第30話 安定と冒険
何かを選択する場合、その片方を捨てることになるのはよくあることだ。
西園は家族を選び、成功を諦めた。
だが実際には、この家族を選んだことの方が、逆に成功であったのでは、と今ならば思う。
確かに表に出ることは少ないが、着実に増えていく人脈。
会社の名前で仕事をするということは、確実にスタート地点から有利なのだ。
いいドラマーというのは少ない。
ジャックナイフの栄華が短かったのは、ヴィジュアル系にこだわったあまり、事務所のドラマー変更を受けてしまったからと言われている。
実際にレコーディングにおいては、離脱したはずの西園が叩いていて、それでやはりライブは迫力がない、などと言われるのだ。
今の時代はストリーミング配信が主流であると言われるが、ジャックナイフもまたライブで地道に人気を得てきたバンドであったのだ。
インディーズの時代から、ライブで人気を高めてきた。
それがメジャーデビューと同時に、メンバーの入れ替え。
最初はそれでも蓄積してきた人気があったが、三年もすればそれも失われた。
一応は今も解散はせず、ライブを何度もやっているバンドではある。
西園は会社員となったため、ある程度の自由を失った。
だが様々なバンドやミュージシャンのバックで演奏することで、むしろ技術はどんどんと上がっていったと言っていい。
そんな西園が出した、ただ一つの条件。
「おねえちゃん、すご~い!」
じゃかじゃかとノリノリで、暁が演奏しているのは、今年のプリキュアの主題歌であった。
そう、お父さんの職場訪問である。
さすがに会社のスタジオはまずいということで、俊の家にやってきたのだ。
そしてなぜか暁がこの数年のプリキュアを弾いて、月子が苦労して歌う……のではなく、三味線を弾いたりしている。
歌っているのは西園の娘であった。
陽鞠(ひまり)というこの少女は、暁に様々なリクエストをしている。
おかげで練習にならないのだが、暁自身は楽しんでいるようだ。
「プリキュアって、俺が生まれる前からやってたのかな?」
「なんだか、悪いね」
「いや、いいんですよ」
俊としては全く畑違いのところから、どう暁が演奏するのか気になっていたし、月子の三味線とどう合うのかも試したかった。
それで分かったことだが、月子は演奏をしながらであると、歌唱力がぐっと落ちる。
路上で歌ったときはそれほどでもなかったと思うのだが、あれは演奏が自分自身だけであったからだ。
暁のギターに三味線で合わせ、さらに歌うとなるとどうもキャパオーバーになるらしい。
基本的にはやはり天性のボーカリストなのだ。
もしも三味線を活かす時が来るとすれば、それはソロで何かを弾く時か、あるいはもう一人ボーカルが入った時。
ちょっと月子に匹敵するボーカルが見つかるとは思えないのだが。
男性のボーカリストとコラボすることなどは、普通にあるかもしれない。
二人が陽鞠のおもちゃになっている間に、俊は真面目に西園と話していた。
ただその中でも、俊は西園の背景について考えたりもする。
ジャックナイフの経歴も調べてみたが、基本的に高校時代にその前身バンドの集まりがあって、大学後に軽音のサークルからそれは始まった。
ライブハウスでワンマンを行うようになってからは、もうメンバーの入れ替えはなく、そのままメジャーへと進んでいった。
そこで西園は抜けたわけである。
夢よりも現実を、生活を、家族を取った。
そう言えるのかもしれないが、俊は別にそれを挫折とは思わない。
音楽的な成功の形は、一つではない。
基本的には売れなくても、自分の音楽をやり続けるのであれば、それは成功の一つの形だ。
何もメジャーデビューして、ドームを満員にし、左ハンドルの外車を乗り回すことが成功ではない。
ただミュージシャンというのは、そういう傾向があるのは確かであったが。
西園は堅実に生活を成立させている。
その上で大好きな音楽を、しっかりと演奏している。
西園以外でも、フリーでやっているミュージシャンというのはいるのだ。
そういう場合でも、事務所などには所属していることが多いが。
俊も改めて調べてみて、そもそも独立して自分の事務所を作っている例などを多く知った。
だが俊が求めているのは、成功である。
それもただ売れるというだけではなく、自分の音楽を作った上でそれを売る、というものだ。
全く人の意見を聞かない、独りよがりの音楽を作ろうとは思わない。
しかし売れればそれでいい、というのは絶対に違う。
そもそも売れる曲を作る、という単純なことは、ひどく難しいものだ。
冷静に今の自分の能力や技術を考えれば、エンジニアやA&Rになるというのが、確実にこの業界で食べていく路線であろう。
自分の音楽をやりたいがために、そちらの方の技術を磨き、知識を蓄積していった。
しかしやりたいのは、やはり自分の楽曲を、オーディエンスに届けることなのだ。
ステージの上では黒子に徹してもいいが、それでもステージに立ちたい。
俊の境界線はそのあたりにある。
新曲に関しても、西園に聞いてもらったりする。
ちなみにこういうことは、本来は会社に属している人間に、やらない方がいい。
かなり完成に近づいている曲は、そのままパクられたりする。
ただ俊はここから、さらに完成度の高い曲にしていく余地があるのだ。
この状態のものを、もしも西園がパクったとして、そもそも彼は作曲をする人間ではない。
今はリズムに対する相談をしているだけなのだ。
曲名はと問われたら俊は、少し迷ってから答えた。
「アレクサンダー……かなあ」
「え、う~ん? どうして?」
「アレクサンダー大王の東征を意識して、オリエンタルな曲調にしたからです」
「でもバラードにアレクサンダーはないと思うなあ」
「ですよね」
西園の言うとおり、アレクサンダーでは確かに曲調に対して厳つすぎるのは確かなのだ。
タイトルというのは重要である。
もっともモーツァルトなども、「俺の尻を舐めろ」などという無茶苦茶な名前の曲を作っていたりもする。
酔っ払って作ったと言われているが、現代でもOMMCなどという曲があったりはするわけで。
しかも歌詞はともかく、曲がいいので救いようがない。
「ちなみに、この曲どう思います?」
「ん?」
そう言われて西園は、俊からイヤホンを受け取った。
そして聞かされた曲に、顔をしかめながらも感想は言う。
「なんというか……すごく頭のいい人が作った、凄く頭のおかしな曲かな。歌詞はともかく曲の方は、ちゃんと技術的に色々なことをしているというか……」
腕を組んで、西園はずばりと言った。
「才能の無駄遣いに感じるけど、これはこれで面白い」
「作ったのは俺です」
「……誰でもそういう時期はあるよ」
「でもこれ、俺の作った中では、一番聞かれてるんですよ」
「……うん、そういうこともあると思うよ」
西園の優しさが痛い。
とりあえず曲名に関しては、歌詞も作ってから決めるべきだろう。
「一応アレクサンダーの女性名はアレクサンドラだよね?」
「女性名が入ってるタイトルの名曲って普通にありますよね。レイラとか」
「ただ何かもっと、煌びやかな感じがするというか……」
女性らしさがあるが、なんというかもっと無機質で煌びやかな中に寂しさというか哀愁がある。
「……宝石? アレクサンドライト」
俊の呟きに、西園は首を傾げる。
「どういう宝石なの?」
「当てる光によって、輝きの色が変わる宝石です」
「そういえば何か聞いたことはあるな」
何気なく口から出た言葉であるが、そこから何かの奔流が俊の中を満たす。
まだ未完成であった曲が、どんどんと完成していく。
そして歌詞も断片的に浮かんできて、さらに曲調が完成されていく。
(この子も才能があるなあ)
その集中している様子を見ていた西園は、俊が聞いたら顔をしかめそうな感想を抱いていた。
ようやく練習が始まるが、俊は最初にノイジーガールを陽鞠に聞かせてみた。
驚いたような表情の幼女が、次第に笑顔となる。
「パパかっこいい!」
なるほど、やはりそういう感想になるか。
しかしこの曲を聴いても、怖がったりはしないのだな、と俊は安心した。
ロック調の音楽というのは、子供に聞かせたらけっこう、泣き出してしまう子もいるのだ。
「まあうちも、子供の頃から普通に洋楽聴かせたりしてるから」
ただ生演奏というのは、ちょっとないであろうが。
そして新曲の練習に入るのだが、暁はアレンジに口を出すものの、変にテンポを上げようとしたりはしない。
そんなことをしてしまえば、台無しになる曲だと分かっているのだ。
ただこういうバラードを弾かせると、逆にその技術がはっきりと分かる。
アップテンポな曲だと、間違ってもフィーリングでなんとかなってしまう場合があるのだ。
レコーディングでは論外であるが、ライブだと普通にそういうことはある。
むしろ先日のライブで、全く音を外さず、それなのに即興でアレンジをしていた、暁の方が異常と見るべきだ。
そういえば序盤はバラードっぽい「天国への階段」も平気で弾いていたな、と思い出す俊である。
バラードになると伸びていく月子の声は、本当に高音域での聴き心地がいい。
ただライブでやるとなると、どの順番でやるべきかは考えるべきだ。
ロビンソンと違い、これは落ち着きすぎるような気がする。
これからのアレンジ次第であるが。
たとえばライブのアンコールでやる場合などには、とてもいい楽曲だと思う。
それにしても、暁はもちろんだが、西園も平気でアドリブのアレンジを入れてくる。
確かにその方が面白いな、と思ってしまう俊である。
自分の曲は、自分一人では完成させることが出来ない。
それは別に俊に限らず、共作でいい曲を作るバンドはあるものだ。
それこそビートルズの時代から、ジョンとポールがお互いの作曲に、全くノータッチだったわけでもないのだし。
ノイジーガールにしても、暁のギターが入って大きく変わった。
それに西園も、勝手にドラムのアレンジを入れている。
天才はその場であっさりと、凡人の作品を凌駕していく。
ただここまで親しくなると、俊は少なくとも、暁は単純に天才ではないな、と思えるようにもなったが。
暁はおそらく同年代の誰よりも、ギターに触れている時間が長い。
下手なプロよりも上手いと言うか、プロだからといって必ず全員が技術的に上手いわけではない。
リードギターなどは、パフォーマンスもその実力の一部だ。
キレた暁は、そのパフォーマンスもすごいものだが。
西園の空いている時間が終わり、彼は陽鞠を連れて帰っていった。
「一度ライブで合わせてみたいなあ」
暁がそう言ったが、確かにそれは俊も同意である。
「三味線なんて使うの?」
「悪かったな。とりあえずしばらくは使わないと思うんだが、カバー候補の中に三味線を使うものがあるんだ」
「和楽器バンドの曲とか?」
「あれもいいけど、やるならもっと統一したいしな」
三味線を意外なところで使っている、というPOPSはそれなりにある。
ノイズとしての二曲目「アレクサンドライト」が完成に近づいていく。
「名前はアルファベットにした方がいいかな。発音が一応二種類あるし」
「ノイジーガールはカタカナなのに?」
「そっちは間違いようがないし」
なお古き洋楽大好きの暁としては、アルファベットの方がいいらしい。
月子はアルファベットは実は読めるのだが、それでも筆記体は読みにくい。ただこれは月子だけではなく、日本人にはほぼ全員に共通のものであろう。俊だってそうだ。
それにしても今日も練習で、さらに問題が明確になった。
ドラマーが必要、ということである。
パワーをセーブするなら、打ち込みに合わせればいい。
だがそうなるとアドリブのアレンジでも、やれることが少なくなる。
「ベースでもなんとかならなくはないかな」
リズム隊と呼ばれるこの二つは、確かに今のノイズには欠けているものだ。
「いっそ西園さんを引き抜いちゃうとか」
「西園さんにメリットが何もないだろう」
こんな成功するかどうかも分からないバンドに、会社人が今さら入ってくるものか。
どこからか引き抜く、というのは確かに手ではある。
だが日本においてドラマーというのは、本当に少ないのだ。
今はむしろ、ドラムは打ち込みでやって、他の楽器を弾くというバンドさえ少なくない。
俊もそれをやっていたのだし。
しかもただのドラマーではなく、一流のドラマーが必要なのだ。
「とにかく暇な時は参加してくれるってのがありがたいから、今はライブをこなして興味を持ってくれる人間を増やさないとな」
俊としてはこれに、さらに条件が加わっていると考えている。
男女の混じったバンドというのは、少なくはない。
特にボーカルだけ女性、というのはそれなりに有名どころもある。
ただノイズは、ボーカルとギターという、目立つところが二人とも女。
ここで引っかかる人間がいるのは、偏見ではあるのだろうが、どうしようもないものだ。
「次のライブ自体は決まってるし、俺もドラマーかベースは探してみるけど」
なかなかいないだろうな、とは俊も分かっている。
本来ならドラムというのは、一番敷居の高い楽器であろう。
なにしろ持ち運びをするのに、車が必要になってしまう。
親が音楽関係でもない限り、ドラムを始めようという小学生や中学生は少ないのではないか。
少し叩けるという人間を、ここから育てていくというのも難しい。
「あれだけ叩ける人でも、安定した道を選んじゃうのかあ」
暁は残念そうに言うが、ミュージシャンなどという冒険な仕事において、安定した地位を得ることは、相当の実力がないと出来ない。
やはり自分が練習すべきか、などと俊は考えてしまう。
パワーのいるテンポの早い曲でないのなら、暁も打ち込みに合わせるようにはなっているのだ。
ならば曲ごとにポジションをチェンジするというのは、ありえなくもない話だ。
ただ俊のやることが、ひたすら増えていくだけで。
「安藤さんにも聞いてみてほしいな」
「うちのお父さん、あれでも過保護なところあるから、俊さんはともかく他の男を紹介はしないと思うけど……」
どうやら安藤にとっても、俊は戦友の息子、つまりは身内扱いであるらしい。
ともあれまだ、他の部分での成長の余地もいくらでもある。
それに俊としては、作曲の方もやっていかないといけない。
ノイジーガールに加えてアレクサンドライトだけでは、まだまだオリジナルが充分とは言えない。
カバーばかりをやっているのは、問題があるのだ。
今はノイジーガールの再生数が、いまだに止まらない状態にある。
ここからさらに、オリジナルを増やしていく。
そうすれば月子のアルバイトの時間を、さらに他に使うことが出来る。
(法人化でもした方がいいのか? いや、まださすがにそんな収入にはなってないけど……)
音楽以外のことにまで、頭を悩ませる俊であった。
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