第130話 彼女の秘密

 レコーディング作業は、とりあえず二曲はあっさりと終わった。

 ガールズ・ロックンロールと狂い遊びは、これまでのノイズの楽曲の方向性から、大きく逸脱したものではなかったからである。

 実験的な曲の試みというのもあるのだろうが、人間は基本的には、それほど多くのメロディラインで傑作が作れるわけではない。

 ただインプットを続けていれば、いずれはそれがあふれてくることがある。

 そのインプットも単純に音楽だけであれば、おそらく限界があるのだろうな、と俊は思っている。

 少なくとも月子の三味線のおかげで、二曲ほどサビのメロディーが浮かんだ。

 作曲は出来る時には、連続して出来るものらしい。


 音楽の世界では簡単に外部はパクリなどというが、コード進行は同じである曲というのは珍しくない。

 完全に同じであれば、それは確かにパクリであると言ってもいいだろうが。

 ノイズの音楽にしても、グレイゴーストは初期ディープパープルの有名曲を、上手くつないだものである。

 ただしその中に、史上最高レベルで有名な、スモーク・オン・ザ・ウォーターのリフは使っていない。

 そもそも邦楽の中には、洋楽の一部をそのままパクって、再構成するという時代もあったのだ。

 洋楽をリスペクトした上で、コード進行やメロディライン、リフをそのまま一部使うというのが、当然の時代はあった。

 ロックにしても原初の頃は、ブルースのメロディがそのまま取り入れられた例もあったそうだ。


 古くはクラシックにしても、ほぼ同じような部分がある楽曲もある。

 おそらく知らなかったのでは、というぐらいにマイナーな曲が、後に再発見される場合もあるのだ。

 ノイズの中に入ってきた今回の要素は、民謡である。

 つまるは日本人の原風景。

 これこそが日本のブルースなのである。


 ほとんど音楽に興味のない人間でも、三味線などが日本の伝統楽器であることは知っているだろう。

 むしろ日本は中国からの影響を大きく受けてはいるが、かなり独自の文化が発展した国なのだ。

 実は三味線は比較的、和楽器の中では新しい。

 ただこういった持ち運びの出来る楽器は、琵琶などもそうだが演奏には便利だ。

 かつてはこういった楽器を持って各地を巡り、その先々の村などで演奏をしていた集団もある。

 その中には税を納めない、山の民というのもかなりいたらしい。


 かつての日本は、内陸ではまず稲作が重要な産業であった。

 これこそがまさに日本の魂だと言えるのは、特に江戸時代以降である。

 労働集約型の農作業であるが、男の力で耕して、女が苗を植えていた。

 この農作業においては、当然ながら男には力がいる。

 逆に言うと農作業についていけない男は、職人になれるならば良かっただろうが、農家からでは流浪の旅芸人の一員になったりもしたらしい。


 琵琶法師は日本の伝承として有名であろうが、これはもう1000年ほどの歴史がある。

 盲目の琵琶法師が旅をして、その先々でもてなされて演奏をするというのは、伝承の伝播という点でも重要な意味があった。

 平家物語などを琵琶法師が語ったため、農村などでもある程度の文化が生きた、というのだから馬鹿にしたものではない。

 この1000年の日本の民謡に、たかだか100年も歴史のないロックが、なぜポピュラーミュージックとして上回ることが出来ているのか。

 それはもう、日本人の吸収力の高さが原因ではあるのだろう。

 特に江戸時代の鎖国の後からは、一気にヨーロッパの文明が入ってきたので。




 ツインバードのレコーディングも、ほぼ問題なく終わった。

 これはギター二本の掛け合いのような部分があって、これが曲の軸となっている。

 下手に大事にいこうとして、最初は千歳が悪かった。

 しかし暁と同時に収録する中で、二人はギターを使って遊び始めたのだ。

 単純な技術であれば、まだまだ千歳は暁に全く及ばない。

 だがギターで伝えるのは、テクニックではなくフィーリングである。


 お互いに競い合うように、あるいは高めあうように響くギター。

 これを俊はしっかりと見ている。

 リズム隊は先に収録を終えて、ボーカルは後から入るので、この時間はエンジニア以外は俊しかいない。

 マネージャーを兼ねて動いてくれる阿部も、今日は他の用事があるので、俊に全て任せているのだ。


 フロント三人のバランスは、奇跡的なものだ。

 かつて俊は、月子と暁のフロントを、男性陣三人がかりで支えるつもりであった。

 しかし月子と暁に、千歳が入ってことで音の幅が広がる。

 表現力の範囲が、圧倒的に大きなものになったのだ。

 安定するためには、足は三本必要であったということだろう。


 リズム隊は正直、どちらかが抜けようとどちらもが抜けようと、代わりを探すのは難しいだけで不可能ではない。

 しかしこの三人の関係性は、誰か一人が抜けたら終わる。

 力も技術も持っていて、怨念のようなものに支配された月子。

 暁はそれに対して、ギターだけで成立している人間だ。

 対称的な二人の間には、一見すると普通に見える千歳がよく合う。

 

 三人の中では、良くも悪くも千歳が一番まともである。

 突然の不幸に襲われはしたが、そこからも理解ある庇護者に養育されている。

 月子は今でこそどうにか落ち着いているが、未だに不安になるところはある。

 彼女は自分の居場所を、ちゃんと作ってこれなかった人間なのだ。

 京都から東京にやってきたのは、自分の意思である。

 ようやく人間として真っ当に生きられるようになってきて、そこからの自立。

 だが自分の居場所であるのは地下アイドルで、そこそこ応援はしてもらったが人気は最下位。

 相貌失認というハンデが、彼女を苦しめた。


 何かが欠落している暁は、そこが月子と共通していたから、互いに打ち解けられた。

 そして本来なら真っ当に育ってきた千歳は、二人にとっても重要な存在になっている。

 ノイズ以外の世界を、最も大きく持っているのは千歳である。

 彼女は本当に、中学生までは普通に育ってきて、突然の不幸がなければ、音楽の道にも進まなかっただろう。

 趣味程度にはやっていたかもしれないが、まともな家庭ならヤクザな商売だと判断したであろうからだ。

 叔母が同じく、一般的なものとは違う職業であったため、理解があったのが良かったと言うべきだろうか。

 ただ千歳の歌に常に含まれている怒りは、彼女の不遇がなければ発することはなかったものだろう。




 ツインバードに続いて、バーボンの収録も終わった。

 ベースラインの目立つ、これまでのノイズとは違う系統の色の曲だが、俊としては面白いと感じている。

 ジャズっぽい感じがするのは、ベースラインがメロディを奏でたりするからだろうか。

 この曲では一番困ったのが、歌詞の部分である。

 一応は信吾の作詞に、俊が手を入れたものであるのだが、月子が上手く感情を乗せることが出来なかった。

 内容が大人の男女の恋愛で、それが月子にはイメージ出来なかったからであろう。


 酒を飲んで、ある程度酔っ払いながら作った、と信吾は言っていた。

 それが本当なのか、あるいは照れ隠しなのかは分からないが、確かにこの曲はイメージとして訴求力がある年齢層が高めとなりそうだ。

 正直なところ、俊もあまりイメージが湧かない。

 恋愛について疎いというか、意識して遠ざかっている自覚はある。

 初恋未満で終わったあの感情が、自分でも未消化のままなのだ。


 そう、イメージとしてはそうだろう。

「こういう曲は彩が歌うのは得意なんだろうな」

 休憩中に、そんなことを言ってしまう。

「俊さん、昔から彩とは変な関係だよね」

 月子の言葉には、少しだがこちらを窺ってくるものがある。

 

 俊が彩との間に、何か確執があるのは間違いないのだ。

 ただ俊はそれを話したくないのであり、一線を引いているのはメンバーにも分かる。

 月子は空気を読むのが苦手なので、不意にこういう時に考えたまま言葉を発してしまう。

 それに対して俊も、いらないことを言ってしまったな、と後悔する。


 彼女と自分の関係は、ノイズのメンバーには何もいいことではない。

 むしろ彼女は、ノイズが売れてきた時に、何か妨害でもしてくるのか、などと思ったりもした。

 実際はそんなことはなく、俊の懸念は杞憂であった。

 普通に音楽雑誌などは、ノイズのインタビューなどを載せている。

 そういったところからも、徐々にファンは多くなっているのだ。


 少しは、話しておいた方がいいのかもしれない。

 元は彩と同じレコード会社で、社員としてスタジオミュージシャンとして働いていた栄二。

 彼に視線を向けても、特に反応はない。

 彩はやはり、周囲には話していないのだろう。

 むしろ話題づくりとしては、公開した方が宣伝になるのかもしれないが。

 ただスキャンダルな要素がかなり大きい。

「そうだな、話しておいた方が、向こうを怒らせないで済むかもしれないしな」

 俊は改めて確認する。




 この場には今、ノイズのメンバーしかいない。

 俊はスマートフォンから、彩の初期の曲を流す。

 ダンスミュージックからバラード、そしてR&B。

 この三曲が特に、彩の初期の代表作で、これが三曲とも受けたからこそ、彼女はトップシンガーとなった。

 シンガーソングライターの彩であるが、最近は他から楽曲提供も受けている。

 そしてこの初期三曲は、彼女が作った曲ではない。


「ここだけの話だ。もしも洩らしたら、とんでもないことになるかもしれない。聞きたくない人間は席を外してくれ」

 俊はこういった確認をする時は、本当に何か重要な秘密を打ち明ける。

 それを知っているノイズのメンバーだが、それよりも好奇心の方が勝った。

「誰かに、打ち明けたかったってのもあるのか?」

「そうだな……。まあ、それなりに知ってる人はいるんだけど」

 おそらく彩の方も、所属事務所のお偉いさんなどには明かしているのだろう。


 同じ船に乗った、運命共同体。

 ノイズのメンバーは何より、気が合うからこそバンドを続けていられる。

 そもそもバンドでも、これだけメンバーの間に問題がないのは、本当に少ない。

 せいぜいが暁の指導に、千歳が半泣きになりながらギターを弾くぐらいだろうか。

 あと千歳は、月子の純粋な歌唱力にもコンプレックスを感じている。

 それはもう長年の蓄積を考えれば、二人が上回っていて当たり前のことであるのだが。


 誰も出て行かないのを確認して、俊は告げた。

「彩は俺の、母親の違う姉なんだ」

 言葉の意味が沈黙をもたらし、俊はそれに少し続けた。

「父さんも最初は知らなかったけど、母親はバンドのファンだった女の人で、間違いなく父さんの子供だったらしい。認知はしてなかったけど、養育費はそこそこ出していた」

「その割には随分、仲が悪そうだな。いや、異母姉弟なら、それも無理はないのか?」

「昔は仲が良かったんだけどな。姉じゃなくて従姉だって紹介されて、別荘とかではそれなりに会ってたし」

 俊は最近の彩の音楽が流れるのを聴くと、いつも難しそうな、苦々しそうな顔をする。

「ただ父さんの死んだ時、結局得をしたのは俺の母さんだけだったからな」

 ああ、そのあたりのことになるのか、とメンバーは納得する。


 俊の母親は離婚の時に、慰謝料として充分な財産を受け取っている。

 だが俊の異母弟である涼は、父親が既に死亡時には、かなりの借金を背負っていたため、相続放棄をしていたのだ。

 彩が相続権を主張しても、意味がなかったであろう。

 実際に俊も、相続放棄をしているのだ。

「お金かあ」

 分かりやすい原因に、千歳はそう洩らす。

「金だけだったら良かったんだけどな」

 そう、金だけだったら何も問題はなかった。

 俊の母も了解の上であったが、彩もまた父の隠れた遺産を受け継いだのだ。

「彩は父さんの魂を相続したんだよ」

 俊の言葉は抽象的で、ノイズのメンバーの好奇心を、ひどく刺激することとなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る