第138話 ギターの価値は
楽器の本質論について、あるいは音楽の本質論について。
またはミックスとマスタリングによって作成された音源と、ライブの音源について。
「要するに人間っていうのは機械じゃないんだから、機械だけの音は正確であるほど、むしろ不自然に感じるってことだな」
「また俊さんが難しいこと言ってるよ……」
千歳はそんなことを言うのだが、他のメンバーはうんうんと頷いたりしていた。
「え、ちょっと待って、どういうこと?」
千歳は理屈の上では、全く音楽のことを理解していないらしい。
それで自分では、あれだけの演奏をするのだから、恐ろしいというところか。
ある意味では天然である。
暁と千歳は、それぞれ自分のギターをもう一本ほしいと思った。
だいたい40万あれば、オーダーメイドで作ってくれる、日本のギター職人というのが、長野県には住んでいる。
正直なところ、俊や暁であっても、ギブソンやフェンダーの商品に、全ての信頼を抱いているわけではない。
実際のところ安定して弾くギターであれば、国産のギターでも充分なのだ。
むしろ日本の気候を熟知した職人でこそ、素晴らしいギターを作ることが出来る。
「ただ楽器の中でもエレキギターっていうのは、正直ブランドで選べばいいとも思うんだよな」
信吾としてはそういう意見になるらしい。
「外見で選んでも、それはそれでいいことだとは思うな。まあ気に入ったギターであるのが一番だけど」
俊としてはだいたいのギターは、ピックアップの交換とエフェクターの設定で、どうにかなると思っている。
それよりも重要なのは、重さを含む使いやすさだ。
ギブソンのレスポールというのは、その点ではあまり女性に優しいギターではない。
特にビンテージ物は、5kgを超えるえげつない重さがあったりする。
レスポール・スペシャルであれば、それよりもずっと軽いし、ジュニアなども同じく軽い。
ただ好きな人間は、重いのを承知でスタンダードやクラシックを使うのだ。
別にそれでしっかりと演奏が出来るなら、それは勝手であろう。
しかし二時間にもなるステージで、途中でMCを挟みながらも、ずっとストラップで5kgの重さを支えていたらどうなるか。
ストラトキャスターが今、レスポールに対して売れているというのは、単純にその重さというのもあるだろう。
だが実際はレスポール・スタンダードでも、それほど重くは感じないという人間もいる。
要は楽器というのは、弾くためのことも含めたバランスが問題で、それぞれの人間にあった楽器があるのだ。
ギターなどは世界中で使われているので、特にそれぞれの特徴がある。
しかしぶっちゃけ、50万円以内で一番いいギターを買うなら、国産のオーダーメイドが一番いいと思われる。
「ギターでもビンテージのテレキャスだと分かったり、レスポールのサンバーストだと、その見た目だけで上がっていくってことはあるんだ」
ライブというのは音だけではなく、いかに見せるかも問題になる。
暁のレスポール・スペシャルというのは、黄色いので暗いライブハウスでも目立つ。
ちなみにこれはテレビが白黒だった時代、目立つようにと黄色くされたので、TVイエローという名前がついているらしい。
テレキャスを使う、ストラトを使う、レスポールを使う、PRSを使う。
他にもたくさんのギターがあるが、持って弾いているだけで、ある程度の説得力をオーディエンスに持たせるのが、ブランドというものである。
ライブは音だけではなく、映像でも価値を示すものなのだ。
ただ暁などは完全に、ギターの形に自分の肉体を最適化させている。
レスポール・スペシャルタイプ以外のギターでは、普段のスペックは出せない。
音色を変えるならば、アンプやエフェクターをいじることで対応する。
逆に千歳はまだギター歴が浅いので、色々なギターを使い分けてもいいだろう。
千歳はテレキャスがほしい。
俊の持っているビンテージの音が出るようなタイプのテレキャスだ。
ガリガリと削っていくような音は、普段のリズムギターには、それほど必要ないものかもしれない。
だがツインバードのような、ツインリードでギターを弾くには、安定していい音が出せるスクワイアではなく、他のギターを使いたいのだ。
それにストラトキャスターにも、ちょっと関心が湧いている。
もっともレスポールやフェンダーの、ビンテージギターに本当に、その値段に見合う価値があるか。
俊は率直に、ないと答えるだろう。
「うちのお父さんも20本ぐらいは買って、今でも10本ぐらいあるけど、仕事で使うのは三本ぐらいかな」
レコーディング用であったり、ライブのバックミュージシャンであったりすると、その都度必要な音はある程度変わる。
もちろんエフェクターの調整で対応するというのも、一つの手ではある。
俊はぶっちゃけたことを言う。
「ビンテージのレスポールなんて、コレクター用の物で、本当に弾くためのものじゃないと言ってもいいからな」
「え、200万とかするのに?」
「ビンテージでそこまでするのは、もう完全に美術品の世界だ」
同じようなことが、他の美術品にも言えるではないか。
青磁だとか、茶碗だとか、花瓶だとか。
本来は実用品なのに、今では美術品になってしまっている。
このあたり俊としては、悩ましいところであるのだ。
千歳に貸しているテレキャスは、ビンテージ物であるが完全に、ちゃんと音が昔のものである。
だがこのテレキャスは、印象的な音を出すのは確かだが、より神経を刺激する音であるのも確かだ。
「まあ、あたしの場合は本当に、オーダーメイドの必要があるんだけど」
暁はレフティなので、今のメインであるレスポールに出会えたというのも、奇跡のようなものである。
他に三本のギターをレフティで持っているが、ギブソンが使えない時に代用品として使うのは、エピフォンであったりする。
本物のビンテージは、楽器としての音よりも、原形にどれだけ近いかが重要となり、58年物のギブソンレスポール・スタンダードなどは普通の流通には出回らない。
だがそれを楽器として使うなら、パーツを交換する必要があったりする。
しかしそうすると、オリジナルからは遠くなって、楽器としての性能は上がるが、美術品としての価値は下がる。
「そういうのって、なんかモヤる」
千歳の意見は、おそらく一般的なものであるだろう。
そもそも楽器というのは、種類にもよるが、ある程度の色というものがある。
ただその色について、絶対的な価値観というものはない。
まだしもクラシックは、伝統的に受け継いでいく音があるので、楽器による評価のブーストというものはある。
クラシックだけではなく、津軽三味線のような伝統民謡にも、それはあるのだ。
しかし比較的新しい音楽である、ブルースやカントリー、そしてそこから始まったロックは違う。
レスポール・ジュニアは当初、初心者向けの導入作として作られた。
それは今も同じで、比較的安い価格帯にある。
だがこのギターでしか出せない音があるのも確かだ。
またビンテージのギターにしか出せない音というのも、確かにある。
それは不正確な音だ。
ギターなどそもそも、チューニングがすぐに狂う物も少なくない。
それでも使うだけの、意味がそこにはあるのだ。
暁の弾くギターは、基本的に正確だ。
だがあえて正確でないところに、その音の魅力がある。
正確な音の中に入るノイズ。
それこそが人間らしさというものであり、正確さだけを求めるなら打ち込みを使えばいいのだ。
極端な話、ギターにはとんでもない低価格帯の、音の幅も少ない個体以外は、個性というものがある。
千歳が最初に選んだスクワイアは、そんな特徴の少ない、扱いやすいギターであるし、モダンな機能もあるので使いやすい。
だが特徴的な音を出すというなら、それでは物足りなくなるだろう。
エフェクターによりその、特徴を出していくということも出来る。
それでも今のギターに、物足りなさというか、もっと個性がほしいと思ってしまった。
ビンテージのテレキャスの音を、自分で出してしまったからである。
耳が肥えてきたと言うべきなのか、もっと特徴的な音を、千歳は必要とするようになってきた。
それに彼女はまだ保護者の下にあり、稼いだ金を自分で使うことが出来る。
単なる散財であったら止めただろうが、ギターをほしいと言ったのだ。
なので暁と一緒に、長野にまで向かう予定を立てている。
この五月、関東圏内ではあるが、遠征のライブが三つある。
その間に長野に行くというのは、どういう手段を使うのか。
当然ながらあちらも、土日は休みであることが多いだろう。
客商売であると言うよりは、職人としての仕事であるのだ。
つまりどういう手段を使えば会ってもらえるのかから、考えなくてはいけない。
ここで珍しくも、身内の力を使うのが暁であった。
忘れられているかもしれないが、暁の父の保も、レジェンドバンドのギタリストであり、今も現役のミュージシャン。
実は栄二がフリーになる時、相談を受けていたという事実が明らかになる。
俊は知っていたが、案外他のメンバーは知らなかったりする。
フリーのミュージシャンというのは、稼げる者と稼げない者が、極端に分かれているのだから。
本当は音楽業界というのは、ミュージシャンを必要としている。
そして仕事を必要としているミュージシャンもいるのだ。
求める技量と、持っている技量も、ちゃんと吊り合っている。
それなのにお互いの接触がないため、エージェントが必要となってくる。
こういう特殊技能にこそ、本当に仲介する人間は必要なのだ。
コネクションを作っておくということは、本当に重要である。
暁のギブソンは、現在ブリッジとペグの故障のため、他のギターが必要となっている。
ただ今までも普通に、半年に一度程度はメンテナンスをしていたのだ。
ノイズでの活動を始めたことにより、そのメンテナンスに出している暇がなかった。
その限界がやってきたため、今度のライブには予備のエピフォンを持っていくしかない。
ただどうしても、音は愛機とは違うものとなる。
ギブソンの物を職人に持っていって、参考にしてもらいながら、オーダーをする。
そしてバックアップの心配をせずに、ギターの演奏が出来るようになればいい。
相手の都合に合わせて、金曜日の夜に東京を出発し、土曜の午前中に会うという日程。
次の週には既に、ライブの予定が入っている。
なお俊も参考のために同行するが、遠隔で藤枝と話しつつ、アニメーションの意見を聞くことになる。
月子はさすがに、東京に残ったままである。
やることが多すぎる。
いまだに昔と、同じことを言っている俊である。
そもそも長野へ同行するなど、あまり俊には意味がない。
ただ無意味なことの中から、何かが生まれてくるものだ。
ギターの生まれる過程を見ることで、自分の中からも何かが発生するのではないか。
そんなことを考えている。
月子は月子で、たまには一人になる時間があってもいいだろう。
そう思っていたのだが、どうやら家に残って佳代の手伝いをするらしい。
文字は読むことも書くことも苦手な月子だが、絵を描くことは比較的得意である。
下手ではない、という程度だが。
東京の家に残る月子は、ここが自分の家なのか、と思わないでもない。
俊の家、正確にはその母の家に、下宿していることとなる。
信吾は頻繁に外に泊まっているが、果たして何をしているのやら。
なんとなく分かってはいるのだが、彼も彼でベースがあれば、他のバンドの手伝いに行ったりする。
コネクションを作ることは、こういうところでも重要なのだ。
そんな信吾が珍しく、月子に路上ライブなどをしてみないか、などと持ちかけてきた。
ベースではなく、ギターを持ってである。
アコギに月子の三味線、そして歌をつけて、二人でやってみるのだ。
信吾が企画を出してくるというのは、これまでになかった。
伝手をたどって対バンを探すということはあったが。
俊としてはそういうことも、やってみたらいいのでは、と考えている。
ただ月子に関しては、サングラスでもして正体を隠すこと、とだけは言っていたが
知っている人は知っているが、一応は顔出しNG。
そんな月子が路上ライブなどという、珍しい場所で演奏し歌うという。
彼女の世界を広げてやろうと思っているのは、俊だけではないのだ。
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