第72話 卒業、最後のアイドルライブ

 人生が上手い方にどんどんと転がっている。

 月子ははっきりと、それを感じていた。

 フェスで見た、数千人のオーディエンス。

 高いところから見ると、その動きはまるで群棲生物のよう。

 いや、まさに数千人が集まっていたので、それは間違いでもないのだが。


 帰ってきた翌日は、アイドルフェスの前日。

 激しく踊ったわけでもないが、疲労は残っている。

 明日のアイドルフェスは夕方からであるが、今日も明日も確認のレッスンがある。

 とは言っても、月子は気力が充実している。

「おはよー!」

 大きく声を出して、レッスン場に入る。

 するとメイプルカラーのメンバーはまだ準備運動もせずに、何かに集まっている。

「何してるの?」

「昨日の。一部だけど上がってるから」

「あ、そうだっけ」

 運営側が了解の上で、フェスの映像の一部を、こうやって上げているのだ。


 もちろん全部ではなく、せいぜいが一曲分ぐらい。

 それも全てのステージではなく、数千人を集める特設ステージぐらいだ。

 ノイズの場合は、どこを切り取っても面白いものになっただろう。

 ただバラードのところは少ないかもしれない。

 撮影するカメラの都合もあるだろうから、確実に狙うところを撮影出来るわけでもない。


 せっかくならオリジナルを撮影していてほしかったなと思ったが、secret baseを流している。

 よりにもよって、明日のステージでメイプルカラーが歌う曲だ。

 まさか月子の正体がバレたりはしないだろう。

 音響なども全く違うし、何より歌うテンションが違う。

(今、わたし何を考えた?)

 ふと頭をよぎったが、次の瞬間には考えてはいけないことだと判断したのだ。


 ともあれ全員が揃った。

 明日に向けて、レッスン開始である。

 郊外の公園に作られた、昨日のようなステージではない。

 商業施設の中にある、300人ほどが見られるステージだ。

 複数のアイドルグループが、五曲前後を歌うというものだ。


「ねえ、あの規模のステージって、緊張しなかった?」

「したけど、慣れてる歌から始めたし、ちーちゃんがわたしよりずっと緊張してたから」

「もう一人のボーカルだっけ。お客さんはどうだったの」

「よかったよ。アイドルのステージとは全然違うノリなんだけど、まるでうねるように動いててさ」

 月子はもう、あれを過去のものとして処理している。

 重要なのはこの先の未来のこと。

 さしあたっては明日のステージだ。


 だがそう思っていたのは月子だけらしい。

 皆が昨日のことを聞きたがる。

 メイプルカラーとしても明日のステージは、これまでで最大のものであるだろうに。

「先に練習しようよ~」

 そう言って、やっと動き出す。




 まずは全てを通じて歌って踊っていく。

 その中で月子は、物足りなさを感じる。

(皆、緊張してるのかな?)

 少しはそれがあるかもしれない。

 次のステージは、メイプルカラーの最後の舞台。

 それをメンバーの中では、月子だけが知らない。

 だがもう一つは、月子の立っているステージが、一段階上がってしまったからだ。


 野天ステージのフェスで、数千人が集まっていた。

 明るい舞台の上では、普段のような暗がりも存在しない。

 太陽の熱気の下で、プレッシャーとはまた違ったパワーを感じながら歌ったのだ。

 演奏は録音したものではなく、シリアスなリズム隊に、フィーリングが唸るようなリードギター。

 俊の作り出したバンドが、完全に一つのものとなりつつある。


 そう、なりつつあるのだ。まだ完全ではない。

 千歳のギターというのもあるが、まだまだ合わせきれていないのだ。

 正確に演奏するだけなら、打ち込みの方がよほど正確だ。

 だが人間はそもそも、正確な存在ではない。

 聞いている側もずっと、同じテンションではない。

 ライブというのはそれを、上手く合わせていくものなのだ。


 昨日のライブにしても、月子は今までで一番の出来だと思っていた。

 俊でさえそう言っていたのに、信吾や西園は、これまででトップ5に入るぐらい、などと言っていた。

 つまりプロ級のバンドに入っていた二人には、あれぐらいの出来ならまだ上があると分かっているのだ。

(わたしももっと、上で歌いたい)

 上と言っても、何が上であるのかは分からない。

 だがアイドルフェスは、これまでのメイプルカラーの中では、最大の規模でのステージになる。


 商業施設の中で、開店前にリハーサルをする。

 そして一度戻って最終確認し、また夕方に歌うのだ。

 月子はもちろん、ノイズでの活動を本気で行っている。

 だが仮面をしているのを分かるように、こちらのアイドルの自分が素顔だと思っている。

 周囲がどう思っているのか、そこにはあまり思い至らない。

 なぜならそこまでの余裕がないからだ。

 働いて働いて、レッスンしてレッスンして、そして多くのステージ。

 バンドでのライブより、アイドルとしてのステージの方がはるかに多い。

 地下アイドルは、会いにいけるアイドルだからだ。

 



 月子の経験値というのは、単純にバンドとしての経験値ではない。

 山形時代はお稽古事としての経験を、ほとんど毎日のように受けていた。

 今なら虐待とさえ言われかねないが、将来を心配した祖母の気持ちだけは分かっていた。

 何度も人前に立って、あるいは座って、唄ったり弾いたりしていた。

 むっつりと気難しそうな、おっさんどもの前で。


 全国規模の大会にも出たことはある。

 1000人以上も入るような、公共施設である。

 ハコ物のイベントの一環ではあるが、伝統芸能の継承でもある。

 京都に引っ越してからは、それまでの勉強の遅れを、叔母が必死で埋めてくれた。

 本来の人間を取り戻すための、三年間であったとも言える。


 月子は見られることに慣れている。

 ギターを持つと人が変わる暁とは違い、月子は月子のままで歌う。

 だが可愛い子ぶったアイドルと違い、ルナの歌は本気である。

 最近はアイドルとしても、本格的なPOPSを歌っている。

 それで人気が上がっているのが嬉しい。


 俊はこの月子の経験値が、ステージでは高いパフォーマンスにつながっていると思っている。

 基礎的な部分を、既に子供の頃から叩き込まれているのだ。

 シンガーとしての伸び代は、技術的な部分では千歳の方が多い。

 もっとも既に、絶対値として月子は高い位置にいる。


 月子は人間として、普通に経験することを経験していないことが多い。

 そして普通なら経験しないことを経験している。

 そこからパワーのあるクリーンな声を響かせる。

 圧倒的な力である。

 それこそ女性ボーカリストという枠ではなく、現在の日本では最高ではないか、という彩とある程度比較が出来るほどに。




 月子の事情を、俊は信吾と西園には説明していた。

 この二人は、大人であるからだ。

 対して高校生組は、月子のステージを見に行く気満々である。

 だがその前日には、俊の家を訪れている。

 反省会というのは月子のフェスが終わってからだが、ここに来れば楽器が弾ける。

「「俊さん勉強教えて~!」」

 二人して同じことを言ってきたが。

「お前ら……」

 まあ確かにフェスに向けて、かなり時間を使っていたというのはあるが、二人は宿題が多く残っている。


 眉間に皺を寄せる俊と違って、信吾は苦笑している。

 西園はやはり、まだここにはいない。

 フリーになった時のことを考えて、さらに顔をつないでいるのだ。

「俺もやることが多いんだが、どうして課題なんて残してるんだ? 普通は初日か二日ぐらいで、さっさと終わらせるものだろ」

 いや、それはおかしい。

「出たよ、優等生発言」

「俊さんって頭良さそうだもんね」

「俺には聞かないのか~?」

「信吾君はかろうじて高校卒業したっていうイメージ」

 暁の指摘は間違っていない。


 俊としてもまた、次の企画を考えてはいたのだが。

「俺だってそんなに頭は良くないぞ。東大は受験したけど落ちたし」

「……」

 何を言ってるんだこいつは、という目を三人はしていた。

 そもそも進路の選択肢に東大が上がる時点で、それは頭がいいことの証明であろう。

 それに俊としては、既に進路は決めていたのだ。

 現在の大学に合格が決まった時点で、東大を受けてもあまり意味はない。

 必死で進学率を高めようという教師に頼み込まれたが、そもそも国公立というのは、貧乏な人間が行くべきだ。

 裕福な人間が、その進路を奪うべきではない。


 ナチュラルに傲慢なことを言っているが、事実なのだから困る。

「だいたい東大生なんて毎年、何千人いるんだ? それよりアーティストとして成功する方がよほど難しいだろ」

 確かにレベルの高い芸大は、東大よりも難易度が高いだろう。

 そしてそこからさらに、食っていくようになるためにはどうするか。

 目標が大学合格としていれば、そこで燃え尽き症候群になる。

 実際は大学で、何をするかが問題なのに。




 俊はとりあえず、一年は留年するつもりである。

 大学の設備やコネクションを使うためだ。

 もっともそれまでに、一気にブレイクしたなら話は別であるが。

「あとお前ら二人のうちどちらか、うちの大学に入れ」

 そうすれば変わらず、大学の設備を使うことが出来る。


 目をぱちぱちとする二人だが、そこまで偏差値は高くない。

 ただ学費はそれなりであったりする。

 それでも学費に対して、使えるメリットが大きすぎる。

(オカちゃんの助手か何かで、大学に残れるならそれでもいいんだけど)

 高校一年生のふたりは、げんなりとした表情をしていた。

 まあ暁の方は、ちょっと難しいかもしれないな、とは思っている。学力ではなく、モチベーション的に。


 ボーカルは後ろのメンバーを集めるか、あるいは打ち込みが必要になる。

 だが暁のレベルであると、既にプロで通用する。

 もっともまだ他人と合わせた経験が少ないので、そこをどうにかしないといけない。

「二学期になったらライブとか多くなる?」

「いや、そもそも時間があれば練習を入れるか練習をしてほしいが……いや、そうでもないのか?」

「どこかのバンドのヘルプとかしたいんだけど」

 暁の言葉に、俊はそれほど驚かない。

「あ、別にノイズに不満があるとかじゃないんだけど」

「単純に他の人とも合わせたいか?」

「うん」

 暁のレベルであるとそうかもな、と俊は思う。


 純粋に一人で練習してきて、ここまでのレベルになっている。

 普通なら苦手なはずの即興も、過去のバンドたちのコピーを意識して、自然とやってのける。

 だがフェスには、もっとたくさんのバンドがやってきていた。

「俺も今でも、ヘルプ頼まれた時はやってるしな」

 信吾もいまだ、武者修行中である。

 ノイズを主軸に活動しているのは本当だが。


 西園を見れば分かるように、安定して弾くというのが重要なのだ。

 信吾のヘルプも、条件次第だが出来るだけ受けるようにしている。

 ただリードギターを、女の子に任せるというのは、微妙かもしれない。

 暁はノイズの中でも、一番ちっこいメンバーであるし。


 紹介することは出来る、と俊も信吾も思っている。

 だがリードギターではなくリズムの方で、コーラスも求められるかもしれない。

 本気を出していなければ、暁はコーラスも出来るので、その要求にも応えられる。

「俺もステージ感覚が落ちるのは嫌だしなあ」

 俊はそう言うが、さすがに忙しすぎてこれ以上、何かをする余裕がない。

 さしあたっては月子の問題がある。

「あたしもやってみたいな」

「千歳は軽音部でまず、ギターの練習をしなさい」

 お母さん口調で、俊は命令してしまった。


 夏休み中も、千歳は軽音部には行っていた。

 確かにギターの演奏は、まだそのレベルである。

 ただこれで高校から始めたと言えば、それは才能があるのだな、と判断されるぐらいにはなってきただろうか。

 実際は単純に、練習量が多いだけである。

「二学期は文化祭もあるなあ……」

 千歳はふと呟いたが、それはノイズには関係がない。

 ……関係のない話のはずであった。

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