第15話 歌い手ルナ
歌い手を一人プロデュースし、さらにユニットも立ち上げる。
全て一人で出来ることではあるが、簡単であるかというとそんなはずもない。
しかし有限の時間を、生き急ぐように使う俊は、しっかりと歌い手ルナのデビュー準備全てを整えた。
重要なのは初期導線と、インフルエンサーへのアピール。
このあたりYourtubeの事務所などであれば、さらに効果的な宣伝なども出来るのだろう。
そこはもう、最初から一人でやるという限界であろう。
とりあえず俊のチャンネルから、宣伝の映像も作った。
東方界隈の動画を作るのは初めてで、こんなものが一つあっても、効果がどうかは微妙である。
やらないよりはマシという言葉はあるが、やらない方がマシということも確かにあるのだ。
それよりはSNSを使って、宣伝をし始める。
月子にはルナの名前で新たにアカウントを作ってもらい、俊のサリエリと相互にフォロー。
チャンネル登録者ほどではないが、俊のサリエリにはフォロワーがそれなりにいる。
そしてついに、チャンネルが開設された。
三曲ずつ、一日に投下していく。
毎日一曲であると、その曲に興味がない場合、そもそも見られない可能性すらあるからだ。
月子たちの選んだものと、俊の選んだもの、そしてそれとは別に過去のサリエリの楽曲による、ノイズのチャンネルへの投下。
悔しいというか当たり前のことだろうが、やはり既存の有名曲のカバーをしているルナ名義の方が、再生数は多い。
「もう100再生いってる……」
「コメント多すぎ……」
時間を夜に合わせたため、俊は自宅で通話をしながら、メイプルカラーのメンバーはルリの家に集まって、これを見ているらしい。
「初速はいい感じだな……」
この日にルナが公開したのは、マリーゴールド、鳥の歌、そしてアンインストールの三つである。
どれにも好意的なコメントが書かれ、その歌唱力を絶賛している。
ただ仮面をして歌っている月子には、当然のようにツッコミが入りまくっているが。
歌う難易度、認知度、分かりやすい歌唱力など、総合的に判断したつもりであるが、これが本当に正解なのかは分からない。
充分に伸びているのか、それとも失敗しているのか、比較する対象がないからだ。
メイプルカラーのメンバーにも、それぞれのアカウントで自然な感じで紹介もしてもらっている。
俊もこれに合わせて、サリエリ名義で短い曲を発表し、そこでも告知をしているのだ。
いきなりノイジーガールの投下、というのも考えた。
しかしそれはさすがに、導線が短いだろうと考えたのだ。
(元の歌唱力はともかく、マスタリングの技術が微妙か)
他の歌い手のものと比べると、高音域の響きと伸びが、圧倒的なものがほとんどだ。
だがミックスした結果としては、声の個性が弱まっているかもしれない。
ある程度は岡町の助けも借りたが、彼も基本的には作曲や演奏を担当するベーシストであり、専門のエンジニアではないのだ。
ほぼ一発のテイクでOKだったマリーゴールドが、やはり一番伸びているか。
公開してからしばらくは、ぼちぼちと増えていくのみであった。
ルナ名義のアカウントが、どんどんと登録数を伸ばしているが、ノイズ名義の方はそこまででもない。
導線はおそらく、サリエリ名義からが一番太いはずだ。
SNSでの宣伝もあるが、そこが一番フォロワーである登録者が多い。
ただ俊の場合はSNSよりもチャンネルの登録者の方が多い。
SNSは遊びじゃない。
そこは熾烈な宣伝の場所であると、どこかの誰かも言っていたような気がする。
なんだかんだで楽曲作りを一番にする俊としては、習得する技術や方法にも限界はあるのだ。
(初手にノイジーガールは無理なはずだ)
無理だと思ったからこそ、先に登録者数を増やしたかった。
「順調に伸びてはいるけど、期待していたほどじゃないか」
『開始一時間もしてないのに、200人も登録してくれているのが怖いんですけど……』
それはそうと、コメント内容は確認しておかないといけない。
サリエリ名義には、普通に新曲についての感想が多い。
また突然のユニット結成を、祝福しながらも戸惑っているコメントも多い。
『俊さん、めっちゃコメント多いけど、読めないのが多い』
「そこにいる誰かに読んでもらえ。出来れば最初はコメントには全部返すんだぞ」
この初期の対応で、どれだけコアなファン層を作れるか。
初動は重要だ。翌日以降も投下すると返事をしておけば、この最初の人数を確保することが出来る。
そして月子の歌を聴けば、他の曲も聴きたいと思うのが当然だと思う。
ただ月子自身にコメント返しをするのが、とても大変というだけで。
実際のところ、あれだけしっかりミックスしてマスタリングを行ったものの、他の歌い手との技術差がどれぐらいか、分からない者も多いのではないだろうか。
俊はお高いヘッドフォンを使っているので明白だが、そのような環境の人間ばかりが聞いているわけでもない。
月子の声は透明度が高く、硬質でありながら深く響いていくが、そこまでを聞き取れる環境で聞いている人間は少ないだろう。
楽曲自体の力が飛びぬけている、ノイジーガールの公開までに、離れていったりはしないだろうか。
これまでにも多くの楽曲を発表している俊であるが、あの曲への期待は大きい。
それだけに反響が少なければ、評価されなければ、さすがにショックは大きいと思うのだ。
ただチャンネルとユニットの、相乗効果は確かにあった。
月子の歌っている曲の音源は、全て俊がアレンジしたものである。
なので編曲に対する感想を書いていたりもするのだ。
ルナのチャンネルから、サリエリのチャンネルに流れて、登録していく者が少しいるらしい。
最近は登録数の伸びが停滞していたので、わずかずつでもこの動きは嬉しい。
もっとも一番重要なのは、ノイズの登録者数が増えることだ。
ルナよりも少ないのは、知名度の少ない俊の楽曲を使っているから、ある程度は当然のことである。
夜に公開してから、その日は12時までほぼ付きっ切りで動きを見ていた。
サリエリの登録者数はおよそ3万、そしてルナの登録数は1000人を突破した。
数時間で0からこの数は、かなり驚異的ではある。
ただネットというのは、本当に分からないものなのだ。
ボカロ曲にしても、一度再生数が低下してから、何かのきっかけでまた一気に上昇、ということが普通にある。
(発表の順番を変えるか?)
初動で登録者が増えているところに、一気に自信作を投下する。
そこで一気にブーストがかかるかもしれない。
しかし俊には、ほんのわずかに懸念があるのだ。
それは本当に、ノイジーガールは一般にも受けるか、という問題だ。
これまでに聞いてきたのは、ある程度聞く耳を持っていた人間ばかりである。
もちろんネットで新しい音楽を探している奇特な者は、ほとんどがこの価値を分かると思う。
創造性よりは分析力や、共感性の方が高い、評論家タイプと自己を認める俊が、それでも確信しているのだ。
なのでいつかは、必ず結果は出るとは思う。
しかしそれに、時間がかかってしまえば、また次の作品を作るのに、モチベーションが上がらないといけない。
そう、俊は傑作を作ってしまった、と自分で思っている。
明らかに自分の力を上回る作品が出来てしまった。
当初はそれに浮かれることもあったが、やがて気づいた。
次にはどんな作品を期待されることになるのだろう、と。
これは創作者にとっては、恐ろしいことである。
多くの創作者が、最初の作品が一番面白い、と言われる。
それは二作目以降の作品が、何かの期待を受けていたり、雑念が混じったりするからだ。
最初にガツンとヒットするものは、その最初の一つが、完全に己を曝け出したものであることが多い。
創作者の背景全てを、最初の作品は抽出したものになる。
なので一発屋、などとも呼ばれるのは、歌手のみならず小説家やマンガ家にも言えるのだ。
一応次の曲には、既に着手している。
普通は使わないコード進行やメロディラインを使って、オリエンタルなイメージを作っているのだ。
ノイジーガールは曲自体のテンポは早いが、ボーカルのメロディラインはむしろゆったりしたところもあり、上手くバラード調になっている部分もある。
これに対して次の曲は、普通にバラード調であることは間違いない。
ノイジーガールはポップスのノリであるが、本質はロックだ。
次のバラードは、単純なバラードではいけない。
確かに月子の歌だけで、ある程度の評価の底上げにはなる。
しかし彼女におんぶに抱っこでは、俊が作曲と作詞をする意味がない。
今までにない反応に、月子たちはかなり遅くまで起きていたらしい。
だがこれぐらいなら、俊にはある程度の経験がある。
それでも反応はかなりのものだろう、とは思う。
次に公開される曲に対する期待が大きいし、コメントでは歌ってほしい曲、などというのが挙げられている。
「歌手つながりかアニソンつながりが多いのか……」
まだ少ないが、月子がどういう傾向を期待されているのか、それが分かっくるのでありがたい。
月子からのメッセージはないが、それを代筆したらしいメイプルカラーのメンバーからはメッセージがあった。
再生数がどんどん増えていっていることに対する、パニックになったような文面が多かった。
「お、ち、つ、け、と」
俊はこの程度のことは、普通に経験している。
特にあの、月子たちにも話していない三つ目のチャンネルは、悪ノリ以外の全てを排除した楽曲があって、それが一番再生されているのは強烈な皮肉ではある。
俊はこの日も、普通に大学に通う。
既に始まってしまって、もう予定を変えることはない。
今からでも公開の順番などは替えることは出来るが、おそらくそれは意味がない。
何かをやったつもりになるだけのことは、絶対にやってはいけない。
曲のクオリティを上げるというなら別だが。
とりあえず歌い手ルナの初動は、失敗とは言わない程度には成功した。
あとはどう伸ばしていくかだが、ここは月子の歌の一点突破で狙っていける。
メジャーなカバー曲は、俊がアレンジしてしまう。
特にハイテンポな曲は、出来るだけバラードに近くしてしまうことが、月子にとっては歌いやすい。
もっとパワーを前面に出した、ハイテンポの曲も上手く歌えるようにならないといけない。
だがそれは、もう少し先の話となるだろう。
今考えるのは、相乗効果だ。
歌い手ルナに対して、今はまだサリエリの方が圧倒的に強い。
ただルナの知名度がもう少し上がれば、他にカバーされているメジャーな曲を、全て歌っていけばいい。
圧倒的な声の力で、他の歌い手や、オリジナルを上書きしていく。
才能の暴力で、世間を圧倒していくのだ。
そもそも月子の声質というのは、嫌悪感をほぼ抱かせないタイプのものではあるのだ。
数字の上昇にただ注目している者とは違い、俊は次を考えている。
歌い手とボカロPのユニットというのは、次にはインディーズなりメジャーなりからの声がかかったり、あるいはなんらかのコンテストに応募するというのもある。
俊が恐れているのは、月子だけを引き抜こうとする動きが出てこないか、ということだ。
月子の立場からすれば、アルバイトをしながら歌い手としてアイドルとして、地道に暮らしている今は、それなりに充実しているだろう。
彼女はおそらく、さほどの欲はない。もっと楽な生活がしたい、という程度の欲望は誰にでもあるものだ。
月子を引き抜くということは、俊から月子を取り上げるというだけではなく、メイプルカラーからも抜けさせることである。
俊だけなら彼女が、生活のために転ぶことはあるかもしれない。
だがメイプルカラーまで裏切る、ということは考えにくい。
あそこは彼女の、居場所であるからだ。
メイプルカラーと月子のラインを切らない。
それが俊にとっても、利益となることになっている。
下手にメジャーに取り込まれたら、音楽性を変えられる危険がある。
俊もある程度は自分の音楽性を変えることに抵抗はないが、月子はそれ以上である。
彼女は俊の作った曲やアレンジに、感覚的な注文をつけたことがない。
これだけ歌えて、まだ赤ん坊のレベルなのだ。
子供の頃から音楽に囲まれ、多くの時間を音楽に積極的に捧げてきた俊。
それに対して月子は、確かに三味線と民謡によって、生き残るための音楽を強制されてきた。
俊はもう自分が、本当に純粋に音楽が好きなのか、それとも既に執着になってしまっているのか、微妙に分からない。
しかし月子は音楽が嫌いになる要素があったのに、今も歌っている。
ここから彼女は、まだまだ成長するだろう。
その先に何が待っているのか、考えたら少し怖くなってしまうこともある。
彼女を追いかけていけば、その先には自分の音楽もあるのだと思える。
二日目の公開も、上手く再生数が増えていく。
これは歌い手ルナのチャンネルは早々に、収益化はしそうである。
ただそれだけで食っていけるというものではなく、ほんのお小遣い程度。
まだまだ音楽一本で食っていくわけにはいかない。
いずれはメジャーレーベルに所属することを、考えるべきではある。
しかしそれは、まだだいぶ先になるとも思う。
月子がメイプルカラーから離脱する己を、許せるようになってからのことだ。
それに俊としても、ユニットの音楽性を完全に確立してから、所属する会社は決めたい。
ノイジーガールなどはかなり普通のPOPSであるが、完成すればオルタナとメタルの要素があるロックになるはずだ。
作成してきた曲やアレンジを見れば、俊には音楽性などなく、ただ器用に流行を追っているように見えるかもしれない。
だが根底にあるのは、やはり違うのだ。
誰かの魂に爪痕を残すような、そんな音楽を作りたい。
その数が10万や100万を超えてようやく、俊はこの閉塞感から半ば解放されるだろう。
二日目の公開曲はチェリー、フォニイ、ダンシング・ヒーロー。
この中ではダンシング・ヒーローは原曲に近い。
それが関係しているのかどうか分からないが、再生数が伸びない。
チェリーはやはり安定して伸びていて、一番顕著なのがフォニイであった。
これはかなりバラードアレンジをしているので、それがツボにはまった人間が多かったのだろう。
ただこの二日目には、まだ登録人数が少ないこともあってか、コメントには率直な意見が多い。
ほとんどは「仮面外せ」であるというのは笑える。
ここまでの公開してきた歌を見て、リクエストしてくる人間も多くなっている。
(いずれはライブ配信して、投げ銭にも対応すべきかな)
ただライブ配信であると、突発的な事態に対応できない。
ライブ配信の形を取った、録画の配信というのが無難なところであろうか。
しかし全くコメントに対する反応がなければ、見ている方も不信感を抱くかもしれない。
月子が意外なほど、人前で歌うことにプレッシャーを感じないことは、路上で歌ったことや、ステージに立っていることで分かっている。
ただ記録として残ってしまうものを、どうすればいいのやら。
これは将来的に、どういう形で音楽を発信していくか、という問題とも絡んでいる。
いずれは大きく展開するために、大手の事務所に所属し、レコード会社とも契約しなければいけなくなる可能性は高い。
商業的な成功を達成するためには、どこかでネット配信だけの活動からは脱却する必要がある。
俊にはあの夢の啓示が、はっきりと記憶に残っている。
かなり大きなライブハウスであったとは思うのだが、自分の知っている場所ではない。
そしてステージに立っていたのは、自分と月子の他には、おそらく四人。
ひょっとしたら三人以下かもしれないと思うが、二人以上は絶対にいた。
あれはバンドを組む必要がある、という意味ではなかったのではないだろうか。
実際に完成形のノイジーガールは、明らかにギターヒーローを必要としたライブ楽曲であった。
『聞いてくれる人増えて、嬉しいですね』
「そうだな。ただ問題は四日目なわけで……」
ノイジーガールが本当に受けるのかどうか、自信はあっても不安は消えない。
自信があるからこそ逆に、それを否定されてしまった場合、ショックは大きいだろう。
多くのweb小説家が初投稿作を完結させられなかったり、ボカロPが一曲か二曲で消えていくというのは、それだけ思い入れが強いからであるのかもしれない。
一度や二度受け入れられなかったぐらいで、挫折するのは意味が分からない俊だ。
誰だって最初に作るものは、おおよそ稚拙であるというのが当たり前。
まあ小説家の中には、初めて書いた小説が大きく評価される、という人間もいるらしいが、そういった人間も全く文章を書いたことがないわけがない。
俊の場合はある程度の成功体験もあるため、次にすぐに向かうことが出来る、
それでも自信作が否定されれば、ある程度ショックは受けるのだ。
これは創作をする上では、どの分野でも避けられない痛みであろう。
ただノイジーガールは、いずれ作り直す必要はあると思う。
それまでにまず、ノイズとしての二曲目を作る必要があるが。
つまづいて転んでも、そこでうずくまっている暇はない。
吸収すべきものは多く、そこから引き出すものも多い。
天才どもはもう、既にメジャーシーンにいたりする。
それを思うと俊としても、得体の知れない焦りに支配される。
(あの女がデビューしたのは18歳だった)
今の月子と同じ年齢で、メジャーシーンに登場したのだ。
俊とは状況が違うから、比較することの意味はないのかもしれない。
だがそれでも、俊の中の焦燥感はなくならない。
『ノイジーガールなら、絶対に大丈夫ですよ』
「そうだといいな」
冷たく聞こえるように言いながらも、俊は次に月子が歌うカバー曲のアレンジを行っていたりしたのだった。
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