第388話 名曲
天才の才能は枯れることがある。
磨かれた職人の技術は、そうそう衰えることもないが。
俊の場合は作曲に関しては、インプットをたくさん行っては苦しんでいる。
しかし作詞の方は案外、すらすらと書けるのだ。
それでもこの時期、俊は苦しみながら作詞をしていた。
三分から五分の中に、どれだけの言葉を紡いでいくのか。
ここからの創作には、嘘があってはいけない。
後の時代には、ノイズの代表曲のかなりが、この二年ほどに作られたと評される。
もちろん俊は常に、全力で楽曲を作っていく。
しかしこの時期の彼は、さらに魂を削るように、楽曲を生み出していた。
またこの時代のノイズの曲に名曲が多いと言われるのは、単純に楽曲が優れていたからというだけではない。
コンセプトが優れていたからだ。
「森羅万象ね」
タイトルを見てから、白雪は歌詞をつらつらと眺める。
楽曲は歌詞だけではなく、メロディと一体になって完成する。
それでも俊が伝えたいメッセージは、なんとなく分かってくる。
「なるほど、これならいいかな」
そう言った白雪に対して、俊はMOONとSNOWによって作られた、DAWによる音源を聞かせた。
そう、この時代のノイズの楽曲には、フィーチャリングされたものが含まれている。
まず第一には、白雪が入ってきた。
のんびりとしたストレスのない生活を送る彼女は、それでもちゃんと仕事はしている。
そんな彼女を一曲のレコーディングのために、俊の家の地下にまで連れて来ているのだ。
声質はある程度、月子に似たところがある。
なので上手く掛け合わせると、より歌に厚みが生まれる。
ハーモニーが豪勢過ぎて、聴いている阿部は腰が抜けそうになる。
それぞれ別々にではなく、ボーカル部分は二人同時に収録するのだ。
もちろん途中で予定が変わって、千歳も一緒に三人で歌うことになっていく。
それぞれの声を聴きながら、上手くコーラスが成立するのだ。
主導権は月子が握っている。
(こんな歌い方をして、余計に寿命が削れるだろうに)
白雪もまた、月子とは同じようなタイプの病気である。
しかし色々と生活から無理を排除して、現在は状態が安定している。
月子だけ症状が激変しているのは、やはり無理をしているからだろう。
白雪もヒートの頃は無理をしていたが、それ以降はMNRも病気が判明してすぐ、スケジュールを調整した。
それでも病状が悪化しそうで、結局はMNRを解散させたのだが。
細く長く生きるよりも、太く短く生きるのか。
それはそれでいいだろうと、白雪は思う。
彼女がその生涯において、最も強く傍にいた、彼もそうやって生きたのだ。
27歳になる前に死んだ彼は、より強く人々の心に残り、中でも白雪を大きく変えた。
同じような道を辿るというのか。
そこまでの価値が音楽にあるのだと、信じる者が多い。
白雪はあくまでも、音楽は何かのために存在するものだと思う。
音楽自体のために、人が命を捧げることなどあってはいけない。
音楽によって人々の心を動かすはずが、その背景までもが一つの物語となってしまう。
ヒートは確かに人気の絶頂で消滅したが、後から無理に価値を付け足されて、閉口したことも確かなのだ。
「本当に、手段を選んでないわね」
「悪いか?」
「この場合は、悪くないと思うけど」
久しぶりにほんのわずかだが、兄弟らしい会話が出来ていると思う。
「他の誰が責めても、私には責める権利はないし」
「その通りだな」
ある意味では俊にとって、世界で一番遠慮をしなくていい相手。
そんな存在に、彩はなっている。
母は忙しく海外を飛び回り、妻は同じアーティストとして尊重する。
彩は同じくアーティストであるが、全く配慮をする必要を感じない。
不思議な話だが、姉と弟と考えるなら、意外と適切な関係でもあるだろう。
感情は別として、彩は国内の女性シンガーとしては、確かに五指に入る存在だ。
月子や花音にトップの座は奪われているし、ミステリアスピンクなどには個性という点でも、追い抜かれてしまっている。
「今さら私を使う必要がどこにあるの?」
「ノイズは今後一年以内に解散する。……いや、半永久的な活動休止かな」
返答がもらえたことにも、その内容にも彩は驚いた。
「セツさんとフィーチャリングしているとは知っていたけど、それも関係しているの?」
「あの人の呼ばれ方、安定してないよな……」
そう言って返事は濁す俊である。
彩は俊に対して、大きな借りがあるのだ。
後ろめたさと言ってもいいだろう。
それがあっても今まで俊は、極力積極を避けてきた。
変に関わってしまうことは、自分の感情を揺らすこと。
俊はそれを避けていたのだが、楽曲のためには心に棚を作るのだ。
ただ、彩は贖罪の協力をしたくても、出来ない状況にあった。
現在妊娠中で、万全のパフォーマンスを発揮できない。
「素質枠で一人、凄い子がいるけど」
「無名か……」
俊が今やっているのは、コンセプトアルバムの作成である。
この世界に残すべきものを、作っているという自覚がある。
そしてそのためには、自分だけの力では足りない。
月子を輝かせるためには、もっと他の力を必要としているのだ。
既に合わせられる力の持ち主。
たとえば白雪がそうだし、彩などもそうである。
俊がこだわりさえ捨てれば、色々なところに伝手や貸しはある。
なんならこれを借りにしてもいい。
しかし素質枠であると、合わせるのに時間がかかるかもしれないのだ。
もう時間はあまり、残されていない。
俊は現実主義者であり、それはこの場合悲観的な見方になる。
「一度会ってみたいけど、使うかどうかは分からないっていう、失礼なやり方になる」
「活動を休止って言ってたけど」
先ほどは濁したが、やはりそこは気になるのだろう。
俊は彩のことを、プロとしては信用している。
人格にしてもシビアであるし、自分に甘くはない。
それに性格の方も結婚したあたりから、かなり柔らかくなっているとは聞いている。
母親になるという彩から、角が取れているのを見た時には、かなり驚いたものだ。
「月子の余命が三ヶ月ぐらい、と一ヶ月ほど前に言われた」
個室の食事処であるが、さらに声を小さくした。
その内容に彩は動きを止めて、それから震える手で食事を再開した。
彼女も母を失っている。
年齢的にはまだ、かなり若い方であったろう。
人の死というものに対して、彩はトラウマがある。
それは月子や千歳であっても、同じものではあるのだろう。
ただ幼少期の月子の場合は、それよりも環境の変化の方が、ずっと問題だったのだろうが。
俊は父に対して、憧れの気持ちは持っている。
だがコンポーザーやプロデューサーとしての力は、一過性の時代に合ったものであった、という冷静な見方もしているのだ。
それでも何曲かは、ずっと今でも歌われるものだ。
彩の目から見て俊は、明らかに父親よりも優れている。
才能自体は、どちらが上であるのかは分からない。
ただ俊は、性格にその才能がある。
音楽に没頭する俊の話は、この業界でも有名である。
作曲しながら眠ると言うよりは、ほとんど気絶するように睡眠に入る。
早死にすると言われているが、止まると死ぬかのように、ずっと作曲をし続ける。
それでいてインプットもしているのだから、他人の数倍の密度で、人生を生きているのは確かであろう。
結婚すれば少しはマシになるのかというと、暁もたいがいギターに時間をかけている。
ただ母性というものが、さすがに少しはあるらしい。
やっと自我が出来てきた響を、可愛がったりはしている。
俊も本来はそうであったのだが、今はそれよりも優先することが出来ている。
月子に残された時間を、全力で自分は活用しなければいけない。
命を燃焼させることで、病魔をむしろ燃やし尽くす。
それぐらいの勢いがないと、今のノイズで楽曲は作れない。
彩は母となりつつある自分が、そんなノイズでは足手まといになると、はっきりと分かるのだ。
果たしてあの素材が、ノイズの中で潰されないか。
プレッシャーがかかるのは、間違いのないことだろう。
ただこの業界というのは、どれだけ弱気でプレッシャーに弱く見えても、最後にはしっかりと立ち上がれる人間しかいない。
チャンスを逃しても、また立ち上がる。
そのために一度ぐらい、ここでチャンスを与えておきたい。
「一度、一緒に連れてきてくれないか」
彩が俊の家に、入ることになる。
もうそれはずっと前、15年ほども昔にあったことから、本当に久しぶりのことであった。
フリー気味の白雪に、同じレコード会社に所属の彩。
それとは別に難しいのが、違うレコード会社に所属のアーティストである。
もっとも利益が出るのなら、基本的に話は通すのが会社というものである。
芸能界は面子や貸し借りで成り立っているところがあるが、その点では俊が構築してきたコネや伝手は、強力なものがある。
「お久しぶりです」
口数の少ない紫苑であるが、今回俊が求めたのは、彼女ではなかった。
紫苑よりもさらに口数が少なく、喋っているより歌っている時間の方が、ずっと長いと言われる存在。
花音が俊の家の、レコーディングスタジオにやってきていた。
フラワーフェスタとしても、花音のソロとしても、活動している彼女。
不思議ちゃんと呼ばれているが、実際のところは内向的なだけである。
表現したり主張したりすることを、全て音楽に捧げているような。
かなり社会不適合に見えるかもしれないが、音楽業界ではそれで生きていく、という方針なだけだ。
「母の伝説の中に、ライブを聞いた癌患者の癌が消えたというものがあります」
花音が話すイリヤ伝説は、一応本当の話である。
ただ当然ながら、他の治療も受けていたので、そちらに効果が出たと考える方が当然であろう。
俊がいくら手を伸ばしても、全てのアーティストに参加してもらえるわけではない。
また全てのアーティストに、参加してもらう必要もない。
白雪もそうだが、力量や個性が必要なのだ。
花音は間違いなく、その中の一人ではある。
月子と並んで、今の女性ボーカルというよりは、シンガーとして双璧とも言われる花音。
二人に比べると白雪は、あくまでもボーカルという立場を崩さない。
ヒート時代からずっと、それは変わらないのである。
ヒートの解散後も、ソロで出来ると言われていた。
しかし技量ではなくモチベーションの問題で、楽曲提供にとどまっていたのだ。
MNRはそこから外れた例外。
そしてこういったことに協力するのも、月子へのまさに同病相哀れむという感情があるからだ。
花音が参加して、またスケールの大きな歌が作られる。
月子と花音の声には、似ているところが確かにある。
ただ花音の声は、むしろ性質としては白雪に近いのではないか。
しかしソロとしても通用するあたり、真にディーヴァと呼べるのは、日本では彼女がトップではないか。
年齢的には月子も花音も、まだこれから活躍して行く、というぐらいである。
そういうものが失われるのを、どうすればいいのか。
花音としては周囲がどう思っても、自分の出生から考える。
母の命日に、自分は生まれた。
そして母と同じような声で、自分は歌うことが出来る。
ドームでやった時から、ずっと感じてはいたのだ。
月子と二人で歌うと、強力なデュオになると。
病に侵されていようと、月子の声には力がある。
ほとんどのボーカルにとっては、圧倒されてしまうような力。
だが白雪などには分かるのだ。
明日にはもう、死んでいるかもしれない。
そう思ったときに人間は、どういう行動を取るのかということを。
花音が月子と合わせるというのを、白雪は見に来ていた。
今の月子を見ていると、彼を思い出す。
自分が唯一、愛していたのかもしれない人。
その愛の形は、男女の情愛ではないのかもしれないが。
出会ってからずっと、目の前のこと全てに対して、真摯であったあの人。
それが今の月子と被るし、俊とも被ってしまっている。
俊には死の気配などはない。
だが自分の才能を、燃やし尽くす勢いで楽曲を作っている。
命を失うわけではない。
ただ自分の中の創作力、あるいは才能と言えるものを、全て月子と心中させてしまうような。
もうここで出し尽くしたなら、後は創作できなくなるかもしれない。
そんな気配を感じてしまう。
ただ白雪は分かっている。
それだけ出し尽くしてしまうと、今度はまた大きく吸収していくのだ。
ヒートで燃やし尽くしたはずの、自分がそうであった。
あの人の容態が急変したのが、あまりにも突然であったために、灰にはなりきらなかったのかもしれないが。
「他にも呼んでみる?」
珍しくも花音が、自分から俊に話しかける。
「呼んでみるって、何を?」
「歌が上手い人を」
花音としてはちゃんと、この状況を理解しているのだ。
俊はもう、他の誰にも作れないものを、月子を中心に作ろうとしている。
もちろん自分だけでも駄目で、月子以外でも無理であるのだ。
そんな俊の持っている思考を、なんとなく花音は感じている。
だからこそ歌える人間を、必要としていると分かるのだ。
「ケイティを」
アメリカの誇る世界の歌姫、というが当人はアメリカ生まれではない。
今ではアメリカ国籍を取得しているが。
あんなビッグネームが呼べるのか。
スケジュールがそれこそ、詰まっているのではないのか。
「私が呼べば、来てくれる」
ケイティにとっては花音は、自分にとって三人目の娘のようなものだ。
そして彼女は大御所すぎるので、かえってスケジュールを大きく取ってある。
その狭間をどう利用するかは、彼女次第と言える。
我侭が通るほど、無茶な人間であるのは確かなのだ。
ケイトリー・コートナーが来るのか。
お忍びで来るわけであるが、日本のバンドと一緒に歌うために来るのか。
俊としてもさすがに、これは予想していなかったものである。
もう20年以上もの間、世界のトップクラスに君臨する歌姫。
いつかは到達する先に、彼女の姿があるのでは、とも思っていた。
だが今の月子ならば、彼女にも並べる。
あとは時間の問題だけである。
残された時間を、自分は絶対に無駄にしてはいけない。
俊は自分の寿命が、少しは縮んでいるなとは感じている。
だがそれだけをやっていても、まだ足りないのだ。
10年や20年の寿命と引き換えに、理想の作品が出来るのか。
その程度ならば普通に捧げる、というのが俊という人間である。
さすがに27歳を過ぎているので、今から27CLUBに入るわけにはいかないが。
そんなことを俊は、特に宣伝するでもなく、本当にわずかな人間だけに声をかけて、ずっとやっていた。
ただ俊がやっていることが、無茶だと気付いている人間もいた。
そしてそんな阿部は、少しでも俊の負担を、少なくすることを考える。
「なるほど、煮詰めるのに時間が足りないね」
個人としての交流は、そこまで親密なわけではない。
だがやってきては、コンポーザーとしての発想と才能が、俊をも上回る存在。
徳島がコーラスに使えそうな二人と共に、スタジオとなる地下へやってきたのだ。
混ぜたら危険、な二人である。
確かに両方とも、その得意とするところは微妙に違う。
しかし普段は商品を作っている俊が、最近は作品を作っている。
ならばずっと作品しか作れていない徳島は、この場合はプラスではないのか。
「なんというか、炎尾燃と富士鷹ジュビロに、一緒に作品を作らせてしまっているような……」
千歳がお互いの楽曲をアレンジしまくる、二人の姿を見て洩らした言葉である。
果たしてこれが、本当に良かったのかどうか。
しかし確実に、制作の現場の熱量は上がった。
いや、上がりすぎて成立しないのでは、というぐらいにもなったのだ。
ただし最後には商品とする俊と、作品が商品となる徳島である。
とんでもない組み合わせが、この多摩川近くの邸宅の地下で、お互いの燃料を奪い合いながら創作を続けていた。
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