第273話 アニメMV

 納期までに二ヶ月以上を残して、タイアップ曲は完成した。

 90秒バージョンとフルバージョンで、かなりの変化がある曲になった。

 ボカロ曲を作っていた俊は、基本的にイントロも短めで、すぐに歌が始まる曲を作るのに慣れていた。

 よってアニソンにはそのやり方で曲を作っていたのだが、フルバージョンはイントロをかなり長くする。

 また間奏のギターソロも相当に長くする。

 知名度が高くなるアニメタイアップ曲だからこそ、長いバージョンの曲も作ることが出来る。

 俊としては三分ぐらいで終わる、短い曲はテーマを簡潔にする必要がある。

 しかしそれだけでは、物語を語るのには短すぎると思うのだ。


 90秒で終わらせる必要があるOP曲。

 それは表面をさらりとなぞるものであり、深いところにはまだ見えない核が存在する。

 単純に最初の90秒を切り取ればOPになるというわけではない。

 最後のフレーズだけは、フルの最後から持ってきて、90秒になるようにするのだ。

 別に俊が初めてなわけでもなく、はるか昔からやってきたことである。


 曲調は基本的には、ハードロックとオルタナティブを合わせたようなものと言えるだろうか。

 それでいながら斜に構えることもなく、ちゃんと売れそうなメロディにもなっている。

 まあオルタナティブも売れてしまえば名前が変わるし、広義のものと狭義のものでは意味が変わる。

 商業主義が嫌ならば、誰にも聞かせなければいい。

 もちろん他者に阿る音楽を、商業主義と偏見で言っているのだろう。


 ちなみにノイズメンバーでは、メタルなどのファッションまでも含めた音楽を、商業主義と忌避する人間はいない。

 重要なのはフィーリングであって青年の主張()ではないのだ。

 俊などはむしろ、売れる音楽を徹底して作れるのならば、それはそれで凄い才能と思う。

 カート・コバーンはさすがに死ぬのが早すぎたな、と思うのは彼も一緒である。


 陰鬱なようでいて、しかし激しさもあるビート。

 コード進行がポピュラーなものとは違う。

 だがメロディははっきりしていて、千歳の声で歌いやすい。

 そしてなんと俊は、ここで使わなかった技術を解禁した。

 ラップである。


 千歳にラップをさせながら、バックは月子のゴスペルが響いていく。

 OPの部分だけでは、ちょっと想像もつかない展開である。

 これは売れそうだなあ、と暁や信吾も思った。

 ただ俊の表現の幅が、広くなったのにも驚いてはいた。


 俊はポップスの人間である。

 ロックはあくまでポップスを、心に届かせるための武器と考える。

 だが基本的に考えるのは、どれだけ聞く人間を増やすか、ということだ。

 完全に商業主義に振り切るには、忘れられることへの恐れがある。

 代替となるミュージシャンに、あっさりと塗り替えられることがあってはいけない。

 もっと単純に生きている間、不労所得だけで食っていく金がほしい。


 低音の重さで陰鬱さが出てくるので、ベースも重要になる。

 暁は尖って、重くて、鋭いが分厚い、そんな音を奏でていく。

 なかなか他のバンドではカバー出来ないような、そんな曲を作ってしまう。

 ここが俊にとっての芸術性の分野になるのだろうが、人数さえ揃えばそれなりに、ちゃんと弾ける曲でもあるのだ。




 日本はバンドブームが定期的に起こる。

 だがアメリカはもう、バンドもロックも古臭い、などと言われている。

 DJが人気の時代であるし、それはそれでいいのだろう。

 しかし今の日本のブームは、一人で音楽をやっていくところから始まっている。


 それこそボカロPの影響力が強い。

 もっともいまだにあの分野は、オタクのものだと思う人間も多い。

 俊はボカロPの時代を送っただけに、曲を重厚で複雑なものとする傾向がある。

 だが日本国内だけではなく、海外の音楽においても、技術と芸術のせめぎあいというのは起こるのだ。

 専門性の高い人間が、技巧的な曲を作る。

 それに対して商業主義などというのは、単純に作曲能力の不足を言うのだ。


 俊が求める音楽は、時代性と普遍性を兼ね備えたもの。

 結局はビートルズに回帰するのだ。

 ビートルズといっても、その短い活動期間に、とんでもない変革を遂げていったバンドである。

 その変化が受け入れられたというのは、時代の先頭を走っていたからであろう。

 日本国内で似たようなことをしているのは、ゴートでも白雪でもなく、もちろん俊でもない。

 徳島のやっていることが、一番変化が多いと言えるだろう。


 俊がやっていることは、音楽の幅を広げることだ。

 新しいことにチャレンジ、ということはほとんどやっていない。

 だが古い音楽を上手く組み上げれば、新しく感じる音楽にはなる。

 多くの人間が新しいと感じれば、それは新しいのだ。

 詳しい人間は何が由来か分かるだろうが、音楽というのは感性の世界だ。

 理屈で説明されても、実際に感じたものの方を信じやすい。


 DJのやっていることも、元の音楽を使いながら、いかに自分の世界観を作り上げるかということではないか。

 それならばロックにしても、ハードロックの古さを使いながら、どれだけ響くものを作れるのか。

 頭の中にどれだけの引き出しがあるかで、作れるものが変わってくる。

 このあたりはインプットの量によって、明確な差が出るのだ。


 新しいタイプの曲を作れたら、それに似た曲をいくつも作ることが出来る。

 だが類似商品を作るというのは、アーティストとしては死んだも同然。

 父のように時代性には乗っても、普遍性を持つことが出来なかった。

 そんな評価をされるのは、勘弁してほしいのが俊なのだ。


 メロディアスな曲を作っているのため、なんとなくクラシックっぽいところもあるだろう。

 音楽はただ、複雑であればいい、というわけではない。

 単調な中にどれだけ、意味のある歌詞を乗せられるのか。

 ジャンルで分けるならば、ロックにも色々とあるのだ。

 そして本来ならジャンル違いのメロディに、歌詞を乗せていっても面白い。




 単純に曲を作るだけならば、ストリングス系に管系の楽器も、混ぜてしまえばいい。

 ドラムとベースがリズムキープしている中、リードギターがどこまで攻めていくか。

 ボーカルとギターが、上手く響き合っている。

 そんな曲は古臭く感じるのかもしれないが、逆に新しく感じることもある。

 最近ではちょっと、電子音を上手く使うことに挑戦している。

 アニソンカバーをする場合、電子音の使用は必須とも言えるからだ。


 バンドではなく、ボカロPが楽曲を作ると、声にエフェクトをかけてきたりもする。

 ライブでやると変になってしまうこともある。

 ノイズの場合は基本的に、全てが生歌にはなっている。

 しかし多重にコーラスをかける場合、色々と工夫はするのだ。

 そういった技術はノイズの中では、俊にしか出来ないことだ。

 レコーディングエンジニアなどとは別に、ライブに合わせてやっていく能力。

 表現の多様性というのは、他のバンドではエンジニア任せになることもある。


 自分のイメージを他人に理解してもらうのは、大変に難しいことだ。

 そのあたりノイズはメンバー間で、おおよそフィーリングが一致する。

 とはいっても実態は、年長組が上手く合わせている、というところはある。

 バンドというのは全員が、等しく力を持っているわけではない。

 また力というのも、単純に上手さだけでもない。


 他のメンバーが暴走気味になっても、それをしっかりと抑えるか、あるいは走らせるかを判断する。

 ノイズの中ではそれをするのは、俊以外には栄二である。

 やはり経験の差が、そこを上手くしているのだ。

 バックミュージシャンやレコードミュージシャンも含め、スタジオミュージシャンとして活動した経験。

 ひたすらドラムを叩いていた経験が、栄二の土台となっている。


 ノイズの中ではあえて、個性を発揮しないようにしている。

 しかし俊からの要望があれば、激しく叩くことも出来るのだ。

 メンバーの個性が強すぎると、バンドは崩壊したりもする。

 ノイズはいいバランスだとは思うが、暁と千歳の仲のいい二人で、この間は確執が生まれた。

 本音で話したりしていれば、それも当然のことであろう。

 そこに気をつけていてほしいと、俊は春菜に言ったものである。


「ノイズの中って、本当に恋愛関係なくていいね」

 俊はスケジュールなどの確認の折、春菜にそんなことを言われた。

「アイドルグループなんて、それこそ恋愛関係はなかったでしょ」

「恋愛関係はないんだけど、百合営業があったり、ファンの取り合いはあったからねえ」

 百合営業とはまた、俊の知らない世界である。


 アイドルは恋愛をしてはいけない。

 ただしそれが同性相手であった場合は、尊いとされて許される。

 女性アイドルだけではなく、男性アイドル同士の絡みに、尊さを見出す女性ファンもいる。

「……宝塚感覚なのかな?」

「それもあるかも」

 本当のところがどうなのかは、やはり分からないものである。




 ノイズはキャラクター性では、あまり売っていない。

 だが月子と暁に関しては、かなりキャラクター性が強いとは思う。

 顔を隠して売り出したのは、元のアイドルグループとは、別のものとして見てほしかったため。

 まあそれがずるずると続いて、むしろ個性になってしまったが。

 暁の露出についても、昔のロックスターがやっていたことではある。

 実際のところステージでは、ライトの熱が熱かったりするため、上着は着ていた方が涼しかったりもする。


 音楽性で売ってはいるが、その音楽性も幅が広い。

 まさに商業主義的、などと言われることもある。

 曲調に変化が多いため、筋が通っていないとも言われる。

 いつものアレ、を求めたくても、どんどんと変わっていくことがある。

 今の曲ごとにDL販売をするというものには、合っているのかもしれない。


 春菜はマネージャーをするにあたって、しっかりとノイズメンバーのことを知ることとした。

 そして事情を知っていくにつれ、叔母がかなり慎重な売り出し方をしているのに気づいた。

 また俊からも、強烈なリーダーとしての責任感を感じる。

 他のメンバーも栄二を除けば、色々と面白おかしく記事になりそうな面がある。

 しかしそれよりは、俊の父との関係をこそ、まずは明らかにしていけばいい、というものだ。


 月子の障害と生い立ち、暁の家庭環境、信吾の女性関係、千歳の不遇。

 誰もが弱点のようなものを持っていて、しかしそこから何かが生み出されていく。

 しかしそんな中で俊は、機械的に仕事をこなそうとしている。

 もちろん実際に生み出される作品は、しっかりと情動を感じさせるものだ。

 仕事に対する姿勢が、ストイックすぎるとでも言おうか。


 メンタルのケアについては、主に年少組のことと、後は月子の障害関連を言われている。 

 だが信吾の女性関係についでも、いつかは解決する必要があるだろう。

 また俊のことを知れば知るほど、いつかはパンクするのでは、と心配になる。

 あとは俊を機械的に感じるのは、彼に女性の影が全く見られないからだ。

 芸能界は芸能人同士で、くっついたりすることも多い。

 俊のような立場であれば、いくらでもモテるだろうと思うのだ。

 しかしラブソングをほとんど作らない、ましてやメンバー以外の女性に対しては、嫌悪感さえ抱いているような。

 春菜に対しても、かなり事務的な対応ではあるのだ。


 そのあたりに触れていいものかどうか、迷うところではある。

 アーティストというのは心の中に、触れて欲しくない繊細な部分を持っているものだ。

 そういったあたりを阿部と共有して、何が最善かと考えていく。

 アーティストは商品であるが、当然ながら人間だ。

 パフォーマンスを最大に発揮してもらうために、マネージャーも努力するのは当然である。

 ただ俊の場合は出生から生い立ちまで、色々と心の傷になっていそうなことが、多すぎるのだ。




 春菜の働きについては、俊はおおよそ満足していた。

 暁と千歳にとって、相談できるちょっとだけ年上の女性というのは、あまりなかったものなのだ。

 もちろん業界を見てみれば、そういった年齢の人間はいる。

 だがそれは個人的なことを話すのとは、また別の関係であったろう。


 そして暁はいよいよ、一人暮らしの準備を始めた。

 時期的にどうなのかということもあるが、これは白雪の持っているマンションから、去っていく人間がいるかららしい。

 ミュージシャンなどの音を出す人間に向けたマンション。

 そこから出て行くというのは、上にステップアップするか、もしくは諦めて他の道へ行くか、の二つであろう。

 暁は元々、家事などはしっかりと出来る方だ。

 しかし一人暮らしとなれば、書類関係や税金など、やらなくてはいけないことが増える。


 こういった事に関しては、これまでは俊が世話をしていた。

 だが本格的なマネージャーがいれば、それだけ頼むことが出来る。

 もっとも誰かと相談し、話し合うのもいいだろう。

 新しい世界というのを、暁もまた経験していくのだ。


 夏のフェスやライブに向けて、ノイズは色々とやらなければいけないことがある。

 何より大事なのは、やはり練習だ。

 またカバーアルバムについても、色々と話をしている。

 何を演奏したいかというのは、これは全員が聞いて決めることだ。


 その候補となる曲が、CDなどを用意することなく、すぐに出てくるのがありがたい時代だ。

 フェスにおいてはオリジナルだけで勝負するが、コンサートはカバーをしてもいいのではないか。

 暁はどんな曲を持ってきても、かなりアレンジしてしまう。

 鋭さが昔よりも、ずっと増しているようなギターの音。

 しかし同時に、重たさもあるのだ。

 アルペジオで軽快に弾くことも出来る。


 ノイズの国内での発展は、順調の一言である。

 ただ爆発的な人気の上昇、というのはタイアップ以来はない。

 何かネットでバズりでもすれば、また一気に伸びるのだろう。

 しかしそういった人気は、またすぐに落ちていくものかもしれない。

 MVの制作などを、かなりの数やってみたりもする。

 スタジオは音源の録音は、俊の家の地下を使えばいい。

 だが撮影に関しては、やはり専門のスタジオを必要とする。

 あるいはアニメーションを最初から、頼んで作成したりもするが。


 この演出に関しては、俊が色々とコンテを作ったりする。

 また他の映像監督とも、色々と話をするのだ。

 MVの作成というのは、音源だけでは通用しない、視覚にも訴えるものだ。

 それだけに引き出しの多い俊は、色々な案が出せる。


 基本的にはアニメーションが、一番いいと思う。

 アニソンバンドと言われても、今はそれが一番世界的に、拡散しやすくなっているのだ。

 国内の市場も、充分にそれでカバー出来る。

 海外の市場を開拓するのは、アニメの力を借りた方がいい。


 こういった合理的な考えは、プロデューサーはともかく、ミュージシャン本人が持っていることは珍しい。

 だがボカロP出身の人間であると、最初からそれが選択肢にある。

 普通の映像で作るMVよりも、日本のアニメーションで作るMVの方が海外需要が高い。

 そして五分以内に収まるアニメーションであれば、一つのスタジオでしっかり、受けてもらえることが多いのだ。

 もっとも日本のアニメスタジオは、基本的に今、どこも予定が詰まっている。

 その詰まっている予定に、どれだけ無理をしてもらえるか。

 このあたりがまさに、業界内の伝手やコネがものをいうところなのだ。

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