第275話 遠大な計画
来年の計画を、今から立てておく。
別におかしなことではなく、この業界では当然のことだ。
特に昨今は、ライブハウスが空くことが少ない。
第何次かは分からないが、バンドブームがやってきていると言ってもいい。
ノイズもバンドではあるが、普通のバンドとはかなり違う。
何がどうと言うのならば、まずボカロP出身者が、リーダーをしているというところだろうか。
全員ではないし、極端な話にもなるが、ボカロPは楽器が全く弾けなくても、作曲は可能である。
むしろ感性だけで作成した曲が、これまでになく新しい、ということもあったりする。
ヒット曲を連続して出すボカロPもいれば、一発屋のボカロPもいる。
もっともボカロPは一発当たりが出れば、その前に作った曲などにも脚光が当たったりする。
そして俊はボカロPとして、様々な打ち込みを使ったりはする。
しかし生の演奏には、こちらの方から歩み寄っていくのだ。
また大きく違うのは、カバー曲のアレンジであろう。
ここだけは間違いなく、全く利益が出ていない。
出た利益があったとしても、それは原曲者に払われるものだからだ。
ライブハウスなどでカバーする場合は、そのライブハウスが最初から、契約をしていたりはする。
ただ既に人気の出ている曲を歌うというのは、Vtuberが人気を得るためにやっていることだ。
ノイズとしては特に、古い曲をやっている。
当時の技術や常識では、とても出来なかったこと。
それをアレンジしてやってしまうのだ。
もっともメタルやシンセサイザーというのは、80年代には普通に使われている。
ノイズの音楽はやはり、ハードロックとメタルはメタルでも、浅めのメタルとでも言おうか。
著作権印税が入らないからこそ、原盤権を持っていないと儲けにならない。
そのあたりを自分たちでするからこそ、ノイズは金を儲けられる。
さて、あとは演奏する楽曲である。
「今度は比較的新しいのをやるんだね」
「そうなんだが、なかなか難しいんだよな」
選曲にノリノリなのは千歳である。
アニソンカバーというのは、まさに彼女の領分であるのだ。
そして前回のカバーは、基本的にロックバンドがやるような曲をやった。
比較的電子音が少なめ、とも言えたであろう。
だが今回は、どういうスタンスでやっていくか、という問題もある。
前回のアルバムが売れたのは、CD全盛時代の人間が、懐かしく感じる曲を多くしたからだ。
しかし今回は、そういう集め方をしていない。
どういった対象に対して売ればいいのか。
まずはそこを考えなくてはいけない。
「元々うちはカバーバンドっていう認知度も高いしな」
そこは少し不満なのが信吾である。
アニソンカバーというのは曲にもよるが、女性陣からの方が評判が良かったりする。
「紅蓮の弓矢とか名前のない怪物とか、そういうのかな?」
有名作品の有名曲。
確かにVでもカバーされている曲ではある。
確かに受けるかもしれない。
だがノイズというバンドでやる意味があるのか。
まあ普通のバンドだと、打ち込みが多くなりすぎるのだろうが。
そこはどれだけアレンジをするか、ということだ。
普通ならば作曲と編曲は、違う人間がやったりもする。
だがノイズならば俊が、編曲も出来るしレコーディングも出来る。
これでレコーディングスタジオも自前で用意できれば、最高なのであるが。
そこはさすがに維持費が高くなりすぎる。
自前で持った上で、他にもレンタルするというのなら別だが。
ただエンジニアを俊がすれば、イメージのズレはなくなる。
ちょっと時間をかけて、最終的には冬にでも出来ればいいだろうか。
そちらはまだしも、スタジオを押さえることが重要になるが、まだしも融通が利く。
それよりも一度決めれば融通が利かないのが、ライブのツアーの方である。
別に小さなハコばかりなら、今年もやることは可能だ。
だがスタッフをそれなりに使うなら、ハコの規模も考えないといけない。
前回のツアーで巡った、五箇所はまた演奏する予定である。
名古屋から京都、大阪、神戸、福岡という五箇所。
だが今度はそれに、どんどんと数を足していくのである。
とりあえずの大都市圏として、100万都市はカバーしたい。
何よりも北の方には、まだ仙台までしか行けていない。
何箇所を巡るかによって、時期も考えなくてはいけないだろう。
「広島と長崎、それに熊本は候補に上がっている」
最終的にはもちろん、阿部に確認してもらわなければいけない。
「淡路島」
「う~ん……大阪あたりを拠点に、考えてみてもいいけど……」
月子の要望には、出来れば応えてやりたい俊である。
だが動員が果たして、そう上手くいくだろうか。
今度のノイズのツアーは、それこそ全国20箇所以上を対象としている。
だが都道府県全てを網羅するというのは、自己満足にしかならない。
もちろん耳に心地いいものではあるかもしれないが。
むしろファンに向けては、これがアピールになるのかもしれない。
それでも場所によっては、どうしても限られてしまうところがある。
九州は長崎と熊本を追加した。
中国地方は広島に、あとは岡山をどうするか迷うところだ。
ここからは東に戻ってきて長野、そして北関東から北へと向かっていく。
新潟から仙台、あとは山形から青森へ。
そして札幌で、地方ツアーは終了だ。
そこから東京に戻ってきて、最後のライブとなる。
ブッキングするライブではなく、完全なワンマンだ。
もっとも条件によっては、地元のバンドなどを前座で使ってもいいのだが。
長野というのはそこそこ微妙とも言われるのだが、意外と関係が深い。
ギタークラフトを多く行っている工場が、いくつかあるのだ。
この中で一番動員が大変そうなのは、山形である。
ただここは、月子の育った場所だ。
ルーツとなる場所の、山形と青森を避けるわけにはいかない。
東北地方は一部を除いて、過疎化が進んでいる。
だがかつて、それこそ江戸時代にまで遡れば、大きな藩があったのだ。
別に東北に限らず、交通の不便な四国であっても、一部は文化や学問が隆盛していた。
これは各藩が事実上、日本の中の一つの国であったからだ。
特色を活かすことによって、およそ260年の江戸時代を生きてきた。
また名君が誕生することで、一気に勢力が強くなったりもしたのだ。
人口はそれなりに多いが、四国は一つもツアーの予定に入っていない。
愛媛あたりであると、それなりにコストへのリターンもあると思うのだが。
もっともそれを言っていけば、九州も南の方へは行けていない。
移動のコストなどを考えても、鹿児島は充分に大きな都市であろうに。
さすがに沖縄は、ちょっと行けないものだろう。
広さを考えるなら、それこそ北海道はどうなのか。
また静岡や岡山など、それなりの人口がある県もスルーされている。
これは近隣のさらに大きな都市で、ライブをするからだと言える。
もっとも出来るものならば、そして採算が取れるなら、やってもいいのではあるが。
こういった全国ツアーとなると、どうしてもイベント屋の出番となる。
スタッフも揃えられるし、ハコを押さえるのもノウハウがある。
それでも日程は、来年以降を見ていかなければいけない。
東京近郊までなら、自分たちのバンで移動できる。
やはりノイズは恵まれた環境にあるのだ。
結成からもうすぐ三年になる。
まだたったの三年、ということも言えるだろう。
実際に栄二以外は20代であり、特に二人は高校を卒業したばかり。
可能性に満ち溢れた年頃、とも言えるだろう。
俊はここから先、数年のプランをある程度立てている。
ただ今は昔と違って、プロデュースだけで売れる時代ではない。
もちろんプロデュースの力も重要だが、圧倒的なインフルエンサーの力が必要だ。
ノイズとしてはこのまま、どんどんと音を広げていきたい。
その意志だけは確かなのだ。
既に世界中が、聞ける環境は整っている。
それだけネットというものは、世界を狭くすることに成功した。
もっともこういった文明の利器には、必ず負の側面がある。
ほぼネットネイティブな若者と違い、ある程度の年齢がいっている人間は、その負の側面も理解している。
だがそれでも、今は実力だけでどうにかなる時代だ。
素人がプロの力を全く使わず、セミプロとの共作を可能とする時代。
そしてそれによって、大金を得ることが出来る。
Yourtuberとなって、とんでもない大金を稼いだ者もいた。
今はさすがに、そんな甘い状況でもなくなっているが。
楽器が弾けたり、絵が描けたりといった能力が、そのままちゃんと金になる。
俊がインディースにこだわったのは、自分たちだけでもそれなりに、レコーディングが出来てしまったからだ。
流通や小売店を通さずにCDを売る。
フィジカルがなくてもDL販売だけで、それなりに売れていく。
また代表的な曲は、MVで無料で見られるようになっている。
広告を入れればそれだけで、少しは金になるのだ。
世界を視野に入れた場合、ネットでバズるかタイアップで宣伝されるか。
英語バージョンの歌詞などがあれば、さらにいいものになる。
ただこれはノイズにとっては、ちょっとハードルが高い。
月子はカタカナ英語から矯正しなければいけないし、千歳もあまり得意ではないのだ。
俊と暁が得意なのは、歌詞を作るためならともかく、歌うことには影響しない。
英語の歌詞を日本語に翻訳すれば、おおよその人は気づくだろう。
使っている単語が、明らかに少ないのだ。
日本語がそれだけ、ほぼ同じ意味でもニュアンスが違う、ということもあるだろう。
だがそれ以上に英語は、ストレートに歌詞で表現する。
日本語の和歌の歴史などを見ても、変遷や技巧の推移が見えたりする。
万葉集にその端は発していると思われるが、発展するにつれて本歌取りなどの技術も使われるようになったのだ。
これが俳句になったりすると、また単純なものをよしとする空気になったりもした。
小説にしても随筆にしても、単純なものから複雑なものへ、そして知識が必要なものになったりもする。
だがそこからまた単純なものに戻っていったりもするのだ。
メタルは商業主義などと言っても、技巧的には間違いなく優れていた。
ただ優れているということが、そのまま魂を揺るがすかというと、それも違った話である。
そもそも西洋の文化というのは、ギリシャ・ローマ時代から修辞学などは必須とされていた。
だがブルースというのは魂の叫びであり、そこに虚飾があってはいけない。
しかしそれが装飾なのか虚飾なのか、判断するのは誰であろうか。
当然ながら市場であろう。
求められるものを作らなければいけない。
独りよがりな芸術性は、果たして誰にとって得になるのか。
自分は本格的な芸術を生み出すのだ、などと言って誰にも響かない歌を歌っても、一人にさえ響けばいいとでも言うのか。
自分がいいと思っている音楽をやればいい。
少なくとも俊は、そんなことは思わない。
こしあんPとして、ネタ曲を強烈に求められた過去。
だがあれがいい曲であったなどとは、とても思えないのだ。
俊は思い切り、ヒップホップやラップに偏見がある。
自覚しているだけまだマシかもしれないが、ファッションからして好みと違うのだ。
アメリカの黒人文化を、そのまま取り入れたファッションスタイル。
まあ日本のポップスやロックも、V系などは似たようなところはあったが。
ノイズはメンバーのファッションに統一感がない、
永劫回帰などは基本的に、黒一色というファッション。
ただ月子を除いてはファッションのスタイルがずっと、一貫しているのは確かだ。
それぞれのファッションを見てみれば、やはり一貫している。
俊と信吾は渋谷系などといった感じで、ジャケットとスラックス、あるいはシャツというお洒落とはっきり分かる格好。
場合によってはカジュアルスーツを着たりもする。
暁は完全に、オルタナティブ系だ。
自身が弾いている音楽は、ハードロックやメタルに近いものであるのに。
栄二は特に気にしておらず、ガレージロックとでも言えるのか。
作業着のツナギなどを着ていて、あるいはTシャツなどになったりもするのは、無造作な一貫性である。
月子は完全にドレス。
着物姿であっても、しっかりと演奏をしたものだ。
そもそも民謡というのは発表会などがあると、普通に着物で演奏をする。
これがコンテストなどであると、着物ではなく礼服などにもなるのだが。
なんだかんだ言いながら、月子は夏の祭りの時など、暁や千歳の着付けなどをやっていたりする。
彼女が祖母から受け継いだものは、間違いなく彼女を形成するものだ。
海外展開を考えた場合、その民族性が強く出る方が、素晴らしいと評価される。
もっともそう上手くはいかないのも確かだ。
ローリングストーン誌の発表する500の偉大なポップスなどでは、ジャマイカのレゲエを除いては全て、英語の歌詞になっていたりする。
そのあたり俊は、霹靂の刻をアメリカで使われる時、英語に訳したりはしなかった。
単純な翻訳であれば、俊ならば出来る。
だが俗語であったり、時代によって言葉の意味が変化したりと、そういうことはあるのだ。
日本語にしろ、20世紀末までは「ヤバイ」などという言葉に今のような意味はなかった。
英語にしても今は、一番評価の高い俗っぽさは「クール」であろうか。
日本でクールという言葉は、そういった意味では使わない。
ただノイズのやっていることは、向こうから見てもクールに見えるらしい。
暁がほとんどライブごとに、海外のバンドTをとっかえひっかえしているのも、あちらからは好感を持って受け取られる。
暁は白人の血が入っているのに、幼く見える。
ローティーンに見える少女が、上半身を水着にして、黄色いレスポールを情熱的に弾く。
ボーカルはいい声だ、としか分からない人間も多いだろう。
だが暁のギターなら、そのまま伝わっていくのだ。
今どきのものではない、ゴリゴリのハードロックを笑顔で弾く。
ノイズは日本的なものは、月子に依存しているかもしれない。
しかし欧米で共感されるような部分は、暁が補っている。
もはや40代から50代、さらにその上が好むというレベルの音楽。
そのフィーリングが暁の中にはある。
リッチーやギルモアだのといったところを、コピーしていた暁。
最初からその魂には、父と洋楽のロックが入っているのだ。
誰もがやるようなコピーから入って、今は自分の血肉にまでしている。
難しい部分を平然と弾きこなし、そしてソロでは笑顔で暴れる。
このギャップというのは別に、海外にだけに通用するものではない。
日本国内でも男性ファンは、月子と暁が同じぐらいになっている。
もっとも月子が素顔で歌えば、ルックスで聞く層を一気に取り込めるだろうが。
今となっては月子の素顔の解禁は、やらなくてよかったかなとも思える。
そもそもVにしても覆面シンガー的なところはあるし、海外でも日本でも、そういう売り方をしているミュージシャンはいる。
月子がその中の一人になっても、別におかしなことではない。
実際に楽屋に入ってくるような人間は、普通に月子の素顔を知っているのだし。
ルックス売りしなかったのはなんでだ、とはよく尋ねられるところだ。
世界中に広がれば、どこかでずっと残るだろう。
俊は人類の歴史の中で、永遠に残る存在になりたい。
ちなみにピアノやギターの楽譜やコード譜も、積極的に売り出している。
これもまた一つの、収入源になるのだ。
大きく売れてしまえば、それだけなかなか消えることはない。
ただ時代を大きく変えると、それ以前のものが古くなるのは、どうしようもないことだ。
しかしビートルズはいまだに、その楽曲が使われ続けている。
そこまでにはならなくても、10億PVを回す曲を、10曲でも作れたら。
一人のファンが何度も聴く、ということもある。
だが100万人に影響を与えたら、それはもう歴史に名を残したのと同じことだろう。
ノイズのCDは、しっかりと売れてくれる。
もっとも直販や通販で売るのが、一番の収入にはなるのだが。
流通と小売というのが、今では崩壊しかけている。
ネット社会だからと言われるが、本当にそれでいいのだろうか。
少なくともノイズは、MVまで作られたもの以外は、ネットのサブスクには流していない。
そして基本的にMVとして、ネットでは流している。
フィジカルであえて持ちたい、という人間を考える。
そのために在庫を持つ危険性を考えても、CDを焼くのである。
ただ最初のアルバムは、色々と今から見れば課題が多い。
アニソンカバーを作れば、今度こそコンセプトアルバムを作りたい。
今の時代からは必要とされていない、アルバムで一つの世界を構成するという手段。
俊はどうしても、その誘惑からは逃れられないのであった。
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