第297話 準備期間

 ブラジルのリオデジャネイロで行われるカーニバルは、元はカトリックの謝肉祭であったという。

 ただ現在ではその性格をかなり変質させ、世界一のダンスの祭典となっていると言うべきか。

 パレードには数万のダンサーが参加し、それを見物に訪れる人間は100万以上。

 さすがのコミケも敵わない、世界最大の祭典とも言われている。


 そんなものを毎年やっているのだから、ブラジルは大規模なフェスに長じていると言えるのか。

 もっとも国内の情報を知る限りでは、治安はあまり良くないともいう。

 ただ富裕層や、国外からの旅行者が泊まるホテルなどは、治安のいい地域にある。

 サッカーが国技などと言われて、今でもレジェンドを生み出し続ける。

 ただそのサッカーの試合で、普通に死人が出たりはする。

 フーリガンはイギリスが有名であるが、ブラジルも危険なものである。


 危険な国ではあるが、危険な地区は限られている。

 ただ金持ちが常住するには、あまり適していない。

 もっとも地元のギャングなどとつながっていれば、その保護を受けられる。

 別口のギャングから狙われれば、それはもうどうしようもないことである。


 リオのカーニバルが終わってから、始まる音楽フェス。

 アメリカではロックは死んだなどと言われるが、海外ではむしろロックが保存されていたりする。

 これは文化ではそれなりに、歴史の中で行われてきたこと。

 もっともブラジルはブラジルで、ロックやポップス以外の音楽もあるが。


 地理的に言えばアメリカから、飛行機で飛べる距離だ。

 実は日系移民がそれなりに多く、かつてはその影響も大きかった。

 地元とはある程度混血しながらも、外国人同士でくっついたりもする。

 黒人奴隷の文化や、白人入植者の文化なども混じって、不思議なことになっている。

 フェスと言ってもロックフェスというばかりではない。

 地元の音楽もあれば、レゲエなども存在する。


 そんな中に日本のロックバンドが出場するわけだ。

 正直なところ、アメリカのフェスの方がむしろ、対象となるファンは多いと思われる。

 ただ海外公演の経験が積めるというだけでも、充分にありがたいことではあるだろう。

 それにそこまで大きなステージでもないので、特にプレッシャーはかからないと思われる。

 アメリカやイギリスの、レジェンドと呼べるバンドが、それなりに出場はする。

 その中でもアジアやヨーロッパの、ちょっと先端を行っているバンドが出るステージに出場するわけだ。


 ステージの規模はそれほどでもないと聞いて、少しは気楽になる。

 若手のバンドで、今後が期待されるという枠に、出場するというものなのだ。

 ただ海外からやってくる人間の中には、むしろこのステージをこそ、楽しみにしている人間もいるのだとか。

 これまでにノイズが参加してきたフェスの中では、ライジング・ホープ・フェスのようなものであろうか。

 あれも若手向けのフェスであり、今後売れそうなバンドというのが、かなり集められていた。


 もっともミュージシャンというのは全てが全て、売れるというものではないのは当たり前。

 しかも実力はあるのに、なぜか売れないというミュージシャンまでいる。

 あるいはカバーばかりしていると、作詞作曲を付けられて、デビューなどということにもなる。

 その場合はせっかく売り出されても、多くの取り分が入ってくるわけではない。

 おおよそ事務所と給料で契約を結び、そして売れなくなれば契約更新がないというわけだ。




 ノイズの場合はそれと、かなり違うものである。

 事務所に所属はしているが、基本的に給料というものはない。

 契約によって何をしてもらうかが決まっており、事務所の取ってきた仕事によって、その利益の何%かが事務所に入ってくる、というパターンが大きい。

 そもそも事務所がなければ、連絡先をどこにすればいいのか、分かっていないパターンもあるのだ。


 俊は色々なことを経験してきたので、信吾や栄二と同じく、事務仕事も出来なくはない。

 ただそういったことを任せるために、事務所に入っているのである。

 確定申告のための税理士も、事務所の契約している税理士に、全て任せてしまう。

 かつては自分でやっていたが、数日もかかってしまう仕事を、他人に任せられるというのは、大きな違いであるのだ。

 金は重要なことであり、しっかりとした経費の把握は税金を少なくすることが出来る。

 ただ金よりもさらに重要なものは、時間ということになるであろう。


 タイパという言葉は、本来は稼ぐ人間のためにあるようなものだ。

 しかしそれを意識しているのが、現代の若者であったりする。

 少しでも時間を無駄にしたくないという思いが、むしろ回り道になっている。

 ドラマや映画の倍速視聴など、その最たるものであろう。

 

 俊は本来は、家事などもしっかりと出来る人間なのだ。

 だが他人に任せられるなら、もう任せてしまう。

 地下のスタジオは他には任せられないので、ここは自分で管理している。

 ちゃんと整理整頓してあるのが、使用者の性格を表していると言えるだろう。


 時間だけではなくコストも、任せられるものなら任せてしまいたい。

 だが本来なら確定申告など、自分でも出来てしまうものなのだ。

 税制というのは本来、単純である方がいいのだ。

 それをややこしくしていると、収める税金を稼ぐ時間を、無駄に奪ってしまうことになる。

 また税理士や会計士などは、基本的には生産性がない事務仕事であるのだ。

 もちろんこれがあるからこそ、前線でサラリーマンなどは戦える。

 しかしなければないほど、他の職業で稼ぐ人間は増える。


 インディーズであるノイズは、この事務仕事の部分を、俊が一気に出来ていたものである。

 ただ本来ならこういったものも、全て事務所がやる仕事なのだ。

 アーティストは脚光を浴びるものだが、それを支える裏方の人間は、必ず存在するものだ。

 ライブハウスまでならともかく、コンサートホールなどは基本、音響まで専門家が必要になってくる。

 スクリーンを必要とする演出があると、そういうものは専門家の仕事になる。

 ライブハウスでもPAがやっている仕事だ。


 儲けということだけを考えた場合、ブラジルのフェスは本来、さほどのものでもない。

 コンサートライブを行った方が、コストも時間もかからないであろう。

 だからこのコストも時間も、宣伝の一部と考えるしかない。

 そしてさらに大きな舞台への、先行投資と考えるのだ。


 フェスに参加する契約内容も、あまりノイズの有利にはならない。

 もっともこういった海外でのフェスであるような、だまくらかすものではなかったが。

 海外との契約になるので、弁護士などにも入ってもらっている。

 その弁護士まで信じられないなら、もうどうしようもないものであるが。




 別に音楽業界に限らず、商品を売る時には、広告宣伝費を大きくかける。

 音楽の場合はとにかく聞いてもらわなければ届かない。

 有線だろうがリクエストだろうが、あちこちで流さなければいけない。

 今はそれがネットという手段で、インフルエンサーが少しいれば、一気に広がっていく。

 昔と違うのは、ネットというのはどこまでも、個人の発信力が強いということ。

 俊などは昔のプロモーション戦略などを見ても、贅沢なものだなと思うぐらいである。


 ネットにしても最初の頃は、かなり大変なものであった。

 中堅どころのボカロPというのは、トップのボカロPとは、完全に差がある。

 つまるところ、それで食っていくことが出来るかどうかだ。

 プロのミュージシャンの条件というのは、それぐらいしかない。

 もっともただ食っていくだけなら、先が見えてしまうものだが。


 俊は売れ線になりやすい、メロディアスな曲を作る。

 そこに暁がロックをぶち込む。

 作曲は俊であっても、編曲はそれぞれの意見が反映される。

「もうすぐ四年になるのに、全然追いつけない……」

 千歳はそんなことを言っているが、そもそも育った環境が違う。


 それに暁は、千歳の歌に敵うことがない。

 また信吾や栄二などは、はっきりと千歳の上達を感じている。

 暁のやっていることは、技術的なことの他に、感覚的なものがある。

 他をあまり意識することなく、自分の満足を考えている。

 本来の性格は、そこまで自己中心的なものではない。 

 だがギターを持たせていると、そういう感じになってしまうのだ。


 ブラジルのフェスは、さほどの金にはならない。

 欧米の人間は傲慢なので、歴史のあるフェスでもない限り、他には興味を示さない。

 またロックなどというものは、既に死んだと思われている。

 実際に日本のロックも、オルタナティブ系は強烈なのがあるが、ポップスと上手く混ざったものが多い。

「だからこそ新鮮に思えるんだろうけどな」

 ロックの歴史について、俊はかなり絵画との共通点を考えたりする。


 ゴッホの絵は素晴らしく、そして価値があるものである。

 しかしゴッホのタッチを忠実に真似できる画家に、高い価値はあるだろうか。

 ロックの場合、いや音楽の場合、最初はコピーから入る。

 ノイズにしてもカバーから入って、そしてオリジナリティを出していった。

 そのオリジナリティに優れているからこそ、俊は徳島を尊敬する。

 同時に負けないための方法も考えていたりするが。


 売れ線の音楽を、ある程度変化をつけて、定期的に発表する。

 忘れられないためには、重要なことである。

 今の世の中、コンテンツが飽きられるのが早い。

 それを防ぐために、次々に発表して行く必要はあるのだ。

 ただあまりにそれが頻繁であると、逆にありがたみがなくなる。




 ノイズはあくまでも、メタルではなくロックバンド。

 だからこそバラードなども入ってくる。

 技巧に走ったとんでもない演奏もあれば、ボーカルを際立たせる抑えた曲もある。

 ただここまでに発表した曲は、おおよそメタル色の強い曲の方が、人気は高い。

 とはいってもヘヴィメタルではなく、メタル調という程度で、シャウトなどはほとんどないのだ。


 暁はメタルも好きだが、メタルっぽいシャウトなどはあまり好きではない。

 声にと言うよりは、発声に好みがあるのだ。

 より分かりやすいデスメタルなどに比べれば、普通のポップスの方が好き。

 グランジはいいがオルタナティブには好き嫌いがはっきりある。


 狭義のオルタナティブ・ロックには興味がない。

 音楽を狭めてどうするのか、という話である。

 アンダーグラウンドでなければいけない、という括りであるなら、ノイズは間違いなく商業主義のオーバーグラウンドだ。

 確かに全く売れなかったが、後に大きく影響を与えた、というバンドなどはある。

 また売れはしたが短期間の活動だった、というセックス・ピストルズなどもいる。

 パンクの要素はあまりないが、完全にないわけではないのがノイズだ。


 音楽に娯楽性と芸術性の両方を求める。

 そもそも今は芸術と思われるようなクラシックであっても、元は娯楽であったのだ。

 オペラなどは特に、娯楽だったのである。

 ロックは芸術にはならなかったが、商業的とは言われるようになった。

 その代表的なのが、メタル路線であろうか。


 また商業的ともちょっと違うが、スタイルがいかにも、というロックはある。

 60年代から70年代のロックスターは、無茶をやってなんぼとも言われていた。

 スキャンダルがむしろ、勲章になっていた時代。

 信吾の三股問題など、あの頃であれば全く、問題でもなんでもなかったであろう。

「ちょっとラテンっぽくしてみたんだけど」

 俊はそう言って、膨大な作曲した中から、毛色の違うものを出してみる。

 作曲自体は大量にしてあっても、どれを発表するかは問題なのだ。


 同じ系統の音楽ばかりを出しても、それは飽きられてしまうだろう。

 販売戦略の問題であるが、時にはちょっと売れ線を外してでも、スタイルを新しくしていく必要がある。

 幸いと言うべきか、ノイズのボーカルは月子が圧倒的な声を持っている。

 バラードやR&B系の曲を作れば、それを月子が一段階上に上げてくれる。


 陰鬱な調子のハードロック。

 重苦しいギターと、ベースのサウンド。

 リズムはあえて単調にして、ボーカルはツインボーカルを利用していく。

 ボーカルを楽器として使い、メロディーの中で主旋律が変化する。

 これは確かに、今までになかった曲調であるかもしれない。




 何十本も曲を作っていながら、実際に出すのは一本ぐらい。

 正確に言えば他の曲は、まだ寝かせておく必要があるのだ。

 ノイジーガールをリマスターしていて気がついた。

 俊のコンポーザーとしての能力は、昔よりも高くなっている。

 それはおそらく他の優秀なコンポーザーと、並んで作曲をしたからであろう。

 だがそれだけに、昔の曲がまだ、ブラッシュアップすべきだと分かってくる。


 ただ既に完成している曲を、何度もリマスターするというのは、足踏みをするというものだ。

 新しい曲でもって、過去の曲を上回っていかなくてはいけない。

 ちょっとやそっと改良点を見つけても、リマスターをそのたびにやっていては進めない。

 重要なのは新しい曲を、どんどんと作ること。

 これが昔であれば、長い期間をかけてレコーディングをしていくのだが。


 ライブをやっていく上では、いくらでもバージョン変更をしていけばいい。

 アドリブで弾くというのは、暁の得意とするところだ。

 ベースやドラムも、ある程度の変化はつけていく。

 しかしそれは全て、ボーカルを活かすため。


 今のボカロP出身のコンポーザーは、間奏を短くする傾向にある。

 ボーカルがボーカロイドであっただけに、その声を使うことを大前提としているのだ。

 俊の場合はバンドから離脱して、ボカロ曲を作った。

 そのため必要以上に、今の流行に染まってはいない。


 もっとも60年代から70年代は、短い曲と長い曲が、はっきりと分かれていた。

 そして90年代のJーPOP最盛期は、基本的に曲は長めであったのだ。

 ロックというのは基本的に、楽器の演奏もまたロックである。

 ボカロ曲は楽器の音を軽視するわけではないが、ボーカロイドの声を重視する。

 そして聞く側の人間に飽きられないよう、イントロを短く間奏も短くしている。

 だがライブであれば、演奏の長さはある程度変化してもいい。


 マスターの通りになど歌わず、ソロを長くしてもいいのだ。

 もっともそれをされると、一番大変なのが俊なのだが。

 ライブは生き物であるが、打ち込みは変化させるのが大変だ。

 シンセサイザーの機能で、しっかりと練習もしておかないといけない。

 練習では100点でやっておかないと、ライブでそれ以上が出せるはずもない。

 もっともノイズのフロントメンバーは、ライブの方が強かったりする。




 一月にはそれなりに、ライブハウスなどでライブを行った。

 ブラジルへ行くまでに、本番の舞台で演奏出来るようにだ。

 もっともフェスで演奏する曲は、それなりに人気のある曲と決めてある。

 知名度が高くなっている曲でないと、オーディエンスもノれないのだ。


 新曲もその中で発表する。

 新月と名付けられたその曲は、ダークでゆるやかなBPMであり、さらに単調なリズムが続いたりもする。

 しかしボーカルはそれを塗りつぶすほど力強く、ギターはリズムもリードも主張しすぎない。

 暁は積極的にギターを弾くが、とにかく暴走するわけでもない。

 この曲に限って言うなら、しっかりと自分をコントロールしている。


 それにしても、ノイズのライブにはライブハウスの収容力では、限界が出てきている。

 この規模の人気になっても、まだ300人のハコでやっているので、仕方のないことなのだろうが。

 コンサートホールなどを使うと、費用もかかってくる。

 チケットの料金も、それほど大きく値上げはしていない。


 物販でしっかりと、売上が出ているのも大きい。

 古いCDなどが、いまだに地道に売れ続けているので、それも大きいことではある。

 ただそういったものは、どれだけ在庫を持っておくか、それが重要にもなってくる。

 とりあえずアニソンカバーの方は、受け入れられて売れている。


 そしてたまに、洋楽もカバーして演奏する。

 本日はTHE TROOPERやLAYLAなどをやってみた。

 このあたりは月子と千歳の、英語の練習にもなっているのだ。

 なおこの時代のギターリフは、暁が大好きであったりもする。


 商業主義と言われようと、80年代のメタルのギターはいいのだ。

 日本の楽曲なども、このあたりの影響は強く受けている。

 少なくとも20世紀の終盤まで、洋楽の影響は大きかったのは間違いない。

 またそこに価値がある、とも思っていた。

 そこから解放されたのは、いったい何が最大の理由であるのか。

 邦楽が明らかに発展した一つには、確かにボカロ曲の影響がある。

 だがそれだけでもないはずだ。


「やっぱり1000人単位のハコじゃないと、ファンは入れないよな」

「下手にチケットを販売すると、転売の対象にもなるしな」

 転売対策は、ノイズが最近頭を悩ませていくところである。

 300人規模のハコであると、どうしてもそこに金をかけることは出来ない。

 ただアイドルグループのものと比べれば、ずっとマシではあるだろう。

 もっとも向こうは、既に相当の対策を取っている。

 音楽以外のことでも、儲けのためには考えなくてはいけない。

 チケットの転売というのは、確かにその一つではあるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る