、遅くまで寝ていたものだが。


 今日のステージはメンバー全員が安定している。

 暁が走りすぎようとしても、ドラムとベースのリズムがしっかり支えて引き戻してくれる。

 慣れたハコであるということで、一番安定しているのは、やはり機材の変わらない俊であろうか。

 元から打ち込みの電子音なども担当しているので、基本的にはサポート役なのだ。


 ノイズの中では、俊は一番、音楽に幻想を持っている現実主義者だ。

 作詞にも作曲にもこだわりがあるし、それには暁も賛同する。

 だが常に将来のことを考えて、利益を出すことを考えている。

 正直そちらの方は、安全策を取りすぎているのではないか、と思わないでもない。

 裕福な家庭に生まれて、好き放題に趣味に走ることも出来る。

 それなのに利益を出そうと考えているのは、アーティストとプロデューサーとの間で、能力のバランスが取れていないのではないか。


 もっとも暁からしてみれば、自分たちの作った曲をしっかりアレンジしてくれる、才能のあるリーダーであることは認めている。

 初めてのライブから今まで、致命的な失敗というものがない。

 メンバーの実力やコンディションを見て、上手くフォローをしている。

 時々走りすぎてしまう暁にも、何度も注意はしてくるが。


 ツアーの最後というこの東京でのライブも、上手く終わりそうではある。

 ただそう思った時にこそ、アクシデントは起こるのだ。

「あ」

 千歳のギターの弦が切れた。

 普通にあることであり、これぐらいのアクシデントなら問題はない。




 ギターの弦はその使用度にもよるが、年に一回は必ず変えた方がいい。

 もっとも暁などは弾いている時間が長いため、もっと短いスパンで張り替えているが。

 一本ぐらい弦が切れても、音を少なくして弾く手段はある。

 暁ならば可能だが、千歳には難しいことだ。


 ただこれも、幸運と言うべきなのだろうか。

 今日は曲の編成上、千歳は俊から借りている、フェンダーのテレキャスターも持ってきていた。

 本来の曲調には合わない音であるが、そこは弦の切れたギターよりはマシである。

 リズムギターがないまま一曲を終えて、そしてMCで時間を取る。

「落ち着いて」

 暁の声に頷いて、千歳はギターを交換した。


 ヴィンテージのギターの音は、確かに独特のものがある。

 だがそれは音の良し悪しではなく、特徴であるのだ。

 千歳のスクワイア製のテレキャスタータイプは、比較的その特徴があまりない。

 だからこそ逆に、リズムを刻むのにも、ある程度は万能性を持っている。

 暁の父の持っているヴィンテージ物などは、レスポールスタンダードはハムバッカーの音が重くて太いし、ストラトキャスターは幅がある。

 音が違うか好みであるだけで、良し悪しではない。

 ストラトキャスターの方が、使いやすいのは多いと言えるだろうが。


 わずかにボリュームを下げて、テレキャスターの特徴的な音を抑え目にする。

 そして次の曲が開始される。

 テレキャスターでこの曲を弾くと、確かにイメージは変わるな、と暁などは感じる。

 だがぶっちゃけ大半の客には、そこまでの変化は分からないだろう。

 かといってそこで妥協すると、どんどんと音は落ちていくのだろうが。


 東京でのツアー最終日は、無事に終わった。

 学生はこれから新年度の授業であるし、大人組はまた仕事が入っている。

 夢のような時間が終わって、現実が訪れるのだ。

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