第386話 東南アジアの各地で
欧米に関しては、なんとなくイメージが湧く日本人。
だが東南アジアはそれよりも近いのに、なぜかイメージが湧きにくかったりする。
それがなぜかというと、おそらくマンガの舞台にあまりなっていないからだろう。
しかし今回、フィリピンからマレーシアと巡っていく中で、各国の首都は巨大な都市だな、ということを感じさせられた。
フィリピンは地味に、人口も一億人を突破しており、さらにその数は増大中である。
一応はキリスト教圏であり、欧米の音楽に加えて民族音楽など、色々な音楽が豊富であった。
俊はライブの終了後、現地の音楽のフィジカル媒体を、色々と買ったりもした。
音楽というのは現在、基本的に欧米の音楽が主流である。
日本のポップスも全て、欧米から入ったものと言ってもいいだろう。
それこそ三味線をはじめとして、和楽器の類は色々と存在する。
同じように世界各地に、民族や文化の音楽というのはあるものだ。
しかし日本の音楽などは、古い時代は明らかに、中華の影響を受けていた。
正倉院の宝物庫には、その時代の楽器も収納されている。
中には当時の大陸の楽器もあり、むしろ大陸で消え去ってしまった文物が、日本には残っていたりする。
東南アジアの国は多くが、一時は欧米の植民地であった。
むしろ世界中がそうであった、と言ってしまってもいい。
そうならなかった日本は珍しい存在であるが、これは日本が地理的に遠かった、ということも関係している。
なので地理的に距離を縮める船などが誕生すると、鎖国体制が通用しなくなったわけである。
もっとも戦国時代末期であれば、日本は戦っても負けなかったであろう。
そもそも元寇などを見れば分かるように、海を渡った侵略に対して、日本はとても強いのである。
当時の銃の所持数などを見ても、日本の動員人数は圧倒的。
ただし逆にヨーロッパに侵攻するのも、無理な話ではあった。
当時の明王朝の支援を受けたとはいえ、朝鮮半島さえ完全には征服出来なかったのであるから。
距離は天然の要害である。海もまた同じことが言える。
フィリピンから次はマレーシアへとやってきたが、あまりイスラム教の国という感じもしない。
国民の三割を華僑が占めることからも、そういう社会になっているのであろう。
文化的には中国の影響を強く受けているが、同時に日本との友好関係も強いものがある。
第二次世界大戦の日本を、肯定的に捉えている国の一つでもある。
もっとも外国人観光客に対しては、やはりある程度危険がある国でもある。
フィリピンもマレーシアも、共に食事が辛いのは共通していた。
もっともそれを言うなら台湾も、辛い料理が多かったのだが。
南国というのはどうしても、食料が腐りやすい状態である。
もちろんそれだけ年中、食料の確保が出来る国でもあるが。
食事から食中毒を防ぐためには、辛い料理なども作られやすい。
これは中国料理でも、場所によって味が変わるのを考えれば、別におかしなことではないだろう。
台湾に続いてどちらの国も、しっかりとライブは盛り上げることが出来た。
なおフィリピンのライブで、ボルテスは歌っていない。
そしてノイズは今回のツアー、最後の国であるタイに向かう。
到着して驚いたのは、その空港の広さである。
なんでも世界で一番広いのだと聞かされて、かなり驚いた。
タイという国は一応、全土を欧米の植民地とされたことがない。
また現代でも国王がいて、日本とは友好関係を築いている。
ちなみに第二次世界大戦では、枢軸国側で最初は動いたものの、しっかり連合国側とのチャンネルも持っていた。
なので速やかに国際連合に加わり、敵国条項も適応されていなかったりする。
実はかなり紛争や、国内のクーデターなども多い、日本に比べれば危険な国である。
もっともこれまた言われることだが、日本が安全すぎるだけだ。
経済成長率は高く、富裕層と一般層はしっかり分かれている。
発展途上国などという言い方はせずに、素直に成長国と言えばいいのだ。
日本や欧米の多くは、先進国ではなく停滞国。
経済の数値はどうであれ、日本よりも韓国の方が致命的であり、中国も実は相当に危険なのは、分かる人間には分かっている。
スペシャルスイートなバンコクのホテルであるが、確かに首都の都市だな、とは感じさせる。
だが少し移動すれば一般層や古いマーケットがあるあたり、よくある東南アジアの国というものであろう。
もっとも日本もそれを言うなら、下町は立派に残っている。
アメリカだってニューヨークの、全てが都会的というわけではない。
台湾はそうでもなかったが、フィリピンやタイの仕事はのんびりとしている。
もちろんちゃんと間に合うようには組んでいるのだろうが。
マレーシアは速やかに完了していたので、これは国民性なのだろうか。
単純に依頼した会社の違い、ということもあるので断言は出来ない。
どこのホテルも冷房に関しては、単純なクーラーを使うというものではなかった。
部屋はそうであったのだが、エントランスからのロビーなどは、冷水を満たした水槽などがあって、その冷気で温度を下げていたのだ。
別に日本でもなくはないが、あまりやらないことである。
日本は何も、常に暑熱に悩まされているのではないのだから。
なんだか長い旅をしていた気がする。
ツアーといっても実際は、演奏することに集中するのが普段のノイズだ。
ただ国を跨いだこのツアーは、確かに世界の広さを感じさせてくれる。
アメリカなどはどこか、大味なところがあった。
ブラジルとスペインは、そこまで滞在の余裕がなかった。
だがこの東南アジアツアーは、日程に随分と余裕がある。
どうやってスポンサーを見つけてきたのか、プロモーターが優秀であった。
ノイズのメンバーが高級ホテルに滞在し、そこそこの観光地を歩く。
ただ危険な場所の注意は、随分とされたものだ。
他にマレーシアでの公演は、少し月子の衣装がおとなしめになった。
かなりゆるくはなっているにしろ、イスラムへの配慮があったと言えよう。
もっとも80年代には既に、普通に女性の歌舞音曲も、行われていたのがマレーシアである。
同じ宗教であっても、国によってあり方が違う。
イスラムなどは本当に、宗派が分かれているものだ。
平気で豚肉も食べるし、女性も開放的である国もある。
そんなマレーシアではあるが、条件によっては一夫多妻が認められていたりもする。
タイは分かりやすい南国であった。
他の国もそうであるが、夏だけの国である。
もっともここでもやはり、雨季というものはある。
それにスコールと呼ばれる通り雨もあるのだ。
充分に余裕をもった日程であった。
だが逆にホームを離れているということもあり、日本が懐かしくなってくる。
タイでの演奏に関しては、バラードの多い構成になっている。
だがアップテンポの曲が、全くないというわけでもない。
そして月子の演奏が、叙情を帯びたものになっている。
三味線に合わせて、暁のギターも響いていく。
千歳はその二人の間で、しっかりとリズムを刻んでいった。
また一つ、ステージを上がった気がした。
いや、上がるというのは違うだろうか。
自分の知らなかった世界のドアを、開いていくという感覚。
新しい音楽が、また目の前に出てくる。
(正解だったな)
東南アジアという、かなり異文化の舞台。
台湾まではともかく、その先は不安もあったのだ。
保険をかける俊としては、だいぶ冒険をしたとも言える。
大失敗でなければ成功である、というのがバンドのデビューステージだ。
しかし大きくなってくると、成功しなければ未来がなくなる。
確実にオーディエンスを熱狂させることを、考えていかなくてはいけない。
常に期待を裏切らないのではなく、期待以上のパフォーマンスをしていく。
難しいことであるが、少なくとも期待はずれのステージは、したことのないノイズである。
成功すれば成功するほど、むしろプレッシャーで失敗の可能性は強くなる。
だがそれを力に換えるのもスターの条件なのである。
俊は自分がミスをしなければいいと考える。
ノイズの中でエンジンになるのは、月子と暁の二人だ。
特に月子は完全な、フロントマンとなっている。
ツインボーカルではあるが、千歳がサブボーカルの立場であるのは、最初から分かっていた。
もっとも、必要なサブボーカルであったが。
こういった演奏を、果たして見たことがあるのか。
もちろん日本のミュージシャンも、タイでやっている者はたくさんいる。
世界に広がっていく、というのは重要なことなのだ。
欧米の市場は確かに大きく、既にノウハウも出来ている。
だが予定調和的な盛り上がり、ということも感じるのだ。
東南アジアのオーディエンスは、もっと素直な期待をしていた。
ステージの前に、多くの視線が集まる。
その注目の視線は、もちろん期待ではあったが、疑惑の色もあった。
それ以上に単純に、キラキラと輝いていたものであったが。
ノイズの音楽は、ブラジルで一度やった以外は、欧米の北半球ばかり。
ここで初めて聞く、という人間も多かったのだろう。
東南アジアは難しいかもしれないが、台湾はもっとこれからもやっていきたい。
俊はそう思いながら、このステージを終える。
多くのアンコールの声に、しっかりと応えていた。
全力で歌った月子は、マイクスタンドにしがみつくように、顔を上げて笑っていた。
一ヶ月ほどの日程であったのだが、あっという間に過ぎたようにも、長かったようにも思える。
これまでのツアーとなると、ライブとライブの間にも、多くの練習をしたものだ。
もちろん今回のツアーも、練習なしにリハに入ったわけではない。
だがかなりの時間を、音楽以外のことにかけていた。
スポンサーに呼ばれて会食などもしたりした。
もちろん通訳が必要であったり、英語で会話をしたりもした。
マレーシアはマレー語の他に、英語もそれなりに使えた。
そもそも東南アジアの国も、英語の通じるところは多いのである。
フィリピンの場合もアメリカ植民地時代があった。
そしてフィリピンの場合、下手に現地語を話すと、それぞれの違いが大きい。
日本で強いて言うならば、東北の方言と鹿児島の方言が、強烈なぐらいの違いはある。
それを標準語ではなく、英語を使うことによって、交流を図るというわけだ。
俊はいずれ、と思って英語をずっと話してきた。
そもそも勉強するという感覚ではなく、洋楽を聞くには必要であったからだ。
同じことが暁にも言えるが、暁は読めるし話せるが、書くことがあまり出来なかったりする。
他のメンバーでは千歳が、大学で必死で勉強してきたものだ。
月子の場合はとにかく、会話を重視するしかなかったが。
アルファベットは読めるのだが、これが連なると意味が取れなくなる場合がある。
読み書きと会話では、脳の使っている部分が違う。
それだけに何度も、ボーカロイドに歌わせては、それを参考に自分も歌うという手段が取れる。
なお一番英語に苦手意識があるのは栄二である。
およそ一ヶ月にもなるツアーが終り、やっとノイズのメンバーは日本に戻ってきた。
すぐに雑誌などの取材が入ってくるが、とりあえず少しはオフにする。
アメリカツアーの時などは感じなかったが、今回のように余裕があった日程であると、むしろ逆に疲れてしまったりする。
その理由については、どうも分からないものであるが。
昔のロックスターなどは、世界ツアーを行った後、長いオフを取ったりしたものだ。
もちろんノイズはそんな贅沢はしないが、一週間ぐらいは休んでもいいだろう。
なおバンドとしては一週間ほど休むが、俊は帰国した次の日から、既に作曲や作詞を行っている。
止まると死ぬ生き物であるのかもしれない。
暁がギターを弾くのは、もうそれが中毒になっているのだ。
出産の日も普通にギターを弾いていたので、これはもう習性と言ってもいいだろう。
月子は病院に行った。
ツアー中に特に、何か異常を感じたからではない。
それこそ感じていたことなど、ツアーの前からずっとある。
命が削れていく音。
そんなものがしっかりと、耳の奥で響いているのだ。
元々月に一度は簡単な検査をして、三ヶ月に一度はしっかりと検査をする。
日本に帰って来て見れば、体重が減っていたのは確かであった。
もっともこれは食生活が、合わなかったということもあるだろうか。
出来れば向こうでは、現地の食事をそれなりに食べたい。
俊はそう思っていたのだ。
もちろん公演の前は、安全な食事にしていた。
しかし食生活の変化というのも、面白い影響を与えてくれる。
基本的に南国は、辛い料理が多かった。
月子としては辛いのは、あまり得意ではなかったのだ。
病院での検査には、あまりいいことは言われない。
それはもう、月子も分かっていることである。
あとどれぐらい、自分の命が残っているのか。
削れて行くものを、戻すことは出来ないのだろう。
再度の詳細な検査の日程を決めて、月子は病院を出る。
欠けた月は、もう満ちることはない。
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