第139話 交錯

 月子の人生を書きたい、と思う人間がいずれ現れるかもしれない。

 そう言ったのは月子の叔母である、久遠寺槙子だ。

 今の月子は成功しつつあるミュージシャンだ。

 正直なところシンガーとしての単体の実力で、音楽業界を渡っていくだけの力はあるだろう。

 もっともバンドのフォローがあってこその、今の状態というのは月子も分かっている。


 信吾もサングラスをかけて、久しぶりのギターでの演奏となる。

 アコギは俊に借りたもので、実はこれも高級品であるが、アコギは実は消耗品としての面が強かったりする。

 路上ライブには申請が必要だが、そういう手続きは以前にもやったことがある。

 月子は基本的に、そういった手続きなども苦手だ。

 それでよく、東京に出てこようなどと思ったものであるが。

 

 ともあれライブハウスも多い渋谷の路上で、二人は演奏することにした。

 もちろんノイズだという宣伝もなく、ただ歌とギターと三味線だけ。

 気づく人は気づくだろうが、それはそれで構わない。

「たまに自分の力を確認しておかないと、お客さんに甘やかされるからな」

 信吾の言葉の意味は深い。


 信吾が前のバンドであるアトミック・ハートを抜けたのは、人気の拡大が停滞したからだ。

 充分なファンがいたことはいたが、先が見えてしまったと言ってもいい。

 この感覚は他のメンバーにも伝えたが、同意してくれる者はいなかった。

 惰性によってファンを続けている、と感じたのだ。

 実際に脱退の前のしばらくは、新曲のパターンが同じようなものになってきていた。


 メジャーデビューしてから、まだ一年も経過していない。

 アトミック・ハートは確かにその、メジャーデビュー曲はそれなりに売れた。

 三曲目まで順調に伸びていき、サブスクなどでもそれなりに聞かれた。

 だが四曲目以降は、縮小再生産のサイクルに入ってしまったのだ。

 信吾がいればまだ、その寿命は長かったであろう。

 だが多様性をなくしたアトミック・ハートは、信吾の懸念していた通り、失速しているのだ。




 信吾がノイズに入ったのは、俊の求めるレベルが高かったことにある。

 そしてその音楽性は、知識に基づいていて、かなりパターンが多い。

 また月子と暁という、聞いてすぐに分かるフロントを持っていたのも、その魅力の一つであった。

 暁のリフは新しいアレンジを生み、月子の声は新たな発想をもたらす。

 まだ未完成。

 だが全力で妥協なく挑んでいくその姿に、信吾は本当の可能性を感じたのだ。


 俊の考えているバンドの活動内容も、かなり現実的で野心的だと思った。

 メジャーの力を使わず、バンドの力で地盤を固めていく。

 圧倒的な自信がなければ、こんなことは考えられない。

 そして事実、信吾の予想とは違う形で、ちゃんとファンを増やしている。

 またメンバーの力を引き出して、キラーチューンを作った。


 バンドという形で音楽をするならば、それぞれの力を引き出すことが必要なのだ。

 暁と千歳の二人は、まだ未熟な部分が多い。

 それはギタリストとしての部分ではなく、もっと本質の人間的な部分だ。

 だがあの二人も、音楽で吐き出す何かを持っている。

 栄二の巨岩のような安定感は、まさにドラマーと呼べるようなもので、レーベル所属のスタジオミュージシャンだったのも、頷ける話だ。

 そんな安定した立場から、栄二を引き離しただけの力を、俊は持っていた。

 自分のことを、才能があまりないと思っている、ノイジーガールや霹靂の刻を作り出したコンポーザー。

 霹靂の刻は確かに月子が基を作ったが、俊がいなければ完成しなかったのも確かだ。


 今、その月子と一緒に、路上ライブをするということ。

 ノイズという肩書きをなしに、月子がどれだけの通行人の足を止めることが出来るのか。

 もっとも月子は元々、顔を隠してステージには立っている。

 その点では本人は、いつもと変わらないつもりなのかもしれない。

 信吾としては、まだまだ自分たちに、成長の余地があるのを確認したい。

 千歳が一番伸び代があるのは確かだが、月子の歌声にもまだ、限界に至っていない感触がある。

 今日はそれを、普段とは違う舞台で確認したい。




 路上ライブで、許可は貰ったものの、告知などは全くしていない。

 ノイズのファンでもない人間が、この夕方の時間帯、果たしてどれだけ足を止めてくれるのか。

 不安もあるが、期待もしている。

 月子の新たな一面を見られるのが、自分が一番最初かもしれないからだ。

「よし、こっちは準備いいぞ」

「ちょっと待ってね」

 月子の鳴らす三味線の音。

 ギターと三味線という珍しさに、少し視線を向けてくる人間が既にいる。


 何を演奏するのかは、当然ながら既に話し合っている。

 三味線をあえて使うのだから、少しでも和風の要素があった方がいいだろう。

 そのためにまずは、カバー曲を歌っていく。


 本当はもうちょっと、他の楽器もほしいのだが。

 信吾のギターから始まったのは千本桜であった。

 ボカロ曲を一般に広めたという点では、おそらく最大の功績であるこの歌。

 そして月子の演奏も始まる。


 その歌声が、一気に人々の足並を止めた。

 呆然と聞き入る者もいれば、立ち止まりかけて振り切るようにまた歩む者。

 迷っている人間もいて、そういう反応はあるいは、ライブハウスよりも分かりやすい。

 月子の声は元々、この曲を歌うには適しているのだ。

 もっとも低音でも、見事に歌うボーカルもいるのだが。


 一曲目からしっかりと拍手が上がった。

 足を止めるのは10人以上、充分な数と言えるだろう。

 これでもっと大音量で流せれば、さらに引き止める力は大きかっただろう。

 だが路上ライブで交通をあまり止めてしまうわけにもいかない。

 今はそういうことで、炎上してしまう時代なのだ。

 ストーンズなどはゲリラライブを行っていたりしたが、まさに時代が違う。


 主に若者が見ていて、中学生ぐらいの女の子も足を止めている。

 楽器ケースを持っているということは、彼女も音楽をやっているのだろう。

 もっともあの大きさなどは、ギターよりもずっと小さいものだろうが。

 やはりロックよりもずっと、大衆に受けるのは、ポップスである。

 二曲目もまた、メジャーなカバーをやっていく。

 紅蓮の弓矢だ。




 音楽は聞かれなければ意味がない。

 しかし聞いてもらうためだけに、音楽をする意味はあるのだろうか。

 少なくとも後者であれば、金を稼ぐことは出来る。

 ビートルズが後期にあれだけ実験的なことを出来たのは、まず商業的な成功があったからだ。

 俊はそう言っていたし、普通に信吾も売れたい。

 何者かになりたいというのは、今の自分たちにはまだ早いのかもしれない。

 だが俊のやろうともがいている方向は、売れ線でありながらもどこか、自分たちを表現しようと苦悩している。


 天才ではないのだろう。

 そんな簡単に言ってしまえば、俊の努力を軽く見すぎていることになる。

 もちろんある程度、才能はあるのだ。

 しかしここまで音楽に打ち込む俊のことを、月子は分かりやすく表現したものである。

 ああいうのが、芸の鬼、なのであると。


 山形にいた頃に見た、三味線に限らず伝統芸能を継承していく者。

 さほど金にもならないが、伝えていくことが大事なのだと、その道を歩んでいく。

 守破離という言葉を月子は知っている。

 自分はアイドルという活動を行うことで、自然とその段階を踏んでいたのだと思う。


 ただ、世間で何者かになるのなら、月子はもうノイズのルナとしてそれなりに周知されている。

 そして霹靂の刻は、確かに自分が生み出したものだ。

 俊がかなりのアレンジを加えたが、あれは彼の頭からは出なかったものだろう。

 そういった自信を持って、月子は今も歌う。

 路上ライブであるが、充分すぎる声量。

 それだけで、届くものがあるのだ。




 ただ、こういった路上ライブには、アクシデントもつき物だ。

 もっとも、柄の悪い人間が絡むには、信吾は体格がそれなりである。

 単純に三味線の糸が切れたのだ。

「あちゃ~」

「替えの弦、持ってきてないのか?」

「三味線は弦じゃなくて糸なんだけど、持ってきてない……」

 それに少し時間もかかる。


 まあここから、ギターだけにボーカルで歌っても、それなりの演奏は出来るだろう。

 せっかく集まってくれた客だが、待たせたらすぐに去っていく。

 ならばギター一本でもやらないよりはいいかな、と信吾は思う。

「弦が切れたの?」

 そう問いかけてきたのは、最前列で演奏を聞いていた、女子中学生であった。

 ちょこんとうずくまり、三味線を見る。

「カバー曲だけなら、だいたい手伝えるけど」

 少しパーマのかかった感じのクセっ毛で、そこは暁に似ていたかもしれない。

 暁の場合は少し、髪の色が赤茶けているのだが。


 少女は楽器ケースを持っていたが、それはおそらくヴァイオリン。

「すぐに合わせるのは難しいだろう?」

 適当にあしらおうとした信吾であるが、少女はまさにヴァイオリンを取り出す。

「二曲聴いたし、世間で流れてる曲ならだいたい、弾けるけど」

「……じゃあ紅蓮華弾けるか? パートは、主旋律でいいけど。あと、あちらのお友達はいいのか?」

 あわあわと手を振っている、女子中学生が二人いる。共に楽器ケースを持ってはいる。

「私なら弾けるけど、二人は無理」

 その言葉には感情はなく、ただ事実を告げているだけと理解出来る。


 なんなんだろう、これは。

 信吾が感じているのは、畏怖に近いものだ。

 まだ何も演奏していない、小さな少女が、何か威圧感を与えてくる。

 月子の視線もまた、彼女に囚われていた。

(まだ一音も出してないのに、分かるってなんだこれ) 

 この少女は、恐ろしく上手い。

 それは予感ではなく確信である。




 ヴァイオリンの演奏体勢に入った少女に、信吾が促す。

 旋律のすぐ後を、月子の歌が追いかける。

 伸びやかなヴァイオリンの音に、また足を止める人間が多数。

 信吾はギターで主に、リズムを取っていく。

 ヴァイオリンというのは、こんなにもポップスに合う楽器だったのか。

 確かにストリングス系を使う曲はあるし、俊も打ち込みのために、自分で演奏した音を使ったりはしている。


 クラシックの上手い下手というのも、だいたい分かる信吾である。

 この少女の腕前は、おそらくかなり上手いのだろう。

 ヴァイオリンやピアノといった、幼少期から習うことの多い楽器というのは、幼くても圧倒的に上手い人間が出てきたりする。

 彼女もその類なのだろうが、ポップスを演奏出来るのか。


 月子の声と、響きあうヴァイオリン。

 上手くソロのところも、哀しみさえも湛えたような音を紡いでくる。

(天才っていうのは、いるもんなんだよな)

 おそらく中学時代の暁のギターは、こんな感じだったのではないか。

 二人のためにリズムを取っていたが、演奏で足を止める人数がどんどん増えている。


 一曲終わったところで、大きな拍手が起こった。

 信吾がリズムに徹していたということはあるが、完全に初対面であるのに、月子のテンションに合わせてきた。

 むしろノイズで歌う月子に、匹敵するほどの力を持っている。

「集まりすぎたな」

 ちょっとこれは、解散した方がいいかもしれない。

 一応許可を取ってはいるが、整理してくれる人間がいないのだ。

 だが、あと一曲やってみたい。

「聴いたことのない曲でも、楽譜があったら弾けたりするか?」

「だいたいは」

「じゃあ、これはどうだ?」

 信吾に渡された楽譜を見て、彼女はすぐに返してきた。

「聴いたことあるから、もう弾ける」

「そうなのかよ!」

 だがどのパートを、彼女は弾くというのか。


 ヴァイオリンもギターも、本来なら共に主役を張れる楽器だ。

 とはいえここでの演奏なら、彼女に主旋律を任せた方がいいだろう。

 リズムを弾いていても、この曲なら充分に存在感を示せる。

 信吾の合図で、少女のヴァイオリンは、霹靂の刻を奏でだした。




×××




 解説

 千本桜/黒うさP

 解説が必要なのだろうか。ボカロ史上に足跡を残す名曲であり、それでいながら一般でも散々に演奏されている。

 紅白でも歌われた、と言えばどれぐらい浸透されたかは分かりやすいだろう。

 和楽器バンドによるカバーも有名であり、これ以前とこれ以降でボカロ曲を分けて語ったりする人もいる。


 紅蓮の弓矢/Linked Horizon

 進撃の巨人、一番最初のOP曲。

 これも今さら説明の必要があるのだろうか。

 既に壮大な世界観を表現していて、Vによるカバーでも有名。

 平成を代表する有名曲であり、ヴァイオリンによるインストカバーなどもPVがよく回っている。

 進撃の巨人は基本的に、他の歌手などによる曲もほとんど、その世界観を壊さない良曲が揃っている。


 紅蓮華/LiSA

 鬼滅の刃第一期OP。

 つーかもう説明の必要がないような、これも紅白で歌われた曲である。

 アニソンとしてオリコン一位となり、数々の記録を打ち立てている。

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