第274話 運と運命
社会において成功するためには、ある程度の運というのも確かに必要である。
実力だけでどうにかなる、と考えていると周囲に対する感謝の念が薄れる。
「リスペクトなんて言葉を使うけど、普通に尊敬とか感謝でいいと思うんだ」
「まあ、ちょっと昔は使ってなかった言葉ね」
阿部はそういうが、徐々に日本語が英語化していくというのは、世界的な観点から見れば悪くもない。
こういう動きの結果から、古文や漢文はいらない、という意見が出てくるのかもしれない。
俊は自分たちが成功している、というのはしっかり認識している。
そしてどうして成功できたのかは、一つにはボカロPとしてある程度の知名度があったからだと思っている。
またそれを土台として、月子の歌に暁のギターと、相当に人を引き付けるものを偶然手に入れた。
これは明らかに運の部分であり、俊の努力ではどうにもならなかった。
ただ月子と出会わなくても、俊はしぶとく音楽活動は続けていたであろう。
そして他の才能あるボーカルを見つけて、ユニットを組んでいたか。
それはちょっと考えにくい。
単純に実力のある歌い手だけならば、俊はいくらでも聞いてきたことがあるのだ。
しかしあの日、あの時、あの場所で。
月子に出会えなかったらと考えると、あれはほとんど運命である。
実家が太いことや、環境が良かったことも、全ては運である。
ただ人との巡り合わせだけは、運と言うのは安っぽい。
やはり運命と言うべきなのだ。
もっともこれは、逆であるとも言える。
後に成功したからこそ、運命だったと言ってもいい出会いになる。
成功という結果がなかったなら、クローズアップされることもない。
それでも月子、暁、そして千歳の三人は、運命的な出会いをしている。
俊は彼女たちを結びつける、触媒のような役割であったのだろうか。
だがガールズバンドにはないものが、ノイズにはある。
ラブソングを必要としない、俊の精神。
身の回りのことまでは、特にやってもらう必要のない俊だ。
ただ春菜はハウスキーパーにも話を聞いて、俊の生活環境を確認したりもした。
俊の人生の根底にあるのは、やはり孤独というものではないのだろうか。
父がいなくなり、母の手もさほど触れることなく、友人関係も薄い。
芸術家肌の人間だな、とは春菜も感じる。
人間としては無機質な印象だが、楽曲のメロディや歌詞などを聴いていると、内面にははっきりと強固なものを感じる。
穏やかさと言うほど優しくはないが、丁寧さを感じさせる。
年齢的に考えれば、もっとガツガツしていてもおかしくはない。
しかし父の失敗と破滅が、用心深い性格にしているといったところか。
阿部にしても俊に関しては、ほとんど心配をしていなかった。
そもそも俊が動かなければ、ノイズは何も出来ないグループなのだ。
もっとも俊を外したとしても、演奏だけはしっかりと出来る。
シンセサイザーや打ち込みを除いても、他のエンジニアに任せられる。
五人組バンドというのは、充分な編成であるのだ。
曲を作ったりアレンジをしたりと、俊は色々とやっている。
作曲の部分で一番インスピレーションを与えるのは、暁のギターである。
エフェクターを使って色々と、ギターの音色を変えていく。
すると俊としても、表現の仕方が変わっていくのだ。
ドラムパターンやベースラインも、もちろん重要なことではある。
だが暁の中に蓄積された、数十年の間のロックの記録。
そこから出てくるビートに関しては、もう天才と言ってしまうものがある。
真に創造的な天才などはいない。
むしろ天才こそ、圧倒的な練習をしている。
日によっては15時間ほどもギターを弾いている。
暁の練習量は、ちょっとミュージシャンの目から見ても、異常なほどではあるのだ。
練習のしすぎを春菜は、注意することになってしまった。
確かにあまりに練習をしすぎると、腱鞘炎などになったりはするのだが。
しかし暁は練習と言うよりは、ずっと自分のギターで楽しんでいる。
バンドで合わせている時なども、短い休憩時間の間に、楽しみながら音を鳴らす。
さすがに休め、と周囲が止めなくてはいけない。
高校を卒業して、一人暮らしになってから、暁のギター中毒は度を越すものになってしまった。
もっともアルバイトをしているので、さすがにその間は指を休めてはいるのだ。
ギターのリペアの知識を、暁はどんどんと身につけていっている。
ただ本格的なクラフトの方となると、やはり長野の方の工場で生産される場合が多い。
イエロースペシャルの開発には、かなりの時間がかかるだろう。
そしてレフティの暁にとっては、持ち込まれるギターを弾くのは、ほとんどが右用なのである。
もっとも暁の場合、右でも素人よりはマシなぐらいに、弾けなくはない。
ポール・マッカートニーもそんなことが出来たらしいが、暁はどうなのか。
ジミヘンはレフティ用のギターではなく、右用のギターの弦を逆に張って使っていた。
よくもそんなことが出来るなとも思うが、最初からそういうものとして使っていれば、出来るのかもしれない。
そういったギターの音を、あまり必要としない音楽はある。
ストリングスや管を主体としたメロディの曲は、いくらでもあるのである。
あとはやはり近年、電子音の楽曲は増えている。
そもそもボカロPの中には、楽器を弾けないという人間もいたりするのだ。
俊は楽器の生音が、基本は好きである。
だが打ち込みの正確な音楽を、否定するわけではない。
イベントやライブが多いと、様々な準備を同時進行していかなければいけない。
この優先順位に関しては、マネージャーの春菜では役に立たない。
どんな順番で行うことが出来るのか、まだ分かっていないからだ。
基本的には俊の要望を受けて、それを阿部につなぐのが役目になる。
フェスに関しては二つとも、去年までの蓄積がある。
これは特に問題なく、セットリストをどうするか考えるぐらいだ。
問題なのは横浜のアリーナで行われるライブである。
二日間で四回の公演。
事前の準備をどうするか、もちろんセットするのは専門家に頼む。
だがどういう演出をするかは、俊たちが決めるのだ。
こういったものは舞台演出などと同じで、そういう専門家がちゃんといる。
しかしここまで自分たちでやってしまうのが、ノイズの強みと言えるだろう。
イメージまで全て、自分たちの考えることをやっていく。
俊がずっと考えていたことだ。
大変なことは大変だが、自分でやったことならば、自分の責任で納得するしかない。
七月は比較的、暇な時期となった。
だが八月の準備期間と考えれば、遊んでもいられない。
週に一度ぐらいは、大きめのハコでライブをする。
もう格に見合ったハコではないと分かっていても、ライブをすること自体が目的なのだ。
ライブハウスは設備があるので、変な演出まで考える必要がない。
しっかりと黒字が出れば、それで充分なのだ。
あまりオーディエンスと離れすぎれば、感覚が狂ってしまう。
ファンがそこにいるのだ、ということを意識するために、ライブは行っていかなければいけない。
俊も一人で、ずっと作曲をしているわけにはいかない。
外に出る必要はあまりないが、多摩川沿いを歩くことはあるのだ。
そして都心部までやってくれば、様々な人々が、忙しそうに歩いていく。
これが健康な文明なのかな、と俊は思う。
戦争を知らない世代であるし、貧困とも無縁に生きてきた。
だが不幸や不遇というのは、どれだけ人生をリスクヘッジしても、なくなるものではない。
広い家に、三人を居候させ、お手伝いさんが週に三日はやってくる。
それなりに人間はいるはずなのに、孤独を感じることはある。
こうやって高層ビルの間を歩いていると、誰も自分に注目しない。
アメリカだとニューヨークなども、そんな感じであるらしいが。
次の目標としては、やはり海外展開なのだ。
大きなハコでやることは、それほど目的ではない。
アメリカがヒップホップやR&B、特にヒップホップで満たされているのは、音楽が民衆のものである、という意識があるそうだ。
ギターをやったり普通のロックなどをやるには、金や素養が必要となる。
それに比べるとヒップホップは、ラップなどで分かりやすいと思われているらしい。
音楽の新しい形というのは、俊にはあまり意識がない。
新しいものではなく、革新的なものでもなく、求められるものを作っていきたい。
それを商業的と言うのかもしれないが、売れるのは求められているからだ。
ロックがアメリカで廃れているというのは、それだけ社会も変化したからか。
また日本のポップスなどでも、貧乏人が才能だけで売り出す、というルートはなくなっていると思う。
ボーカルだけであれば、まさに天性の素質だけで、かなり勝負は出来るのだが。
今後の予定について、俊は一人では決めたりしない。
おそらく自分が一番、業界の事情には通じているだろうと思っている。
しかしそういう情報だけなら、それこそ阿部の方が上であろう。
また変に業界慣れしていると、意外なところで足を掬われかねない。
ノイズのメンバーには、頼れる年上の人間もいれば、発想が奇妙な天才もいる。
そういう意見を聞いてみれば、色々と見えてくるものもあるのだ。
「海外展開なあ……」
「海外で売れるかどうかはともかく、向こうのフェスには出てみたいかな」
信吾は懐疑的であり、そして暁は前向きであった。
海外のフェスにおいて、日本のバンドやグループなどは、それなりに評価を高めている。
これはやはりネットの発達により、日本が一方的に海外の音楽をありがたがることがなくなったからだ。
そもそも日本の楽曲の方が、むしろコード進行などは、複雑なものを使ったりしている。
EDMなどは別として、アメリカは基本踊れる音楽が好きなのだ。
ヒップホップのDJなどは、そういうところの選曲のセンスが問われる。
ただ今の日本のポップスは、完全に欧米のものから発展し、独自の進化を遂げている。
俊は90年代のポップスから、00年代のボカロ曲、それが上手く融合し合って、今の音楽になっていると思う。
欧米にもまだ、新しいロックバンドなどは、色々と出てきてはいる。
しかし70年代から80年代、あるいは90年代初期ぐらいまでの、圧倒的なパワーとオリジナリティを感じないのだ。
ロックの種類が変わってきている。
それでもハードロックからの源流は、今も心の中にある。
「わたしはそれより、日本全土のツアーとかやりたい」
月子の意見は、これはこれでやってみる価値はあるのだ。
単純に収益だけを考えれば、かけるコストに対して、リターンはあまり大きくない。
ネットを使えばどこであっても、代表的な曲は普通に聞ける時代なのだ。
ただライブというのは、やはり体験であるのだ。
これを感じてもらって、新しいファン層を作り出すというのは、重要なことである。
それに月子との間には、約束があるのだ。
いつかは彼女の故郷である、淡路島でライブをするという。
全都道府県、というのは無理があるだろう。
だがこれまでに通販やDL販売などで、日本のどこで需要があったのか、データは取ることが出来る。
そこでちゃんと採算が取れるように、ハコを抑えていく。
小さなハコでやるのなら、今年でも別に可能だ。
だがちゃんと採算性を考えて、重要な場所でやっていかなくてはいけない。
四国などでやるのに、どこのハコを抑えればいいのか。
東京で生まれ育った俊にとっては、正直どこもが田舎ではある。
ただツアーで福岡や仙台まで行ってみて、充分に客が集まるということは分かった。
基本的には50万人以上の人口を抱える市で、ライブをやってみてはどうだろうか。
これは関東圏において、既にある程度の実績が作れている。
海外展開は、確かに市場としては魅力的だ。
そもそも日本の現在のポップスは、欧米の影響を強く受けているのだ。
もっともそれを言うならば、明治維新からこっち、文明自体が西洋の影響を受けている。
むしろ民族音楽をこそ、前に出していくべきなのだ。
霹靂の刻が向こうに刺さったのは、それがむしろ彼らにとっては、新しかったからであろう。
欧米の音楽と言っても、まずは近代ポップスとなると、黒人音楽のブルースがある。
そしてロックンロールとなるが、これはイギリスから大きな波がやってきた。
またジャマイカのレゲエという音楽もある。
さらにはラテンも入ってきている。
ストリートでは70年代から、音楽以外の分野でも、ヒップホップが生まれた。
ただストリートなどと言ってもヒップホップもまた、金持ちのセンスから生まれている、というところはあるのだ。
まともに楽器も弾けなかった、シド・ビシャスが象徴となっている。
ロックスターは短命であるほどいい、などという風潮はあったのだろう。
30歳まで生きたくないと言われていて、27歳で死んだ人間も多かった。
もっとも昨今は、ロックスターも長生きするようになっているが。
海外展開にしろ国内大規模ツアーにしろ、最終的には阿部に話を持っていかないといけない。
ただあまり金がかかるようであると、金を出来るだけかけないという、ノイズの路線に外れることになる。
東京ドームを使えたのは、あくまでもALEXレコードが主体で金を出したからだ。
ちなみにノイズは来年の夏は、武道館の日程を押さえることに成功していたりする。
結局は大きなハコの予約を取ったり、大規模なツアーをするには、バックアップが必要になるのだ。
今のノイズでも出来なくはないが、それは日程をかなり縛ることになる。
もちろん今年はもう不可能で、来年でもまだ不可能かもしれない。
単に金にするだけならば、1000人規模のホールを埋めて、大掛かりな演出は避ければいいのだ。
だがそれは、今の人気だけにとどまってしまう。
重要なのは一度でいいから、海外も含めて爆発的に売れること。
するとその一度の知名度で、もう一生食っていける。
音楽というのはそういうものなのだ。
ただ俊の狙っていることは、もっと純粋なことだ。
商業主義ではあるが、同時に芸術として永遠に残りたい。
自伝など書く気はないが、誰かがまとめて本にしたいと思うような、そういう歴史を残したい。
ビートルズのように、教科書にまで載ってしまうような。
あるいは学校で歌われるような曲でも、どうにか作ってみたいのだ。
順番的にはやはり、日本の地盤を固めた上で、海外展開というものであろう。
しかし今の世の中は、どういうようにバズっていくのか、なかなか見えないものがある。
地道に音楽を発表していって、何かの拍子に動き出す、ということもあるのだ。
その中の一つは、やはり霹靂の刻であった。
一番最初のイメージはノイジーガール。
そこから霹靂の刻で、今はアニメタイアップを行っている。
今年の予定を考えるなら、やはり移動の必要もなく行える、タイアップがいいのであろうか。
もっともそのためには、まずフェスとアリーナ公演を終わらせる必要がある。
ここからまだずっと、売れ続ける音楽を作ること。
俊としては自分のためではなく、バンドのメンバーのために、まずは収入を確保しておきたい。
いつかは自分から離れていくメンバーもいるかもしれない。
そういうことまで考えるほど、ある意味で俊は悲観的な人間であった。
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