第73話 十年後の八月

 今までで一番大きなステージ、というわけではない。

 ノイズの参加したフェス以外にも、三味線の大会で大きな公共施設で催されたものは、1000人ぐらいは入っていたのだ。

 ただこれだけのペンライトが振られているステージは、確かに初めてである。

(確かにバンドのステージも凄かったけど)

 自分の肉体を拡張するかのように、声がはるかに届いていった。

(でも、このアイドルの煌びやかなステージは)

 どちらが上かという話ではない。

 だが明確に、違うということだけは確かなのだ。


 求められている。

 それはどちらのステージでも変わらない。

 ただアイドルのステージというのは、プロレスのような約束がある。

 八百長だのシナリオだの、そういうものではない。

 アイドルのステージは純粋にショーであるのだ。

 何をどうすればいいのか、ちゃんと決まっているものだ。


 バンドのライブというのは、それが高いステージであればあるほど、求められるものは大きくなり、与えられるものも大きくなる。

 アイドルのステージもそれは、大きくなれば同じなのだろうか。

 おそらく違うと思う。

 優劣はともかく違うと思うし、自分が向いているのはバンドの方なのだろう。

 だが今はこのステージで輝きたい。


 普段のドルオタどもに加えて、普通の親子連れなどもいたりする。

 なんと小額ではあるが、ギャラまで出るというのが、これまでになかったことだ。

 お気持ち程度ではあるが、大勢の前で歌うことが出来る。

 ノイズで歌うような、ひりついた感覚はない。

 だがあの感覚が絶対に、素晴らしいものでもないはずだ。




 ステージが始まった。

 これまでで最大の規模のステージということで、当然のように緊張はしている。

 ノイズの場合は緊張とは、ちょっと違ったものがあった。

(仮面がないからかな?)

 素顔で歌っているこちらが、本当の自分なのだろうか。

 ただ月子の力を引き出すのは、ノイズであるのは間違いない。

(両方あってのわたしだ)

 あくまでもアイドルらしく、だが自分を表現していく。


 この姿をノイズのメンバーの多くは見ている。

 あとは月子を誘ったABENOレーベルの阿部も。

(この短期間に、さらに上手くなってる……いや、すごくなってる)

 これは明らかに、グループアイドルという枠を超えている。

 実力だけを見るなら、月子の後ろで四人が賑やかしをしているだけだ。

 エースをセンターに置いた、アイドルグループ。

 むしろシンガーの後ろのダンス担当とでも言うべきか。


 あのフェスでの経験を、月子は吸収している。

 アイドルであるの振り付けはあるが、それもダンスとはもう呼べないレベルになっている。

 表現手段のマイムだ。

(やっぱり、もう全然違う)

 斜め前の月子の姿を、ルリはずっと見ている。

(たった二ヶ月ぐらいで、一気に貫禄まで出て来た)

 テレビで見るアイドルとも、既に違うものだ。


 日本でのアイドルというのは、単純に偶像という意味ではない。

 むしろ崇拝するよりも、親しまれる存在であったりする。

 未成熟なものの、成長し変化していく様を見守る。

 それがおおよその、日本のアイドル文化なのだ。

 なので特に女性アイドルは、旬が短い。

 アイドルを卒業して、次のステージに向かわなければ未来がないのだ。


 この五人で、もっと先に行く。もっと上に行く。

(私が連れて行く!)

 そして最後の曲が始まる。

 夏の終わりを告げる歌。

 十年後の八月にも、まだこの五人でいられたら幸せだろう。

 アイドルの需要を考えたら、それは難しいのだとは分かる。

 また女としての面を考えたら、むしろアイドルを続けている方が不幸であるかもしれない。


 十年後の八月にも、笑顔で集まれるように。

 そんな思いを込めて、月子は歌い上げる。

 これをメイプルカラーのみならず、客席の人間も、スタンディングの人間も、同じように感じている。

 一人だけ圧倒的に格が違うと。

(たったの一度のフェスで、ここまで成長したのか)

 彩と同じステージに立っても、バンドの演奏の援護があれば、おそらくもう月子が上だ。

 彩もまだ、それなりに成長しているとは思うのだが。




 これがアイドルとしての、月子の歌唱力か。

「えぐいほど上手いじゃ~ん」

 どこか不機嫌そうに、千歳はうなっている。

 一階上の見やすい場所から、他に俊と暁が来ていた。

 仲間の大舞台であるのだが、西園は仕事が普通にあって、また信吾も急なヘルプに駆り出されていた。

 女性陣ばかりであるが、もちろん俊は変なハーレム展開など考えていない。


 たった一度、大きなステージを経験しただけで成長する。

(やっぱり天才か……)

 欠落しているがゆえに、そこを埋めるために何かが満たしていく。

 おそらくこういったアイドルフェスも、月子の表現力を高めていくのだ。

 本当ならもうしばらく、アイドルをやってくれていても良かった。


 今がタイミングなのだろうか。

 フェスで結局は、2600人ほどが入ったと、運営では言っていた。

 キャパオーバーではないにしろ、SNSでの拡散などは、かなり好意的である。

 またアルバムが売れた原因なども、それなりに分かってきている。

(普通ならこの流れを逃さない方がいいんだろうが……)

 俊は直感的に、まだ違うと考えている。


 どこか羨ましそうに、千歳が呟く。

「あたしもボイストレーニングとかした方がいいのかなあ」

 それは確かにそうである。

 現時点でも、もちろん千歳はピースの一人ではある。

 だがメンバーの中で一番、伸び代が残されてもいるだろう。

「ボイストレーニング、心当たりを当たってみようか?」

「あ、マジ? 俊さん優しいね。あ、金とか高いかな?」

「う~ん……確かに普通ならな」


 月子にしても、歌い方はソウルフルな民謡由来のものだ。 

 ここで二人にトレーニングをさせれば、さらに表現力が高まるのではないか。

 そしてさらに共鳴していけば、どこまで届くのかもう分からない。

(けど本格的なトレーニングだと、確かに金はかかるんだよなあ)

 単純な技術論を、全国規模で展開しているようなところは別だが。


 声楽をまともに教えているところとは、まさに俊の通っている大学である。

 ただそこから、まともにプロ狙いのレッスンを教えているところを紹介するとなると、また話は違ってくるか。

(母さんに少し、相談してみるか)

 相談しなければいけないのは、それだけでもないのだ。




 十年後の八月、まだこの五人でアイドルをしているのは難しい。

 けれど十年後の八月、この五人で集まれるような関係でいたい。

 そう思いながら歌った曲が終わり、メイプルカラーの順番は終わりである。

 このステージでは、今日一番の拍手をもらう。

 これが最後の拍手だ、と思っているのが月子以外のメンバー。

 あるいはこの先の進路で、違う形の拍手をもらうことはあるかもしれないが。


 月子はやりきった顔をしている。

 完全にもう、アイドルと言うよりはシンガーである。

 マイクを持って、揺れるように歌った。

 その声の揺らぎで、オーディエンスを動かしてしまった。

 後ろから見ていた四人には、月子のパフォーマンスが圧倒的であったのが分かっている。

 無邪気に笑っている月子には、当たり前だが全く悪意などはない。


 誰だって、自分の人生を生きる上では、主人公であるのだ。

 だが社会という舞台の中では、どうしても脇役なのだと思い知らされることがある。

 そして世界は複雑だから、脇役だったはずの人間が、一気に主役になったりもする。

 そんな夢のような展開が、この数ヶ月で起こった。

 しかし自分に起こったわけではない。


 楽屋として使われているスタッフルームに、メンバーは戻ってくる。

 そこでは向井が待っていた。

「見てたぞ。良かったな」

 良かったと言うよりは、良すぎた。

 こういうフェスにも目をつけているレーベルのA&Rがいれば、さらに月子には話が来るだろう。

 そういったことは、俊とも話していた向井である。

「最高のステージだった」

 それは本当のことである。

 エースを中心とした、圧倒的なパフォーマンス。

 月子の歌だけで圧倒したわけではない。


 ここから少し休んで、夜にはまた集合して打ち上げだ。

 向井がちょっといい店を取ってくれた。

 まだステージは続いているが、とりあえず夏は終わった。

 もうすぐに九月となる。

 暁と千歳は学校が始まるし、俊も少し後に大学となる。

 もっとも俊は、ものすごい勢いで色々なことをしているが。


 月子はこの間のフェスを見て、俊がどれだけすごい人間か、ということがようやく分かってきたと思う。

 西園は別としても、信吾などとも違い、イベント会社のスタッフと話し合っていた。

 取材を受けたあの記事が、雑誌に載るのは少し先の話。

 だがノイズの活動もまた、どんどん広がっている。

 自分の場所が広がって、自分の声が伝わっていく。

 悪いことではないはずだ。




 ちょっと隠れ家的な、芸能人や経営者も使ったりする店。

 直前になどは予約が取れない、いいお店である。

 社長も奮発したなあ、と月子は思っている。

 あの後には俊たちとも会って、感想を聞いたものだ。

 暁と千歳は感情的に、そして俊は俯瞰的に、ステージを誉めてくれた。


 とてもいいステージだった。

 今までのメイプルカラーがやってきた中で、一番の観客数で、一番のパフォーマンス。

(けれど、あっちのフェスの方が良かったかな)

 このフェスではいつものライブのような、お客さんとの接触がなかったというのもある。

 直接の声を聞かなかったというのは、ちょっと残念であった。


 料理が来て、成人しているルリなどはアルコールも入れている。

 そしてひとしきり談笑したところで、向井が頭を下げた。

「すまん。メイプルカラーは解散する」

「へ?」

 あまりにも唐突なその宣言に、月子は言葉をなくす。

 周囲を見回すと、他のメンバーは驚いていない。

「え? なんで? 聞いてないのわたしだけ?」

「まあ、色々と理由はあるが、ルリが抜けるということと、俺の本業がちょっと苦しくなってきたのが主なことだ」

 そう言われて、これが本当のことなのだ、と月子に実感が湧き始める。

「……わたしだけ、知らなかった?」

「お前には向こうのイベントもあったろうし、このイベントで最後に思いっきり歌ってほしかったんだ」

 確かにこれで終わりとなれば、どういう心理状態で歌っていたかは分からない。


 ルリはその、リーダーとしてずっとセンターをしていた、ふてぶてしい顔をしている。

「わたしはこの年齢でこのステージだと、アイドルとしては限界だと思った」

 淡々としたルリの声に、月子の頭は真っ白になる。

「どうせアイドルなんて、いつまでも出来るものじゃないし」

「でも、月子は違うよな」

 諦めの色が混じるルリの言葉に、向井は被せた。

「お前はレーベルからも誘われてる。メジャーへの道が開けてるんだ」

 それは月子の望む道ではない。


 アイドルではなくても良かったのだ。

 ただここが、月子の見つけた場所であったのだ。

 他の三人も、これからやっていくことを、考え始めているらしい。

 月子だけが知らされていなかった。

「馬鹿みたいだ、わたし……」

 ふらりと立ち上がる月子の背に、サブリーダーのアンナが声をかける。

「ミキ、あんたはもっと、一人で上に行けるんだから!」

 そう。だからこそ月子を、ここから解放しなければいけない。

 本人の望みがどうであろうと、それに相応しい場所というのはあるのだ。


 


 店を出て、ふらふらと街を歩く。

 色々と向井も言っていたが、詳しいことは憶えていない。

 この先、自分が何をすればいいのか。

 少なくとも言えるのは、十年後の八月などというものは、なかったということだけだ。

「どうしよう……」

 これから、仕事をして、そしてノイズで歌っていくのか。

 それはもちろん、素晴らしいステージではある。


 初めて求めて、求められた場所。

 けれどアイドルのステージで、月子がくすぶり続けていたのは確かだ。

 そして本当の月子を見つけたのは、俊なのである。

「けれど、こんな気持ちで歌えないよ……」

 アイドルであった自分は、月子を構成するものの中で、大きなものであった。

 

 どうして自分は、こうも奪われるのか。

 いや、失ってしまうのか。

 もちろんいつかは、というものが誰にでもある。

 いつかは全ての人が死ぬように。

 そんな月子の携帯が鳴った。

 それは今の瞬間には、一番ほしかった俊からの着信であった。

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