第29話 ドラマー

 準備されていたレッスンスタジオに入る。

 思ったよりも広い部屋で、本来は他の楽器も演奏するためのスペースなのだろう。

 そこに待っていたのは、暁の父である安藤と、いかにもミュージシャン然とした青年か中年か、よく分からない男。

 とにかく髭が顔の下の多くを覆っていたので。

「ちょっと遅かったな」

 安藤がそう言うと、暁が質問する。

「お父さん、俊さんと彩ってどういう関係なの?」

 直球で尋ねてしまうが、安藤の視線は俊に向けられはしたものの、不思議そうな顔をする。

「そういえば今日は撮影してたか。なんで関係してるんだ?」

 父の様子に、とぼけている感じは受けない暁。つまり二人の関係性は、音楽を通す以前からのものなのか。


 彩は24歳で、俊は21歳なので、少し差はある。

 本当に親戚だというなら、それでも安藤は知っていそうな気はするが。

「後にしよう。遅れてしまったんだ。すみません」

 俊の優先順位は、既にはっきりしている。

 彩の件は後回しでいいし、それに今すぐどうというものでもない。

 それに愉快な話でもない。

 月子と暁の、そしてついでに斉木の視線を受けながらも、俊はもう彩の一件を忘れることが出来た。

 昔だったら澱のようにしばらく残っただろうが。


 そして紹介されたのが、髭の男であった。

「こちら西園栄二君。今は元ジャックナイフのドラマーで、メジャーデビューの時に会社所属になったミュージシャン」

「よろしく」

 全体的にごつい西園であるが、それよりも俊はその経歴の方が気になった。

「ジャックナイフって、けっこう人気があったような」

「ちょっと前はね」

 そういえばここのところはあまり名前を聞かないかな、と俊は記憶を辿る。

 短期間で消えていくバンドというのは、本当に多い。

 実際はある程度の人気を維持して、ライブバンドとして生き残っていることが多いのだが。


 メジャーデビューと言うが、ジャックナイフはいわゆるビジュアル映えのするメンバーで構成されていた。

 西園のようなタイプは、明らかにイメージが違う。

「まあ外見優先のドラマーを入れて、その代償と言ったらおかしいけど、より上手い西園君は会社の専属で、あちこちをフォローしてるんだ。実際のところレコーディングでは、彼が叩いているバンドは多い」

 それはかなり高い評価だ。

 つまるところルックスが売れ線でなかったので、イケメンとしてドラマーを代えたということだ。

 そしてレコーディングなどで使うというのは、それだけ技術的には秀でていることでもある。

「彼の場合は子供が出来たんで、冒険がしづらくなったっていうこともあるんだが」

 なるほど、そういう理由もあるのか。


 よく見たら髭のせいで分かりにくいが、まだ若そうにも思える。

 ジャックナイフのメンバーの年齢と比較すれば、まだ20代なのではなかろうか。

 売れなければ解散、引退というのがミュージシャンと思う人間は多いかもしれないが、実際のところは違うバンドに入る、ということも少なくはない。

 特にインディーズからメジャーに移る時などは、それが発生する。

 洋楽であればそれこそ、ビートルズやストーンズは、デビュー前後にメンバーが代わっているのだ。

「時間も限られてるし、始めようか」

 どうやら安藤が仕切ってくれるらしい。

「とりあえずノイジーガールとタフボーイでどう変わるかを比較したいんだすけど」

「タフボーイ凄かったねえ」

 見ていた安藤も、苦笑しながら思い出す。

 自分たちも若い頃は、全力で演奏するということはあったが、本当にあそこまで全力を出し切ってしまう、というのは大規模フェスで長丁場を終えた時ぐらいだった。




 セッティングが終了し、一応は録音の準備もする。

 今日の暁はエフェクターは自前の物ではなく、備え付けのものとアンプの設定をいじる。

 ギターを弾ける女子はけっこう多いが、こうやって機械にもある程度強いのは珍しいな、とは思ったものだ。

 暁にとっては思っている音を出すために、どう工夫するかが面白かったらしいが。


 今日は無理であるが、いずれ俊は三味線を使った楽曲のカバーもしたいと思っていた。

 月子の早弾きを聞いて、いくつかを思い出したのだ。

 ネットの海を放浪していて、見つかったというものもある。

 ただ月子はあまり、弾きながら歌うのは得意じゃない、というのが自己申告であった。

 すると暁に歌ってもらうかということになるが、さすがにコーラスの部分を少し歌うのはともかく、アクションの多いリードギターにそれをやってもらうのは難しい。


 西園にも音源から確認してもらい、楽譜も渡す。

「ギター、こんな難しいことやってるの?」

「ライブじゃもっと難しくしちゃうんですよ、彼女」

 まったくもって、困ったところである。

「走りすぎるの?」

「しかもボーカルと共鳴するんです」

「それは大変だ」

「だからこそ出てくるパワーもあるんですけどね」

 プラスが上手くはまったとき、強烈な音となって空間を占領する。

 あれを一度聞いてしまったら、下手に勢いを止めるのは難しいと分かる。

 そもそもあれこそが、二人の魅力と言えるものだろう。

 

 音源を聞きなおし、西園は譜面と確認する。

 そして頷いた。

「じゃあノイジーガールの方からやっていこうか。これいい曲だね。サリエリさんが作ったんだよね」

「あ、普通に渡辺って呼んで下さい。西園さんの方がずっとキャリア豊富なんだし」

「おお、じゃあ渡辺君って呼ぶよ」

 随分と気さくな人柄だな、と俊は思う。

 だいたいドラマーというのは忍耐強いが、本気で怒らせると一番怖い、というのが俊の中のイメージである。


 それぞれが位置に立つ。

 月子がセンタートップに、安藤と斉木から見れば右に暁、左に俊。そしてバックに西園という定番の配置。

 ギターから始まるので、暁がそれぞれを確認する。

 そして撮影する安藤が、GOサインを出す。

 暁は髪ゴムを外した。

 いきなり第一リミッターの解除である。




 全体的にはPOS調ではあるのだが、ギターパートはゴリゴリのハードロックからヘヴィメタル。

 テクニックを見せ付けるのだが、同時にフィーリングも凄まじい。

 その音を、西園ドラムが追い始めた。

 低く重い、だが同時に柔らかくも感じる音。

(どうやったらこんな)

 一応はドラムも弾ける俊だが、明らかにレベルが違う。

 これが、会社が確保しておきたいと思う、プロのドラマーの力か。


 月子のボーカルが始まる。

 やはり暁のギターに共鳴するが、今日はその二人を、ドラムの音がしっかりと支えている。

 迫力がないわけではなく、むしろドラムの音によって、圧力はさらに高まっている。

 二人で無理に出していた音を、柔軟に変化するドラムが、より楽に出せるようにしているのだ。

 暁はテンポを早くするのでもなく、だが音の圧力を上げていく。

 ギターソロに入ると、リズムキープをしたまま、早弾きに自分の色を出す。


 全力で弾いているが、同時にまだ余裕がある。

 おかしな表現かもしれないが、そう言うのがしっくりとくる。

(足場がしっかりしていると言うか……)

 暁が知っている、父の弾いているライブ映像。

 ああいったものに近い演奏を、今の自分はしているのではないか。


 サビに入ってからも、変に走ってしまうことがない。

 それでいて月子の声が、よりゆったりと高音で伸びている。

 そのためギターがテクニカルなことをしても、調和が崩れるということがない。

(これが本当の意味での、プロのドラマーか)

 対バンなどで多くのバンドのドラムを聞いてきたが、間違いなく西園はその中で一番上手い。

 外見やパフォーマンスではなく、純粋にドラマーとしての技量が違うのだ。


 ノイジーガールは無事に終わった。

 月子と暁は、わずかに肩を上下させている。

 だが以前のライブに比べれば、ずっとその消耗は少ない。

 だからといってパフォーマンスが低かった、というわけでもない。

 リズム隊がしっかりしていると、ここまで違うのか、と二人は思う。

 俊はひたすら感動していたが。


 打ち込みでは対応しきれない、そもそもパワーが足りない。

 パワーと言っても、単純に強く叩けばいいというものでもない。

 叩くと言うよりは、支えていると言った方が適切であろう。

 単純に音を流す打ち込みでも、PCを使ってわずかな調整は出来る。

 だがそれは即座に出来ることではなく、やはり人間が反応して行うのが適切なのだ。

 音楽的な正しさは、正確さとは違う。

 ズレることを楽しみ、そこに熱狂が発生する。

 ロックの中でも、根本的な部分かもしれない。

 何かに反発する力、というものだ。




 続いてタフボーイの演奏に入る。

 Aメロ、Bメロ、サビと入っていく曲だが、ここで暁はそれまでにない行動をした。

 つまり本来の譜面そのままの演奏箇所を作り出したのだ。

 自分が走らない方が、より楽曲として美しい。

 それを理解した上で、ギターソロまで力を使わなかった。

 そしてソロに入った部分で、その分までの力を弾けさせる。


 西園のリズムが、わずかに引っ張られそうになる。

 しかしそれを、力技で元に引き戻す。

 月子のボーカルと暁のギターは、互いに問題なく高めあうことが出来た。

 だが今の西園のドラムとは、まるで喧嘩をしているようだ。

 もっともそれは、お互いを研磨しあうようにも見えたが。


 キャリアや年齢、そして男女差など関係ない。

 暁のギターは非常に攻撃的である。

 普段の彼女は、むしろおとなしい少女であるのに、ギターを持たせると変わる。

 ライブハウスデビューの時もそうであったが、核心にある魂が、ロックなのであろう。

 技術はあるが、それをどう活用するかに、まだまだ成長の余地がある。


 この二人とは別に、月子も歌う。

 今度は月子の声が、二人の争いを調和させる。

 そして俊は傍観者であり、他のパートを地味に維持するだけ。

 もちろんそれも、経験と器用さがあってこそ、やっと出来るものではあるが。

 圧倒的な才能や実力による、オーディエンスを熱狂させる演奏などではない。

 パフォーマンスという点では、俊は圧倒的にこの中で劣っている。

 しかしいなければ、とても困るのも確かであった。


 二曲目を終えても、やはり月子と暁の負担は、先日ほどではない。

 オーディエンスとの共感による熱狂がない、というのはあるかもしれない。

 それでも二人は、顔を見合わせる。

 お互いに充分の体力が残っている。

 ノイジーガールからタフボーイへの連続は、前のライブよりも苦しいものであったかもしれないのに。

「ドラマーというか、本当のリズムの大切さが分かったかな」

 安藤に声をかけられて、二人はうんうんと頷いた。




 今の世の中、ライブを必ずやらなければいけないというわけではない。

 配信だけで有名になり、ライブもやるが楽曲提供だけでも充分、というミュージシャンはいる。

 実際のところ下手にメジャーデビューすると、音楽以外のことで時間が取られてしまう、というのはよくあることらしい。

 それでもやはり、ライブはオーディエンスの顔が見える場所だ。

 配信では一方的なものになるし、熱量の共鳴が起きない。

 だから二人がライブにこだわるのも、分からないではない俊なのだ。


 しかしやはり、リズム隊が必要だということは、これではっきりした。

 もちろん二人が、素直に打ち込みに従ってくれれば、それでもいいのだが。

 打ち込みでも今は、トリッキーな技術が発達し、人間が叩くのとは違う、異質なリズムを作ることは出来る。

 生のドラムでないといけないというわけではないのだが、このバンドには生のドラムが、今の状況では必要だ、というわけである。


 難しい話だ。  

 ライブでいい演奏をして、そしていいドラマーが外れるのを待って声をかける。

 それまでにはノイズの知名度を上げておかなければいけない。

 まだ未熟なドラムを育てるには、ノイズの環境は適していない。

 初心者が叩くよりは、俊が叩いた方がはるかにマシであるからだ。


 演奏自体には意義があったが、問題の難しさもはっきりした。

 既に実力があって、音楽性などもある程度共通し、あとは女癖が悪くない人間。

 ドラマーはボーカルやギタリストと比べると、あくまでも比較的だが良識派が多いというイメージはある。

 だが世の中には、ツェッペリンのボンゾのようなドラマーもいるのだ。


 人格も技術も優れて、しかも年齢もある程度近い方がいい。

 そんな条件をクリアするドラマーが、どこかにいるのだろうか。

 そしていたとしても、どうやって勧誘するのか。

 ノイズの初ライブは、確かに小さな話題にはなった。

 だがそれで将来性を感じるかと言うと、確信など出来ないだろう。


 なので俊は、現実的なことを考えた。

「西園さんはここの社員だそうですが、どういう契約を結んでいるんですか?」

「ん? というと?」

「もしスケジュールが空いている時があれば、謝礼を出すのでライブで叩いてもらうのは可能か、というところですけど」

「おいおい」

 むしろ安藤が呆れる。スタジオやレコーディングに参加するミュージシャンというのは、それほど時間が確定したものではないのだ。

「ライブは難しいだろうなあ。そう上手く予定が空くこともないだろうし」

 西園の言葉に、俊はやはりそうか、とわずかに落胆する。

「だけど上手く練習の時間が合えば、参加してあげてもいいよ」

 それは、それだけでもありがたい。

 俊はそう思ったが、安藤が渋い顔をしていた。

「いいのか?」

「そうですね。だって面白そうじゃないですか」

 ああ、なるほど、この感覚だ。

 俊などはプロ意識として金の問題を持ち出すが、本物のミュージシャンとはそういうものだ。

 金のことなどを考えれば、真っ当なカタギの仕事をした方がいい。


 ただ、どれぐらいの金を支払えばいいのか。

 その相場を俊は知らない。

「金が絡むと逆に問題になるから、暇な時に参加するだけならタダでいいよ」

 熊のような顔で、西園はにこにこと笑っている。

「条件としては一つだけかな」

 そして彼の出した条件は、充分に許容できるものであった。

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