第46話 傷だらけの彼女

 千歳はずっと怒っていた。

 それは自分の運命にであったり、何も吐き出すところがない自分にであったり、ただ普通の人間である自分に対してであったり。

 歌が上手いと言われても、そこまでのものではないと思っていた。

 何かを変えたくて、高校では軽音部に入った。

 親切な先輩がいて、歌を誉めてくれて、ライブハウスで歌ってみようとまで言ってくれたのだ。

 時々自分を見る目に、ちょっと分かりにくい感情を感じたが。


 そして初めてのステージ。

 間違いばかりしている演奏に、京子が言ったのだ。

 もうギターはやめて、全力で歌えと。

 歌に集中した瞬間、ギターの音が全力で、千歳の背中を押してきた。

 すると押し出されて、感情の乗った声が出てきたのだ。


 軽音部で歌っていたよりも、さらに強い声。

 怒りが爆発したかのような、自分のもっと奥深くから、叫びのように出てきたもの。

 それが何かは、分かっている。

 泣かなかった代わりに、叫ぶことも出来なかった。

 突如として失われてしまった、自分の当たり前の生活。

 ずっと続いていくはずはないとは知っていたが、断絶するようなものでもないと思っていた。

 ドラマやマンガの中では、いくらでもそれを見てきたのに。


 どうして!

 どうしてあたしが! 

 どうしてあたしがこんな目に!

 お父さんとお母さんを返せ!


 そんなどろどろとしたものを吐き出させたのが、暁のギターであった。

 普段教えてもらっているのとは、明らかに違うギター。

 優しいものではなく、魂に刻み付けていくような。


 その後の展開も、流されるようなものであった。

 袖で聴いていた、ノイズの圧倒的な演奏。

 そして何より、あのボーカルだ。

 ハイトーンでクリアでありながら、迫力が違う。

 こういう人がプロになるのでは、などと思ったものだ。


 だからこそ驚いた。

 アンコールに自分を連れ出そうとする、ノイズのリーダーに。

 歌える曲を並べていったら、まさかあれを採用するとは。

「ノイズってロックバンドじゃないんですか?」

「魂がロックだったら、何を歌っても弾いてもロックになるんだよ」

 まあ確かに、初対面の自分を、いきなり共演させるなど、本当にロックであると思う。




 アンコールに応えるため、ステージに戻ってきたノイズ。

 西園と信吾はさほど問題ではない。

 だが暁は微妙に、エフェクターの設定をいじる必要がある。

(いきなりだけど、そんなに凄かったのかな?)

 千歳にはギターは教えていても、その歌を聴くことなどはなかった。

 だが俊がこれだけ固執するのは、必ず何かを感じたからだ。


 ギターパートも、それほど難しいわけではない。

 むしろ一番大変なのは、俊であろう。

 ピアノから始まる上に、電子音で補わなければいけないところもある。

 ただやはり一番不安が残るのは、ボーカルであろうか。

 俊は前から準備をしていたと言っていたが。


 その俊が一同を見て、準備確認をしてからMCを始める。

『それじゃあアンコールに応えて。若いお客さんが多いけど、夏は特別な季節だから、ちょっと時期的には早いかもしれないけど、名曲いきます』

 ある意味において日本のMVでは伝説的なこの曲。

 映画の主題歌になりながらも、その出来によってMVが本体、とまで言われてしまったこの楽曲。

『打上花火』

 俊は音をピアノにして、慎重に弾き始めた。

 この曲は繊細に始めなければ、簡単に台無しになってしまうのだ。


 静かなピアノの音の中に、電子音とかすかなギターの音が混じっていく。

 そして抑制された、月子の透き通った歌声が響く。

 ライブハウスであるのに、その声を聴きたいと思うがゆえに、雑音がどんどんと減っていく。

 人の心を支配するような、心の防壁を突破してしまうクリアボイス。

 

 本当に大丈夫なのか。

 信吾は俊の直感を、まだそれほど信じてはいない。

 この曲はギターでオーディエンスを支配出来るようなものではない。

 本来なら男女のツインボーカルで、またもしやるとしても、月子こそが男声パートを受け持つべきではないのか。

 さほど難しくもない、ベースのパートが続く。

 ただギターは何をやっているのかと思ったが、何かエフェクターをいじったらしい。

(演奏だけじゃなく、設定の技術まであるのか)

 新たな暁の実力の発見であるが、そういえば普段から色々とやってはいた。




 男声パートが混じる。

 それと同時にドラムが始まる。

(合うはずだ)

 そして千歳が歌いだす。

 見事に月子の声と、ハーモニーとして成立していた。


 そして男声パートへと。

 落ち着いた千歳の声は少年が歌っているような色から、また少し変化している。

 月子の場合は何を歌っても、月子の歌としてしまう。

 支配的な歌声と言ってしまっていいのかもしれないが、アレンジすれば原曲を上回ってしまう。

 だが千歳の声は、原曲に寄りながらも、自分の歌として成立させている。


 タイプの違うボーカルが二人。

 それなのにコーラスの部分ではしっかりと合っている。

(見つけたぞ! 六人目!)

 それは俊の中で確信となっていた。

 フロントラインの三人が、全員女性というのは、ちょっと不思議な感じもしたが。


 永遠に夏が続けばいいという曲。

 何度も夏を繰り返すという曲。

 選択によって変化が起こる現実。

 一度聴いたときから、そしてバンドを組んだ時から、絶対にカバーしたいと思っていたのだ。

 だが月子一人に歌わせるには、原曲のイメージが強すぎる。

 他にも現在の月子には、発声の早いペースの曲は難しいという弱点があった。

 それはいずれ、練習して克服すればいいと思っていたが、もっと短縮する手段を発見した。


 まだギターは下手くそだが、リズムギターで少し音を厚くしたいとも思っていたのだ。

 これまでは打ち込みによって、それをやっていった。

 だがライブ中の化学反応は、直接楽器を操作することで発生する。

 もちろん俊のやっていることも、立派な演奏の一部ではある。

 電子音でしか出せない音というのはあるし、電子音で代用できる音もたくさんあるのだ。


 曲が終わりへと収束していく。

 暁も含めた三人が、ラララと歌っていく。

 女声三人のコーラスというのは、こういうものになるのか。

(本人は気づいてないけど、暁もかなり歌は上手いんだよな)

 ただギターの演奏と同時にするのは、とても難しいのだ。歌うのを忘れてしまう。


 終わり、を感じさせる曲であった。

 夏の切なさを、この夏の開始の時点で。

 しかし夏はまだこれから始まる。

 そして俊はノイズが、ここで本当のスタートラインに立ったと思ったのだ。

 オーディエンスに静かな高温の熱を残して、ライブは終了した。




 深々と頭を下げる京子。

「本っっっっっ当にありがとうございました」

 俊は心底どうでもよさげに、それを無視した。

 実際にどうでも良かったのだ。

 タイムテーブルの変更なども、上手くいった。

 子供のやったことに、いちいち怒りを持続させておくほど、彼は暇ではなかった。


 どこかぼんやりと、千歳は目の前の光景を見ていた。

 そんな千歳に対して、俊が向き合う。

「君の名前は」

「香坂千歳……」

「君には才能がある。歌で食べていくつもりはあるか? ついでにギターもやってくれるとありがたい」

「俊、話を進めるのが早すぎるだろう」

 西園が俊の拙速さを咎めるが、俊としては時間など、いくらあっても足りない。

 それにもう一つ、俊としては大事なことがある。

「栄二さん、これで俺の、最強の六人がそろいましたよ」

 その言葉に、西園は沈黙する。


 俊の中で夢として出現する直感。

 彼の理想とするような、バンドの形。

 そのためには西園も必要だった。選ばれていた。

 それをただの空想、あるいは妄想だと笑い飛ばすのは、もう難しくなっている。

 いきなり、今日出会ったばかりで、練習もしていないのに、あそこまで合ってしまった。

 もちろん支える側が高度な技術を持ち、俊がいずれはやりたい曲として準備していたというのもある。

 それでもこれは、あまりに運命的過ぎた。


 西園は答えを持たない。

 単純にメジャーデビューしたいだけなら、普通にジャックナイフにいたままで良かった。

 メジャーデビューしても、三年後に残っているバンドがどれだけあるか。

 そんなところに、妻子を持ってしまって、行けるはずがなかったのだ。

 この奇跡的な可能性を見ても、将来の保証などはどこにもない。

 西園には背負っているものが多すぎる。

 まだ何者でもない他のメンバーと違い、既に夫であり父であるのだ。

「……次の練習は予定通りにな」

 そして去っていく西園。

 次の約束があるので、俊はそれを追いかけることはない。

 今はこちらと話すべきだろう。




 千歳は混乱していた。

 混乱の中でも、己の中のものを吐き出すことが出来た。

 しかしその空白の中へ、さらに俊は踏み込んできた。

「歌でって、プロ? あたしに? いや、あたしはただお母さんが……」

 そんな千歳の肩に、手をかけたのは京子であった。

「千歳、貴方はたぶん、プロになるだけの力がある」

 そのために京子は、色々と無理を通したのだから。

「今日のライブで確信した。わたしと違って、安藤さんと同じ世界の人間」

 あたしかよ、という顔を暁はした。


 そんな暁に、京子は吐露する。

「安藤さん、ごめんなさい。ずっと謝りたかった」

 何か謝られることなどあったろうか。

「貴方のギターを聴いて、わたしは嫉妬してしまった。だからあんな反応をして、貴方を軽音部から遠ざけてしまった。本当に、今さらだけど……」

「え、なんの話です?」

 暁は全く見に覚えがなかった。

「その、貴方のギターに何も賞賛を送らなくて、それで来なくなったんでしょ?」

「いや、あたしは単に、その……合わせるなら他の人と合わせればいいかと思っただけで」

 どうやら色々と誤解があるらしい。

 ただ京子の暁に対する罪悪感が、今日の横紙破りな行動になったというのか。

 それならば千歳を発見できた俊としては、結果よければ全て良しで、広い心で許してしまうしかないのだが。


 もっともそういった空気を、千歳は分からない。

 それでも理解するなら、自分の中の気持ちと、俊の言葉を合わせて反応するしかない。

「なんで、あたしはただ……なんで今さら」

 そこで言葉の詰まった千歳は、その場から駆け出した。

 ドアを開け放って、このライブハウスという特殊な空間から、いつもの場所へと。

 いや、いつもの場所はもう、失われてしまった。

 それでもどうにか、帰る場所は作られた。


 歌が上手いから、千歳は歌手になれるかもね。

 そう言ったのは誰であったか。

 でも、もっと上手くないとなれないよ。

 そう言った母とは、よく歌っていたものだ。




 かつての自分の場所であった家ではなく、まだ仮住まいの感覚があるマンションへ。

 戻ってきた千歳を迎えたのは、もう病院から戻ってきていた叔母の文乃であった。

「お帰り、って何があったの?」

 そう問うてくる声は、千歳を見ても平静なものである。

 ライブの終わりから逆算して、普通に帰って来たはずだ。

 ただギターを持っていない。


 千歳は自分の感情を、上手く順序だてて話すことなど出来ない。

 この叔母のようには、上手く言葉を紡げないのだ。

 それを言うなら文乃も、別に言葉を使うのは上手くない、と言うだろう。小説家であるのに。

「あたしが! プロになれるって! なんで今さら!」

 そう叫ぶ千歳に、文乃は声をかけない。

 ただ面白そうだとも思わず、一人の人間として彼女に対するのみ。

「千歳、私は貴方の叔母で保護者だけど、親でもなく優しくもないから、適当に慰めてあげることは出来ない」

 しかし文乃は、誠実ではあった。

「出来るのはせいぜい、話を聞いて、助言がほしいなら実務的なことを説明するだけ」

 両親を失ったばかりの姪っ子にも、甘くはない。だが厳しくもなく、一人の人間として接する。

「千歳、やっと泣けたのね」

 その言葉で千歳は、自分がやっとあの日から初めて、泣いているのを知った。

 目の前で両親が死んでから、もう四ヶ月。

 空っぽの何かに、ずっと穴は空いたままだった。

 けれど今は、それに溢れる涙が注がれたのだ。


 千歳を観察する文乃は、作家としての冷徹な観察も行っている。

 だがそこから出る言葉は、実務的に大切なことだ。

「それで、貴方ギターはどうしたの?」

「あ、置いてきちゃった」

「誰かに持っていかれたりは?」

 そう言われて、涙の跡もそのままに、千歳は慌てだす。

 だがポケットからスマートフォンを取り出して、とりあえずは安心する。

「友達が持っていてくれるって」

「そう。他に何か忘れ物は?」

「ううん、他には」

 忘れ物はないが、話の途中で飛び出してしまった。

 感情が爆発するのを、見られたくなかったからだが。


 激情をコントロールするのは、高校生の女の子には難しい。

 文乃はその激情を、全て文章として発散していた。

 その結果が、社会不適応者に近い、文筆業の人間としてどうにか生計を立てることに成功していた。

 表面的には冷たい、合理的な人間として見えるようにもなれた。

 昔からの友達や、仲間には本音を洩らせるのだが。

「とりあえず、食事はする?」

「する。今日は丼の日だっけ」

「忙しかったから、ピザを頼んだけど」

 日常が戻ってくる。

 この非日常的な存在の叔母は、それでもリアルな感触であった。

 千歳にやってきた非現実は、それとは全く別の方向から、彼女自身の特徴へと働きかけてきたのであった。

「フミちゃん、あたし歌手になれるかなあ?」

「……私が言えるのは、貴方がとても歌は上手いという事実だけなんだけど」

 彼女のこの言い方を聞いて、千歳は自分の日常が戻ってきたのを感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る