第47話 タッチ

 欠けていたものが何か、俊にははっきりと分かった。

 それはあまりに暁が傑出していたことで、気づきにくくはなっていたものだ。

 ギターの音を、さらに厚くしていく。

 そしてどんな楽器を増やしても、増やせないもの。

 楽器ではなく、もう一つの声である。

「まあ、理屈としては分かるし、確かにいきなり合わせるなんて、天性のセンスもあるんだと思うよ」

 信吾としても、そちらは認めている。

「ギターはあれだけど……練習してもらうにしても」

「信吾、答えは半世紀前から目の前にあったんだよ」

 かなり気取った言い方をして、少し恥ずかしくなった俊であるが、最後まで言った。

「ビートルズにはジョンとポールの二人のボーカルがいた」

「俺は別に反対はしてないんだけどな」

 ただ信吾の言いたいことも、分からないではない俊である。


 現在のノイズの中で、最終的なメジャーデビューを目指していない人間はいない。

 ただ月子の場合は、まだアイドル業の方を諦めさせることが出来ていない。

 むしろそちらの方が、変に注目されてきてしまっている。

 あとは西園が、どういう答えを出してくれるか。

 俊は自分なりの回答を示した。


 ノイズはこの六人だ。

 充分に多い人数だが、俊が様々な音までも使うのを考えると、丁度いい感じの人数でもあるだろう。

「栄二さんが、今の環境から抜けてくるかな?」

「正直分からないけど、今日の明け方も夢は見たんだ」

「道理で断言するもんだ」

 信吾としてはそこまで、夢の啓示などを信じることは出来ない。

 だが俊は自分の才能を信じないからこそ、こういった特殊なことを直感的に信じることにしている。


 その俊は今、ものすごい勢いで新曲を作っている。

 いいフレーズが出来たと思っても、そこからまた派生していく。

 信吾はそのギターフレーズやベースラインを、言われるがままに弾いていく。

 たまに自分からも案を出して、採用されることもある。

 俊ほどではないが、信吾にもそれなりの作曲能力がある。

 アトミック・ハート時代の曲の多くが、信吾の作曲によるものだ。

 ただ信吾は自分たちの曲を、ビジュアル系に寄った、さほどよくはない曲だと評価していたが。


 俊は頑なに、自分の才能を認めない。

 だが信吾からすれば、俊の言っているのはつまり「ビートルズやツェッペリンやQUEENに比べれば自分は平凡」と言っているようなものだ。

 そんなレジェンドクラスはさすがに別格としても、俊の基準はまず高すぎるのだ。

 一時代を築いた、自分の父。

 それにも及ばないと思っているが、あれは時代の流れというものもある。

 また同時代でライバル視しているようなのが、現役の女声シンガーとしては間違いなくトップの彩。

 彼女に対する俊の感情は、どこか個人的な何かを感じないでもない。




「それで、どう説得するんだ?」

 信吾の言葉に、俊はわずかに首を傾げた。

「どうって?」

 マジかこいつは、と信吾は思う。 

 こういう他人の感情を無視してしまうあたり、やはり俊は天才っぽさというか、天然っぽさがある。

 周囲のことを考えず、自分の都合を最優先する。

 よくある天才のタイプの一つではないか。

 ただ自分の都合を優先するのは、信吾もまた同じことだ。

 妥協しては本当に手に入れたいものには届かない。


 昨日走り去った千歳のことを、少なくともボーカリストとしては、信吾は認めている。

 月子と上手く合ったのも、しっかり聴いていた。

 ただ彼女は、簡単に音楽の世界に飛び込んでくるような、そんなタイプではないというか、覚悟が定まった人間ではなかったと思う。

 去り際の言葉も、なんだかよく分からなかった。

「だからそれを知るために呼んだんだし、月子も来るわけだし」

 西園はさすがに難しかったが。


 俊は純粋に、あの声に魅かれている。

 ダーク・ロック調の曲の後に、淡い美しさの曲を歌った。

 表現の幅が広い。月子ならロック調の歌を、自分の解釈にして歌ってしまったであろう。

 そこが月子の弱点と言うか、ある方向に特化しているため、合わない曲というのも必ずあるのだ。

 事実、タッチなどは確かに歌えたが、思ったほどは届かなかった。


 月子は強く訴えかける曲か、美しさを極めたような曲が、その表現力に合っている。

 どこか甘さを含む曲には、微妙に合わないところがあるのだ。

 それもこれからの成長次第だとは思うが。

「技巧の極みのような曲は、月子に歌ってもらえばいい。でも皆が歌える歌も、メジャー受けには必要だろ」

「それは確かにそうだな」

 こんな会話をしながらも、二人は曲を作っている。

「質の違うボーカルが二人もいるとなると、歌える幅が広がって作曲も楽しいな」

 信吾はそこまで、作曲には積極的になれない。

 彼の曲はフレーズ単位で見ればいいものはあるが、基本的には一本調子なものになりがちなのだ。


 


 そんなことをしている間に、俊のスマートフォンが振動する。

 この地下のレッスンスタジオは、一つ外までしか基本的にインターフォンの音も届かないのだ。

「おし、ちゃんと連れてきたな」

「月子は?」

「もうちょっと後だろ。一眠りしてから来るとか言ってたし」

「あのルックスを保つためにも、睡眠時間を確保出来るバイトに変えさせたいな」

「それは確かに」

 今は仮面をしているが、いずれは素顔で歌う時が来る。

 せっかくの美貌であるのだから、それを活かさない手はないのだ。


 間もなく千歳を伴って、暁が階段を下りてくる。

 だいたい初めてここに来る人間と同じ反応を、千歳もしていた。

「いらっしゃい。ほら、君のギター」

「あ、あっざす」

 暁ではなく、あえて俊が保管していた千歳のギター。

 安物ではあるが、ギターを置いて去っていったことによって、暁の好感度は少し下がっている。

 暁にとってのギターと、他の人間にとってのギターを、一緒にするべきではないのだが。

 そもそも暁にしても、自分の予備のギターであれば、それほど大切にはしていないだろう。

 おかしな音が出るレスポール・スペシャルはまさに特別なイエローなのだ。

 

 とりあえずギターを返す、という最初の目的は達成である。

 重要なのは次からの目標である。

「じゃあ飲み物でも淹れてくるかな。コーヒーと紅茶と緑茶があるけど」

「あ、お構いなく」

「俺たちの分もあるから、遠慮しなくていいよ」

「それじゃあコーヒーを」

「砂糖とミルクは?」

「あ、どっちもください」

 階段を上がっていく俊を見送り、信吾は千歳を観察する。


 ショートカットなのでややボーイッシュな面も見えるが、男っぽさを演出しているわけでもない。

 格別の美人というわけではないが、不快感を与えない不思議な印象の顔ではある。

(身長は160くらいか? 少し骨ばった感じの、中性的な容姿といっていいかな?)

 観察されている千歳は、きょろきょろと周りを見回している。

「ピアノにドラムセットまである。ここって練習できるの?」

「そう、いつもじゃないけど、ここが一番よく使ってる」

「これが個人の家って、お金持ちなんだ……」

「俊さんがね。まあうちも演奏用の防音室はあるけど」

 このスタジオの規模とは、さすがに比較にならない。

「あっちのガラスで遮ってるのは?」

「本当はあそこにレコーディングの機械を置くんだけど、今は準備室みたいになってる。もう一つあったドアの先は倉庫」

 感心しきりの千歳に対し、暁は折りたたみ椅子を広げて勧めた。




 幻のような時間であった。

 ほんの一曲、一緒に歌っただけ。

 それなのに千歳の中には、巨大な痕が刻まれた。

 これだけの大きさでも、不快ではない痕だと言える。

「あの、あたしをノイズに入れたいって話でしたけど」

「ああ、それはちょっと待ってくれ。一応今の正メンバーが、全員揃ってからな」

 西園はまだ、彼が言うにはヘルプで入っているだけだ。

 ただ彼も去り際に、らしくない態度を見せてはいた。


 信吾としては、西園までも含めた五人目までは、確かに俊の言っていることは分かる。

 だがこの六人目はどうなのか。

 才能と言っていいのか分からないが、ボーカリストとしてのえげつない資質は感じた。

 それも月子と、共鳴していくようなタイプだ。

 これを俊は、無意識のうちに探していたのか。

 だとしたら本当の天才は、他の誰でもない俊である。

 その才能の形が、人それぞれに違うだけで。


「ただ待ってるのもなんだし、ギターの練習でもしようか」

「あ、そうだね」

「今までは気にしてなかったけど、アキにまともな教え方出来るのか?」

「そりゃ確かに、あたしは普通とは違う独学に近いけど」

 弾けるという前提があって、後から知識などを吸収していったのだ。

 意外な基礎知識が抜けていたりする。


 思えば暁だけではなく、信吾に加えて俊も、初心者に教えられる程度にはギターは弾ける。 

 その中で一番、真っ当な順序でギターを習ったのは、おそらく俊である。

 暁は話せるようになるより早く、ギターを弾くことが出来るようになったため、かなり歪ではあるのだ。

 名前は知らないけど出来る、という技術が多いのだ。


 暁と千歳は、鏡写しのような形で、相対してギターを弾く。

 コードの確認から始まるが、千歳はまだこれさえ、拙いところがある。

 高校から始めたのだから、こんなものかとも思える。

 エフェクターもかまさず、アンプの調整も特にしていないため、エレキギターそのものの音が出る。

 確かに下手だなとも思うが、それ以上に音が安っぽい。

 学校の備品を借りているそうだから、それはもう格安の初心者向けであるのは仕方がないし、初心者ならこれで充分とも言える。

 だが高いギターというか、個人にある程度フィットするギターを使った方が、上達が早いというのも確かだ。

(楽器屋に連れて行った方がいいか)

 あるいは自分の物を貸すか、俊のコレクションを使わせるか。




 階下に下りてきた俊は、月子も一緒に連れてきた。

 これで集まれるノイズのメンバーは、全員が揃ったわけである。

 テーブルを広げて、各自が飲み物に口をつける。

 最初に口を開いたのは、まず千歳であった。

「あの、皆さんはプロを目指してるんですよね、アキも含めて」

「プロという括りなら、栄二さんはもうプロだけどね。レコード会社に所属してるミュージシャンなわけだし」

「あと信吾さんも本当なら、もうプロデビューしてたんだよ」

「それが、どうしてあたしを? ちょっと歌は上手いかなとは思うけど」

「ちょっとかね、あれが」

 俊としてはそれが、謙遜だとはしても嫌味に思える。


 俊は才能というものにコンプレックスがある。

 ギターを弾くことを放棄し、歌うのに集中した千歳は、間違いなく耳に残る声を発していた。

 そしてその後に歌った曲は、イメージが全く違う。

 それなのに、ちゃんとそれに声の色を変えていた。

 器用さも目立つが、京子がどうしても歌わせたかった才能だ。


「それじゃあまず、自分の歌を自分で確認してもらうかな」

 そして俊はずらっと曲をリスト化したPCの画面を見せる。

「この中で上手く歌えるって思うのは?」

「え~と……これかな」

「よりにもよってそれか」

 既にノイズがカバーし、ライブでも披露している曲だ。

 しかし割りと最近、新しくカバーされたとはいえ、これを歌えるのか。


 俊は自分がドラムを叩くため、スティックを持つ。

 ギターは当然暁、ベースは信吾。

 月子は録音係である。

「本当はちゃんとしたスタジオでレコーディングしたいんだけどなあ」

「次は無理でも、その次あたりまでに、CDをプレスしたいよな」

 俊と信吾は、そういったビジョンが見えている。

 長期的な展望が見えているのは、それだけの経験と知識があるからである。


 それぞれのポジションについて、視線で確認する。

「キーはこれでいいかな?」

「うん、大丈夫だと思う」

 そしてギターから始まる。


 ジャージャジャンジャジャジャジャ ジャンジャジャージャジャジャ

 ジャンジャンジャジャジャジャ ジャジャジャジャジャジャジャ


 月子も歌った「タッチ」である。

 これが月子の場合は、透明感が増していって、原曲とはイメージがかなり変わっていた。

 もちろんそれが、悪いというわけではない。

 ただイメージがその方向にしかなかった、というだけのことだ。




 マイクスタンドに、かぶりつくように、千歳は歌う。

 声に含まれた粘りついた感情が、曲に上手く合っていた。

 月子と比べると、上手いとか下手とかではなく、とにかく違う。

 ただ、聞いている月子には分かる。

(たぶん、この声の方が好き、っていう人は多いんだろうな)

 もちろん月子には、圧倒的なハイトーンボイスという武器はある。

 だがこの曲を、こういった表現で歌うことは、今の自分には出来ない。


 歌い終わって、改めて全員で聴いてみる。

 千歳としては、本格的な演奏で、自分の歌を聴くのは初めてである。

「これ、あたしの声……」

「上手いなあ」

「この曲に限って言えば、ツキちゃんよりも合ってるね」

 暁の言葉に、わずかに傷つく月子である。


 もちろん俊にとって、ノイズの芯となるのは、月子の歌である。

 だがその月子の及ばない部分のフォローに、コーラスでより歌に深みを加えることも出来る。

 あとは今はまだ期待していないが、暁がリードギターとして走る間に、リズムを弾いてくれるギターはほしい。

 ノイズのメンバーは、千歳の必要性を理解した。

 残るは千歳がどう考えるかだ。


「とまあ、こんな感じになるな。とりあえず一緒にやってみたくならなかったか?」

「それは……」

「まあいきなりバンドに全力、とかは考えなくてもいいさ。まだしばらくはネットと都心でのライブを中心にするつもりだし。親御さんは反対したりするかな」

「親は……いないんですけどね」

 それを聞いて俊は、同情などはしなかった。

 ただ意外というか、おかしな共通点を見出した。


 月子も親がいない。

 自分は母がいるが、実質的に放置されている。

 信吾は母親が亡くなっている、と以前に言っていた。

 暁は両親が健在だが、離婚して父親の違う弟がカナダに二人いるそうな。

 西園のことまでは知らないが、少なくともこの場にいる五人は、家庭環境にどこか欠けた部分があるのか。

「いきなり入るかどうか、というのは乱暴だったな」

 音楽が何より優先する俊としては、反省する次第である。

「俺たちはもうちょっと、お互いのことを知る必要がある」

 お前がいまさらそれを言うのか、と信吾の視線が痛かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る