第137話 彼女の半生

「どうも、社長の藤枝です」

「ノイズのサリエリこと渡辺です」

「同じくルナこと久遠寺です」

「どう呼びましょう?」

「渡辺でお願いします」

 そんな会話が冒頭であったわけだが、社長である藤枝という男は、筋骨隆々たるナイスガイであった。

 ちょっと登場する作品間違えていませんか?


 アニメーターというと文化系と思えるし、実際そういう人間が多いだろう。

 だが社長ともなると、自分でも描いてはいるが、色々と交渉などもしたりしないといけない。

 そんな時に見た目がアレだと舐められる、という理由でムキムキに鍛えたそうだ。

 つまりは見せ筋であるが、なんとも発想はともかく、実際にやってしまうのがすごい。

(アニメ業界って変人が多いのかな?)

 それは音楽業界にクズが多い、というのと同じぐらいには偏見である。

 ただ俊が過去に頼んだアニメーターは、コミュ障の傾向があったことは確かだ。


 客観的に見れば俊にも、コミュニケーションを取るにあたって、距離感がバグっているところはあったりする。

 最初に月子と出会ったとき、いきなり名刺を渡したのなどがそうだ。

 何かに集中してしまうと、ずけずけと他人の迷惑を顧みないところがある。

 これが許されているのは、実際に能力が高いからと、基本的に正論で動くからだ。

 あとはちゃんと、自分以外の利益のことまで、考えて選択をするからだろう。


 今回の案件については、MAXIMUMの取引先が進捗が上手く行かず、予定が空いてしまったところに、ノイズの条件が入ることになっている。 

 だが別にMAXIMUMは、ノイズの仕事を絶対に受けなければいけないほど、仕事に困っているわけではない。

 なんなら条件次第では、断られるということもあるのだ。

 どれだけのコストがかかり、そのためにはどれだけの金額が必要になるのか。

 その前にまずは、曲自体を聞いてもらわないといけない。


 ミニアルバムのデータが入ったノートPCを、そのまま持って来た。

 これをまずは聞いてもらう。

 五分弱の霹靂の刻は、昨今の楽曲の中では、比較的長いものと言えるだろう。

 迫力のあるメロディラインやビートを刻むリズムに、月子の歌がソウルフルに乗っている。

 ヘッドフォンで聞いてもらっている間、藤枝が何度か震えるのが分かった。

 アニメーションに音は、重要な要素だ。

 音にアニメーションを作ることもあるし、逆にアニメーションに合わせて音を作る場合もある。

 もちろんMVは前者にしかならない。




 聞き終わった藤枝は表情を真剣なものに一変させている。

「どういうコンセプトの映像になるか、叩き台のようなものはありますか?」

「はい。これが文章だけのプロットで、こちらが歌詞に合わせて考えたコンテです」 

 俊が渡した紙の束を見て驚く藤枝である。

「一応データだけならこちらのメモリに」

 こういうものを作るとき、完全に時間通りに落とし込むにはPCによる処理が必要だが、案を練る段階においては紙の方が良かったりする。

 

 とりあえず俊の作ったものは、月子のイメージを元にしたものだ。

「渡辺さんは映像を作ったことはあるんですか?」

「一度だけは。MVで流してますんで、ネットで見れますが」

 飛んでいる回線を拾って、ネットにつなぐ。

 そこで流れているノイジーガールのMVを見せる。


 そういえば、と今さらながら俊は思った。

 ノイジーガールはわずか五分弱のMVを作るために、随分と多くの映像を録ったものだ。

 ほんのわずかずつ使って、ほとんどはデータのままに残っている。

 まだ使えることがあるだろう、と思っているからだ。

 アニメーションはおそらく、先に厳密に時間を考えた上で、余計な映像は作らないのかな、と俊などは考えている。

 実際はディレクターカットなどがあって、本来の作品からはかなり違った印象になることもある。


 アニメは実写に比べればずっとマシだが、それでも作ったものの、使われない場所というものがある。

 今ではPCによる処理があるので、かなり楽になったものだが、昔はもう本当にひどかったのだという。

 そんな昔のことを言われても、俊にはどうにも分からないが。

「テーマは四季の変遷と、旅路のようなものですか」

「三味線を背負って刀を差して、まあ時代考証がどうなるかが微妙ですけど、女剣士になるのかな」

 俊の視線による問いに、月子はこくこくと頷いた。


 曲の原風景は、月子の中にあるものだ。

 一応はそれを俊がまとめたのだが、実際は話していくうちに、可能な表現も増えていくだろう。

 あとはギャラの問題というのもある。

 工程数、カット数を考えて、どの程度をCGで埋めることが出来るか。

 自然の風景などは、ある程度CGを使うことで省略化出来る。

 問題はキャラ絵であるが、ここをどう動かすかがアニメーションの肝だ。


 


 月子は文字を読むのが苦手だが、絵に関しては普通に捉えることが出来る。

 頭の中のイメージを、言葉で伝えることも苦手ではない。

 ただ人間、多くの語彙はやはり、文字で学ぶことが多くなる。

 そのあたりを考えると、どうしても情報伝達に不利なところはあるのだろう。


 俊と藤枝が話す途中にも、積極的に意見を出していく。

 そして大枠が決まって、ここからは時間と金の話になっていく。

 アニメスタジオというのは現在、大中小と様々な規模がある。

 MAXIMUMは規模としては小さいが、受注している案件はそれなりに高額であったりする。

 この作品のこのカットは頼むとか、背景がほしいとか、そういうことを言われたりもする。


 提示された金額は、月子が黙り込むもので、俊としても難しい顔をせざるをえなかった。

 出せない金額ではないが、これはこちらの要望を全てかなえたものである。

 それは分かっているだろうから、藤枝はCG班の責任者も呼んで来る。

 どこまでこだわるか、それはアーティストの領域だ。

 だが同時に俊も藤枝も、プロなのである。

 プロというのは、それで金を稼いでいることが第一条件であろう。

 対価を得ることで責任を持つのだと、どこかのハゲも言っていた。


 時間があればクオリティは上げられるが、納期を遅くしても料金は変わらない。

 なぜならその分、仕事を入れてしまうからだ。

 なので作業工程を、ある程度短縮しなければ、料金を下げることは出来ない。

 また時間については、充分な余裕があると言ってもいいだろう。

 リテイクなどを繰り返していくと、時間も料金も増えていくが。


 商業的に、どこかで妥協はしなければいけない。

 それが金で動く資本主義社会の理だ。

 だがこの仕事については、藤枝もやりたいと思っている。

 上り調子のバンドのキラーチューン。

 これは面白いテーマでもあるし、それに得意分野も活かせるし、名前まで売れるであろう。


 藤枝からすると意外なのは、俊の考えていることが、かなり映像を理解したものであろうということだ。

 ノイジーガールのMVも見たが、あれはおそらく相当の映像を録った後、ほとんどを切り捨てて作ったものであろう。

 実写というのはどうしてもそうなるが、アニメはそうはいかない。

 時間をかけて作った映像を、多く使っておかないと、とても割に合う映像にならないのだ。

 そもそも絵コンテと時間割がはっきりしているので、それほどおかしなことにもならないだろうが。

 自然物を多くしているというのも、そこで上手く尺を合わせることが出来る。




 月子の頭の中にあるイメージは、山形時代のことが多い。

 おそらく東京で育った俊には想像もつかない、生活様式がそこにはある。

 ネットの時代はどこでもつながるとは、確かに言えるであろう。

 だが実体で触れ合う距離というのが、東京と田舎では違うのだと、分かるであろうか。

 いまだに玄関の鍵を開け放していても、特に問題のない地域。

 そういう田舎で育ったものである。


 そしてそれ以前、淡路島に住んでいたあの頃。

 映像として出したいのは、流れと流れがぶつかり合い、渦潮になるところもあるが、あとは海の上に階段状の段差が発生したりもする。

 ああいった海の流れが、霹靂の刻のイメージにはある。

 霹靂というのはそもそも雷のことであるのだが、それもまた人間の及ばない自然現象だ。

 月子の根底にあるのは民謡と、そういった大自然への畏れと言えばいいであろうか。


 海から始まり、渦を巻いて空へと広がり、山々の映像へとつながる。

 その中を歩く女性剣士が、雷鳴のような音楽の中で、刀を振るうのだ。

 多数との対決シーンを、サビの部分に持って来ようか。

 そしてまた流浪の旅は、四季を移して続いていく。


 人と人とのつながりは、悪いものばかりでもない。

 そこには必ず愛憎の他に、穏やかなものもあるだろう。

 月子は山形では、人間のいない場所の方が、呼吸をするのは楽であった。

 祖母は出来るようにと、厳しく教えたが、出来なくても罵声を浴びせたりはしなかったし、月子に失望もしなかった。

 出来るようになるまでやればいい。

 東京に来てからも、意外とタフな月子の精神は、間違いなくこの時代に作られている。


 京都ではようやく、穏やかな日々を過ごせるようになったと言おうか。

 だが自分の未来に対して、たいした希望を持てなかったというのも確かである。

 誰もが何者かになりたい。

 自分が平均よりも下だと、ずっと思わされてきた月子は、ここからその奪われた分を取り戻していきたい。

 

 東京は人に溢れているが、同時に誰もが誰もに無関心であった。

 そこで特別になるというのが、月子の持った希望と言えようか。

 向井に声をかけられて、底辺レベルであるがアイドルとなった。

 余光のようなものを浴びて、それでもそこそこ満足していたところに、俊が現れた。

 大きなスポットの当たる、広大なステージ。

 アイドルという輝きの中から、アーティストとしての輝きへと脱却する。




 俊という人間は自分の人生の中で、どれほど大きなウエイトを占めているだろうか。

 両親、祖母、叔母、向井と、月子の保護者的な立場の人間はいた。

 だが俊は月子を守ろうとしながらも、同時に対等であることも求めてくる。

 そういった人間関係は、月子にとっては初めてのことである。 

 俊だけではなく、ノイズのメンバーは月子のことを認めている。

 認めているからこそ、その要求も高くなってくる。


 霹靂の刻はツインバードやバーボンと同じく、俊の大きなアレンジが入っている。

 ただその核となる部分を、俊はそのまま大事にしてくれている。

 俊という人間は、それなりに才能や能力によって人当たりは変わるが、ただ誰かの尊厳を毀損するような人間ではない。

 ダメな人間はいるし、弱い人間はいるし、どうしようもない人間はいる。

 それは確かであるが、だからといって何の価値もないわけではない。


 俊が嫌悪するのは、己を知らない人間であろうか。

 ただ彩に対する感情だけは、自分でもコントロール出来ないようだ。

 それがどうしてなのか、月子には分かった気がする。

 俊にとって彩は、自分の一番身近に感じる、肉親であるからだろう。

 母は海外を飛び回り、異母弟とはそれほど接触することもない。

 だが彩の存在感は、日本の芸能界、特に音楽業界では大きなものである。


 あの人に勝ちたい、というのは少し違う。

 彩に勝つということを、俊は求めている。

 自分を見つけてくれた俊に対して、月子は圧倒的な恩を感じている。

 ならば自分に出来ることは、ノイズの中のメンバーとして、バンドを大きくしていくことが第一である。

 それが生きるのに不器用な、月子の考えであった。

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