第387話 砂時計

 命の価値には差がある。

 ただ当人にとってみれば、どう使うかが重要なのであろう。

 紡ぐ命について、考える人間もいる。

 だが己の命の燃焼に、全てをかける人間もいる。


 俊は言うまでもないエゴイストであった。

 音楽というものに価値を見出し、そこに自分を刻み込むことを、唯一の価値のように考えていた。

 人間としての一般的な幸福には、あまり意味を見出さない。

 両親の歪な関係が、その人格には影響している。

 その中では息子を通して、もう一度人生をやり直しているとも言える。


 俊にとって月子はなんであるのか。

 女という意識はほとんどない。

 歌姫であると、世間では言われている。

 確かに俊の作る曲の中には、バンド演奏ではなくピアノだけ、もしくはそれにギターを合わせただけ、あるいはヴァイオリンを少しといったように、月子を最大限活かすものが作られている。

 ノイズというバンドの中で、月子が中心であると言われるのはこのためだ。

 そして伴奏に使われるピアノ、ギター、ヴァイオリンといったところは、俊が自分で演奏出来る。

 暁にギターをやらせると、変に煽ってしまうところがあるのだ。


 他の誰でもない存在である。

 芸術家にとって、その創作意欲を著しく刺激する存在ではあるのだ。

 俊は他の誰かと結婚し、家庭を築いたとしても、月子の方を大切だと考えただろう。

 相手が暁になってしまったため、そこは複雑なところがある。


 10月に帰国したノイズは、またもレコーディングのため日本を離れることとなった。

 今どきそんなニューヨークに行かなくても、とは普通に考えることである。

 確かに日本人では持っていない、エンジニアの感性などはある。

 だがノイズはそもそも、レコーディングに関しては俊が全般を取り仕切るのだ。

「一ヶ月ぐらいで、一度帰ってくることになると思う」

 栄二はそう言って、日本を発つ。

 距離を置いたことはかえって、娘との関係を上手く冷やすこととなった。

 ただあまりに早く帰ってくるのは、栄二は望んではいない。


 月子の癌の再発は、肝臓を主部としていた。

 単純に切ってしまっても、おそらくはもう転移しているだろう。

 若いと転移も早いのだが、増殖もまた早い。

 抗がん剤で縮小させなければ、手術をしても意味がない。

 そういった状態で、アメリカに行くことになったのだった。


 癌という病気は本来、完治という言葉は使わない。

 遺伝子性のものであれば、また他の部分で再発したりもする。

 抗がん剤や放射線治療、そして手術などで癌を取り去り、五年経過して転移などがなければ、治療は完了したと見る。

 これを寛解という言葉で、ほぼ完治と同じ意味とする。

 つまり月子の場合は、取りきったはずの癌が取りきれていなかったか、あるいはまた再発したかのどちらかである。

 体重の減少はその分かりやすい症状の一つであった。


 月子の体調は、ツアー中は悪いわけではなかったのだ。

 ただ東南アジアの気候などもあって、バテ気味であったのは確かであったが。

 日本に戻ってきてから、体調が悪いことに改めて気付いた。

 気温が過ごしやすく下がってきていたのに、調子が戻らなかったからだ。

 どのみち検査はしなければいけないため、病院には行くことになっていた。

 そこではっきりとしたのだが、進行が早かった。




 癌の進行というのは、本当に若いと早い。

 また場所によって、治療が可能かどうか、また抗がん剤が効くかどうか、かなりの差がある。

 ニューヨークではなくボストンに、ノイズのメンバーは集まっていた。

 そしてすぐに、月子への投薬治療が始まった。


 前回の治療では、問題なく癌細胞は取りきれたはずであった。

 最初は大腸から発生し、肝臓への転移が見られる。

 この時点で実は、既にほぼ手遅れなのでは、という見方が強かった。

 しかし患者にダメージをあまり与えず、多くの抗がん剤を癌細胞のみに届けるという新薬で、その癌の縮小化には成功した。

 問題なのは今回、同じように抗がん剤の効果があるかどうか、ということだ。


 癌というのは細胞の異常化と、その増殖が問題である。

 どのような異常化になっているのかとは、実際に投薬をしてみないと分からない。

 人体の通常細胞へのダメージが、少なくなることは確かだ。

 しかし癌化している細胞自体が、ダメージを既に与えているのだ。

 それを消したところで、癌化した部分が戻るわけではない。


 もちろん人体はある程度、再生していく機能もある。

 だがそれには限界があり、また全身に転移が広がれば、それこそもう治療はするべきではない。

 そこから先は、残された時間をどう生きるか、という問題になってくる。

 いずれは誰もが死を迎える。

 むしろ病気であるというのは、それまでの時間が限られていると分かるので、事故などよりはマシであるかもしれない。

 少なくとも月子は、そして千歳も、そう考える環境にあった。

 しかし信吾は母を、病気でなくしている。


 死は万人に訪れる。

 しかしどういった訪れ方をするかは、なかなか分からないものだ。

 それでも予感できる死と、出来ない死の二つに分けることは出来る。

 別離を準備する時間があるのは、不運の中の幸運であるのか。

 残された時間を、有効に使う。

 少なくとも月子にとっては、まだ時間があるということが、幸いではあった。


 残していく娘のことは、心配はしていない。

 この遺伝子が遺伝していないことが、分かっているだけで充分に安心できる。

 確実とは言えないが、月子にあった相貌失認や読解障害も、おそらくは遺伝していないのではないか。

 もっともこの二つは、自動車事故による後天的なものでは、とは前にも言われていたものだ。


 何を残していけばいいのか。

 自分は何をすべきであるのか。

 娘と一緒に過ごす、という選択を月子は選ばなかった。

 確かにそれは自分にとって、人間としては普通の選択であったろう。

 しかしおそらく、余命は一年以内。

 物心もつかない娘の記憶には、どうせ残らない。

 それでも自分の満足を選んでも、誰も文句は言わなかったであろう。

 だが月子は、何を残すかを選んだ。




 天才は27歳で死ぬ。

 欧米では有名な、27CLUBである。 

 ジム・モリスンやジミヘン、ちょっと後ならカート・コバーンに、さらに後にはエイミーワインハウス、そしてイリヤ。

 月子は来年の六月に28歳になる。

 どうにか28歳になれば、この死の呪いからは逃れられるのではないか。

 非科学的なことであるが、暁はそんなことを考えている。


 実際に投薬は、ある程度癌の進行を抑えている。

 だからこそ月子は、病院からスタジオにやってきて、レコーディングをしていたりするのだ。

 人間の肉体というのは、本当に不思議な奇跡が起こったりする。

 癌が消えた、などという奇跡も本当に、わずかだが実在するのだ。

 琵琶の葉のお茶が、癌には効果があるという。

 あるいは患部に味噌を塗って、癌細胞が小さくなったという。

 そういう疑似科学は、世間に溢れているものだ。


 前回の月子の癌には、ちゃんと抗がん剤の効果があった。

 そして前回は治験の途中であった薬は、既に承認を受けている。

 日本でも一応、保険治療の範囲内で、使えるようになっている薬。

 だがそれでは間に合わないのでは、と俊や阿部は思ったのだ。


 現在の研究段階では、遺伝子の癌化部分を、書き換えるというような治療もあったりする。

 ある程度は研究も進んでいて、どういったアプローチをしていけばいいのか、という段階になっていたりする。

 しかしそれらはまだ、アメリカでも手探りな状態。

 おそらくは今後10年、あるいはAIの発達などによればさらに短く、その治療法は確立するかもしれない。

 だが今は、まだ完成していない。

 実験体となるには、月子にはまだやるべきことがある。

 病院の中だけにいては、それが出来ないのであるのだ。


 症状は悪化はしていないように見える。

 ただ病巣の癌細胞は、今回は小さくなっていない。

 進行や転移を止めているだけでも、効果はあるのだろう。

 あるいは検査をもっと短期間にやっていれば、どうにかなったのではないか。

 だが三ヶ月の検査間隔というのは、充分に密度のあるものである。

 それよりはむしろ海外ツアーなど、肉体やメンタルに影響を与えるものが、悪い方向に大きく働いたのではないかとも言える。


 決断をした方がいいだろう。

 今のアメリカにおいては、特別な治療は特に出来ない。

 前回の治療に使った薬は、日本でも使えるようになっている。

 ならばストレスなどのかからない、日本に戻った方がいいだろう。

 精神面の状況改善は、肉体に作用するということはある。

 娘もいる日本に戻って、そこで通院しながらの投薬。

 ただこれはもう、QOLを考える段階とも言える。


 自分は何を残すのか。

 俊であれば平然と、音楽を選択出来る。

 子供たちや暁のこと、また交流の少ない母のことなども、全て後回しにしてしまうことが出来る。

 それがアーティストのエゴというものだ。

 もっとも俊にとっては、月子は他に代替のいない存在である。


 抗がん剤以外の治療も試したが、劇的な改善は見られない。

 ならば現状をどれだけ維持するか、が問題となってくる。

 とにかく進行が止まっているのは、薬が全く効いていないということでもないのだろう。

 ただし今は手術をしても、あまり意味がないという段階になっている。


「帰ろうか」

 それがどういう意味なのか、全て分かった上で、俊は月子にそう言った。

「東京の方が、ストレスはたまらないだろうし」

 それにレコーディングにしても、あちらの方がやりやすい。

 俊は芸の鬼である。




 月子は内心をあまり見せない。

 昔はどこかおどおどとして、それでいながらステージに立てば、やるしかないと開き直る人間であった。

 闘病生活が彼女を変えたのは、間違いないことである。

 もしも明日死んでしまうなら。

 一応は現時点での治療は終了、と言われた時にもずっと、月子は考えていた。

 自分が生まれてきた意味というものを。


 ソロで歌ってみるか、と言われたことがある。

 だが月子はそういうことに、関心がなかった。

 自分を見つけてくれたのは俊で、そして俊のプロデュースに納得していたからだ。

 もちろん迷う時もあったが、俊の示した先には、大きな成功が待っていた。

 おそらくこれは運と言うよりは、運命的なものであったのだろう。

 今からならば、そういう見方が出来る。


 成功の中に、幸福はあった。

 不幸を塗りつぶし、そして満足もあった。

 欲深い、と月子が求めたことも、果たされてしまった。

 ただあと少し望むなら、和音が少し大きくなるまで、生きていられないものか。

 もっともそういうことをずっと考えていけば、人の欲は際限がない。

 これを欲と言うのは、ちょっと酷であるかもしれないが。


 人は希望を持ちたいものだ。

 子供が健康に育っていくのを、誰だって見ていたいものだろう。

 そして何かに躓いて泣いていれば、それを慰めてやりたい。

 それは普通に当たり前のことである。


「三ヶ月といったところです」

 医者はそうはっきりと言った。

「ただ薬の効果というのが、どう働いているのかが分かりません」

 少なくとも大きく進行はしていないが、効いているなら癌は小さくなっていってもおかしくないのだ。

 他の薬を試してみるのは、別に日本でも出来ることだ。

「半年を経過しても変化がなければ、あるいは状態を維持できるかもしれません」

 癌細胞が増えるか減るかなら、理解は出来るのだ。

 しかしどちらでもないというのが、医者にとっても意味が分からないらしい。


 出来ることならこのまま、病院で経過を観察したい。

 ただこの贅沢な患者は、毎日のように病院を出て行くのだ。

「半年……」

 俊は月子の配偶者ではないが、パートナーのようなものとして、医師からの説明を受けることが出来た。

 そしてその説明は、ある程度の希望を持たせてくれるものだ。


 月子の体重は減っていたが、その減り方はわずかずつになってきて、もうほとんど変化がないと言ってもいい。

 あるいはこんな状態であるのならば、その癌化した部分を手術で、取ってしまったらいいのではと、俊などは考える。

 ただ医師の見解では、これだけの部分に癌があると、それこそ肝臓の全移植でも考えた方がいい。

 そしてその移植にしても、癌細胞の浸潤が、わずかだが他の臓器にも見られる。

 そちらの方も進行はしていないのだが。


 そもそも肝臓移植というのが、大変にハードルの高いものなのだ。

 癌細胞がある状態で、他の臓器移植も出来るはずがない。

 免疫抑制剤を使うわけで、そうしたら一気に癌化が進行することは、充分に考えられる。

 つまり今は投薬で進行を抑えつつ、奇跡を待つという状態である。

 だが月子は、決断したのである。

「帰ろうか」

 日本へ帰りたい。

 あの熱量を消費した場所へ、自分は帰りたい。

 周囲には色々と手間を取らせるかもしれないが、自分は最後まで生き抜きたい。


 半年となると、丁度月子の誕生日近くになる。

 27歳の呪いなど、あくまでもただのジンクスだ。

 死んだのはほとんどが、アルコールやドラッグ、それに自殺などといったもの。

 その中に殺された一例があるのが、ちょっと異常ではあるのだが。


 帰って自分は何をするのか。

 決まっている。生きるのだ。

 人間は誰もが、いつかは死ぬのである。

 健康な人間であっても、いつかは老いて死ぬ。

 老化をある程度止める研究などもされているが、それが本当に成就するかは怪しい限りだ。


 決まっているのは、自分の死ぬのはおそらく、他の人よりは早いであろうこと。

 残された時間が少なければ、人はもっと必死になるだろう。

 いや、人はいずれ死ぬと分かっているから、俊はあそこまで生き急いでいるのか。

 無茶なことをしている俊であるが、今はそれがありがたい。

 月子はまず、娘のことを見ていたい。

 そしてそれ以外にしたいことなど、もうほとんどないのだ。

 だから、誰かのために生きたい。


 この世で月子をもっとも必要としているのは、俊であることは間違いない。

 ボストンにやってきてからも、俊はずっと作曲などを行っている。

 月子もずっと病院にいるわけではなく、投薬が終わればスタジオに行き、レコーディングなどをしていた。

 安静にとも言われるが、むしろレコーディングこそが、進行を止めているものなのかもしれない。

 生命を燃やせば、それは死を遠ざけることになるのではないか。

 そのための一番の環境は、間違いなく日本に戻ることだ。


 あとどれぐらいの時間が残っているのか、それは分からない。

 半年を経過したなら、あるいは状態が安定するかも、とも言われた。

 しかし月子自身が、砂時計の残り時間を感じている。

 ならばこの世界に、自分が生きた証を、刻み付けていきたいではないか。


 人は生きる。

 やがては死ぬ存在であるが、それなのに生きる。

 だからこそ生きる、と言うべきであろうか。

(なんのために……)

 生きてきたことを、この世界に刻みつける。

 自分の作った楽曲で、月子の歌を世界に残す。

 やがて今生きる全ての人が死んでも、まだ月子の歌が残っているように。

 俊はそれが、自分に出来る中では、最大のことだと思っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る