第136話 一夜明けて

 ステージが終わってからも、騒々しい一日であった。

 千歳や暁は昔のライブなどを見て、ダイブってやってみたいな、などと言い出したりもしているのだが、さすがに女の子にそれは危険すぎる。

 いや、今やどこのライブハウスでも、ダイブはしないでくださいとは書いているのだが。

 客の方では時々、そういうのをしているのがいまだにいたりする。

 もっとも千歳はともかく、暁は本気ではないだろう。

 そんなことをするぐらいなら、先に歯ギターをするのではないか。

 仰け反るように演奏するぐらいはしても、基本的に派手なアクションはしないのが、暁のスタイルである。


 ノイズがストイックなのはそのあたりではなかろうか。

 下手に派手なアクションをするのはダサい、という意識がなんとなく浸透している。

 ただ月子は何かをやらせたら、凄いことをしでかしそうだ。

 一応アイドル時代には、ほとんど使わないが激しいダンスもやっていたのだ。


 汗だくになって燃え尽きたように楽屋の椅子に座り込む。

 アンコール二曲というのは、やはり疲れるものだ。

 しかしそこに、事務所の社員とアルバイトがやってくる。

「あの、CDが売切れそうなんですけど、まだ在庫ってあるんですか?」

 どうしてそうなる?

「え、枚数制限はしてなかったんですか?」

「三枚までにしてました」

「ええ~、なんで~」

 思わず変な言葉遣いをしてしまう俊である。


 1000人が入るハコというか会場で、1000枚持って来たのだ。 

 さすがに全員が買うはずもないと、それでもこれまでのことを考え、充分な数を用意したはずなのに。

「通販の開始や一般店舗での発売も告知してますよね?」

「それはもちろん」

 事務所スタッフはこういう受付にはあまりいないが、それでも対策はしっかりとしている人間だ。


 参ったな、というのが正直なところである。

 一応は通販は、発売日よりも後に手に入る。

 実店舗も大規模店舗には、明日にはある程度枚数が並ぶはずだ。

 もっともそれでも、売れてしまうと思われているのか。

「もっとプレスして持ってきたら良かったじゃ~ん」

 俗っぽい千歳に、現実的な信吾や栄二も、苦い顔をしている。

 ただCD1000枚などというのは、フェスで売るにはあまりにも多い数。

 今後の関東圏のライブをしていく上で、物販として売っていく予定であったのだ。


 今回のプレスは直販もやるために、一万枚をプレスした。

 事前にある程度の予約を取っていて、そこから計算したものである。

 この1000枚は、売れ残ることを計算した数であった。

「再プレスしてもらうよう、連絡しないと」

「それはもうしています」

 さすがに有能なスタッフであった。




 霹靂の刻の影響が大きかったのだろうか。

 今の時代に実体のあるアルバムが売れるのは、本当に珍しいことである。

 ブログなどでも宣伝はしているのだが、ちゃんとまだ通販分は在庫もある。

 だが早々に、それもなくなってしまいそうだ。


 あとはこの曲が、コンピレーションアルバムに入るとか、MV制作予定とか、そういうことも宣伝となったのだろうか。

 一番の原因はもちろん、あのステージでの月子のパフォーマンスであったろう。

 もっと持ってきていれば、それだけ直販で大きな利益になった。

 どうもノイズの力が一番分かっていないのは、他の誰でもなく俊なのかもしれない。

 この規模のイベントであれば、もっと在庫を持ってきても、それへの労力は少なかった。


 打ち上げの中で、スタッフや他のバンドと共に、一緒になって乾杯をする。

 もちろんフロント三人娘は、まだソフトドリンクだ。

 ただ月子は今年で二十歳になる。

「また俊さんの家で飲みたいな」

 記憶のない暁などがそう言って、わずかに動揺する俊である。

 あれは、確かに楽しかったのだ。


 他のバンドもこの規模のイベントに呼ばれるだけあって、それなりに優れた技術などは持っていた。

 だがノイズのメンバー、中でもフロントの三人ほどの個性は、ちょっと持っていない。

「新しいギターほしいなあ……」

「え、あたしもあたしも」

 暁の言葉に千歳が続いた。

 千歳は今、ギターの音が強く必要な曲では、フェンダーのテレキャスターを使っている。

 これは俊の持ち物であり、あくまでも借りているだけなのである。

 だから千歳が言うならともかく、暁が言うのは意外であった。

 暁の相棒のレスポールは、レスポールだからとかどうではなく、あのギターだからこそ出せる音を発している。

「ちょっとメンテナンスに出す予定」

「ああ、そういえばそうか」

 ほんのわずかだが、チューニングが狂いやすくなっていることを、俊も感じていた。


 今日もライブ中、ペグを少しいじっていた。

 もちろん他の者は気づかないようなもので、重要なのは音そのものよりもフィーリングだとさえ言える。

 だが演奏する人間が気になっていたら、集中できなくなるのも分かる。

「予備は持ってただろ」

 同じタイプのレフティを、暁はあと二つ持っている。

 だが音の個性と言うか、ざらりと鼓膜をなぶっていく感じにはならない。

「お金も出来たし、ちょっと長野に行きたいかなって」

「なるほど、あそこか」


 世界で一番のギター職人は誰か、という質問などしてしまえば、また熾烈な議論が湧き上がるだろう。

 だが日本屈指の、という条件ならばすぐに出てくる名前が、長野県在住の職人である。

 それにあそこには、ギターの工場もあるのだ。

 長野はキターを生産する上で、重要な土地であるのだ。




 暁はレフティであるため、基本的に使えるギターが限られている。

 もちろん変態ジミヘンのように、弦を張り替えて使うということも出来なくはない。

 だがそれが満足な演奏になるかというと、もちろん違うのである。

 体をギターの方に合わせてしまっている。

 なので他のタイプのギターでは、完成度の高い演奏は出来ないだろう。

 それでも充分に上手い、という程度の評価はもらえるであろうが。


 千歳は完全に、テレキャスタータイプをオーダーメイドで作ってもらう予定だ。

 コツコツと、と言う割にはそれなりに無駄遣いもしているが、このCD販売の金額によって、予定の額にまでは達する。

 テレキャスタータイプの、自分に合わせた世界唯一のギターを、作ってもらいにいくのだ。

 そのあたりの楽器に対するこだわりは、俊にはちょっと分からないものである。

「分からないかなあ。三味線でも本物とエレキでは、かなり違うんだけど」

 月子の場合はまだ、三味線はライブではないお座敷ぐらいで弾くのが、一番上手く聞こえるらしい。

 座って弾くのと、エレキではない音の方が、上手く弾けるのだ。


 たった三本の弦を使って、撥を使って演奏する。

 音の変化の繊細さは、エレキギターと比べても大きいぐらいか。

 俊には、音が違うのは分かるし、こだわるのも分かるので、正確には彼には必要ないということなのであろう。

 機械的な音楽ほど、その変化はセッティングでどうにかするものだ。

 暁だってエフェクターなどを使った音作りは、かなり慎重に行っている。


 五月のライブは愛機ではなく、サブのレスペタイプを使うことになる。

 悪いギターではないのだが、及第点の音までしか出ない。

 そもそもレフティなのだから、そうそういいものが出回ってはいない。

 特に今のギターは、ピックアップが根本的におかしいギターなのだから。


 とにかく重要なのは、早めにCDをプレスすること。

 それによって関東近郊の遠征で、直販で金を稼ぐのだ。

 俊自身は金に困ったことはないが、月子や信吾の働き方を見ていると、本当に金とは重要なものなのだと分かる。

 もちろん何がなんでも金を作るのではなく、しっかりと稼いでいくことが、音楽を続けていく上でも大切なのだ。

 生きていくだけの稼ぎがなければ、音楽を続けていくことも出来ない。

 父のいたマジックアワーのドラマーなどは、儲けていた時の不動産収入で食っているらしいが。




 スタッフに運転を頼めたこともあり、俊もほどほどに飲んだ打ち上げであった。

 今日がゴールデンウィークも終わりで、また日常が戻ってくる。

 もっとも既に日常は、音楽にかなり侵食されてきている。

 そういう世界をこそ、俊は望んでいたのだが。


 TOKIWAに紹介されたアニメーション制作会社は、MAXIMUMという名前の会社だ。

 アニメーションを制作している会社ではあるが、テレビアニメをそのまま作っているとか、そういう会社ではない。

 もちろん一部を担当して、下請けとして引き受けたりもしている。

 それとは別に短いアニメーションなども作っていて、CGも上手く使っているのが特徴だ。

 特にボカロPやVtuberの台頭と共に、その依頼を受けて作るアニメーションが好評である。


 俊はこの日の昼過ぎ、MAXIMUMを月子と共に訪れた。

 音源は持ってきているが、生音はまた違うだろうと、三味線も持参している。

 一応はプロットと、そこからのコンテを作ってはいる。

 全く、今までやっていた仕事をやっと他に回せるようになると、違う仕事が出現するのが俊である。

 多芸多才と思われるかもしれないが、生まれてから今までの環境が、このように彼を育てた。

 そして自分自身では、器用貧乏だと思っている、満足しないところが実は才能の一種なのであろう。


 才能などと気安く言ってはいけない。

 これはもはや生まれからの呪いであり、俊自身の執念である。

 ただしこれを呪いと考えるのか、それとも祝福と考えるのか、それはその人次第である。

「ビルに入ってるんだ」

「アニメーションの制作なんて、そういやあんまり知らないな」

 一応は俊も、簡単な動画作成程度なら、自分でも編集したし、依頼したこともある。

 今の技術であれば、イラストを描く技術があれば、編集にPCを使って、簡単なアニメーションは作れる。


 二階が会社の入っているスペースで、社員も10人ほどと聞く。

 どういう手順である程度動くアニメを作るのか、俊は知らない。

 ただこの会社は、有名な某アニメの某シーンを作っていたりと、技術力は高いらしい。

 だがそういった下請けとは別に、オリジナルのアニメーションも作っているわけだ。

「一応プロットとコンテは作ってきたけど、最終的なイメージは月子のものなんだからな」

「うん、分かってる」

 結局月子は書くことも苦手なため、言葉で説明する方がいい。

 もっとも絵を描くことが出来れば、さらに効果的であったのかもしれないが。


 考えてみれば月子も、三味線で音楽的感覚を磨かれて、アイドル活動でマイムやダンスを学んだ。

 環境が彼女を作った、と言えないこともない。

 この街から脱出するには、ギャングスターになるかミュージシャンになるしかない、なんていうのは昔のアメリカ映画の一つのテンプレであったが、月子も人間らしく生きるためにはこの道しかなかったのかもしれない。

 あのまま淡路島にいたならば、果たしてどういう人生を歩んだのか。

 少なくともこの才能が開花することはなかっただろう。

 両親には愛されて育ち、祖母からも厳しい愛を向けられてはいた。

 そのバランスから、こういう才能が生まれている。


 俊にしても、両親の離婚に父の死、そして彩との確執など、人生は波乱万丈と言っていいだろう。

 だが平穏無事に生きて、ただ適当に音楽だけをやって、業界の一隅で生きていたら、それで幸福であったのか。

 そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

 重要なことは、今いるこの位置から、どの方向に進み始めるかということなのだ。



×××



 そういやランキングって、星だけではなくハートでも上下するらしいですよ?

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