第28話 彩

 暁の父親はプロのミュージシャンであり、会社に所属してシンガーの後ろで演奏をしたり、スタジオの録音に付き合ったりしている。

 大規模なライブのバックでも演奏しているので、完全にプロなのである。

 そしてミュージシャンではあるが、同時に会社員でもあるのだ。個人事業主ではない。

 元のバンドが解散したのは、リーダーであるギターボーカルが事故死したためで、そこからメンバーの進路はバラバラとなった。

 そして俊の父も、その後は主に作曲作詞とプロデューサーとして、メンバーの中では最も成功した。

 そこもまた、きな臭い事故死となってしまったが。


 娘の暁は言葉を喋るより早く、ギターの演奏を憶えた。

 英才教育をしすぎたかとも思ったが、それが確信に変わったのは、中学校の修学旅行でギター中毒を発症してからだ。

 悪化はしないものの、ギターと遠ざかると訪れる不治の病……かもしれない。

 よほど理解のある男を探すしか、嫁の貰い手がないな、と安藤は考えていたりする。

(高校に入っても友達が出来なかったみたいだし)

 中学生の頃から既に、周囲の同年代とは話が合わなかったらしい。

 まあ60年代から70年代のハードロックの系譜を愛する中学生女子など、そうそういるはずもない。


 高校の軽音部には、かなり期待していたらしい。

 実際に最初の数日は行っていたのだ。

 暁の言葉からすると、単純にレベル差がひどすぎただけで、ハブにはされたがいじめなどは受けていない。

 だが仮入部の期間が終わる前に、もう居場所を失っていたのだ。


 学校から帰ると、小さな防音室に引っ込んで、ひたすらギターを弾く毎日。

 このままではぼっちちゃんになってしまうと心配した安藤は、岡町に相談してギターを欲しがっているバンドを紹介してもらったのだ。

 もっとも普通のバンドであれば、安藤も色々と躊躇したかもしれない。

 旧知の存在と、女性ボーカルのユニットということで、許可を出したのだが。


 そしてこの組み合わせは大成功であった。

 音楽的な成功などは、求めていなかった安藤である。

 しかし娘がどこかのコミュニティに所属するということは、それだけで安心できることなのだ。

 ただ音楽的なことは、初めてのライブを見て、逆に心配になってしまった。

 ボーカルとギターのパワーが、お互いを激しく高めあっている。

 そしてそれを制御するリズム隊がいない。

 俊は必死で、パソコンとシンセサイザーを操っていたが、あと少しで曲として破綻するところであった。


 本当に強いドラムの音を知っておくべきだ。

 安藤はそう考え、ほんの少し親馬鹿になってみた。




 本物のドラマーと、一度合わせてみるべきだ。

 出来ればメンバーにドラムを加えたい。

 基本的に今の電子音全盛でも、ドラムのパワーは再現することが難しい。

 リズムキープをするドラム、またベースの存在は、今のノイズには必要なのだ。

(でもそんな人間がいるかなあ)

 単純に腕だけではなく、女の子二人に手を出さないような人格の持ち主。

 さすがにドラムパートにまで、凄腕の女子というのは、アマチュアで見つからないと思う。

 いや、あの二人に合わせるには、そもそも男でも無理ではないのか。


 ベースは俊がやってみたが、二人にはついていけないし、そもそもシンセサイザーで足りない音を弾いていくので精一杯だ。

 そんなところに暁が、スタジオミュージシャンのドラマーと合わせないか、という安藤からの話を持ってきたのである。

「どういうことだ?」

「一度しっかりとしたリズム隊と合わせてみろって」

「まあ、ありがたい話ではあるかな」

 確かに一度、本物のドラマーと合わせてみたなら、その感覚が持てるかもしれない。

「プロへのお誘い、ってわけじゃないんだよね?」

「一回いいライブが出来たからって、そんなに甘いもんじゃない」

 俊はそうは言うのだが、実際のところあの一度のライブが、意外なほど広まっているのは知っていた。


 ネットという存在が発展している今、情報の拡散は信じられないほどに早い。

 ごった煮で有名なCLIPのステージで、とんでもない演奏をしたという話は、口コミやネットによって知られてしまった。

 まあ俊からすれば、ボーカルとギターが非常識なだけであって、もう少し常識寄りにしたいのだが。

 二人が揃っていると暴走する。

 しかしその直前までは、素晴らしい演奏となるのだ。


 プロとしてやっていくには、あれでは駄目だ。もっと安定感とスタミナがいる。

 また今は人気重視でカバーをやっているが、いずれは音楽性もどうにかしていかないといけないだろう。

 下手にメジャーに行くと、とにかく音楽性やルックスまで、かなり口をだされる。

 それを相手に譲歩せず、自分たちの音楽性を貫くこと。

 俊のやりたいことの本質はそれで、おそらく暁もそうであろうが、月子は意外というほどでもないが、そういう意識は低い。


 今の俊には音楽性など、さほどないように思えるかもしれない。

 月子にカバーさせている楽曲などを見れば、確かにジャンルが一定ではなく、とりあえずPOPSが多いと思えるだろう。

 だが実際にカバーしたアレンジを見ると、ハードロックからヘヴィメタル、オルタナなどの系統へのアレンジが多いと分かる。

 中には完全にPOPSに全振りというものもあるが、この間のライブの構成を見ればそれは明らかだ。

 ハードロックからメタル寄りに走り、ポップスは合間にバラードのように使っている。


 売れるだけのPOPSにするなら、暁はやはり加入させるべきではないのだ。

 ハードロックからメタルの文脈で育ってきた彼女は、EDM全盛の今とは相性が悪い。

 それなのに取り込もうとする時点で、俊の方向性は明らかだ。

 単純に受けるだけなら、ネタ曲を作ればいいし、実際にそちらからの収入の方が大きい。

 だがそんなBGM代わりに使われる音楽が世間にあふれたら、音楽が死んでしまう。

 音楽が世界を救うと思ったヒッピームーブメントは夢想家の幻想であったが、それでも人と人とのつながりを求めていくのが音楽の本質、と俊は定義している。

 もちろんそれは勝手なものであり、だいたいの音楽は踊れればそれでいいというものが、一定の周期で流行る。




 色々と考えている間に、予定が作られる。

 ノイズの三人はその日、安藤の手配により、大手メジャーレーベルのGDレコードのA&Rである斉木という男に出会った。

 まだ20代の半ば程度と見えるが、こういう仕事は年齢で技量が決まるわけではない。

「A&Rってそもそもなんなの?」

「あたしも名前だけしか知らない」

 本人を前に失礼な話である。

 だが斉木は笑って、しっかりと説明をしてくれる。

「アーティスト・アンド・レパートリーっていうのが正式な名称でね。まあ新人の発掘から育成、売り出し方を相談したり、宣伝計画も立てたりするかな。マネージャーやプロデューサーの仕事に近いところもある」

 それは随分と、忙しそうな仕事である。


 彼を安藤は紹介してきたのだ。

「父が無理を言ったんじゃないですか?」

「そんなことはないよ。これでもしうちのレーベルからデビューするとしたら、担当は僕になるからね。それにちゃんと、演奏は聴いて引き受けたわけだし」

 どの演奏であろうか。

 三人による演奏の音源は、まだ作っていないのだが。

「それにCLIPの話も聞いたから」

 やはり思ったよりも広まっている。


 俊としてはかなりの便宜を図ってもらっても、今の段階ではメジャーレーベルからのデビューなど全く考えていない。

 ともかく近所の喫茶店で出会った四人は、斉木に連れられてビルの中に入る。

 巨大なビルの中にはレッスンスタジオやレコーディングスタジオ、さらにMVなどの撮影用スタジオなども入っている。

 大学よりもさらにいい設備が揃っているので、やろうと思えば色々なことが出来る。

 ただそれだけのものをミュージシャンに与えるからには、会社も多くの収益を出さないといけない。

 このあたり、メジャーは出来ることは増えるが、あまり儲からないとも言われていたりする。


「あ、彩ってこのレーベルだったんだ」

 普通にテレビや、街中に流れるMVの芸能人が、巨大なポスターなどでエントランスを飾っている。

 うちはこれだけのアーティストが所属しているんだぞ、という威嚇にもなる。

「ルナさんはその、あまり音楽に詳しくないのかな?」

「すみません。何分アイドル志望だったもので……」

「アイドル……」

 斉木が呆れているのが、俊にはよく分かった。


 それにしても、中はこうなっているのか。

 入り口までは俊も何度か来たことがあるが、中に入ったことはない。

「アキはどこまで入ったことがあるんだ?」

「あたしもエントランスまでかな」

 当然ながらセキュリティは厳しく、三人はパスを貰って先に進んでいく。

「この一番奥の左のスタジオを使うんだ。ドラムの人は西園さんっていって、多分もう待ってるから」

「プロをお待たせしちゃってるんですか」

「西園さんはいつもそうだよ」

 恐縮する俊にも、斉木はそう説明する。


 その時、最悪のというか、それとも単なる偶然か、右側のドアが開く。

 そこは撮影用スタジオの一つであったのだが、そこから出てくるミュージシャンが一人。

「お疲れ様です」

 斉木は素早く道を譲るが、ぞの後ろに立つ俊は硬直した。

「うわ、本物だ」

「サインとか言い出しちゃ駄目だよ」

 月子と暁はのんびりと言っているが、近づいてきた向こうもこちらには気づいていた。

「こんなところで何をしてるの?」

「あんたには関係ないことだ」

 現在の音楽シーンにおいて、女性ボーカリストではトップと言われる彩。

 そんな彼女に対して、俊の態度はとても感情的なものであった。




 斉木が蒼白になっているが、俊も彩もそれを気にしていない。

「確か、大学生なのよね。21歳になったんだった? それでデビューは出来そうなの? 音楽の才能はなくても他のことは出来るんだから、裏方にでも回ったらいいのに」

 彩の言葉も辛辣なものであったが、どこか気安さも感じさせる、不思議なものであった。

 二人の関係など、この場の誰も知らない。

 だが彩の後ろについてきていたスタッフは、この二人の間の空気に、やはり不思議なものを感じた。

「彩、知り合いなの?」

「ええ、とても」

 そうは言いながらも、彩が俊に向ける視線は、どこか冷ややかだ。

「うだつのあがらないミュージシャン志望ね」

「あんたの新曲聴いたよ」

 俊としては彩の言葉は、これまで何度も聞いたことの延長だ。

 だからここは、新しい話題を出す。

「ゴーストだったらまだ幸いだけど、本人が書いてるならちょっと、危機感を持った方がいいな」

 そう言われた彩からは、余裕の冷笑が消えた。


 月子も暁も、俊が変に彩を意識しているのは聞いたことがあるし、特に月子は比較されている。

 ただこの二人の関係は、明らかに何か事前にあったものであろう。

 下手に口を挟めば、逆に悪化しそうな空気。

「そういうからには、少しは聞いてもらえる音楽を作れるようになったの?」

「俺は俺の形の才能を見つけたよ。まあ、あと一年はあんたの時代が続くかな」

 俊は今までと違い、今は精神的に互角に争うことが出来る。

「けれど二年後には、この二人があんたの上に立っているだろうな」

 そんな紹介をされてしまって、月子と暁が硬直するのは当たり前だろう。


 彩の視線は、二人に向いた。

 月子はその視線の高さが、自分とほぼ同じだと感じる。

 踵の低い靴を履いている、月子の方は背が高いだろうが。

「女たらしのところは父親似? 女嫌いは直ったの?」

「おれは女が嫌いなんじゃなく、あんたが嫌いなんだよ」

 一触即発とは、まさにこのことか。

 だが普通なら既に爆発するような距離感であるのに、二人の感情にはまだ抑制が利いている。


 ほんの小さな動きだが、斉木は必死で俊の袖を引いていた。

 そして向こう側も、マネージャーらしき人間が焦っている。

「彩、次の予定が」

「そう? もう少しぐらいよくない?」

「途中でリラックスしたいでしょ」

 歪んでいた彩の顔が、また無表情に戻る。

「まあ、頑張りなさいな」

 そして俊の肩をぽんと叩き、その横を通る。


 危険な雰囲気が霧散したと思って、多くの人間が息を吐く。

 だが俊にはまだ言うことがあった。

「彩、もっとインプットしないと、本当に終わるぞ」

 わずかに振り返った彩も、最後に言い残す。

「アマチュアの間は、いくらでも理想論が言える」

 そして立ち去る彩の背中と、好意的ではないスタッフの表情を、俊たちは見送った。




 当初の余裕のある大人、という顔は斉木からははがれてしまっていた。

「ちょっとちょっと、顔見知りだったみたいだけど、あんなの困るんだけど?」

 だいたいいつも大人の俊を見ているだけに、月子と暁も驚いている。

 ただ俊も完全に冷静さを取り戻したように、一言で説明する。

「親戚の姉ちゃんなんで大丈夫ですよ。昔からずっとこんな感じです」

「え、初耳」

「親戚?」

 月子は素直に驚いていたが、暁は少し考え込む。

 彩は基本的に、そのプロフィールを公開していない。


 ただ俊としては、彩との関係は二人の問題で、今回はそれなりに口げんかのようになったが、基本的には彩に負けるばかりであった。

 そして彩も、あれ以上は何もしないであろう。そのあたりは二人の暗黙の了解だ。

 月子としてはまた、俊の知らない面が見えてきた。

 暁としてもなんだか今さら秘密が増えてきたような気がするが、それは後で追及すればいいだろう。

 親しいからこそ悪態をつける、というのは確かにある。

 それにしても双方が、刺々しかったというのはあるが。


 せっかくのトップミュージシャンに会ったというのに、そんな感動はもうすっかり消えてしまっている。

 もっとも暁の父親も、元トップミュージシャンではあったのだが。

 単に技術的な問題を言うなら、表舞台から降りた今の方が、さらに上達している。


 なんだか面倒なことを押し付けられてしまったのではないか。

 斉木はそんなことを考えながらも、三人を案内する。

 その先に待つ未来は、彼の想像も付かないことになっているのだ。

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