第131話 継承者

 俊の父である東条高志は、間違いなく一時代のムーブメントを作った人間である。

 ただその栄光は、当たり前ではあるが永遠のものではなかった。

 その人生の晩年には、一度上げた生活レベルを下げることが出来ず、また様々な詐欺にも遭い資産を失う。

 それでもその技術からすれば、プロデューサーとして復活できた可能性はある。

 だがそれが現実となる前に、事故死している。建前としては事故死である。


 この折に借金が多額であったため、遺産相続の権利者である俊は、相続放棄をした。

 俊の母は離婚していたため、そもそも相続権がなく、そして借金を相続するつもりもなかった。

 権利者が放棄したため、その楽曲の著作権は、管理する会社が借金と相殺して相続し、今では自由に使っている。

 ただ一時代を席巻した割には、さほどの利益は出していない。

 それも計算の上で、俊は母の助言もあり、相続を放棄したのだ。


 ここで、まだ誰も価値をつけていない、しかし金の鉱脈が残っていたとする。

 父が完成させておらず、つまり当然ながら発表もしていなかった楽曲である。

 主に楽譜として残っていたこれは、この家において管理されていた。

 とは言っても、大切にしまわれていただけだが。

「まさか、その楽譜を盗んで、自分の物として発表したのか?」

「そこまで悪辣じゃない」

 俊は彩に憎しみに似た感情を持っている、と月子と暁は感じている。

 だが同時に、どこか切り離せない絆のようなものも、持っているのではないか。

 その感想の秘密は、二人が姉と弟であるということで、一応は納得できた。

 また俊は子供の頃はある程度、彩を慕っていたという発言も自らしている。


 親戚のお姉さんとして、どういう関係であったのか。

 もっとも俊の母とは、ある程度隠れた関係であったのかもしれない。

「父さんの残したのは、フレーズとかリフとか、バラバラで曲にするのはかなりの手間がかかるものだった。それにぶっちゃけ、俺も大学の課題提出のためには、数合わせにそれを組み合わせたものを使っている」

「東条高志の遺産は……あまりたいしたことがなかったということになるのか?」

 栄二の控えめな指摘に、俊は普通に頷いた。

「それでも厳選された部分を、上手く組み合わせて元にして、作ったのが彩の初期三曲だな」

「盗作……というのとも違うか」

「え、盗作にならないの? 発表されてなかったから?」

 信吾の言葉に千歳が反応するが、それは微妙なところなのである。


 たとえばヒップホップでも、サンプリングに昔の曲を使っていたりする。

 邦楽のロックには洋楽のロックのリフなどが、ある程度抜き出して使われてもいる。

 レゲエだのボサノヴァだの、似た部分がある音楽もある。

 そもそも三味線のじょんがら節は、それなりにそのままの部分が、霹靂の刻に使われてもいる。

 じょんがら節に関しては、そもそも著作権者がいないので、そこは問題ないであろうが。

「あたしらのグレイゴースト、半分近くはディープパープルの初期作を組み合わせてるしね」

 暁の言う通りであるが、もちろんそのまま使っているわけではない。

 だが純粋に新しいフレーズやコード進行などは、そうそう見つかるものではないだろう。




 デビューして最初の頃の、彩の歌う映像を見る。

 この時から既に、現在のスタイルはほぼ完成していて、よりそれが洗練されていったという形になるのだろうか。

 しかしいまよりはまだ粗く、それが逆に魅力的にも思える。

「確かデビューした年に新人賞取ったんだよな?」

「まあ、ああいうのは事務所の力が働くものだし」

「逆に言えば、大きな事務所が期待するほどのものだった、ということだ」

 信吾や暁は、賞レースなどにはあまり興味がないというか、評価の対象にしていない。

 だが栄二は同じレコード会社にいたので、内部の事情を分かっている。


 今の邦楽において、歌姫と言えば彩であろう。

 他にも上手い歌手はいないではないし、それこそ月子のスペックは、ポテンシャルでは彩を上回るのではと思ったりもする。

 だが月子は、マネジメントをしっかりしないと、とても一人で活動することは出来ない。

 元はユニットで活動する予定であったようだが、万能型の歌唱力を持つ千歳が入ったのは、月子を支えるためには良かったであろう。

 バンドを組んで正解だ、と栄二は今のノイズを見て思う。

 もっともマネジメントの面からすれば、メンバーが六人もいるバンドは、経費もかかるのが辛いのだが。


 そこを考えた上で、俊はどうにかインディーズの範囲の資金力で活動している。

 栄二としては娘の将来のためにも、しっかりと稼いでおきたいところだ。

 理想的なのは作曲で一発当てて、不労所得を得られるようになること。

 そんな曲を一曲でも作れば、インディーズの売り方ならば、一生とは言わないまでも、20年ぐらいは食っていけるかもしれない。


 彩の歌う姿を見ていて、月子は頷いた。

「うん、なんだか分かったと思う」

 月子は歌詞を読むのではなく、聞くことによって理解する。

 読解障害のデメリットは消せないが、それを理由に表現力を鍛えない理由にはならない。

 千歳の歌には、怒りがある。

 月子の歌には、哀しみと嘆きがある。

 どちらかというと千歳はロック・ポップスであり、月子はブルースなのだ。


 その月子が彩の歌を聴いて、何かを感じ取った。

 以前にも彼女の歌は聴いているはずだが、心構えが違うのだろう。

 レコーディングが再開される。

 男女の関係というのは、確かにまだ月子には分からないに違いない。

 だがそれに似た心情を、どうにか自分の中から持ってきたのだ。

 普段よりもどこか甘い、それでいながら月子の声は透き通ったまま。

 

 不思議な声だな、とずっと俊は思う。

 月子のようなタイプの声は、洋楽ではあまりいない。

 あちらではハスキーボイスが主流というか、それでなくとも太い声が魅力的と思われたりするのだ。

 邦楽では透き通った声もあるが、それでも実力派などと言われると、彩のような情感に溢れた声が選ばれる。

 もっとも月子の声は、かつて流行したシティポップの透き通った声を、さらに現代風にしたものになってきているが。

 その音楽の源流は、日本の民謡にあるはずなのだが、民謡の歌い方とも少し違う。 

 月子は月子で、オンリーワンなのだ。




 さて、残るは霹靂の刻のみである。

 ただここで月子が、難しいことを言い出した。

 いや、レコーディングに関しては、特に問題ではないのだが。

「自分も歌いたい、ね……」

 この曲はライブ演奏においては、月子が実際に三味線を弾いて、マイクでその音を拾って響かせる。

 歌うのは千歳になる予定なのだ。


 三味線でもストラップをつけて、弾きながら歌うということは出来なくはない。

 だがそのためにはエレキ三味線にするべきであるし、月子は座ったまま歌うことには慣れていない。

 歌えないわけではないが、演奏と歌を同時にこなし、マイクとの距離を維持するのが難しいのだ。

 レコーディングならば、先に三味線の音を収録するため、後から歌を入れるのは難しくない。

 しかし発売するミニアルバムと、ライブ演奏が違うというのは、どう考えたらいいだろうか。


 月子の歌う霹靂の刻は、音源でしか聞けないのなら、ライブの価値がやや下がるのでは。

「そんなに難しく考えなくて、ライブで披露するのは五月のフェスでしょ? それまでに練習すればいいんじゃん?」

 こういう時に千歳は、問題をシンプルにしてくれる。

 まあ、確かにシンプルな解決法であるが、それが簡単であるかは別である。

 もうフェスまでには一ヶ月もなく、それまでに月子が三味線の弾き語りを出来るようにするわけだ。

 単に三味線で弾き語りならば、今でも出来る。

 初めて演奏して見せた時、チェリーを弾きながら歌ったのだ。


 ただあれは座った状態で、普通の三味線を使ってのことだった。

 霹靂の刻は立った状態でなければ、充分な声量が出ないと思うのだ。

「エレキ三味線はすぐ手に入るとして、それに慣れながら立って弾いて、さらに歌うか」

 俊がまとめてようやく、千歳もその難易度に気づいたらしい。

 忘れられることが多いが、彼女が本格的にギターを初めてから、まだ一年ほどしか経過していないのだ。


 元から霹靂の刻は、月子の声の方が、合っていることは確かではあった。

 声量や音階の幅など、月子が自分に合わせたように作ったものだからだ。

 千歳が歌うのには、やや難しいが、それでもどうにか歌えるぐらいには調整した。 

 なので月子が歌えば、本当のポテンシャルを発揮するのは確かだ。

 いずれそれは、違うリマスターとして発表すればいいと思っていたのだ。


 霹靂の刻には、キラーチューンとしての力がある。

 日本人がどこかで聞いてはいるが、それでも一般的な邦楽にはないメロディライン。

 そもそも三味線の音階も、ギターと同じように微妙にキーをずらすことは出来る。

「じゃあ、ここではまず、月子と千歳の二人で、上手くツインボーカルでレコーディングするか」

 月子は基本的に、何かを切実に求めてはいる人間だ。

 しかしそれを、率直に口には出せない人間でもある。

 なのにここでは、言葉にしたのだ。

 リーダーとしてはクオリティが高くなるなら、メンバーの提案を許可するのは当然だ。


 最悪、フェスまでに間に合わなくても、千歳が歌えばいいだけだ。

 月子がメインで歌うバージョンは、その後にまた練習し、いずれライブで発表すればいい。

 だが本当のポテンシャルを発揮するなら、やはりフェスで発表した方がいいだろう。

 月子の声の力の方が、純粋に千歳よりも上であるのだから。




 霹靂の刻のレコーディングは、時間はかかったものの上手く済んだ。

 これまでのコード進行とは大きく違うところはあったが、それだけに弾いている方は面白かった。

 こちらの曲も千歳は、俊からレンタル中の本家テレキャスターを使っている。

 スクワイアのテレキャスタータイプは、万能感は高いのだが、特徴的な音という点では本家に負ける。

 順調に少しずつ進んでいく。


 彩の話をしたのは、月子にいい影響を与えたようだ。

 俊としてはまさか、そういう結果になるとは思っていなかったのだが。

 彼女と俊の因縁は、単純に姉と弟だとか、父の遺産を相続したとか、それだけの単純なものではない。

 お互いがお互いを、愛することも憎むことも、どちらにも感情が振り切れない。

 ただ俊は彩が、自分をどう思っているかなど分からない。

 また月子を見つけてからは、自分の中の黒歴史が、徐々に浄化されていっているのを感じる。

 月子だけではなく、このノイズという仲間の力によるのだろうが。


 家族の一員を失って、そして今も母はほとんどいない。

 たまに連絡はあったりするが、自分の人生を取り戻しているように行動する人だ。

 愛されていないのか、と思ったことはあるし、実際に父の方が愛情をかけてくれていた感じはする。

 母との離婚後も、時々は会っていたのだから。

 だが失意の中の父に、余裕がなくなっていったのも確かだ。


 ノイズという居場所は、自分にとっても必要だ。

 仲間たちは擬似家族にも似ていて、とても心地がいい。

 ただそれだけに、馴れ合いになってはいけないだろう。

 お互いを必要として、支えあいながらも、一方的な関係になってはいけない。

(今年中に、どうにかメジャーに食い込めればな)

 インディーズでありながら、メジャーをも上回る。

 単純にネットでの人気なら、今はそれも簡単な時代だ。

 だが本当の意味で、メジャー路線を超えるとすれば、果たしてどうしたらいいのか。


 単純にメジャーレーベルの、それも資金力の豊富なところと契約すればいい。

 だがそれは、知名度は高くするだろうし、賞レースでも有利になるが、本当の意味で評価されるというわけでもない。

(夏にどれだけ活躍するか、もうこの時点から勝負は始まってるんだ)

 実質的にプロデュースまでしている、俊の考えることは多い。

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